|
菊(の箱)に包まれた一夜から明けた8月7日、、、。 目が覚めると当たり前ではあるが、やっぱり地面の上であった、、、、。 寝たときは暗かったので、良く分からなかったが、、、、 改めて明るい状況で見ると、、、これはヤバい、、、 浮○者と何処が違うんだって位、、、、 バイクが無かったら只の可哀想な若者である、、、、 犬の散歩をしていたお母さんも何だか遠巻きに眺めていたのを覚えている、、、。 ちなみに小さくて分からないかもしれないが、ロードパルに乗る男はまだ奥で寝ている。 とりあえず、、何はともあれ地元のヤ○キーに襲われなくてよかった、、、、笑 その後、その辺にあった水道で顔を洗い、駅近くにあったコンビニが開くのを待って朝食を取り、6時半頃出発した。 昨日と同じく国道6号を走っていると、左手にところどころ砂浜が顔を出す。 スクーターでパリダカのゴールみたいに波打ち際を走れるかな!!??とアホなことを考え、、、 6号から進路を外れて、3人とも砂浜にバイクごと突っ込んだ。 しかし、少ししたところで砂が深くなり、タイヤが見る見るうちに砂の中に埋まって行きスタック状態に、、、 驚いたことにスタンドを立てなくても、タイヤがハマってるんでバイクが立ってる!!笑 手前のディオをよ〜く見るとスタンドを立ててないのが分かるかと、、、。 私が寝っ転がっているビーチチェアは、その辺に転がっていたモノです、、、 、、、、、海はキレイにしましょう。 この砂浜では、バイクを倒してもダメージが無いんで、マックスターンの真似ごとをしたりドリフトの真似ごとをしたり、、、今思うと迷惑な若者ですね、、、、 、、、、、海では静かに遊びましょう。 しかし、神様はしっかり見ているようで、バチはしっかり当たりました、、、。 水戸付近を走っている時に、タクトのエンジンがなんだか不調に、、、、、 どうやらエアクリーナーから砂が入ったようで、全然吹けません、、、、 場所は水戸の市街地ど真ん中、、、 「あああ、、、ここまで来てリタイヤ!!??、神様ゴメンナサイ」 急遽近くのスタンドに入り呉のキャブレタークリーナーを購入。 エアークリーナーを外して、キャブクリを目一杯吹きかけてエンジンを回すと、、、、 おお、、、復活、、、。 強いぞホンダ、、、、。 復活、、とイイながらも、さすがにピストンに傷入ったかな、、、 とは思いながらもしょうがないのでこのまま更に南下、、、もうバイクで海は入りません、、、。 周りの車のナンバーは「水戸」「土浦」たまに「習志野」、、、、知っているナンバーで何だかほっとする、、。 そして道路標識の○○まで何kmも、知っている地名が出てきて、これも何だかほっとする、、、。 今まで、盛岡100kmとか、、、仙台140kmとか、脱力感極まりない気の遠くなるような距離数を見せつけられていたが、ここへ来てようやく距離感つかめるところまでやってきた。 しかし、ほっとすると同時に旅の終わりを告げているのも事実、、、 知っている場所を走っていてアクセルを開けたくもなるが、グッとこらえている自分もいる、、、 八戸港についてから4日、、、。7〜800km近く走ってるのに、、、思えば観光らしい観光は松島しか行ってない。 本州に入ってすぐに雨に祟られ、その後も寝る所もしっかり決めてないことから、どこかに寄る、、何をする、、という計画を立てるということをしっかり考えられなかった。 一体この旅は何だったのだろうか、、、 確かに、旅=観光という定義は何処にも無い。 走るだけで満足なら、それもまた旅であるが、、、何やってきたの!?と聞かれても走ってただけ、、としか答えられないのは何か寂しい、、、。 だが、走ったのは事実である。 それだけで満足ではないか、、、強いて言うなら、事故も無く無事帰ってきた、、、 素晴らしいことじゃないか、、、。 