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今回の震災で感じたこと・考えたこと
自然は素晴らしい。でもそれだけじゃない。
美しい紺碧の空や海や爽やかなそよ風も自然なら、恐ろしい津波や地震も自然だ。
自然は人間の「想定」などお構いなしだ。
人間が勝手に決める「設計基準」を自然は“鑑みて”などくれない。
800mを超えるビルが建ち、インターネットを通じて世界中が繋がり、ジェット機に乗ればどこへでも行ける便利な時代に生きているので、技術でほとんどの事は(お金と時間があれば)叶う気になっていたが、人は自然に対して余りにも無力であることを思い知らされた気がした。
同時に自分は何の被害も受けていないことに後ろめたさも感じている。
日頃建築工事に携わっているくせに、電気や水やガスが使えるのは当たり前であって、それをありがたいとすら思っていなかったことを反省している。
地震や津波は自然災害で制御はできないが、原発事故は人間の技術がもたらした災害だ。
これまで私は原発推進派ではないが積極的な反対派でもなかった。
それは結果として、国の「電気の安定供給に原発は不可欠」という筋書きを黙認したことになるのだと反省している。
医療機関や工場への電気の安定供給は必要だとしても、夏に汗をかかずにスーツを着て仕事をしたり、冬に半袖でアイスクリームを美味しく食べる暮らしが本当に健康で幸せだろうか?私は電気を多く消費しなければ幸せになれないとは思わない。
そういえば、被災地からは遠い岡山県内でも震災直後には多くの建築現場では物資不足で工事がストップしたと言うが、地元の材木と竹小舞土壁で作っている私の現場は困らなかった。それを聞いた同業者が「アンタの現場は昔流だし、そこいら辺の物ばっかりで作っているからな」と苦笑いした。
単に昔に帰ろうなどとノスタルジックな事は思わない。
でも、この震災を通して、本当の幸せとは何だろう?と考えた。
自分が存在することを誰かが喜んでくれること。
望まない犠牲や被害が前提では、幸せは成り立たない。
地球温暖化はもともとは原発推進のためのシナリオではないか。
「CO2を出さないクリーンエネルギー」は始末できない廃棄物を出している。CO2は樹木や植物の餌になるが、原発廃棄物の安全な処理方法はない上に、今回のように一度事故を起こしたら取返しがつかない。原発ありきのエネルギー政策を方向転換させるべきではないか。
「オール電化」を推進し、シックハウス法で不必要な住宅にまで換気扇設置を義務付け、「エコ替え」というふざけたネーミングでまだまだ使える自動車や電化製品を無理やり捨てさせ、飛びつきたくなるような買電価格を設定して決して建物にとって良いとは思えない太陽光パネルを奨励し、合板やプラスターボードや建材や石油系断熱材を使った家づくりを優遇し、直接間接を問わず化石燃料や電力を使うべく仕組まれたエネルギー政策・住宅政策を改めて欲しい。
いみじくも原子力安全委員会委員長が無邪気に発言しているように、一部の利権者が儲かるため原発を作りたいからといって、電気をドンドン使うように仕向けるのは止めて欲しい。
政府は「原発がなくなれば電気が供給できませんよ」と脅す前に「国民全員の幸せな暮らしを考えましょう」と提言して欲しい。例え知らない誰かであっても、それが近隣の住民であっても、事故処理の作業者であっても、事故発生時には誰かの被爆が前提の電気供給では国民の幸せとは言えない。
電気がない生活は無理でも、原発がない暮らしは可能なはずだ。
そういう観点からも改めて夏は涼しい土壁を見直して欲しい。断熱性能一辺倒ではなく、風通しの良い家を見直して欲しい。電気やガスといった化石燃料を必要としない薪ストーブやウッドボイラーを見直して欲しい。エネルギーを効率よく使うという事も大切だが、はなから化石燃料を必要としない快適さの方ががいい。
電力も家づくりや農作物と同じで「近場で作る」という事ができないだろうか。
近場で作れば送電ロスも少なくなり効率も上がるはずだ。
近場で作るとなれば大都会は困るかもしれないが、多くの地方は地元で賄えるのではないか。
大都会は大量の電力を必要とする。地元発電をするなら、おそらくリスクが高い方法では作らない。
大都会で作れないくらいリスクが高いなら、地方でも作れないのが当たり前ではないか。
私が使っている電気は一体どこでどうやって作られて、どうやって運ばれてきているのだろう?
たとえばお米や野菜を買う時には、どこの土地で誰がどうやって作ってくれたのか関心があるから「生産者の顔が見える」商品を選んで買うことが多い。それと同じだ。
「もっと、もっと、もっと便利に」なることは豊かさではない。物に囲まれることでもない。
本当の豊かさとは、少々の不便も工夫で補って、暮らしを楽しむことだと思う。
充分条件ではなく必要条件で物を考える潔さも豊かさかもしれない。
今回の震災で、そんな事を考えた。
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浜岡原発の停止が決まった。
しかし、それは原発そのものを否定する停止ではなく、“津波に耐えうる”防潮堤ができる=安全が確保されるまでの時限措置らしい。
「自然は素晴らしい!」
当たり前のようにそう言われる。
本当にそうだろうか?
