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番外編 ー霊感ー

ここに書く「霊感」というのは“神仏が示す霊妙な感応のことや神仏が乗り移ったようになる人間の超自然な感覚”ではなく、TVのタレントさんや、合コンなんかで、「私の友達で超霊感強いコがいてさ…」とか「私、霊感あるんだけど此処、何かいるよね?」みたいなことを言う人達が“幽霊が見えたり感じたりするという意味”で使っている「霊感」。
 
オイラはこの「霊感」という言葉を聞くたびに違和感を感じる。
当然オイラには霊感というモノがないから、幽霊を見たことはないし、今までこのブログに書いてきた人や現象についても、イマイチ理解していない。だから彼らの言っていることの真偽が分からないから、見えない故の疑問もある。例えば、交通事故で亡くなった人や病院で亡くなった人、アパートで自殺したり殺されたりした人。こうゆう人の幽霊が見えたり声を聞いたり出来るんだったら、その幽霊は服を着ているのか?服は霊になるのか?(服を着ていなかったとしたら落武者の幽霊なんか、ただの禿げ散らかしたおっさんにしか見えないし、若くてかわいい女の子だったら、ちょっとエロいんじゃないかな)
この世に遺恨を残した人が成仏できずに彷徨うというのなら、東京なんか空襲で亡くなった人達の幽霊でいっぱいなんじゃないのか?霊感のある東京に住む人達は、空襲で亡くなった幽霊達を感じているのか?霊感のあるタレントさんで空襲被害に遭った幽霊の話、聞いたことないなあ…。まだまだいっぱい疑問がある。(例えば、何故霊感のあるタレントさんはイマイチ売れていない人が多いのか?何故合コンの霊感娘はカワイクないのか?等も含めて…)
 
疑問に答えてくれる霊感のある方いましたら、教えてください。でも、お金は払いませんよ(笑)

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親父が亡くなった時の話。

初めて喪主をしたのだが、全くもってチンプンカンプン。

年末の逝去だったこともあって、火葬場の予約が通っていないわ、住職を雪の中で待たせるわ、棺桶の値段やお斎の席順でモメるわ等々のテンヤワンヤの大騒ぎだった。要するに亭主役という者がいなかったのだ。兄弟も何をどうしていいのか分からず、ハラハラしながらオイラに何かと頼ってくるが、オイラだって分からない。


ナンとか全てが終わり、茶の間に兄弟が集まって一服した時、全員が腹に抱えてしまった不満や苛立ちをブチまけて、口喧嘩になってしまった。アーデモないコーデモないとミスをなすり、怒鳴り合っていたら……
「うるさいっ!」
と兄弟全員が黙ってしまうほどの大声が聞こえた。
その声は間違いなく親父の声だった。
上の妹が「今の、お父さんの声だよね?」と言ったが、誰もが答えられなかった。

口論は立ち消え、各々胸の内に何かを秘めながら、茶の間を去った。

確かにあの時、聞こえた。兄弟全員が聞いたのだ。




一体、あの声は何だったんだろう?

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思うこと…

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大学センター試験前に、毎年地元の高校の受験生に「笹ずし」を振舞っている。

オイラ、人前に出たり大勢の人の前で話すのは苦手です。笹ずし協議会の会長だから仕方ないんだけど正直、こーゆーのやりたくない。

だいたい、何をしゃべっていいのか分からないし、他のお偉いさんが喋っているの聞いてもつまんねーし、くだらなくさえ思えてしまう。


ただオイラの心情を、ひと言いわせてもらうとすれば……

今の若者に対して謝罪の気持ちしかありません。

オイラも含めて、世間のおっさんやジジイ達のおおよそ(中には素晴らしい人物がいる)が戦後のぬるーい時代の中で、好き勝手に生きてきたおかげで、これからの子供たちに大したものを残せませんでした。たぶん大変な時代が来ると思います。みんな目先の事しか見てこれなかった、大人たちのせいです。申し訳ない気持ちでいっぱいです。


本当にごめんなさい。

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5-6年ほど前の話だ。

オイラは食品加工の仕事をしているため、予約量で出勤時間は変わってくる。早朝に出て行ったり、深夜に行かなければならない時もある。

その日は深夜の2時頃の出勤だった。1月も半ばで、風も強く大雪が降っていた。道は除雪がまだされていない時間で、4WDの車で雪をかき分けながら走行していた。
オイラの仕事場に行くには、斎場や火葬場のある道を通らなければならない。ワイパーでフロントガラスに降る雪を除きながら注視して運転していた。斎場の前に来た時、ひとりのお坊さんが歩いているのに気がついた。笠を被っていたが、冬の深夜とは思えないほど薄着だった。
(マジかよ!あんな格好じゃ死んじゃうよ)
オイラは通り過ぎたが心配で、車を停めて
お坊さんをピックアップしようと車外へ出たが、お坊さんは見当たらない。
(あれ、おかしいなぁ?)
雪に埋もれてしまったんじゃないかと、暫く探したがいなかった。

結局、お坊さんを見つけ出すことはできなかったが、ニュースにもならなかったので、ちゃんと目的地まで辿り着けたのだろう。
それとも、幻覚だったのだろうか……。

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30数年前、親友と一緒にバイクチームを作った。当時、ツーリングクラブや暴走族グループが流行っていたが、俺と親友は団体走行が嫌いだった。バイクショップに行くたびにツーリングチームに勧誘された。夜中疾走っていると暴走族に勧誘された。バイク乗りは、必ず何処かのグループに所属しなければいけないような雰囲気が、あの時代にはあった。
バイクを手に入れて、やっと“自由”という翼を手に入れたのに、周りのバイク乗りの多くは、団体行動という“規律の鎖”で縛られたがっていた。俺達には彼らがドM軍団にしか見えなかった。
疾走りたい時に疾走り、降りたい時に停車する。すべては自分の意志で!
それが正しいのかどうかなんて関係なかった。ただ、法や規律でガチガチに縛られた世界の中で、手にした小さな自由を奪われたくなかっただけだった。

THE CANNON BALLS

そのために作ったバイクチームと看板だった。そんな気持ちを同じくするバイク乗りたちが、いつの間にか集まった。ちょっとした大所帯になったが、団体走行することは1度もなかった。チームらしいイベントといえば年に1度の元旦。お互い生きているかどうかの確認をするためにだけ集まった。その時でさえ全員一緒に疾走らなかった(2-3台が絡むことはあったが……)。各自、集合場所に集まって、ダベりたい奴とダベって、初日の出を拝んで、それで解散。たった1日しかないイベントでさえ、看板を背負うも背負わないも、来るも来ないも自由だった。

時が経ち、代替わりしてからは、誰がメンバーなのかも分らなくなった。同じ看板を背負っているのに、道で会っても挨拶すらしない。知らない奴なんだからしょうがない。それで構わない。それが当たり前だと思っていた。
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 さらに時が経ち、親友と会うことも、チームの旧友ともそうそう会うことがなくなったから、俺たちの作ったチームがまだあるのかどうかは既に分らない。でも俺は、今でも看板を背負ってバイクに乗る。若い時のような動体視力も得体の知れない感も衰えて、まともにトバせない歳になったけれど……

すべては自分の意思で!

俺はバイクを疾走らせている。

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