驚くべきことに、この時の旅で全てのガソリン代を足しても5千円にも満たない、、、。 一回の給油量がわずか2L程度。当時リッター100円程だったので一回につき200円ちょっと、、、 当時のレシートも全て残っていた。 毎回こんなものしか食べてなかったのか、、、笑 サーマルレシートのものは何時か消えてしまうだろうが、それもまた時間の流れがもたらすモノ、、、特にコピーして取っておこうとは思わない、、、。 何度も書くようだが、何も用意していないのがこの旅の特徴、、、、 こういったメモも、出発してから財布に入ってた適当な紙の後ろに書き始めたものだった。 出発から戻ってくるまでで約1000km。 どうやら原付で差し引き5日強を1000km走ると、旅先で恍惚な表情になったり、知らない人に泊めてもらったり、菊の箱で寝ることが出来るようになるらしい、、、、笑 終わり
|
1995年北海道の旅
-
詳細
コメント(12)
|
明けて8月6日、、、仙台の朝は早かった、、、、 ほとんど寝ていなかった、、、、寝たと言うよりかは我慢していた、、に近い 確かに一瞬くらい脳が眠った感があったが、、、 気づいたら明るくなり始めてた、、 周りの2人も同じ感じだったらしく、一人起きたらバタバタっと2人も起きて、ものの5分もしないうちに部屋を出てバイクに荷物をくくりつけた。 それこそ夜逃げ屋本舗のような光景で、、、、 昨日の人にお礼を言おうにも、何処にいる人なのかも分からない、、、、 少し離れた所まで原付を押し、キックでエンジンを掛けて足早にその場を離れた。 別に悪いことは何もしてないのだが、、、、。 相変わらず、目的地も決めてない3人。 とりあえず仙台駅近くのベンチのある場所に原付を止め、近くにあった水道で顔を洗う。 ベンチの近くには昨日の七夕祭りの名残か、誰かが置いていった輪っか型のシャボン玉セットがあり、試してみると、朝日を受けながらキラキラとシャボン玉が舞っていく。 遠くでは朝6時だってのに、旧車会の皆さんがコール合戦をしている。 どちらも何とも祭りの後らしい光景である。 仙台には中学生の頃、家族旅行で来たことがあった。 その時泊まったのが松島を一望出来るホテルだったことを思い出し、やや北上する形にはなるが、せっかくなので松島まで行ってみた。 松島は、平均速度40km/hの原付でも一時間弱でつく距離であった。 港に行くと、朝の7時30分てこともあって人や車は殆どない。 とりあえず、わき目もふらず港近くのベンチで横になる3人、、、、夜に眠れなかった分、この静かな港でゆっくり眠らせてもらおうと言う魂胆だった、、、 ここは日本有数の観光地、、かの松尾芭蕉の句は、、、実は芭蕉のものでは無いらしいが、それくらい有名な所、、、。 1時間もしないうちに観光バスがバンバン止まって、爺さん婆さんが次々に降りてくる、、、悲。 当然、寝てる場合ではなくなり、すぐにその場を追い出された。 ここで、札幌でお世話になった友人の実家に何かを送ろうということになり、松島名産の笹かまぼこを札幌に送り、松島を後にした。 ここからはまたRIDE ON TIMEの始まり、、、、長らく走ってきた国道4号に別れを告げ、国道6号に入る。4号でも帰れるが、6号の方が馴染みが深く(知ってる道)、そしてこの後海岸沿いを走れるという特典が付いている。 とにかく雨が降ってないので快調そのものである。 一桁国道らしい深い轍を利用して、振り子遊びのように車体を左右に揺らしながら、南へ南へとアクセルを煽る。 写真にも余裕が見られる一枚。 ディオに乗るY氏は、当時NSR250Rに乗ってたこともあり、終始この旅の先導を勤めてくれた。 ディオはメットインという大きな収納を持っていたため、地図や工具などを満載し、それこそサポートカー的な役目も果たしてくれた。 