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坂の上の雲

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1905(明治38)年5月27日、巨大な艦影が1艦また1艦と三笠の前に姿を現し、いよいよ連合艦隊とバルチック艦隊の戦闘が始まった。連合艦隊は、世界の海軍戦術の常識を打ち破る異様な陣形をとる。真之(本木雅弘)が水軍の戦術案からつむぎ出した、艦隊を敵前でターンさせるという捨て身の戦法だ。
東郷(渡哲也)は、「まず敵の将船を破る」という真之の戦術原則のとおりに艦隊を運用。三笠の砲弾が目標である敵の旗艦「スワロフ」に命中した。2日間にわたる七段構えの攻撃を受けたロシア艦隊は、主力艦をことごとく撃沈、捕獲され、ついに白旗を掲げて降伏。連合艦隊は、奇跡といわれた歴史的勝利を収める。
連合艦隊が歴史的勝利を収めたそのころ、満州の最前線にいた好古(阿部寛)のもとに母・貞(竹下景子)の死を伝える電報が届く。帰国した真之(本木雅弘)は、この戦争で敵味方ともに数多くの犠牲者を出したことに耐えられず、その苦しい胸中を妻・季子(石原さとみ)に打ち明けるのだった。
9月5日、ポーツマス日露講和条約調印。日本の国力は限界に来ていて、ロシアと講和を結んだとはいえ実状はかろうじて引き分けたというようなものだった。しかし、国内では新聞が「弱腰の講和」と政府を批判し、不満をもつ民衆が日比谷焼き打ち事件を起こした。
12月21日、各艦の司令官、艦長らが旗艦「朝日」に来艦。連合艦隊の解散式が行われ、東郷(渡哲也)が真之の書いた「連合艦隊解散の辞」を読み上げる。
戦争終結からしばらく経ったある日、好古と真之が久しぶりに顔を合わせる。松山の海に船を浮かべ、兄弟で釣りをするふたりの胸に去来する思いとは……。
真之は大正7(1918)年2月4日、満49歳で没した。最期の言葉は「みなさん、いろいろお世話になりました。これから独りでゆきますから」だった。好古は陸軍大将で退役したあと、故郷の松山に戻り私立の北予中学の校長をつとめ、昭和5(1930)年11月、71歳でこの世を去った。

第23回 敵艦見ゆ (前編)

後顧の憂いを断った連合艦隊はバルチック艦隊との決戦に備える。宮中で明治天皇(尾上菊之助)に拝謁した東郷(渡哲也)は、バルチック艦隊との戦いに勝利すると断言。同席した海軍大臣の山本権兵衛(石坂浩二)を驚かせる。その後、久しぶりに東京・青山の自宅へ戻った真之(本木雅弘)は、母・貞(竹下景子)との再会を喜ぶ。
1905(明治38)年2月20日、連合艦隊が佐世保から出港する。同日、満州軍総司令部に各軍司令官が招集され、クロパトキン率いるロシア陸軍との一大決戦を前に一堂に会する。奉天会戦は戦線100キロに、ロシア側の兵力32万、砲の概数1200門、日本の野戦軍の兵力25万、砲990門が展開する世界戦史上空前の大会戦になった。

第24回 敵艦見ゆ (後編)

激闘が続くなか、好古(阿部寛)は鉄道破壊の命を受け、騎兵団3千を率いて奉天北方に向かう。ロシア側はこれを大量の騎兵団が北進してきたと誤認。クロパトキン(セルゲイ・パールシン)は急いで全軍を奉天から退却させる。
4月、バルチック艦隊がシンガポール沖に達する。そこからウラジオストクまでの航路は二通り。対馬海峡を通る日本海コースと、太平洋を回って津軽海峡や宗谷海峡を経るコースである。日本は迎撃する艦隊を1セットしか持たないため、太平洋と日本海の2か所で待ち伏せすることはできない。しかし、この艦隊を全滅させなければ、日本は敗北する。
真之(本木雅弘)は対馬海峡を通ると想定して哨戒計画を立案するが、バルチック艦隊の行方は杳(よう)として知れない。なかなか対馬に現れないバルチック艦隊に業を煮やした真之は、東郷(渡哲也)に艦隊の移動を進言する。しかし「敵は対馬に来る」という東郷のひと言で移動を延期した翌日、「敵艦見ゆ」との電信が旗艦・三笠に届く。真之は大本営への電文に「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」と、日本が有利であることを象徴する一文を書き加える。

