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少し前
栃木に住むバイク仲間のアナログさんが
友達と 雲竜渓谷に行った って
彼のブログ 「休日は大忙し!!」に
UPしていたところへコメント入れたら
昔の雲竜ってどうだったのか知りたい
というわけで
昔の写真を引っ張り出してみたら
当然モノクロだし、使える写真がほとんどなくて
記録には 1970年2月1日とありました。
浅草から最終の東武電車で日光駅に着いても
バスの始発までかなりの時間待ちがあって、
その頃は私鉄も鷹揚なもので
始発のバスが動くまで暖房をきかせた車両内で
寝ていいよということになっていましたね。
雲竜を目指す連中が床にゴロゴロ転がっていた
時代です。
そんなmemoryを。
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memories
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ジョージが死んだ。柳ジョージ。
死んじまいやがった。
俺よりかなり若いのに。
だから言っただろ。酒やめろよって。
報道では腎不全?違うだろ。
肝臓もどこも酒でかなりいってたじゃないか。
何年か前に、突然家電に電話よこして、お互い懐かしい話の後、
「ジュンさん、僕酒やめたんですよ」って。
昔からジョージは年上のためか僕の事をジュンさんと呼んでいた。
「おー、俺も今は全然飲んでない」
「まあ晩酌程度に焼酎少しですよ」
「それがい、お前の飲み方ってハンパじゃないから」
「じゃあまたな、今度酒抜きで飯でも食おう」
そう言って電話切ったんだけど、実現しないで終わっちゃったな。
それにしてもよく飲んだよな。あのころは。
デーブ=デーヴ平尾がいた、ミッキー=ミッキー吉野もいた。
金がなきゃないで、野毛の狸小路あたりをうろついたり、
たまに金が入りゃあ入ったで、大酒くらってリンディあたりで女の子
拾ってさあ。
「ジュンさん、おれデーヴさんのゴールデンカップスに入ることにな
りました」
「??お前が?なんで?デーヴのところに」
「まあみんな仲間みたいなもんですから、少しやってみます」
「パートは?」
「ベースです」
「じゃあ俺からもデーヴによろしく言っとくよ」
「ありがとうございます」
大桟橋の角のスキャンディアで珍しく大人っぽい飯を食いながら
そんなやり取りをしたっけなあ。
それから海外へ行って、
帰ってきたと思ったら「柳ジョージとレイニーウッド」かよ。
参ったぜ、いきなり。
それにしても、売れ始めたときは俺も自分のどこかで
「やったぜ!!」って。
特に親友というわけではなかったけど、お前とは気が合ったよな。
思い出せばきりがない。
先に逝くとは思わなかった。
ミッキーが何かお前のお別れ会みたいのを考えているみたいだけど、俺はいかないがまあ勘弁してくれ。
そのうち本牧あたりでどこかいい飲み屋を探して飲んでるから。
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久しぶりにブーツの手入れをした
今はエンジンのついた鉄の馬に乗ることが当たり前になってしまったが
もうずいぶん前になる 生きた馬に乗ることが好きだった
何足かのブーツを持っていた
お気楽なウエスタンスタイルの乗馬は 今のバイクと同じように
いつも僕を開放してくれた
ランチパックをサドルバッグに詰めて山を歩いたものだ
***** ***** ***** *****
ロスアンジェルス・サンセットブルバード
少し風のあるキャフェテラス タスクが終わってのんびりとしたくつろぎの時
短い日数だったけど よく走ったなあ
ふと 砂漠と荒野をを走りたくなってやってきたLA
着いてすぐ借りたピックアップ:ダッジダコタスポーツ4X4のベッドスペースには
まだあのモハヴェの砂が残っている
砂漠の重戦車XR650 そしてKX450
どちらもきな粉をまぶしたようなウィールと
タイヤブロックの間から落ちたものだろう
距離を気にしなかったがLAから100マイルほどだったのだろう
モハヴェ砂漠の入り口 エル:ミラージュのレストランにも同じように