この旅が終わった後も、地元で駅までの足として活躍していたらしいが、その後残念ながら盗難にあってしまった。 ロードパルもその後長らくオーナーの足として活躍していたらしいが、最後は学校の駐輪場に置いたまま卒業してしまったらしく、今やその後の消息をつかむことは出来ない。 そして私のタクト。 唯一今でも実家に現存しているが、その後モトラを手に入れたこともあって既にエンジンを掛けなくなってから10年以上が経っている。 今思えばホント軽くて小さくて、何なら担いで持ってかれちゃいそうな位お手軽なバイクであった。 ここ最近、都内の足としてこの位の小さいサイズのスクーターが欲しいと思っているが、復活させるべきかどうか非常に迷う、、、、。 国道6号を走っていると、左手に容赦なく美しい太平洋を拝めるので、暗くなる前に一度海岸に降りてみた。 誰もいない海岸に降りてやりたくなるのが、火遊び、、、、。 もちろん健全な方の火遊びで、乾燥した薪になるものを地味〜〜に探すことから始まる。 始めはそれこそ、これじゃあ火が消えちまう、、、とかあ〜だこ〜だ動き回ってたのだが、そのうち段々無口になってきて、薪をくべて火だけを見つめるになってくる、、、。 大の男が3人も揃ってるのに、誰も何も喋らない、、、 異様な雰囲気、、なハズであるが不思議なことに誰もがそれを変と感じない空気感がそこにはあった。 聞こえるのはパチパチ、、という音と波の音だけ、、、 恐るべし、たき火、、、。それまでの苦労を全て灰にして、私たちの心を浄化してくれているかのように、、、笑 しかし、端から見たらやっぱりアブナい3人組、、、、ホント捕まらなくて良かった、、、。 その後、海岸を離れ、寝床を探しに更に南下。 ようやく、福島県のいわき駅まで下りてきたのだが、ここでも夏祭りが行われていて、、、どうも野宿が出来そうな治安の良さでは無い、、、、(雨も上がってるんで、野宿する気満々)。 なので、更に走ること30分程、、、、常磐線の大津港駅まで下りてきた。 ココまで来るともう茨城県に入っている。とうとう関東地方に足を踏み入れたのだった、、、。 大津港駅と言えば、上野発の常磐線で大津港行きという電車があったのを覚えていたので、そこそこ大きい駅かと期待したが、、、かなり小さい、、、。 まあ、でもこの位の方が野宿もしやすいってもんである。 この時既に夜の12時近くであったろうか、、、駅の職員に許可を取ろうにももう誰もいない。 駅の中に入ることも出来ないし、周りに寝ることが出来そうなベンチも無いので、しかたなく近くのスーパーの裏手にあった段ボール置き場から身長サイズのものを選び、駅舎の前に敷いて、そこに横になった。 さすがにシラフで地面にここまで近づいて横になったのは初めてである、、、。 しばらくすると、目の前を蟻のような虫が横切っていく、、、笑。 疲れているとは言え、これまた経験したことの無いような光景に興奮して、、、これまた眠れない。 だって、目の前がさっきまで靴で歩いていた地面な訳だし、、、、 しかも、偶然であるが、さっき拾ってきた段ボールが、生花の「菊」用の段ボールだってのも眠れない要因なのかもしれない、、、、 「母ちゃん、、、元気でやってるよ、、、、だけど、もうすぐ家に着くってのに、オレ今、菊の段ボールで寝てるよ、、、」笑 次回いよいよ最終回、その六に続く
|
|
