中国語通訳の手帖

寵辱不驚、閑看庭前花開花落; 去留無意、漫随天外雲巻雲舒

気まま読書感想文

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久しぶりの読書感想文

    花了两天时间读完了《下一个倒下的会不会是华为》的日文版。书名是「最強な未公開企業ファーウェイ 冬は必ずやってくる」(東洋経済新報社),再翻译回来就是《最强的未上市企业华为―严冬将至》。
      从翻译的专业角度来讲,这本书可以说是比较准确的,至少目前还没有发现明显的错误。其实这已经很不容易,因为由于对惯用语等日语独特表达方式的理解不足,甚至在村上春树的中文版里都可以找到一些硬伤。不过话又说回来,对于这本书的翻译手法方面我还是存在一些疑虑的。

       作为读者在阅读一部翻译作品时,他的期待是什么?能否准确判断这一点将会直接影响到译者对翻译作业方向的处理和把握。也就是说,在翻译时存在一个"等值处理"抑或"等效处理"的问题。
       等值处理其实就是原汤化原食,原文怎么讲,照搬过来就是。这种手法可以最大限度尊重原文,但是却不够尊重读者。比如说"拿来主义",译者有责任解释清楚什么叫拿来主义,否则读者是看不懂的。
      而等效处理可能在表达方式上未必照抄照搬原文,甚至看上去有很大的乖离。比如说三个臭皮匠顶个诸葛亮,我们没必要去查谷歌,看臭皮匠怎么讲,只要说三人智慧抵文殊就可以了。这就是所谓等效处理。即便是看似天马行空般的随意也好,只要建立在对原文的恰到好处的诠释之上,那么我认为这是对读者负责任的态度,也是对作者的另一种方式的尊重。
       所以我觉得翻译是需要动一点脑筋的。此外,作好翻译,还需要倾注爱。把它作为一个任务来完成,和作为一门热爱的行业来从事,它体现出来的效果是完全不一样的,一个工作,它有没有趣味性尤其重要。
      就这样一边想,一边读,结果晚上就梦见一群人热火朝天地讨论等值与等效的问题。

再谈有关读书-杂感之二

      ★小時候,語文課上學许地山的『落花生』, 文中的父親教育子女做人要做個對社會有用的人。 那個時代的小学生寫作文經常要寫一些空話大話, 信誓旦旦地表示要為祖國做貢獻。但是為什麼要做貢獻,怎麼貢獻, 能貢獻什麼呢?這些事從來沒想過,因為寫的不是真話。                 
                                                          
       多年以前,大學畢業即將離開學校時,我有一批書需要處理。 一些日本朋友建議說:你可以把書捐贈給學校圖書館, 這樣可以讓以後的在校生分享。那時的我有些想不通。 我離開學校以後,也許會有很多學弟學妹分享我的書, 可是不會有任何人知道這是誰的書,也不會有任何人感謝書的主人。 那麼我寧願把這些書送給和我要好的老師,因為他知道是我, 在讀這些書的時候,他總會想起我的。                                                          
 
       多年以後,我終於明白年輕時的自己多麼狹隘,多麼自私。 那些書本雖然不多,但如果放在圖書館裡,一定會有更多的人分享, 更多的人獲得來自这些書的樂趣和智慧。 可是我把它們送給了我要好的老師,只是為了一點所謂的感謝, 或者說為了一點人情。                                                                                                                                                   
      做人要做對社會有用的人,為社會做貢獻其實不是一句空話假話。 為更多的人帶來快樂,而不求回報,這其實是一件極其簡單的事。 而且,事實上我們總會獲得回報的,因為如果給他人帶來快樂了, 我們自己能不快樂嗎?                                                                                                        悟出這個道理,居然花了這麼多年,令人汗顏啊。 
 