ピックアップにバイクを積んだキャリフォルニアナンバーが停めてある
こちらではこのスタイルが普通で、自走で来るライダーはいない
命の存在すら感じない広大な 砂漠 沙漠 枯れ草 サボテン
スティーヴ:マックイーン ホンダ・エルシノア
疾走する姿を思い浮かべながらアクセルをあけた
昨日までの走りが今はあのスティーヴ・マックイーンとオーバーラップしているのか
夕飯でもと思って外へ出たとき LAという大都会にちょっと場違いな
ウェスタンブーツにテンギャロンハットと言ういでたちの中年に出会った
そう言えばニューヨークにもいた、シカゴにもいた
ここはアメリカ これが普通なのかもしれない
バイクは返したがダッジはそのままである
スティーヴ・マックイーン=ウエスタン
バイク→ブーツ→ウエスタン→ブーツと頭の中でわけのわからない思考が
かなり飛躍しながら回り始めた
ウエスタンブーツが欲しい
LAの市内にも探せばあるのだろう
でもどうせなら・・・僕はそちら方面のファッション感覚はまるでない
フライかトニーラマか それともルケーシか いやいやルケーシなんてとんでもない
日本で買えば今でも30万から50万位する
やはりトニーラマかなあ
そんな事を考えているうちいつの間にかむかえた朝
「勝手にどうぞ」とダンボールにサインペンで書いてある安宿のロビーに降りて
少し固い しかもやたらと甘いデニッシュをまずいコーヒーで流し込んだ
世話になったモーテルを後に 僕はダッジを一路南東にむけてアクセルを踏んだ
目指すのはテキサス:国境の町エル・パソ ここからまあ700マイル:約1000キロくらいか
のんびりと走っても2日もあれば十分だろう
もちろん行き先は トニーラマの本拠地 エルパソの郊外
パーキングに車を停めて 社屋の入り口へ向かう
さすがテキサス 腰にS&Wのリヴォルヴァーをさげたセキュリティガードが
(最近はオートマチックかセミオートが主流らしいが そうじゃないところが又いい)
「なんだオマエは 何しに来た どこへ行く」
「日本からわざわざここでブーツを買うために来たんだ よそでも手に入るが 俺はここで買いた
いからきたんだ」
どうもそんな物好きな日本人はいないらしい
あっちこっちに電話していたが 少しすると中から中年のオッサンが出てきた
そのまんまウエスタンである
どうも僕の話しに感激したのかどうかは定かではないが
わざわざ広報の人間を迎えに出したらしい
ひとしきり それも結構細かいところまで案内してくれて ビールでもどうか
まあそれには断る理由もないので有難く頂戴する事にした
銘柄は?好きなビアはあるかと言うから
すかさず答えたものだ コルト と コルトがテキサスと関係あるかどうかは知らない
その時手に入れたのがこのブーツである
牛革とリザード皮のコンビは僕の好きな組み合わせである
日本ではこういったものは若者の定番ファッションアイテムらしいが
僕には実用品である
馬に乗らない今でも時々は出して 手入れはしてやる
たまに履く事もあるが 乗馬用として作られたブーツは実に履き心地がよくないし
何より歩きにくい 当たり前である オフロードブーツを街で履いて歩くようなものなのだから
左は同じリザードだが ずいぶんお世話になったブーツである
もったいないですよと言われながら使っているうち
両足の小指の付け根あたりの外皮が
あぶみですれて切れてしまったので今は使ってはいない
ブーツジャックも古くはなったがまだその役目を十分果たしてくれる
こうして見ていると ハーレーでアメリカ横断でもして見ようかと言う気になってくる
LAに帰った僕は 家に電話をした
「荷物送ったから」
バイクの装備と 買い物をしたもろもろを持って帰るのは面倒なので送ったのだ
「え〜?だって荷物つく頃私居ないわよ 家に 知ってるじゃん」
「ああ 知ってるよ だから○○(娘)のところに お土産と一緒に」
「わかったわ じゃあ あさってホノルルに迎えに来て ゲートはわかるでしょ」
「了解 りょうかい」
こうして 今度は奥様のバカンスのコンシェルジュ(下僕)となるために
ハワイでうちの奥様と合流するべくLAを後にしたのだった
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