朝が来て、、、花巻での絵が描かれたおじさんにどやされる前に、静かにサウナを後にして出発の準備。 雨は全然止む気配無し、、、、 参りましたね、、、正直。 ビッチョビチョになるのも嫌なんですが、シールドの無いジェットヘルで雨に当たると顔が痛かった、、、、 雨雲は北上するものだから、南下してれば必ずや晴れてくる、、、とだけ願って走ってた訳なんですが、、、、 3人ともボロ雑巾の如くビショビショで、金も無いことからファミレスという選択も取れない。 休憩する所といったら、街道沿いのコンビニしかないんですが、ここは軒下にベンチがあるんでかなりマシな方でした、、、。 モザイクで隠れてますが、顔が疲れきってて、、かなり遠くを見つめちゃってます、、、 この恍惚な表情こそ、この旅を物語る一枚であり、、、ウチらの中でもベストショットとして崇められています、、、笑。 この時何食ってたかな、、、!? 温かいものしか体が受け付けなかったから、、、やっぱり定番のカップラーメンだろうな、、、。 しかし、そんな私たちにも幸運の光が、、、、 もうすぐで仙台市内、、というところで雨が上がってきた、、、。 この頃になるとず〜っと走ってきた国道4号も山道ではなくなり、広い幹線道路に、、、 そんな開放感もあって、何故だか分からんがこの頃に撮った写真は全て笑顔だった、、、笑 神はこんなボロ雑巾たちを見捨ててなかった、、、 夕方頃に市内中心部に入り、ロードパルの2回目のパンク修理というプチアクシデントがあったが、濡れた服を乾かすのと溜まった洗濯物を洗うため、コインランドリーへと向かった。 濡れた服の殆どを洗濯機に入れ、靴も強制乾燥させるため乾燥機に放り込んで、その間に近くのホカ弁で買った唐揚げ弁当をコインランドリーの中で食べた。 しばらくして雨でキレイになった靴も乾き、、、オオ新品同様だ!!なんて喜んでいると、同じく洗濯をしにきていた若い男性が話しかけてきた。 外に停めてあった他県ナンバーの原付を見て、話しかけずにいられなかったとのこと、、、。 とりあえず今までの経緯を話していると、今日の寝る所はどうするのか!?と訪ねてきた。 「いや、、どうしましょうかね、、、公園ででも寝ようかね〜〜」 とか笑ってると、自分の住んでるところが新聞配達員だけが住む借り上げのアパートで、一部屋完全に空いてるからそこで寝なよ、、と言う、、、。 突然の申し出に言葉が詰まる3人、、、。 とりあえず、ここから歩ける場所なんでついてきてよ、、とのことで、今を思えば何故か分からないが、私が代表でその人について行った、、、。 正直ちょっと恐かった、、、 街の中心部に近いと言っても、ちょっと薄暗い住宅地、、、 このまま金を巻き上げられるのか!?、、、、と脳裏をよぎる、、、。 その頃、他の2人は、どうやら絶対ケツを掘られると思ってたらしい、、、笑 結果、そんなことはなかったのだが、、、、 バイクを止めるときは音を出さないように手前でエンジン切って押してきてね、とだけ言って消えて行った、、、。 その後コインランドリーへ戻り、2人に「まあ、、大丈夫そうだけどね、、、」と話し、せっかく仙台へ来たので七夕祭りの行われている有名なアーケード街へと観光に向かった。 人ごみの中、デカくて長くて美しい七夕の飾りを見上げるが、頭の何処かにゃ今夜の寝床の不安が残り、素直に喜べない、、、。 かといって他に寝る所のあても無く、、、好きに使っていいと言われた部屋のシャワーも正直魅力だった。 しかし、恐怖感だけはどうしても拭えなかったので、出来るだけ遅い時間まで繁華街をブラブラし、人気の無い時間帯に3人して例の部屋へ戻った、、、。 部屋は6畳一間だったように記憶しているが、殆ど間取りを覚えていない、、、なぜなら部屋に入っても周りに気づかれるとマズいのでは、、という思いから電気をつけることも出来なかったから、、、。 シャワーも使わせてもらったが、浴槽に水が跳ねる音にさえ気を使ってしまい、お湯を出してる筈なのにお湯の温度になる前(熱くなる前)に出てきてしまった程である。 布団は当然なかったが、金目のモノを盗まれないようにと手持ちのバックに全ての荷物を入れ枕にした。またそうしておくことで何かあってもすぐ逃げられる、、と思っての準備をした、、。 とりあえず横にはなったが、全く眠れない、、、、外に停めた原付も心配である。 ただでさえ、七夕祭りで治安が悪いのに、今日のこの状況では何が襲ってくるか分からない、、、。 部屋は一階で、通りに面した側だったのを覚えている。祭りってこともあってか、かなり遅い時間でも若者が外を歩いているのを喋っている口調で判断出来る、、、。 原付を部屋の窓の近くに置くべきだったと後悔し始める、、、。 もう、ダメだ、、、全ての物音に過敏になっている、、、 そんな戦国武将が迎える夜のような緊張感の中、本州2日目の夜は更けて行った、、、、。 その伍へ続く、、、、