      ★ 二十年的光景,攢下的書有大约有十架,雖然沒統計過, 可也應該有幾千冊了。前年下決心斷舍離, 捐獻給公司放到休息室書架上,供大家消遣時看。 結果捐到第六箱時,總務部就大叫,哎呀,書架滿啦!裝不下啦。 於是又找到一家舊書店店主,開著一輛皮卡來拉書, 結果還是裝不下。剩下的只好送到bookoff,還是沒送完, 最後一籌莫展,只能扔了。
 
       扔書是需要很大勇氣的, 同時還要承受一種深重的負罪感。這些都挺過來了。搬家之後, 現在我手頭的書只有一架了,剛剛好。不能放更多,也不能再少。 扔了那麼多,終究捨不得的都是愛不釋手的,可以伴隨我一生的。 其中有錢鍾書,楊絳,黃永玉,林白,陳忠實,王小波,还有幸田文、青木玉和須賀敦子等等。
 
      一本好書無異於一所好學校,我熱愛的是優美的文字, 還有人性的光芒和對自由的渴望,以及智慧與幽默。這幾本書裡, 都有了,足夠了。 
 
(※スマートフォンで打ち込んだ原稿ですが、Yahooブログページに貼り付けると、改行が乱れてうまく編集できません。見苦しいものになってしまいました。トホホ。)

杂感,关于读书

      ★在歲月的河裡,那些迴腸蕩氣和驚心動魄的時刻都磨礪殆盡, 只有偶爾打破寂靜的一片漣漪,還讓人回味無窮。 
 
      ★青春歲月,花樣年華。在北京度過的四年, 應該是決定人生方向以及對社會人生基本看法的關鍵的四年 。那些日子,記憶中走遍了北京的大街小巷, 還有就是夜以繼日地讀書。因此我至今對北京都有一種特殊感情, 一種偏爱。
      多少年過去,北京已經物是人非了。那些給過我很多溫暖的人們, 你們還好嗎? 
 
       ★最近幾年,我發現自己的讀書習慣發生了一些變化。 不再如飢似渴地尋找新書,挖掘新的作者, 而是翻來覆去地讀幾位喜愛的作家的作品,愛不釋手。 這是一個新的境地。
 
       ★林语堂如是说:最好的读物是那种能够带我们到这种沉思的心境里去的读物,而不是那种尽在报告事情的始末的读物。我认为人们花费大量的时间去阅读报纸,并不是读书,因为一般阅报者大抵只注意到事情发生或经过的情形的报告,完全没有沉思默想的价值
       林語堂的這些話雖然有些長,但是有極大的啟示作用,感觸頗深, 無以言喻。                                            
      人,為什麼要讀書?可以思考一下。 
                 
        ★我個人認為,中國解放後寫得最好的小說有兩部, 一部當推陳忠實的『白鹿原』,還有一部就是閻連科的『 為人民服務』。再也想不出比這些更好的文學作品了。好在哪裡呢? 從這兩本作品裡,我們能看到人性最美最溫柔的光輝, 可以看到作者對歷史的深刻反思和對人性的洞察。沒有思考, 就沒有深度, 而這種思考必須基於博大的胸懷和能夠俯瞰歷史的制高點, 更重要的是一種對人性,對人類的愛。這也就是人文精神。 令人迴腸蕩氣的感動從此而來。      
        順便提一句,高行健的『一個人的聖經』,雖然有些冗長沉悶, 但由於有深刻的思考,也是一部不可多得的佳作。 
 
      ★王小波不大愛讀張愛玲,覺得她有點婆婆媽媽的。 所以我也有很長一段時間都沒有想去讀一讀。 不過今年夏天偶然的机会集中讀了幾本,覺得還是很精彩。 最大的特徵就是她的文采,歷時五十年, 我們讀過來都沒有絲毫褪色。
      張愛玲至今堪稱大上海十里洋場最經典的小資領袖,她的品味, 她的風情,還有她對感情的執著,不計得失,義無反顧。 當代小資們有人敢比嗎?                                                                                                     
      ★想起葉慈的詩。當你年老白了頭,睡意稠・・・
      當你年老白了頭,睡意稠、爐旁打盹,請記下詩一首,慢回首,你也曾眼神溫柔,眼角里幾重陰影濃幽幽・・・
 今年も暑い夏がやってきた。8月がやってきた。
 なんとなく生物学者の柳澤嘉一郎さんの『ヒトという生きもの』を取り出して、パラパラ紐解いている。
 ヒトはなぜ戦争をするのか。作者は生物学者らしく、ヒトの性質から分析している。
 
