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子供頃、大人たちに言われていた、 「あの子は子供らしくない。」 学校の先生が言っていた。 「水を飲むとバテる、水を飲むな」 自分は、ずっと疑問に思っていた。 「水を飲んだほうが、体力がもつんだよ」 みんなが笑った、大人たちも、先生も 俺たちひょうきん族 ってバラエティ番組があった、 アフレコで笑い声が入っている放送だった、子供はお客さんが観に来ている、そう信じてテレビを見ている でも、自分は 「あれは、笑い声を流しているだけだよ」 そう言った、 「そんなわけないじゃん、ばっかじゃねーの」 みんなが自分に向って、そう云い返す。 俺のほうが正しいのに・・・でも子供は、あれはお客さんがたくさんスタジオに観覧に来て、 ブラックデビルをタケちゃんマンを目の前で観て笑っている、そう思っていればイイ、 それが子供の目線、子供の心理、そう子供らしい子供なのだ。 自分は子供らしくなかった、親は心配していた。なんで子供らしくないの、 いつのまにか、違う角度から物事をみるようになってしまった。でも自分には、わかっていた、 いつから子供らしくなくなってしまったのか、でもこれから語るその出来事で、 なんで、そうなってしまったのかは、わらない、正確な定義があるわけではない、 しかし自分はそれを悔やんでもいない、むしろよかったと思っている。 そのすべてが今の自分に繋がっているのだから・・・それは、蒸し暑い、梅雨の季節の出来事だった。 95段の階段 7月が始まった、今年も当然、梅雨、毎年の通り、気温も30度を超える日が出始める。 私は、この季節がくると行かなくては、いけない場所がある。 長い階段、95段あるのだ、横浜市のある場所、この階段を登りきると、マンモス団地街が広がっている。 私はこの場所で、2歳〜12歳までを過ごした。幼稚園そして小学校へ。 当時、敷地は広いが、一戸、一戸は、決して広いとは、言えないスペースに、一家族、4人、5人の世帯が、ひしめき合って暮らしていたわけだ、 いつか早くココから抜け出して一戸建てマイホームを手に入れたい、みんなそう思っていた、そんな時代だった。 当然、私の家族も例外ではなかった。そんな時代、この階段をそれとは違う気持ちで見上げていた少年がいた。 ヒロクンの憧れの場所へ その少年は、ヒロクン。私の小学校1年生、2年生のクラスメイト。 ヒロクンは近隣の地主の長男で、大きな敷地の広ーい家に住んでいた。 私の仲のイイ友達で、当然、大きな家に住む彼を羨んだものだ。数年後、彼の弟と私の妹も小学校でクラスメイトとなる、親同士の交流もあり、なにかと、ヒロクンとは縁があった。 彼は学校が終わると、毎日のように玄関にランドセルを放りなげ、私たちの団地エリアへ遊びにやってきた、 勢いよく95段の階段を駆け上がりながら、そこはヒロクンの憧れの場所、公園があり、そこにはブランコ、鉄棒、砂場、などなど、そしてなりより小学校の友達、公園での野球、もしかしたら好きな女の子もいたのかも、当時は考えもしなかったが・・・ そんな野外での遊びの他にヒロクンにとって魅力だった事と言えば、みんなが持っている「おもちゃ」や「ゲーム」これもヒロクンを惹き付けた、 彼は代々の農家、三世帯だった事もあり、お爺ちゃんの方針だったのか、今どきの「おもちゃ」などは、買って貰えなかったようだ、 私の家にもよくやって来て、当時の人気のゲーム、おもちゃなどで、暗くなるまで、遊んで帰っていった。 家に帰ると、よくヒロクンは、お母さんに「団地に引っ越したい」と言っていたそうだ、真剣そのものに、 あんな大きな家があるのに、鳥籠のような団地に引っ越したいだなんて、私の母とヒロクンの母で、笑って話していた事を思い出す。 私もヒロクンの家に時々遊びに行った、農家なので、いつもお父さんが、家にいることが、当時の私にはちょっと不思議に映ったモノだった。 そんな天真爛漫そうなヒロクンには、ある秘密があった、ちょっとワイル事だ、よくない事、本人も自分達友達も、子供心に認識はしていた、決してヒロクンの両親には、話してはいけない、僕達は秘密にしていた。
小学校2年生の5月のある日、ヒロクンの家に遊びに行った、縁側のずーと向こうにヒロクンのお父さんが見える、僕の声が届くハズもない距離。大丈夫だ。
僕は、ヒロクンと例の秘密の話を始めた、二人っきりだ。コータからの伝言を届けに来たのだ、そう誰もいない、誰にも聞かれてはイケない話、ヒロクンは真剣に聞いている。しかしその時、部屋の奥の襖が「スーと」開いた、ヒロクンのお母さん、 そう聞かれてしまったのだ。もう遅かった、その怒りに震えたお母さんの、あの目は、いまでも自分の脳裏に焼き付いて離れない。 私はすぐ家に帰るように言われた。あとから母から聞いたのだが、その夜、ヒロクンは、お父さんやお爺ちゃんに、殴られて、そうとう怒られたそうだ、 気の毒な事をしてしまった。まんまと聞かれてしまった、うかつだった。 その日を境にヒロクンは、私達の団地に来る事を禁止されてしまった、それはヒロクンにとっては、とても耐えがたい、辛い日々だったに違いない。 幸いな事に学校での私とヒロクン・コータの関係は、良好のままで、ひび割れる事なく仲良くやれていた。 1ヶ月が過ぎた6月の終わり、私が前から欲しかった、当時人気の玩具をやっと親から買ってもらった。それは嬉しかった、当然、学校でもみんな話したハズ? その日の夕方、学校が終わり帰宅すると間もなく、ヒロクンが突然やって来た、一ヶ月ぶりの事だった、 新しい玩具を見たかった、触りたかった、遊びたかった、もう我慢が出来なかったのだろう、 親の目を盗み言いつけを破り、95段の階段を夢中で駆け上がり、私の家にやって来てくれた、私の母も見て見ぬフリ、 しかし私は、まだ買ったばかりのその玩具をヒロクンに使わせる事をためらった、 まだ誰にも触らせたくなかった、買った次の日、まだ自分もほとんど、使っていない、なんと心の狭い自分、情けない、ヒロクンには、ひとつ前タイプの玩具を貸した。 「親に黙って来たんだから、貸してよ」 そんなヒロクンの言葉に、私は 「次に来た時に貸すよ、だから今日はダメ」 そう拒否した。そんなやりとりが数回続く、 結局、私はその日それを貸す事はしなかった、ヒロクンも最後は強くは貸せとは言わなかった、 次に貸して貰える、そう思ったからだった。私も明日は貸す、そう思っていた。 ヒロクンは帰って行った、ガッカリと明日の期待を抱えながら、6月30日の夕暮の事だった。 子供のささいなやりとりだ、 「貸してやれよ」たしかにそうだ、貸せばいいのだ。 「でも明日、貸すって言ってんだから、まぁ今日はイイじゃねーか」 そんな解釈も出来る。どっちもどっち。 しかしこの小学校2年生の私の安易すぎる判断は、とんでもない誤りだった、間違った、違ってたんだ、後悔しても、もうどうする事も出来ない、明日は来なかった。。 |

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