|
|
5日間のファミコン生活ともおさらばして、いよいよ出発の時。 札幌の友人実家にて、最後の整備をします。 整備っていったって、大したことはしてません。 各部のゆるみのチェックと、グリスアップ、プラグのチェックくらいなものです。 このタクトは私の手元にくる前は、ホンダに勤める先輩が乗っていて、その時は純正の赤の外装から深いメタリックグリーンにオールペンされていました(その先輩の家で同じ色のアコードインスパイアに乗ってた影響から、、、)。 しかし、その爺くさい色目が気に食わなかったので、外装を全部引っぱがしてサーフェーサー仕様、ホイールもつや消しの黒に塗ってそのまま乗ってました。いつかは好きな色に塗るぞ、、、と思っての第一段階の筈でしたが、実は今でもこの状態のまま実家のガレージに眠っています、、、。 写真を見ていて気づいたんですが、、、このメルメットホルダーはCB-Fのと同じ形かもしれませんね、、、笑。 この後、出発なんですが、、 札幌に実家のあるチャンプにのるM氏とはここでお別れです。 何でも久しぶりに地元に帰ってきたんで、部活の無いお盆までこっちでユックリしたいとな、、、。 となると、乗ってきたチャンプはどうなるのか、、、!? 実はこの後、自分は飛行機で下宿先の習志野まで帰り、チャンプは郵送で送ったらしい。 で、自分が下宿先に着いた数日後にチャンプが、輸入品の如くデッカい木箱に入って到着したらしいんだけど、、、 もちろんこの木箱を開けられるバールなど持ってなく、しかも細い路地にあるアパート前にいきなりデカイ木箱だし、、、どうにかして開けたわイイけど、今度は木箱の廃材の処理に相当苦労したとか、、 この辺も学生ならではの計画性の無さである、、、笑 しかも、当時札幌→習志野の運賃だけで7〜8万だった覚えが、、、爆 (多分チャーター便だったんだろうな、、、、) 8月3日。札幌の家をお世話になったM氏と、M氏のおばさんに見送られながら夕方に出発。 行きと違い、帰りは札幌市内の古着屋で買ったノースカロライナ大のカレッジスウェット(普通のトレーナー、、、笑)を着て、寒さ対策もOK!!寒さ対策にスウェットってのがこれまた学生らしい発想でイイ!! このフェリー乗り場で、GSXインパルスのお兄さんに 「え、、!?これで北海道来たの、、!?笑」 と言われる位の軽装&軽バイクに、目を丸くしていました。 3人とも思いっきり軽装(スニーカーにグローブ無し)で、荷物は30L程のバックパック一個。 周りの北海道を満喫したライダーの方々は皆さん後部にシュラフやら何やらで荷物満載でしたからね。近所のコンビニスタイルでフェリーのバイク待機所にいる我々が、不思議に思えたことでしょう、、。 夜に苫小牧からフェリーに乗り、朝には青森の八戸港に到着。 フェリーの雑魚寝部屋は結構な人数で、しかもかなり男臭が漂い暑苦しかったので、我々はラウンジか何かの長ソファーでバッグパックを枕にして寝てました。 翌8月4日、本州上陸。 朝のうちはまだ曇り程度であったが、国道4号に乗って山道を走るに連れて雨が落ちてくる。 雨カッパ、、、、 相変わらずの話だが、その時は上下セットアップのものではなくて、自転車用か何かの長〜〜い上だけのものしか持っていない。 