大河ドラマ「軍師官兵衛」
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秀吉(竹中直人)のおとぎ衆となった道薫(田中哲司)は昔語りの席で茶々(二階堂ふみ)や秀吉を「化け物」と罵倒し死のうとするが、官兵衛(岡田准一)の機転で救われる。
秀吉(竹中直人)は関白となり、更に姓を豊臣に改める。秀吉のお伽衆、道薫(田中哲司)と亡き妻「だし」との幼い息子を見つけた官兵衛(岡田准一)は親子を引き合わせるが道薫は逃げる。茶々(二階堂ふみ)の望みで城を捨て逃げた過去の話をするよう秀吉に命じられた道薫は居合わせたすべての者を「化け物」と罵り、殺されることを望むが官兵衛に止められる。やがて、官兵衛は右近(生田斗真)の勧めでキリシタンに興味を示す。
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天正10年6月2日(1582年6月21日)、織田信長とその嫡男で当主の織田信忠が本能寺の変で重臣の明智光秀によって殺害されると、その後間もない山崎の戦いで光秀を倒した羽柴秀吉が信長旧臣中で大きな力を持つに至った。6月27日(7月16日)、当主を失った織田氏の後継者を決定する会議が清洲城で開かれ(清洲会議)、信長の三男・織田信孝を推す柴田勝家と織田信忠の子である三法師(のちの織田秀信)を推す羽柴秀吉との間で激しく対立した。結果的には同席した丹羽長秀・池田恒興らが三法師擁立に賛成したためにこの後継者問題はひとまず決定した。なお異説として、柴田勝家は三法師擁立に反対ではなく、清洲会議は、この4武将が結託して織田家から天下を奪ったクーデターだったとする説もある。 この説では、秀吉が天下を狙う意図を明確にしたのは、翌月に自らの主催で大規模な信長の葬儀を行った時である。勝家は秀吉のこれらの一連の行動を自らの政権樹立のためであると考え、激しく警戒し、敵意を抱いた。信孝は、何が起きているか理解できず、秀吉と勝家を仲裁しようとしていた。
この後双方とも周囲の勢力を自らの協力体制に持ち込もうと盛んに調略を行うが、北陸の柴田氏の後方にある上杉景勝や、信孝の地盤である美濃の有力部将・稲葉一鉄が、羽柴秀吉になびくなどやや秀吉に有利な状況にあった。一方で勝家は四国の長宗我部元親や紀伊の雑賀衆を取り込み、特に雑賀衆は秀吉の出陣中に和泉岸和田城などに攻撃を仕掛けるなど、後方を脅かしている。
布陣3月12日(5月3日)、勝家は前田利家、佐久間盛政ら3万の軍勢を率いて近江国柳ヶ瀬に到着し、布陣を完了させた。一益が篭る長島城を包囲していた秀吉は織田信雄と蒲生氏郷の1万強の軍勢を伊勢に残し、3月19日(5月10日)には5万といわれる兵力を率いて木ノ本に布陣した。双方直ちに攻撃に打って出ることはせず、しばらくは陣地や砦を盛んに構築した(遺構がある程度現在も残る)。また、丹羽長秀も勝家の西進に備え海津と敦賀に兵を出したため、戦線は膠着し、3月27日(5月18日)秀吉は一部の軍勢を率いて長浜城へ帰還し、伊勢と近江の2方面に備えた。秀吉から秀長に「(自軍の)砦周囲の小屋は前野長康、黒田官兵衛、木村隼人の部隊が手伝って壊すべきこと」と3月30日付けの書状が送られたが、この命令は実行されていない[2]。
4月20日(6月10日)、劣勢であると判断した賤ヶ岳砦の守将、桑山重晴も撤退を開始する。これにより盛政が賤ヶ岳砦を占拠するのも時間の問題かと思われた。しかしその頃、時を同じくして船によって琵琶湖を渡っていた丹羽長秀が「一度坂本に戻るべし」という部下の反対にあうも機は今を置いて他にないと判断し、進路を変更して海津への上陸を敢行した事で戦局は一変。長秀率いる2000の軍勢は撤退を開始していた桑山重晴の軍勢とちょうど鉢合わせする形となるとそれと合流し、そのまま賤ヶ岳周辺の盛政の軍勢を撃破し間一髪の所で賤ヶ岳砦の確保に成功する。
4月16日(6月6日)、一度は秀吉に降伏していた織田信孝が伊勢の一益と結び再び挙兵、岐阜城下へ進出した。ここに来て近江、伊勢、美濃の3方面作戦を強いられた秀吉は翌4月17日(6月7日)美濃に進軍するも、揖斐川の氾濫により大垣城に入った。秀吉の軍勢の多くが近江から離れたのを好機と見た勝家は部将・佐久間盛政の意見具申もあり、4月19日(6月9日)、盛政に直ちに大岩山砦を攻撃させた。大岩山砦を守っていたのは中川清秀であったが、耐え切れず陥落、中川は討死。続いて黒田孝高の部隊が盛政の攻撃を受けることとなったが、奮戦し守り抜いた。盛政はさらに岩崎山に陣取っていた高山右近を攻撃、右近も支えきれずに退却し、木ノ本の羽柴秀長の陣所に逃れた。この成果を得て勝家は盛政に撤退の命令を下したが、再三の命令にもかかわらず盛政はこれを拒否、前線に軍勢を置き続けた。
4月20日(6月10日)、劣勢であると判断した賤ヶ岳砦の守将、桑山重晴も撤退を開始する。これにより盛政が賤ヶ岳砦を占拠するのも時間の問題かと思われた。しかしその頃、時を同じくして船によって琵琶湖を渡っていた丹羽長秀が「一度坂本に戻るべし」という部下の反対にあうも機は今を置いて他にないと判断し、進路を変更して海津への上陸を敢行した事で戦局は一変。長秀率いる2000の軍勢は撤退を開始していた桑山重晴の軍勢とちょうど鉢合わせする形となるとそれと合流し、そのまま賤ヶ岳周辺の盛政の軍勢を撃破し間一髪の所で賤ヶ岳砦の確保に成功する。
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秀吉(竹中直人)からちょう愛された三成(田中圭)は官兵衛(岡田准一)と対立する。父の留守を預かる長政(松坂桃李)は領民の反発にあい職隆(柴田恭兵)の助言を仰ぐが
秀吉(竹中直人)は、官兵衛(岡田准一)の忠告を無視し、小牧・長久手の戦いで家康(寺尾聰)に手痛い敗北を喫する。側近として頭角を現す三成(田中圭)は家康を敵視するが、官兵衛は逆に取り込むよう進言、激しく対立する。一方、黒田家は新たに与えられた播磨・山崎に居を移すが、留守を任された長政(松坂桃李)の厳しさに領民が反発、騒動が勃発する。祖父・職隆(柴田恭兵)は領主としての心構えを説き、長政を改心させる。
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信長のあだ討ちを果たした秀吉(竹中直人)は、織田家の後継者を決める清洲会議で柴田勝家(近藤芳正)を論破、優位に立つ。秀吉包囲網を画策する勝家を官兵衛(岡田准一)は各個撃破で孤立させる策に出る。たまりかねた勝家は賤ヶ岳に出陣、秀吉に決戦を挑む。動乱の中、官兵衛は天下の茶人・千宗易(伊武雅刀)と出会い、その導きで道糞と名乗る村重(田中哲司)と再会する。そして黒田家では長政(松坂桃李)の縁談が持ち上がる
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