「初めて見たる小樽」石川啄木
(前略) 札幌に入って、予は初めて真の北海道趣味を味うことができた。日本一の大原野の一角、木立の中の家疎(まばら)に、幅広き街路に草生えて、牛が啼く、馬が走る、自然も人間もどことなく鷹揚でゆったりして、道をゆくにも内地の都会風なせせこましい歩きぶりをしない。秋風が朝から晩まで吹いて、見るもの聞くもの皆おおいなる田舎町の趣きがある。しめやかなる恋のたくさんありそうな都、詩人の住むべき都と思うて、予はかぎりなく喜んだのであった。 しかし札幌にまだ一つ足らないものがある、それはほかでもない。生命の続く限りの男らしい活動である。二週日にして予は札幌を去った。札幌を去って小樽に来た。小樽に来て初めて真に新開地的な、真に植民的精神の溢るる男らしい活動を見た。男らしい活動が風を起す、その風がすなわち自由の空気である。 内地の大都会の人は、落し物でも探すように眼をキョロつかせて、せせこましく歩く。焼け失せた函館の人もこの卑い根性を真似ていた。札幌の人はあたりの大陸的な風物の静けさに圧せられて、やはり静かにゆったりと歩く。小樽の人はそうでない、路上の落し物を拾うよりは、モット大きい物を拾おうとする。あたりの風物に圧せらるるには、あまりに反撥心の強い活動力をもっている。されば小樽の人の歩くのは歩くのでない、突貫するのである。 (中略) 予はあくまでも風のごとき漂泊者である。天下の流浪人である。小樽人とともに朝から晩まで突貫し、小樽人とともに根限りの活動をすることは、足の弱い予にとうていできぬことである。予はただこの自由と活動の小樽に来て、目に強烈な活動の海の色を見、耳に壮快なる活動の進行曲(マーチ)を聞いて、心のままに筆を動かせば満足なのである。世界貿易の中心点が太平洋に移ってきて、かつて戈(ほこ)を交えた日露両国の商業的関係が、日本海を斜めに小樽対ウラジオの一線上に集注し来らむとする時、予がはからずもこの小樽の人となって日本一の悪道路を駆け廻る身となったのは、予にとって何という理由なしにただ気持がいいのである。 小樽公園園の歌碑
「こころよく我にはたらく仕事あれ それを仕遂げて死なむと思ふ」 水天宮境内の歌碑 「かなしきは小樽の町よ 歌ふことなき人人の声の荒さよ」 「小樽の印象を追想した碑の歌には、厳寒の新天地に夢と希望を抱き、たくましく働いた人々の哀歓が端的に表れている。商都小樽の発展に活躍した先人の労苦をしのび撰文する」と裏面の趣旨。
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ステキだわ〜
確かここ、7年ほど前に行きました。
北海道に住む友人を訪ねて、すばらく滞在していた時に、ここに連れてきてくれました(^^
ステキな場所ですよね。
でもここ、デートスポットだって言ってたわよ!
2008/11/24(月) 午後 2:00
そうそう,デートスポット&観光スポットよね〜。
役割を終わった運河を埋めて道路にするという安があって,保存論と論争があったみたい。結局は一部を狭くして残して遊歩道にしたの。
そして再生したのね!
私は昭和45年頃の淋しい姿を見ているので,灌漑深いわ!
2008/11/24(月) 午後 7:24