しばらくはそれで走っていたが、さすがにスクーターと言えども足下が濡れることに気づき(笑)途中山間のホームセンターにて透明の上下セットアップと、バックパックに被せる黒いゴミ用のポリ袋を購入。 今じゃこれでも最低限の装備ですが、当時はコレにお金を払うことすら躊躇した、、。 財布から1000円札出す毎に、「うう、、、これから何日かかるか分からんのに、、大丈夫か、、!?」 と先の見えない恐怖に駆られた。 レッグシールドのあるタクトとディオの2人はこれで良かったが、大変だったのがロードパル。 上下セットアップだろうが、とにかく足が濡れる、、、ポンプフューリーはものの30分でビーチサンダルの如くビッチョビチョになったそうな、、、。 もちろんこの後、なりふり構わず、コンビニ袋を足に被せて青森の山道を激走した。 非力なロードパル(確かわずか2.2馬力、、、)だけに山道の走行もかなり大変だったらしいのだが、実はこの旅で2回のパンクに苛まれた。 写真は1回目の時の光景。 何とか近くのコンビニまで走って、バケツを借りて水を張り、自転車と同じ要領で直した。 多分、購入してから一度もチューブの交換などされていなかったと思われるので、チューブの劣化も相当ヒドかったハズ、、、。もう一回は2日目の福島の手前で起こり、自転車屋に駆け込んだか、自転車屋の前で直したか、、、そんな記憶がある。 ロードパルならこんな形で何とか直せるが、タクトやディオでタイヤにトラブルがあったら完全お手上げである。ゴミの多い路肩走行は出来るだけ避けて走るとパンクの確率も減る、、、。この時覚えたバイクの乗り方である。 しかし、只でさえ雨で気分が沈んでいるのに、コンビニの軒先でパンク修理、、、、 もちろん笑う余裕など無く、全てが終止無言のまま行われた、、、笑 その後、盛岡にて昼飯休憩をして夜には温泉で有名な花巻に到着。 さすがに疲労も重なり、今日はここで一泊しようとバイクを止めるが、宿泊方法を全く考えていない。 とりあえず駅前にバイクを止めて、雨の中駅の回りをうろうろすると、24時間サウナが一番安いことを発見。 「おお〜〜〜サウナって泊まれるんだ〜〜」などと感動し、冷えきった体をほぐす熱〜〜い風呂にも感動。 確かサウナの中で、常磐貴子と豊川悦司のドラマで、主題歌がドリカムの「LOVE LOVE LOVE」で有名な「愛していると言ってくれ」を見た覚えがある。 Wikiで調べてみると1995年の7〜9月放映の金曜午後10時からのTBS系ドラマとのこと、、、。 そうか、、、あの時もう夜10時だったのか、、、 しかもあの日は金曜だったのか、、、 確かに八戸を走っていた時、屋根にねぶたを乗っけたねぶた祭りの開催を告げる広告車が走っていた。 この翌日に入った仙台では、七夕まつり(仙台の七夕まつりは8月に行う)をやってた、、、 その後、福島(いわき)の駅前も夏祭りをやってた、、、、。 ちょうど夏の週末と被りながら走っていたこともあって、東北の祭りと同期しながら南下していたのだ しかし自分らには正直そんな余裕は無く、、、 ・一体いつまで雨が降り続けるのか、、、 ・いつになったら家に着くことが出来るのか、、、 ・明日は何処で寝てるのか、、、、 ・また、パンクするんじゃないか、、、、 ・そしてお金は続くのか、、、という恐怖にも似た思いが頭の中を巡っていた、、、。 でも、その日一番恐かったのは、仮眠室で隣に寝てたおじさんの腕から背中に、和彫りのキレイな龍が描かれていたことである、、、、爆 その4に続く、、、、
|
|
