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今年の春から、ようやくスマートフォンを持つようになりました。
どちらかといえば新しいものに飛びつくタイプではなく、使えなくなるまで、フィーチャーフォンを持ち続けようと今でも思っていますが、使ってみれば、スマートフォンはかなり便利で、色々な活用ができるものですね。
メールをチェックしたり、旅先で写真を撮ったり、Wechat(微信)で遊んだりして、そこそこ楽しんでいます。
さて、手持ちのスマートフォンでとらえた大連の街の様子をもう少しお見せしたいと思います。
地元の人達の足型を模ったモニュメント
大連埠頭
地価が暴騰している高級住宅街だとか。 監視カメラを設置していますよという注意書きですが、なんて思いやりのある言い回し。
願わくば美容師に弟子入りしたい。 |
中国世相万華鏡
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ということでまたまた事後報告になりましたが、GWは大連に行ってまいりました。
大連は学生時代以来でしたが、立派な国際都市でした。日本の東京よりも横浜よりもはるかに都市計画がしっかりなされていて、おそらく20、30年経っても、時代のニーズに応えていけるほどの美しい街づくりです。その上、遥か昔植民地支配時代の古い建物もきちんと残っており、今でも市役所やホテルとして活用されています。文化の香りも息づいている素敵な街です。
とても清潔な街でもありました。ゴミひとつ落ちておらず、市民のモラルの高さが伺える一面でした。
格調高いレストランやおしゃれなバーから、庶民的な食堂や屋台料理まで街のあちこち訪ね歩き、ハイセンスで、スタイリッシュな大連の人たちと触れ合うことが出来ました。
地元のガイドさんに依頼して、旅順203高地と満州鉄道株式会社跡地を案内してもらい、在りし日の激戦に思いを馳せました。旧満鉄の建物は一部のスペースを展示用に開放されていますが、昔の机や調度品などそのまま無造作に置かれていました。金庫として利用されていた部屋には、古い資料が埃をかぶったまま積み重ねられていました。日本語堪能な職員2人だけで切り盛りしていて、手入れをする予算がないとのことでした。
昔の切り子グラスや懐中時計などが商品として陳列されています。なんと贅沢な、またなんともったいないような・・・
もう一つ驚いたことがありますが、聞いた限りでは大連市民は薄熙来氏のことを悪くいう人はいませんでした。あの人はいい人ですよ、薄市長のお陰で大連がこんなにきれいになりましたと。 |
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泰山に登ってきました。
杜甫の詩に「会当凌絶頂、一覧衆山小」とありますし、この山にまつわる数々の伝説は枚挙をいとわないもので、泰山は中国人にとってもはや特別な存在です。
一度は拝んでみたいと願っていましたが、幸運にもその機会が巡ってきました。
一緒に行動した日本人の皆さん、中には1500メートルくらいなら、少し早起きして、自力で登ろうと意気込んだ方もいらっしゃいましたが、私はとてもその自信がなく最初からロープウェイを当てにしていました。というのは、あまりにも険しく辛く途中で大の男さえ泣きだしたと20年も前から聞いていたからです。
ロープウェイで行けるところまで行き、その後はしっかりと自力で頂上まで息を切らせながら、登り切りました。
それはそれは素晴らしい景色でした。世界観が変わりますね。
心をこめてお参りしてきました。
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日本暮らしもいよいよ年季が入ったせいか、どうも日本と違うところばかり目につくものですね。困りました。
信仰心の厚い参拝客はピーナツやクッキーなど、ごちそうというより持ち込みのおやつを、おすそ分けのつもりか、大仏様の前の台に無造作にばらまいていくんですよね。お世辞にもお供え物には見えず、あれはどう見ても食べ滓ではありませんか。思わずツッコミの一つも入れたくなりました。
大仏様は広い心の持ち主にでしょうから、どんなものでも気持ちがこもっていれば喜んで召し上がるに違いないでしょう。
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泰山の一番いいレストランと言われるところで昼食を頂きました。