 「攻撃的闘争本能は、動物が生きていくために必要なものである。特に、肉食動物は生きるために獲物を捕らえなくてはならない。そして、餌場の縄張りを守るためにも、また、繁殖のためにも戦わなくてはならない。ヒトもまた動物の一つの種として、攻撃的闘争本能をもつのは当然である。しかし、獲物をとる他の動物たちとは違って、ヒトは同一の種のなかで殺し合っている。
 
 ダーウィンの自然淘汰説によれば、仲間同士で殺しあう種は、進化の過程で淘汰されるはずである。それは自然自然法に反することだ。にもかかわらず、そんな不自然なことをなぜヒトはするのか、説明しがたいこととされてきた。」
 
 戦争が起こる原因について、文明から隔絶した原始的な社会を調査する試みがされたことが、この本に紹介されている。アマゾンの密林の奥地に生息するヤノマモ族という部族の人たちによる集落同士の攻撃が、現在知られている戦争でもっとも原始的なものではないかといわれている。
 「そこでは戦争は、ヒトの生来の攻撃性と闘争心、憎しみと残虐性によっておこっている。その戦い方は現代のテロ攻撃に似たところがある。すると、テロ攻撃は戦争の原型に近いのだろうか」と、作者はさらに綴った。
 
 戦争はどうやらヒトに限った話ではないことが最近、明らかになったという。チンパンジーも群れをなして、殺しあうことがあるらしい。「そして、そこでも、原因は攻撃的闘争本能、怒りや憎しみ、あるいは危険にのぞむときの興奮や高揚感、陶酔感も加わっているのだろうか。」
 
 「けれども、ヒトの戦争は、こうした原因のみではおこっていない。戦争もまた、人類の歴史のなかで進化してきた。・・・・・・戦いが頻繁におこるようになるのは、人々が定住した農耕生活を営むようになってからだという。」「次第によりよく生き残るため、集団の利益のために戦争がおこなわれるようになった。」
 
 その後、歴史が近代になってからというもの、国や人種、宗教や思想、さらに貧困や不平等などといった、様々な社会的要素がからみあって、戦争の原因がさらに複雑になったことはいうまでもない。攻撃的闘争本能はむしろこうした社会的要因の中に隠れて、目立たなくなり、一部のテロ活動などから見られるのみになった。
 
 戦争は利益や利権への期待によっておこる。もし期待した通りの見返りがなければ、支配者は見返りがあるように見せかける。また、利益や利権のために、支配者が利用されて戦争をおこすこともある。多くの人たちを戦争に駆り出さなければならないけれど、見返りもないというときは、もっともらしいスローガンを、支配者は用意する。自由を守るためだとか、家族を守るためだとか。国を守るためだとか。または、正義のためだとか、大義のためだとか。
 
 何を焦っているのか、真夏の夜を、セミが休むまもなくミンミン鳴き続けている。全開してる窓からは、風が入ったのか、カーテンがかすかに揺れた。こんな本を読んでも、ちっとも心涼しくならないのに、ふむふむと頷きながら、繰り返し読んでいる。
 今さらながら、『ノルウェイの森』を紐解いた。
 今やノーベル賞に最も近い作家と取り沙汰される村上春樹氏の名作で世界で広く愛読されている一冊であることは言うまでもない。
 
 ロングセラーだけに、感動や衝撃的なにかに遭遇するかもしれない、そんな漠然とした期待を胸に抱きながらも、三分の二まで読み進んだ今も、心に響き合うものは残念ながら、まだない。 
 