津波も地震も自然ではないか。
海水も地盤も人間に意地悪をしてやろうと思って津波や地震を起こすわけではない。
自然は時に悪魔のように人間社会に襲いかかる。
もちろん対策は必要だが、人間が技術でそれを封じ込めるとは限らない。
今年初めに石山祐二先生(北海道大学名誉教授)の「建築Jウォーク ちょっと真面目・ちょっと皮肉」(2005年初版)という本を読んだ。
石山先生は日本を代表する地震防災の専門家だ。
その本に「津波から人命を守ろう」という章があったのを思い出して、読み返してみた。
「(前略)津波の伝わる速度vは水深hが深くなるほど速くなり、重力加速度をgとするとv=√ghとなる。これに、例えば太平洋の深さとして4,000mを代入すると、時速700kmとジェット機なみの速度で津波は伝播する。(中略)津波の陸上での速さは秒速10m以上、時速40km以上にもなり、津波に追いつかれたならオリンピックの短距離選手でも逃げることはできない」
「このようなことを考えると、今後の対策として、津波に対する教育がまず必要である」
三陸沖の方々は津波に対する教育も行われ、知識も持ち、警戒も対策もされていたと思う。
それでも多くの死者・行方不明者が出た。
ここに謹んで哀悼の念を表し、心からご冥福をお祈り申し上げます。
ふと我を顧みると、私は今回の津波の報道を見るまで津波の恐ろしさは認識していなかった。
これは生まれてこのかた、津波に遭ったことがないからだと思う。
教育や訓練を受けた覚えもない。もちろん、その速度についての知識など持っていなかった。
せっかく石山先生の本を読んだにも関わらず、その速度までは頭に入っていなかった。
たまたま瀬戸内海沿岸に暮らしているので、災害に対して能天気に過ごしてきた。
子どもの頃の「避難訓練」といえば火災に対する訓練だった。
だから、私は津波警報が発令されても、どうしていいかわからない。
高いところへ逃げようと思っても、思いつくのは近所のマンションくらいだ。
どれくらいの時間の余裕があるのかも全くわからない。
情けない話だが、子どもにどう教えていいのかすらわからない。
もはや日本中、どこに住んでいても安全だとは思えない。
石山先生が書いて下さっているように「海岸付近で強い地震動を感じたらニュースや他からの情報を待つのではなく、すぐに高いところへ避難する。避難には自動車を用いず、歩いて(できれば走って)逃げる」
石山先生が提案しているように、携帯電話のGPSを使って津波が予想される場合には、津波による被害の危険性が高いところに居る人に自動的にその危険を母国語で知らせるような世界的システムが開発されることを願う。
「自然と闘う」技術も必要だろうが、計り知れない自然に対して、こういう技術も必要だと感じる。
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私はこれまで原発について真剣に考えたことがなかった。今、それを反省している。
事故が起きるまで、私は原発推進派でも積極的な反対派でもなかった。
何となく“怖い”と思いながら、かといって本気で科学的・法的な知識を得ようともしなかった。
私のように無関心・無知な国民が多かったことが、事故を招いてしまった原因のひとつではないか、という後ろめたさを感じている。
おそらく、大多数の国民が同じような気持ちでいるのだろう。
あちこちで原発に関する投票が行われている。
広島での街頭投票では「原発なしで暮らしたい?」という質問にYESが505/605(83%)、NOは49/605(8%)
ロイターオンライン調査では「政府のエネルギー基本計画では2030年までに14基以上の原発増設を目指している。今回の原発事故を受けてあなたが望む政策は?」という調査結果は現在のところ「計画通り原発を増設」に24,315票(8%)、「計画を見直し、原発を減らす」に34,495票(11%)、原発を全廃に241,416票(81%)
twitter連動プレ国民投票では「日本の原発は今後どちらの方向に舵を切るべきでしょういか?」という問いに対して現在のところ「維持・推進」が585人(4%)、「縮小・全廃」は12505人(96%)
事件や事故が起きると「警察や役所は何かあってからでないと動いてくれない」と非難してきた。
しかし、事が起きなければ原発について知ろうとすらしなかった私も同じ穴のムジナだ。
とにかく「知らなければ」と思い、原発に詳しい友人が薦めてくれた小出講演「原子力の専門家が原発に反対するわけ」をYouTubeで見た。 小出裕章氏は京都大学原子炉実験所の助教で、原子力の専門家でありながら原発反対派だ。
もちろん初めから反対派だったわけではなく、原子力を研究するうちに反対派に転じた珍しい経歴を持つ。
小出先生の話は明確で素人でもわかりやすい。本当に理解している人でなければ、難しいことを平易に説明できない。
原発を使わなくても日本の電気は足りているなんて、知らなかった。
原発で発生する廃棄物が「始末できない物」だなんて、知らなかった。
電気料金が原発建設費を含めた「必要経費」+利潤で法的に決められているなんて、知らなかった。
都会に原発を作れないよう法律で決められているなんて、知らなかった。
知らないことだらけ、驚くことばかり。
ところで原子力安全委員会って何だ?と思ったので、検索してみた。
YouTubeで「大失言!【原発儲かる】原子力安全委員長【最後は金】2005年斑目」がヒットしたので見た。
見ながら、これは「ミツバチの羽音と地球の回転」の鎌仲監督の前作「六ヶ所村ラプソディー」の非公式予告編だと知った。
短い映像なので、是非見て欲しい。ハルキくんのトンデモぶりが大炸裂している。
いくら東京大学の教授だからって、この人が委員長を務める委員会に国が原子力の安全を託していたとは…
無責任すぎる!