第21回 二〇三高地 (前編)

1904(明治37)年11月。第三軍は、三度目の旅順要塞総攻撃を予定。各師団から選抜した三千百余人の白襷(だすき)隊による一大決死隊の突撃を開始する。突撃開始から3時間で全線にわたって攻撃が頓挫、白襷隊が闇に乗じて鉄条網まで迫るが、機関砲火を浴びる。乃木(柄本明)はもはや正面攻撃は無理と判断し、二〇三高地を全力で落とすと宣言する。だが、第一師団五連隊が頂上を占領した直後に反撃され、頂上奪取に失敗する。
総攻撃の開始から6日目、連合艦隊・三笠の艦内では、攻撃中止命令が出るころだとの声が上がる。その声に真之(本木雅弘)は、4万5万の将兵が犠牲になっても二〇三高地はおとさなくてはいけないと激する。
万策尽き果てた乃木の苦境を見かねた満州軍総参謀長・児玉源太郎(高橋英樹)は、旅順で乃木の代わりに二〇三高地を落とすことを決意。大山(米倉斉加年)からの秘密命令を携え旅順に向かう。

第22回 二〇三高地 (後編)

満州軍総参謀長・児玉源太郎(高橋英樹)は、旅順で乃木(柄本明)の代わりに二〇三高地を落とすことを決意し旅順にやってくる。乃木と二人きりで話し合った児玉は、一時的に第三軍の指揮を執ることを乃木に了承させ、直ちに重砲隊の移動や陣地転換など攻撃計画を修正する。
12月5日、集中配置された28サンチ砲や重砲がその効果を存分に発揮。死闘の末、二〇三高地の西南山頂を占領した日本軍は観測点を置き、旅順港のロシア艦隊に砲撃を浴びせた。
ロシア艦隊の全艦撃沈が時間の問題だと知った連合艦隊は、直ちに佐世保へ帰港の準備に入り、10か月に及ぶ旅順港の封鎖作戦に終止符が打たれる。
児玉は、陥落した二〇三高地の巡視に向かう乃木にあえて同行せず、陸軍の記録にも自らが指揮権を執ったことは伏せて、単なる陣中見舞いだったと記録させる。そのころロシアは、ぼう大な数の兵を奉天の会戦に向けて集結させつつあった。

第19回 旅順総攻撃 (前編)

1904(明治37)年、日露戦争開戦。日銀副総裁の高橋是清(西田敏行)は日露戦争の戦費調達に奔走するが、世界はロシア有利と見ていたため日本に融資する相手を探すのは困難だった。
満州軍総司令官の大山巌(米倉斉加年)と総参謀長・児玉源太郎(高橋英樹)らが、東郷平八郎(渡哲也)率いる連合艦隊の旗艦「三笠」に集結。陸海軍首脳による協同作戦会議が開かれる。海軍は、旅順港を陸から攻撃してロシア艦隊を追い出してほしいと陸軍に要請。真之(本木雅弘)は、旅順西北の二〇三高地を占領してそこに観測点を置き、ロシア艦隊を砲撃すべきと主張する。しかし陸軍は旅順要塞攻略を重視し、乃木希典(柄本明)が指揮する第三軍が総攻撃にあたる。
7月下旬、陸軍の動きに反応したロシア艦隊が旅順港から姿を現した。連合艦隊はかねての作戦計画に従い攻撃を開始するが、ロシア艦隊は再び旅順港に逃げ戻り、黄海海戦は失敗に終わる。
8月19日、第一回旅順総攻撃が始まり、要塞の正面突破を敢行するが、旅順要塞はベトンで固められた近代要塞になっていた。日本軍は要塞の鉄壁に傷一つ負わせることもできず、6日間で1万6000人の死傷者を出す壮絶な敗北を喫する。その報に接した真之は、第三軍は作戦目的をわかっていないと激し、直談判に赴くと息巻いて参謀長の島村(舘ひろし)に冷静になれと諭される。