 やや無責任な感想かもしれないが、一種の独特な村上臭がどことなく漂っている。ストーリーの中を行き交う登場人物がみな同じ村上印の同じ匂いがして、そして、誰もがなぜか、ちょっと気取った翻訳調のしゃべり方をする。それがいかにもスタイリッシュなもののように思える。
 
 村上ワールドの住人たちは、見るからに洗練された生活を送っている。彼らは今月の電話代はどうするか、来月の家賃は払えるかなど、そんな凡俗な悩みは一切持たない。いつもワインを飲みながら、ジャズを聴いている彼らはたとえ貧乏なアパート暮らしや寮生活でも、それすら華やかさが伴うモダンライフのようだ。
 生活費の心配より、人生について、恋愛について、そして文学や音楽について友人といつまでも語り合っている。村上ワールドの住人たちは誰もが教養豊かなのである。ヘルマン・ヘッセやトーマス・マンやF・スコット・フィッツジェラルドはもはや常識で、誰一人知らない人はいない。住人たちは「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」や「ワルツ・フォー・デビー」などの音楽で心を満たしている。そして、セロニアス・モンクと言われれば、「ハニサックル・ローズ」と即答し、「こういうのがバド・パウエル、こういうのがセロニアス・モンクなんてね」といった会話を日常的に交わしている。
 
 何やら難しい横文字がやたらと目に飛び込むそれが、私たちにはとうてい遠い彼方の世界の話で、今一つ現実味がないストーリーである。
 
 カーテンの向こうから差し込む一筋の光に、タバコ煙が紫色の丸い曲線を描く。青年が所在なげにウイスキーかなにか舶来物のアルコール類を軽く飲みながら、ジョン・アップダイクを読む。「デサフィナード」や「イパネマの娘」がレコードから流れてくる。「レコード」でないといけない。
 勝手なイメージだけれど、そんな倦怠感に満ちて、だけれど、なんかカッコイイなと思わせるようなトーンが村上ワールドの基調になっている。そんなおよそ浮世離れした生活をしている人がいるなんて、まことに羨ましいことではないか。
 
 中国では、一時スターバックスでアイスウォーターを飲みながら、村上春樹を読むのが流行っていたらしい。いや、今でも一向にそういう志向が衰えていないだろう。プチブルジョアというものなのだ。
 
 ブルジョアは無理でも、村上春樹スタイルなら、手が届きそうなそこにある。そんな期待を確実に持たせてくれる。真似してみたい。百貨店のバーゲンなんか気にしてたまるか。都会的洗練さに憧れる中国の若者たちは、あるいはそんなことを考えて、この本を読み耽っているのかもしれない。
 
 しかし、スターバックスと並ぶとは、なんとも皮肉的で村上文学の文学たるバリューを象徴しているような気がしてならない。若者たちのちょっとした虚栄心を刺激する意味では、スターバックスも村上文学も同じ役割を果たしているのかもしれない。体のよい大衆小説である。あえて冷めた言い方をすれば、文学としての重厚感はあまり感じられない。その代わり、調子の整ったゆったりした文体に、ある種の独特な軽薄さが読み取れた。
 これが日本の文学だと世界の人たちに思われたら、ちょっと困るのではないか。他には優れた文学がたくさんあるのに。
 
 それに、ひねくれた見方かもしれないが、思いきって言うと、ボキャブラリーが若干乏しいのではないかと、一度文章に辟易すると、そんな気すらしてきた。違うと思うなら、『ノルウェイの森』を読めばいい。1ページに「まるで」が何回出てくるか、数えればわかる。
 
 そしてこの方の比喩の使い方が独特なのだ。意図的にか、主体を分かりにくくしている。ある意味、比喩という言語表現の本来の目的を覆しているところは上手いと見るか、下手と見るか。とにかく文体の大きな特徴の一つであることは間違いないだろう。

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