歴史問題

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5/24 烏来にて馬薩道輝先生から台湾原住民の歴史をお聴きした後、高砂義勇隊紀念碑を見学に行った。

像の下にある李登輝氏が揮毫された碑文も覆われてしまっていました。
また、碑の両側には日「華」両国の旗が掲げられているのは、経過からすると止むを得ないが、義勇隊の人々の心を思うと複雑な思いです。
周囲にはかろうじて李登輝氏の揮毫による鎮魂碑とさざれ石が残されていましたが、撤去されたのもあるそうです。
現地の方からは、以下の報道にあるような公開に向けた協議が進められていることを、お伺いして少し安心しました。

http://sankei.jp.msn.com/world/china/080529/chn0805292047012-n1.htm

以下、河崎眞澄氏の「還ってきた台湾人日本兵」の「序文に変えて」より引用

日本に対する苦しいほどの愛情と、せつないまでの憎悪に似た複雑な「気持ち」を持ち続ける何十万、何百万の台湾の人々が存在するという事実がある。日本植民地時代に生まれ、好むと好まざるとにとにかかわらず、日本人にされ、そして敗戦を経て、1972(昭和47)年9月29日の日台断交とともに、事実上うち捨てられた台湾の人々。高砂族、なかんずく高砂義勇隊の存在は戦後、台湾を支配した中華民国からも、敗戦で台湾を失った日本からも、そして戦後の教育を受けた台湾と日本の人々からも注意を払われず、記憶の彼方に埋もれ去っていった。

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伊原吉之助教授の読書室が更新されています。
いつもながら、先生の評論には改めて考えさせられる思いがします。
この2、3年直接にお話をお聴きする機会に恵まれた僥倖に感謝しています。

http://www.jas21.com/athenaeum/athenaeum67.htm

北方領土の日

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/74803_all.html
「北方領土の日 銀座行進の切実な訴え」と題した北海道新聞の社説である。
ちなみに、自民党・民主党のwebサイト内検索してもヒットしない。
社民党なんて、期待するほうが無理!
という状態だ。
拉致問題・竹島問題・尖閣諸島問題然り、この国の民はどうしたもんかいな!

曾野綾子さん

若いときは、彼女の文章が右翼的な傾向ありとして好きではなかった。
それは、その頃の私は彼女が批判の対象としている「戦後的な人間」の典型だったからだと思う…
ところが、最近は毎週月曜日に彼女が産経新聞に連載している「透明な歳月の光」の内容には、なるほどと同感する時が多い。
今日の「強制から始まる教育」は、消防学校での半年間での厳しい経験によって、素晴らしい成長を遂げたわが息子の実例がそれを証する。

併せて、同じ紙面(16面)に掲載された「溶けゆく日本人」には考えさせられる。
http://sankei.jp.msn.com/life/lifestyle/080204/sty0802040808001-n1.htm
戦前の日本を否定し、父の世代を糾弾してきた団塊世代が、老齢期にさしかかり、後の世代に何を残せるのか?
あれほど、自らの父や祖父を罵り、否定しただけで何も残せないどころか、溶けゆく日本を残しただけでは、息子たちに追い抜かれるだけの世代あってはならない。

まだ、遅くない。ともに考え行動しよう!

神奈川県の日の丸問題

今日、私の若い友人から以下のメールを頂戴したので紹介する。

神奈川県が国旗国歌で、議論されています。県情報公開審査会は左翼教師の不規律、不唱和を「思想、表現の自由」などとふざけた主張を肯定し、県教委は、まともに反論できず、「東京」から「強弁」だと非難されています。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008020402085009.html

 1職務命令は、一見かつ明白な瑕疵がない限り、当該職員を拘束します。
国旗、国歌の教育実施命令が「一見かつ明白な瑕疵」である根拠をまったく示せていません。
 2学習指導要領で定めれた内容の教育を受ける権利は、すべての児童、生徒が享有するもので、それを妨げる行為、不作為は、学習権、児童生徒の学習内容へのアクセス権を侵害するものです。

  左翼教師や県公開審査会は、教育現場でもっとも大切なはずの児童生徒の立場に沿って、モノを考えようなことをせず、たまたま少数派の左翼教師に当たった少数の児童生徒の権利が侵害された事態を受け止めようとしません。少数派をおざなりにして、自己のわがままにすぎない「自由」を一方的に主張、肯定するだけです。
 自分の権利の普遍性を主張する者は、他者の権利の普遍性(ここでいう児童生徒の学習権)をも尊重しなければ、自己の権利は普遍とはいえません。

 左翼教師の国旗国歌反対は、道理から、実態から、運動論からも完全に破綻しきっています。
自由権を主張するなら、教師を辞めて、街頭で自己の主張を展開すればいい、それは自由です。
他人の権利を踏みにじって、平然として、自己の権利を一方的に主張するなど、権利ではありません。


それへの私のレスの一部は以下のとおり

私たちが生きていることは幾千年の歴史の中で、無数の先達が苦闘した結果なのです。
もちろん、今の価値観から判断したら、許せない父祖もいたのかもしれませんが、それでも、その人がいなければ「私」は存在しないし、わが息子も二人生存していません。
歴史の中で、「光と影」はある。
影だけ教えられると人間は、誇りを失う。光があることで、より良く生きようと決意する。
わが息子は、大阪府立消防学校の卒業式で「君が代」を力いっぱい歌った。
父の私は涙で歌えなかった。
彼の一年半前の府立高校の卒業式では、何百人いる中で歌ったのは、私だけだった。
その昔、君の兄の小学校入学式で私は起立することなく、無言でいてた。

息子は「公」に奉ずる気持ちがあったから歌えたのだと思う。
この社会を「批判するのではなく支える」決意をした息子を持ったことで私はまわり道したけけど、生きた意味はあると思う。
私はその息子を一年と1ヶ月前にを台湾総統府と2.28紀念館に連れて行った。

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