第20回 旅順総攻撃 (後編)

遼陽での会戦が迫るなか、好古(阿部寛)の騎兵団は敵情捜索を行い、クロパトキン(セルゲイ・パールシン)率いるロシア陸軍が大軍を集結させていると報告する。ロシア軍の兵力23万に対して日本軍は14万。砲弾が足りない日本軍は遼陽西部戦線で多数の死傷者を出し崩壊寸前となる。しかし東部戦線の決死の攻撃や好古の提案が功を奏し、クロパトキンは突如全軍を退却させる。
一方、第三軍は坑道と塹壕(ざんごう)を掘り進めて旅順要塞に近づくという正攻法で二度目の旅順総攻撃を行うが、4900人の死者を出し再び失敗に終わる。
10月、バルチック艦隊がついに出港した。

第17回 広瀬、死す (前編)

1904(明治37)年2月5日、連合艦隊司令長官・東郷平八郎(渡哲也)は各隊の司令官と艦長を三笠に集めて開戦の命を告げ、決意の杯をあげる。真之(本木雅弘)は、艦長のお供で三笠を訪れていた広瀬(藤本隆宏)と再会。ロシア駐在を経験した広瀬はこの戦いに特別な意味を感じ、自分にしかできない役目があるはずだとして、それを参謀の真之に考えてほしいと頼む。翌6日、連合艦隊は佐世保港から出撃する。
同日、日本はロシアに対して国交断絶を通告。皇帝ニコライ2世(ティモフィー・ヒョードロフ)は激怒するが、極東総督のアレクセーエフ(ゲンナジー・ベンゲロフ)が電報を握りつぶしたと気づかされる。その2日後、皇帝は御前会議を招集した。
8日、連合艦隊は旅順港の東方44海里にある円島(えんとう)付近に達した。真之らは夜のうちに5隻の敵軍艦を沈め、翌日の決戦を有利に進めるという奇襲作戦に打って出る。翌日、皇帝ニコライは宣戦布告を発する。
日本では開戦を知った律(菅野美穂)が季子(石原さとみ)を心配して秋山家を訪れる。気丈に振る舞う季子だが、律に用心棒になってほしいと頼む。一方、習志野の練兵場では、騎兵第一旅団の旅団長をしていた好古(阿部寛)が来るべき戦闘のために準備を整えていた。
三笠では、有馬良橘(加藤雅也)が港内に閉じこもるロシア旅順艦隊に対し閉塞戦を試みることを提案。真之は乗組員の生還率の低さから反対するが、東郷は作戦を受け入れる。

第18回 広瀬、死す (後編)

東郷(渡哲也)はロシア旅順艦隊に対し閉塞作戦を採用。広瀬(藤本隆宏)はロシアの友人たちにあてたメッセージを書いた垂れ幕を閉塞船に掲げて出発。しかし、この閉塞作戦は失敗に終わる。
二度目の閉塞作戦が実行されるが、旅順口に達した4隻の閉塞船はロシア軍の集中砲火を浴びる。広瀬が指揮する福井丸も被弾、乗組員は爆薬を仕掛けた船を離れて短艇に乗り込み脱出を図る。そのさなか広瀬は砲弾を受けて落命。海軍の閉塞作戦は再び失敗に終わる。

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