無責任といえば、厚生労働省、文部科学省、原子力安全委員会(↑ハルキくんが委員長)も驚くほど無責任だ。
5月2日に参議院議員会館で「20ミリシーベルト撤回要求対政府」が行われた。私は当日のやりとりを全て見たがかなり長いのでダイジェストをリンクする。
原子力安全委員会は保身に必死で「20ミリシーベルトで安全といった専門家はひとりも居ない」という。
「では、いくらなら安心か?」と聞かれて「だから(福島の子どもに測定器を持ってもらって)モニタリングをしている」とノウノウと悪気なく言い放った。
「福島の子どもを一緒に守って下さい」と訴える親達に、あなたたちの子どもでモニタリングをして、その結果をふまえて基準を作ると言う。無責任を通りすぎて、キ○ガイじみている。
彼らは上司に命令されて“イヤイヤ”そこに座っているのだろう。おそらく天下の東○出身だろうが、想像力が完全に欠落している。「私が親の立場だったら、うちの子どもがモニタリングに使われたら」という、至極単純な想像がなぜできないのだろう。
原発について考えた結果…
知ろうとすらしない事は罪なのだ。
電気がない生活は送れない。こうやってPCを使うにも電気が必要だ。
だけど原発のない暮らしは送れる。
たとえば市町村単位、せめて都道府県単位で発電ができないだろうか。
それならば発電量が少なくても賄えるのではないか。
発電源を自分の意思で選ぶことができるように、供給会社も複数から選べるようにしたい。
できれば川に水車、丘に風車が良いな。人口が少ない地域なら多くの水車や風車を設置すれば不可能ではないかもしれない。そういう地域に住みたいと思う。
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滋賀・大津の端材工房さんから木のパズルをいただいた。
これが結構難しくて楽しい。
仕事中につい触ろうもんなら、むきになって30分は軽く遊んでしまうので、住まいへ強制移動させた。
最近は、寝る前のひと時(別名:アルコールタイム)にひとりで静かに遊んでいる。
この木は全て違う種類の木だ。
塗装で色分けをしているのではなく、木の素の色・柄だ。
毎晩遊ぶからか、最近は少し色が落ち着いてきたようだ(断じて私の手が汚いわけではない!)。
これが木のいいところで、色がだんだんと落ち着き「いい感じ」になってくれる。
プラスチックじゃ、こうはいかぬ。
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尾道空家再生プロジェクトの続きだ。
このプロジェクトで再生された家を借りている若いアーティストのアトリエにお邪魔した。
机の上に乗っているのは、地元でのイベントのために彼が制作している円形の畳床の一部だ。
この畳も古い畳を再生しているという。
ここがキッチンだ。
昨今流行りの高価で美しい家具のようなシステムキッチンとはちと違う、個性的×実用的×魅力的なキッチンだ。
玉島の長屋(まだ、改造中です!)のKちゃんが見たら、きっと喜ぶだろう。
私も含めたひと歳取った者達は、とかく「最近の若い者は…」と言いたがる。
高度成長期やバブル期に子ども時代や若い頃を送った者は、とにかく上昇志向であれと教えられたし、自分でもそれが幸せだと信じてきた。
より偏差値が高い学校、より多くの収入、より高い社会的地位、それらが幸せに不可欠な3点セットのように思いこんでしまった。けれども本当にそれは人間の幸せの全てだろうか。
最近同世代の友人と夜中にskypeで幸せについての話をした。
ええ歳こいて「タダが魅力」のskypeというのが何ともではあるが…
彼は最近フランスへ行き「お金がなくても幸せに暮らせる」という事に気がついたそうだ。
私はそこまで遠出をしなくても、倉敷の長屋に住んでその事を実感している。(どや、参ったか。ガハハ)
決してお金は邪魔にはならないし、ある程度必要には違いない(一度でいいから「あー、邪魔くさ」と言い放ってみたいもんだ)が、幸せの必須条件ではないという、あったりまえの事に今更ながら(遅まきながら)気がついたのだ。
おそらく尾道や倉敷だけでなく、全国でこういう若者達が背伸びをしないまちづくり活動をしているだろう。
実に頼もしい!
彼のアトリエは大きな道から良く見える。
X'masにはツリーのオブジェを、ハローウィンにはパンプキンのオブジェを飾ったそうだ。
きっと町の人達に楽しい気分を提供したことだろう。
帰り際にアトリエを振り返ると、彼がバイバイと手を振ってくれてた。
それだけで嬉しくなった。
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