ガイドさんが屋台で高いものを買うより、このほうがお腹いっぱい食べられるから絶対いいと強く勧めてくれました。
たまたま断水していたため、お店の人が申し訳なさそうに、洗面器に5分の1程度のお湯を張って持ってきてくれました。8人そのお湯を使って手を清めました。
お店はバイキング式。お客はほとんどいませんでしたが、店員さんが一人だけハエたたきを片手に、あちこちをパタパタ叩きながら、見張り番をしていました。思わず吹き出してしまいました。
ただ、お店の名誉のために言っておきますが、店員さんはどなたも親切な方ばかりでした。
お見送りをしてくれた時もお湯を出せなくて本当に申し訳なかったとひたすら謝っていました。
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トイレは扉の閉まらないタイプでした。
トイレットペーパーの置いていないタイプでした。
最近、出張で時々中国に帰っているものの、行動範囲はほとんど本社敷地内で、日本と変わらない快適さのせいで、ついついもとよりの中国の姿を忘れていました。
まだ素朴だった自分が過ごした古き良き時代を懐かしく思い出されました。
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一人で行くなら、ガイドを頼むこともありませんでしたが、集団行動でしたので、案内役を依頼しました。
こんなにいいところなのに、日本人客はほとんど来ない。おかげで自分は中国人観光客ばかりを相手にしている。若くてきれいな女性ガイドが人気で、自分はもうおじさんだから人気ないんだよ、と冗談を交えながら親切に案内してくれた地元ガイドの曹さん、知識豊富、気さくでいい人でした。
この人、ガイドになるために生まれてきたのではないかと思うほどこなしていました。立て板に水のごとく泰山の歴史、石碑の由来、見どころの一つ一つを丁寧に紹介してくれましたが、惜しいことに6割くらいしか聞き取れませんでした。
日本を出かける前に泰山はとても寒いですよと山東省出身の人から念押され、ちょっと考えてダウンコートを持って行きました。
当日、全員ヒートテックに厚手のジャンパーという出で立ちでしたが、なぜかこの日、山頂は麓よりも気温が高く、半袖の登山客もちらほらいました。
南の経済特区のような洗練さはなかったかもしれませんが、ちょっと懐かしい中国北方の空気に触り合えただけでも、私にとって、山東省の旅は思い出になる旅でした。
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では、中国が今後目指す幸福中国は一体どのような幸福の青写真を描いているのだろうか。国策が定められたことで、果たして真の幸福に近づいたのだろうか。
言うまでもないけれど、幸せとは極めて主観的で感覚的なものである。決して一つのものさしで均一に量れるものではない。一方、トルストイの名言「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」にあるように、人々の描く幸福には何か共通するものが確実にあるかもしれない。
中国語辞典のオンライン版を調べると、幸福とは「使人心情舒畅的境遇和生活;指生活、境遇等称心如意」となっている。日本語の解釈と大差ないようだ。しかし、今の日本人と中国人にとっての「満ち足りた生活」像は同じものなのか。
いつか帰国した際、驚いたことがあった。同級生の生活パターンが私にはあまりにも異質なものに感じたからなのだ。小学生の娘を抱える夫婦共働きの標準的核家族が、自宅でご飯を炊くことは一年のうちにわずか3、4回のみで、料理はしたことはない。勤務先の大学にある食堂で一日三食を賄っているという。娘は母親の手料理を知らずに育っている。
自分の思い描いた伝統的な家庭像と似ても似つかない中国の新しい生活スタイルに少なからず衝撃を受け、家庭というより生活共同体のような無機質なものを強く感じた。このような生活に、果たして今の中国人は満足しているのだろうか。
家でご飯が食べられるのは週に一回あるかないかですよ。「不像過日子的様」、と自分の日常を語ってくれたのは、先日仕事で出会った中国国家図書館に勤務するMさんだった。子供を数千キロ離れた全寮制学校に預け、彼女はやはりバリバリ働くキャリアウーマンである。
