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大河ドラマ「八重の桜」

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八重(綾瀬はるか)の幼なじみ、山川大蔵(玉山鉄二)の姉・二葉(市川実日子)が、会津藩の有望な家臣・梶原平馬(池内博之)のもとへ嫁ぐことが決まった。
 一方、江戸では勅命を携えた薩摩が幕府に将軍の上洛を迫る。これを受け幕府は、京都の治安維持にあたる京都守護職の選任へにわかに着手。政事総裁職の松平春嶽(村上弘明)は、かねてから優れた見識をもつ容保(綾野剛)に白羽の矢を立てるが…。
幕末期長州藩の志士、思想家、教育者。幼名は大次郎(だいじろう)・寅次郎(とらじろう)・寅之助、名は方(のりかた)、号を二十一回猛士という。生家は無給通(むきゅうどおり)、23石取。父は杉百合之助(すぎゆりのすけ)、松陰は次男であった。幼くして吉田家に養子となったが、同家は大組(おおぐみ)で禄高(ろくだか)40石、山鹿流(やまがりゅう)兵学師範の家であった。
松陰30歳の短い生涯は多難に満ちている。しかし、これは大別すると3期に分けることができる。第1期は18歳までの少年時代、第2期は24歳までの遊学時代、第3期は獄中時代(松下村塾(しょうかそんじゅく))である。
少年時代、叔父玉木文之進(たまきぶんのしん)や兵学者山田宇右衛門(やまだうえもん)、山田亦介(またすけ)から兵学に関する教育を受けた。1838年(天保9)9歳のとき藩校明倫館(めいりんかん)で山鹿流兵学の講義をしたが、これから毎年一定期間明倫館で教授することになった。11歳のとき藩主毛利敬親(もうりたかちか)の前で「武教全書」を講義し、その巧みさに藩主を驚かせた。1844年(弘化1)15歳のときふたたび藩主に講義する機会があり、激賞を受け褒賞を下賜された。
1848年(嘉永1)19歳で明倫館師範となったが、このとき明倫館再興に関する意見書を提出している。同年、御手当御用掛となり山陰海岸の砲台を巡視し、海防についての報告書を提出する。20歳のとき藩府の許可を得て九州を遊学し、熊本で盟友宮部鼎蔵(ていぞう)を知る。21歳のとき兵学研究のため藩主に従って江戸へ出て、佐久間象山(さくましょうざん)らについて広く学ぶ。22歳のとき東北視察に出発するが、藩府の許可を得ない無届出奔であったため、翌年の帰藩時、亡命の罪を問われ士籍と禄高を没収される。しかし、藩主敬親の特別の計らいにより、10年の諸国遊学が許される。24歳のとき萩(はぎ)を出発して江戸へ向かうが、途中京都で諸国の志士と交遊を深める。
1854年(安政1)25歳のとき浦賀に再度来航したアメリカ軍艦に乗り込み、同志金子重之助とともに海外渡航を企てるが失敗し、幕府自首する。このため、江戸伝馬町(てんまちょう)の獄舎に入る。幕府は松陰を萩に送り、野山獄(のやまごく)に入る。27歳のとき、藩府は出(しゅつろう)を許して生家での禁錮(きんこ)を命ず。出牢した松陰は近隣の子弟を集めて塾を開くが、この塾が、玉木文之進の始めた松下村塾(当時隣家の久保氏が教授)と合体し、やがて松陰が主宰者となる。29歳のとき、松陰は同志17名と血盟し、「安政(あんせい)の大獄」を未然に防止しようと老中間部詮勝(まなべあきかつ)の要撃策を企図する。目的達成のため、この案を藩府要人に示して後援を求めるが、藩府は松陰を危険人物視してふたたび投獄する。松陰は獄中においてもこの策を推進するため門人を動かすが、門人たちも投獄されてこの策は失敗する。1859年30歳のとき、幕府は藩府に松陰の江戸送致を命ずる。江戸に着いた松陰は同年(安政6)10月27日、伝馬町の獄で刑死する。
うら(長谷川京子)が覚馬(西島秀俊)の子を身ごもり、八重(綾瀬はるか)は佐久(風吹ジュン)たちと共に祝福する。
 しかし、その喜びもつかの間、覚馬を攘夷派の不逞(ふてい)浪士が急襲する。さらに、かつて八重たちとも交流があった吉田寅次郎(松陰・小栗旬)が、安政の大獄で処刑されたという知らせを聞き…。
1858(安政5)年、西郷頼母(西田敏行)の松平容保(綾野剛)への働きかけが実り、覚馬(西島秀俊)の禁足が解かれ、八重(綾瀬はるか)もわがことのように喜ぶ。さらに、尚之助(長谷川博己)の教授方就任もかない、覚馬はうら(長谷川京子)をめとることになった。
 一方、幕政では大老になった井伊直弼(榎木孝明)が、水戸藩主・徳川斉昭(伊吹吾郎)ら一橋派に無断で日米修好通商条約を締結。激怒した斉昭らは井伊のもとへ押しかけるが…。
桜の木の上で砲術本を無心に読む八重(綾瀬はるか)。毛虫に驚いた拍子に本を落としてしまう。そこへ若き武士が通りがかり、その本を拾い上げる。それは江戸から覚馬(西島秀俊)を援助しようとやってきた尚之助(長谷川博己)だった。よき協力者を得て蘭学所の整備を急ぐ覚馬だったが、藩の守旧派の反感を買い禁足を命じられてしまい…。

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