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坂の上の雲

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1889(明治22)年、大日本帝国憲法が発布される。学生たちと祝賀気分に浮かれる中、子規(香川照之)が突如かっ血し、病気療養のため松山に戻る。妹・律(菅野美穂)は再び嫁いでいたが、母・八重(原田美枝子)とともに子規の看病をする。江田島から帰省した真之(本木雅弘)が子規の見舞いに訪れ、二人は3年ぶりの再会を喜ぶ。子規は自らの病気を句に詠み、ホトトギスを意味する「子規」を俳号に決めたと話す。
帰省中の真之は、水練用の池で傍若無人な振る舞いをした陸軍兵ともめ事を起こしてしまう。父・久敬(伊東四朗)は内緒で事を収め、憤る真之を「短気は損気、急がば回れ」と諭す。
真之は海軍兵学校を卒業し、初の遠洋航海に出発。そのさなか、兄・好古(阿部寛)からの手紙で久敬が息を引き取ったことを知る。
1891(明治24)年5月、来日中のロシア皇太子ニコライ(ティモフィー・ヒョードロフ)が襲われる。日本がロシアの侵略を受けようとしているとの危機感を抱いた暴漢によるもので、ヨーロッパの大国ロシアとの間に緊張が走る。
帰国した真之は、日本の港を巡回する清国の艦隊を見学。そこで東郷平八郎(渡哲也)と出会う。
 
 子規(香川照之)は東京に戻り、陸羯南(くがかつなん・佐野史郎)主宰の新聞「日本」に入社。陸の勧めで彼の家の隣に家を借り、松山の母妹を呼び寄せ暮らし始める。
フランスから帰国した好古(阿部寛)は、陸軍士官学校の馬術教官になる。そして児玉源太郎(高橋英樹)の勧めで、以前下宿していた佐久間家の娘・多美(松たか子)と結婚する。
1894(明治27)年春、ときの首相・伊藤博文(加藤剛)の戦争回避の努力もむなしく、日清開戦が閣議決定される。騎兵第一大隊長になっていた好古は、目黒の兵舎で動員に備える。連合艦隊も佐世保を出航、真之(本木雅弘)の乗る巡洋艦「筑紫」は、朝鮮半島西岸で偵察活動を行い、戦時態勢に入る。
7月25日早朝、日本艦隊と清国艦隊が朝鮮西岸で遭遇、戦闘の火ぶたが切られた。
真之(本木雅弘)は海軍兵学校に入ることを決意。兄の援助から自立し一身独立する、という弟の覚悟に好古(阿部寛)も賛同する。真之は築地の海軍兵学校に入学し、そこで1年先輩の広瀬武夫(藤本隆宏)と出会う。
1887(明治20)年春、好古は旧松山藩主久松家の家令・藤野(宝田明)から呼び出され、フランス留学が決まった若殿とともに渡仏するよう頼まれる。しかし日本陸軍が全ての体制をドイツ式に転換しようとしている最中の渡仏は、陸軍における栄達をあきらめることに等しかった。好古は苦悩の末に渡仏を承諾、7月、フランスに向けて出帆した。
海軍兵学校が広島県江田島に移転。休暇を利用して帰郷した真之の立派な姿に大人たちは驚き、子どもたちは胸を躍らせる。真之が帰りの船に乗る間際、律(菅野美穂)が追いかけてきた。律は真之に自分が結婚した理由と、婚家から離縁されたことを告げる。真之は「女子でも一身独立できる」と律を励ます。
1890(明治23)年、パリにいる好古のもとに本国から官費留学に切り替えるとの命令が届く。それは日本陸軍が騎兵建設を好古に託したことを意味した。
1884(明治17)年。上京から1年が経ち、真之(本木雅弘)と常規(後の子規・香川照之)は大学予備門に合格。塩原金之助(後の夏目漱石・小澤征悦)と出会い、友情を育む。一方、陸軍大学校に通う好古(阿部寛)は、ドイツ陸軍の参謀将校メッケル少佐(ノーベルト・ゴート)を師とし、実戦的な作戦を学んでいた。
春になり、子規の妹・律(菅野美穂)が松山から上京。真之に近々結婚すると打ち明け、「これからは自分に代わって兄を守ってほしい」と頼む。
大学予備門で、子規はおぼえたばかりの野球に熱中。子規と同居生活をはじめた真之も仲間たちと青春をおう歌する。俳句や文学に傾倒する子規に対して、自分の進むべき道は何かと悩む真之だが、しだいに海の向こうに広がる世界を見たいという思いを強くする。
升(香川照之)が大学予備門を目指すために上京してしまい、取り残された思いの真之(本木雅弘)に、再び好古(阿部寛)が援助の手を差し伸べた。真之は旧旗本の佐久間家に下宿する好古を頼って上京。神田の共立(きょうりゅう)学校に入学する。
ある日、ふたりは英語教師の高橋是清(西田敏行)に誘われ、横浜の外国人居留地に出かけた。そこでイギリスから来た最新鋭の巡洋艦「筑紫」を目の当たりにした真之は、遠い海の向こうの世界へ思いをはせるのだった。
260年続いた幕藩体制が倒れ、日本に近代国家が誕生した1868(明治元)年。四国・伊予松山の秋山家に5人目の男児が誕生。名を秋山淳五郎真之と名づけられた。明治維新後、松山藩の財政は底をつき、藩士の生活は困窮を極めていた。とりわけ、大勢の子に養育費がかかる秋山家は悲惨だった。父・久敬(伊東四朗)は生まれた子を「寺へやるしかない」と言うが、兄・信三郎好古が猛反対。そのまま秋山家で養育されることになった。
1874(明治7)年、16歳になった信三郎は日銭を稼ぐ生活に追われていた。秀才で名高い信三郎だが、貧しさゆえに中学に通うことができなかったのだ。淳五郎は6歳になり、近所でも評判のガキ大将となっていた。幼なじみで弱虫の正岡升(のぼる・後の子規)、その妹でめっぽう気の強い律たちと悪さをしては叱(しか)られてばかりだが、好古を慕いあこがれていた。
やがて好古は、学費がかからない師範学校への進学を目指して大阪に旅立った。その後、師範学校を卒業して上京、陸軍士官学校へ入学した好古が松山へ帰省。好古は、自らの仕送りで真之を中学に進学させるよう両親に申し出る。
数年後、松山中学に進んでいた真之(本木雅弘)と升(香川照之)。升は、当時はやりの自由民権運動にかぶれていたが、中学を中退して大学予備門を目指すために上京することになる。

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