札幌の友人宅に着いたのが7月30日午前1時前、、、 もう一回旅の行程を見直してみたのだが、どうやら苫小牧から上陸と思っていたが、実は室蘭からの上陸だったようである。 今、室蘭港から札幌までの所要時間をNAVITIMEで調べてみると(←いや〜〜〜これも便利になったものだ、、、)、およそ130km程度、、、まあ休憩してもCB-Fなら3時間も見ておけばイイくらいなのでしょうが、この時は途中ファミレスの休憩を入れたとしても6時間の長旅、、、。 早速、北海道の大きさを知ることになったのでした、、、。 その日は、寒さと疲労と今まで感じたことの無い程のケツの痛さで、友人のおばさんへの挨拶もそこそこに就寝、、、。 翌日から北海道を旅立つまでは、天気がズ〜〜っと悪かったのを覚えている、、、。 元々、北海道に着いて何処をどう走るとか、何が見たいかなど全く宛ても計画性も無かったため、殆どの日を友人宅で過ごさせてもらっていた。 今思うと、何ともったいないことか、、、。 しかし、当時はホント何も考えておらず、、、、北海道に着いたはイイが、名所と言われるところはどこに行くにも日帰りで帰って来れるはずも無く、かといってキャンプ用具を持ってる訳でもなく、じゃあホテル泊が出来るかというと、もちろんそんな金もなく、、、、 元々バイクで何かを成し遂げよう!という思いは無かったのかもしれない、、、。 今なら、休みを取ってある目的地までバイクで行くことに意義を感じるのだが、この時はまだそんな思いは生まれてなかったのかもしれない。 バイクに乗ることとは何ぞや、、、、 実はこの後の本州まで戻ってくる帰路にて、その答えは何となく思い描かれるのだが、その時はまだ夜明け前の状態であった。 じゃあ、何をしてたのかというと、このざまである、、、笑 雨で外に出れず、ついつい小学生時代の懐かしいソフトがてんこ盛りな様子に我慢出来ず。夜は終止、寝ずのゲーム大会に陥っていた、、、、。 友人の両親は、わざわざ北海道まで来て何をしにきたのか、、、と不安に駆られたに違いない、、、。 もちろん毎日ゲームばかり攻略していた訳でなく、それなりに北の大地を満喫もしていました。 友人の実家のクルマを借りて行ったのが富良野。ラベンダー畑はもちろんのこと、4人共「北の国から」信者(笑)だったこともあり富良野駅(聖地)での記念撮影は必須。 蛍がここで緒方直人の乗る列車を追っかけたな、、、、 自分もいつかあんな不倫を経験してしまうのかと勝手にビクビクしてました、、、、爆 どこまでも伸びて行く長い道、、、、 どこまでも美しい青い緑、、、、これが北海道かと、、、クルマの後部座席にいながら満喫していました。 一日だけ晴れた日(8月1日)があって、その日は国道5号線を通って、小樽経由で余市まで行きました。 途中石狩湾を望む素敵な道だったんですが、道幅が狭くて後ろに観光バスやダンプに付かれようものなら、それこそ大玉に追いかけられるインディジョーンズの気分でした、、、。 端から見たら我々原付4人組は、煽るのには格好の餌食だったと思います、、、、笑。 余市ではニッカウヰスキーの蒸溜所を見たり、小樽ではそれこそ小樽運河を見に行ったりしましたが、一番印象的だったのは、小樽駅のロータリーにいたタクシーの運転手に 「お、八王子って東京のか!?、、、ここまで乗ってきたのか!!??」 と、友人の八王子市ナンバーを見てビックリされたことでした。 勢いで来た旅でしたが、何か関東代表の看板を背負ってる気がしました。 自分のバイクで、自分の看板を背負ってることがバイクでの旅の醍醐味の一つなのかと、今思うと郷土愛にも似た何かが芽生えたのもこの時かもしれません、、、。 結局、友人宅には5日もお世話になり、さすがにこれ以上ゴロゴロしてるのはマズいでしょ、、、ということで、ようやく重い腰が上がったのでした、、。 さて帰りのルートはどうするか、、、となったのですが、 行きと同じじゃつまらない、、、、ココまで来たのに全然バイクで走ってない、、、ということで、一体何日かかるかは分からないが下道をひた走って帰ることに決定。 北海道は殆ど走ってないけど、ホントの男達の旅はここから始まるのでした、、、、。 その3へ続く、、、、
|