息つく暇もなく毎日仕事に追われて、果たしてなんのために働いているのかふと考える時がある、とMさんは言う。仕事が好きなわけではない。だけれど、しゃかりきになって働く。新疆ウイグル族の人たちと仕事すると、自分と違って彼らはいつも生き生きしていることが羨ましい。収入は決して十分にあるわけではないし、生活レベルだって北京には遥かに及ばない。しかし、歌いたいときに歌って、踊りたいときに踊る。好きなものを食べて、大きな声で笑っている。彼らは今の生活に十分満足している。それこそ幸せなのではないかと思うようになったと、同い年の彼女は初対面の私に語ってくれた。
もしかして中国から一歩離れた今だからこそ、見えるものがあるかもしれない。三種の神器が冷蔵庫、カラーTV、エアコンから今のマイホーム、マイカー、海外旅行になるまでわずか二十数年しかかからなかった。幸福をいっぱいつめ込む箱を、私たち多くの中国人はすでに手に入れた。
これからは幸せの種をたくさん拾い上げることだ。
尊敬する社会科学者李銀河氏曰く:我对孩子提出三个希望:希望你做一个快乐的人,这样你的人生才能幸福;希望你做一个有教养的人,这样你的人生才能优雅;希望你做一个有知识的人,这样你的人生才能丰富。(子供に3つの願いを伝えた。幸せな人生を送るために楽しい人になること、優雅な人生を送るために知的な人になること、豊かな人生を送るために教養のある人になること。)
なるほど、まずは生きる喜びを知る楽しい人になろう。(続く)
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在日本逗留期间发生的点点滴滴的小事,都给大家带来了深深地触动。结束了访问日程,平安归国后的青年们在中国掀起了一个小小的微笑运动,令人感到欣慰,感到温馨。
对话之一。
制作人A:从日本回来,首先学会的就是节能减排,坐公车和地铁,尽量不打车,垃圾带回公司或家再分类处理。适当自律的生活让我心情平静。
A的友人Y:不打车算不上减排,因为,无论你打或不打,出租车始终在那扫马路,所以还是打吧,也算为刺激内需做贡献。
A:错。每个人的碳排放量就是根据你乘坐的交通工具来计算的。如果城市公共交通成为主流,解决大部分人的出行问题,那碳排放就会降低。
Y: 向你学习。
对话之二。
歌手T:照顾我们八天的L老师发来当地报纸对我们的报道,最后写到:“不是中国人,不能和大家直接沟通,我们深表歉意。”心酸和思念瞬间难抑..见到这温暖的语句,犹如又感受到老师们亲切的站在身边,不禁泪湿眼眶。今天进电梯我像在日本时对大家微笑点头,只有两个人回应,多希望我们中国人也养成互敬互爱互助的习惯,良性循环。
why:亲爱的T,我太赞成你的想法了,今天在电车上又想起你们,想起以前的一些事情,回来后看到你的感想,发现我的一些想法居然被你写下来了,令人惊喜。一个人的力量,改变世界很难,就是改变周围的人也绝不是一件轻而易举的事,但是,我们至少可以改变自己,至少还可以去影响周围的人。
在电梯里点头微笑,其实是一件很简单的事,不需要任何成本,如果大家都来做,我们的生活空间会舒适得多,愉快得多。今天有两个人回应,可能明天就有三个人,说不定一个星期,一个月之后,大家就变成朋友了呢。良性循环需要有一个开端,一个带头人,别人不来,我们来吧。
歌手T:对!您也是非常善良而且有责任心的人!我跟C姐姐也说好了,不管别人什么眼神,我们都要坚持做下去,总会影响更多人的!我在成都努力,杭州就交给她了!
戏剧演员C:杭州就交给我了。很期待人与人之间的友爱和尊重,我们一起努力感染吧!说好了噢,不怕那些奇怪的眼神!
歌手T:对,从我们做起,再影响身边人,不断的连锁反应下去。只要我们从自己做起就可以逐渐改变更多人直至整个国家,不光是文明礼貌,团结互助,还有环保意识。
歌手S:why老师,新疆这边交给我和买买提了!
歌手X:为什么没有人在电梯里打招呼微笑呢?是冷漠?是防备?是无所谓?没必要?正如why老师说的,需要我们点滴做起,今天也许是一个两个,明天会更多。我加入,长沙这边我负责!
歌手T的朋友L:深圳交给我!
T的朋友B:你们真棒!这个好像比较难..不过可以尽量试试。
歌手T:我们都希望把感受到的值得我们学习的传递回国,如果你们都做到了,我们才是真的太棒了,成功了。
T的朋友Z:是啊,我在美国的时候也是这样的,每个人都很热情,也很有礼貌,自己不知不觉就被感染了,回家之后这样的习惯就渐渐没了,唉,看来还需努力,做个感染别人的人!
T的朋友M:看多了我们都会受影响,希望能如你所愿改变更多人!
歌手T:谢谢,一起加油吧!只要行动就一定有效果,让我们首先改变身边人,让他们也愿意打开眼界去学习别人的长处,不做井底之蛙。
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