Domenico Beccafumi
聖痕を受けるシエナの聖カタリナ
Stigmatization of St. Catherine of Siena
1515年頃、油彩・板、208×156cm、 シエナ国立美術館
(女性の神秘家・教会博士 教皇ベネディクト16世
シエナの聖カタリナ 2010年11月24日パウロ6世ホールにてより抜粋・編集)
シエナの聖カタリナ(Catharina Senensis; Caterina da Siena 1347-1380)は、大家族の家に生まれ、
生まれた町シエナで4月29日(聖女の小祝日)に亡くなりました。(キリストと同じ33歳でした。)
16歳のとき、聖ドミニクス(Dominicus1170頃-1221年)の生き方に促されて、
「マンテラーテ(Mantellate)」の女性支部に入りました。
カタリナは家庭の中にとどまりながら、若い時に立てた独身の誓願を守り、祈りと悔い改め、
また特に病者のための愛のわざに励みました。
その聖性の誉れが広まると、彼女はあらゆる種類の人に霊的助言を与える活動を熱心に行いました。
それは貴族、政治家、芸術家、民衆、奉献生活者、聖職者から、教皇グレゴリウス十一世までも含みます。
カタリナは多くの聖人と同じように数多の苦しみを体験しました。
ドミニコ会総会は審問を行うために彼女をフィレンツェに召喚しました。
総会は、その後ドミニコ会総長となる、学識ある謙遜な修道士ライモンド・ダ・カプア
(Raimondo da Capua1330頃‐1399年)を彼女のそばにつけました。
彼はカタリナの聴罪司祭、さらに「霊的な子」となり、聖女についての最初の完全な伝記を著しました。
カタリナは1461年に列聖されます。(1970年にはパウルス6世により教会博士の称号が贈られました。)
カタリナの心と思いから決して消え去ることがなかったある幻視の中で、
聖母はカタリナにイエズスを示しました。
イエズスはカタリナに輝く指輪を与えて、こういわれました。
「あなたの創造主である救い主であるわたしは、あなたを『信仰』においてめとる。
あなたはこれを、わたしたちが天において永遠の婚礼を挙行するまで、純潔に守るがよい」
(ライモンド・ダ・カプア『伝記』:S.Caterina da Siena, Legenda maior,n,115,Siena1998[岳野慶作訳])
この指輪はカタリナにしか見えませんでした。
わたしたちはこの特別な出来事のうちに、カタリナの宗教性、
またあらゆるまことの霊性の生きた中心をみいだします。
それはキリストを中心とすることです。カタリナにとってキリストは花婿のようなものです。
彼女はこの花婿と親しい交わりと忠実の関係をもちます。
キリストは他のいかなる善をも超えて愛すべき善です。
この力強く真実な人物の周りに真に固有の意味での霊的家族が築き上げられました。
この家族は、気高い生活を送るこの若い女性の道徳的権威に引き寄せられました。
彼らは時には自分たちが目にした神秘的現象にも驚かされました。
たとえばしばしば起こった脱魂です。
多くの人がカタリナに奉仕し、何よりもカタリナの霊的指導を受けることを特典と考えました。
彼らはカタリナを「母mamma」と呼びました。
なぜなら、彼らは霊的な子としてカタリナから精神の糧を与えられたからです。
現代の教会も、多くの女性の母としての霊的な気遣いから多大な恩恵を得ています。
これらの女性には奉献生活者もいれば信徒もいます。
彼女たちは魂のうちで神への思いを深め、人々の信仰を力づけ、キリスト教生活を高い頂へと導きます。
シエナの聖カタリナは聖なる奉仕者たちに、
また、彼女が「地上における優しいキリスト」と呼んだ教皇にも、いつもこう願いました。
自分の責務を忠実に果たしてください。
教会に対する深く変わることのない愛によってのみ、つねに突き動かされてください。
臨終のとき、カタリナはこう述べました。
「わたしは聖い教会のために生命をささげました。
わたしは、神が、特別な恩寵によってこれを許してくださったことを知っています。」
(ライモンド・ダ・カプア『伝記』):S.Cateruba da Siena, Legenda maior, n.363[岳野慶作訳])。
それゆえわたしたちは聖カタリナから最高の知を学びます。
すなわち、イエズス・キリストとその教会を知り、愛することです。
『神の摂理についての対話』の中で、聖カタリナは、キリストは天と地の間にかけられた橋だと述べます。
親愛なる兄弟姉妹の皆様。聖カタリナから深く真実に教会を愛することを学ぼうではありませんか。
これは同書の、橋であるキリストについて述べる章の結びに書かれたことばです。
「あなたはあわれみによってわたしたちを血の中で洗ってくださいます。
あわれみによって、被造物と語ろうとしてくださいます。
ああ、愛に狂えるかたよ、受肉されるだけでは足りなかったのでしょうか。
そのうえ、死ぬことを望まれたではありませんか。
ああ、あわれみよ。わたしの心は、あなたを思うと溺れてしまいます。
わたしは、どちらを向いても、あわれみしか見いだしません」
(『神の摂理についての対話』:Il Dialogo della Divina Provvidenza,cap.30,pp.79-80[岳野慶作訳]。)
神の御母である聖マリアは、このようにイエズスを通して、
独身の女性をも人々の母、教会の母としてくださいます。
わたしたちは、この生活の中でも、どれほど「母なる女性たち」に霊的に助けられていることでしょうか。
母の日において聖母崇敬の恵みに、ロザリオの恵みに、母なる聖女方の祈りの恵みに感謝いたします。
聖性が誤解されることはいつの世も免れません。自分も過去に誤解していたことがありました。
本当に、忘恩の徒にならぬよう子供に言い聞かせることが、一生かけての親の最たるつとめであります。
それにしても神さまは母親よりもお優しい御方です。
こうしてキリストの愛を体現してくださる父性を、
聖母の母性で補い、助け合うカトリックの恵みに感謝いたします。
わたしたちは、父性と母性で互いを補い合うことができるからです。
そうして教皇聖下、司教、司祭がたのためにお祈りいたします。
また今日は、世界召命祈願の日です。
わたしたちのうちの多くが司祭、修道者に招かれますように。
甘美にましますイエズス、愛にてましますイエズス。
人のうちで最も愛ある彼らを 聖く保ちたまえ。 アーメン✝