日本バプテスト川越キリスト教会 Baptist Kawagoe

加藤享牧師,山下誠也協力牧師の礼拝説教・教会週報のメッセージ、イベント・行事案内

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(前半からのつづき)


[2]神の愛の内に生きる恵み
天地を創造された神さまなのですから、星や太陽を超えた宇宙の果てに居られるお方、遥か遠く離れた存在なのでしょうか。「我らは神の中に生き、動き、存在する」とは、神さまの愛に包まれ、御手に導かれて日々に生きている愛の親密さを言い表しているのでしょう。

ベツレヘムの馬小屋で生まれ、十字架に付けられて死なれたイエス・キリストは、貧しい 幼子を抱き上げて祝福してくださいました。卑しまれて人々から隔離されている病人に手を置いて癒してくださいました。差別されている女性や異邦人も分け隔てなさいませんでした。そして人々の罪の一切を引き受けて、贖いの死を遂げて下さいました。

もしも墓に葬られて朽ちてしまわれるお方なら、他の犯罪人と同じです。しかしイエス・キリストは復活されました。神さまはイエス・キリストを墓の中から復活させて、救いに確証を与えて、私たちにイエス・キリストの十字架の救いを確信させて下さいました。こうして私たちは神さまの愛を知ったのです。「我らは神の愛の内に生き、動き、存在する」神の子とされたことを知ったのです。

イエス・キリストの十字架の救いは、私たちに悔い改めを迫ります。救い主が私のために命を投げ出してくださったのです。その愛を受けいれ、自分の罪深さを悔い改め、赦しを頂いて、赦された恵みのもとで感謝して生きる応答が求められます。ところが死者の復活ということを聞くと、アテネの人たちは、ある者はあざ笑い、ある者は、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言ったのでした。

復活とは、あざ笑うべき荒唐無稽な話なのでしょうか。「いずれまた聞かせてもらおう」とは、何時の日なのでしょうか。「いずれまた」と口にする時、その人は真理から顔を背けているのです。私たちは皆死にます。死の先をどのように見据えていますか。朽ち果てて無に帰してしまうのでしょうか。何と空しい人生の終わりでしょうか。或いは自分の犯した罪の数々についての良心の呵責に苛まれ続ける終局でもよいのでしょうか。

パウロは死を間近にしてこう書いています。「しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。 キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。」(フィリピ3:20〜21)

彼は癲癇の発作に悩まされ、医者ルカに付き添われて伝道旅行しなければならない卑しい体の持ち主でした。しかしやがてはキリストと同じ栄光の体に変えられて天国に迎えられる希望に生きていたのです。復活こそ救いの完成です。恵みです。どうしてあざ笑うのでしょうか。いずれまたと聞き流そうとするのでしょうか。

しかし、彼の説教を聞いて信仰に入った者も、何人か与えられました。その中にはアレオパゴスの議員ディオニシオ、またダマリスという婦人やその他の人々もいた。後に有力な信徒として活躍した人たちだったのでしょう。嬉しいことですね。やはり何時何処ででも、私たちは福音を大胆に宣べ伝えていかなければなりませんね。

[結]神の創造の御業の回復を目指す
日本人が聖書と向き合うようになったのは、ザビエルが日本に渡来した1549年以降のことです。宣教師が語る天地創造の神は、聞く者に大きな衝撃を与えました。しかし多くの日本人はつい最近まで、聖書を知らぬままに様々なものを神とする日本古来の神信心を受け継いで来ました。

明後日は12月8日ですね。大東亜戦争開戦の日です。日本は68年前にマレー半島に上陸し、ハワイの真珠湾に奇襲攻撃を始めて、日中戦争をアメリカ、イギリス、オランダとの全面戦争へと拡大しました。天皇こそ神である・日本は神の国だという皇国史観にやすやすと洗脳され、一億の人間が一つの火の玉のようになって、アジア統一という無謀な侵略戦争に突入する大きな過ちを犯してしまいました。アジヤ諸国の人々を自分たちよりも劣った人間だと軽蔑して、虐げました。当時は少年だったとはいえ、私もその過ちを犯した一人です。

真の神を知らず、神ならざるものを神とする時、私たちはこのように生き方を誤るのです。神さまがお造りになったものは、すべてが極めて良いものでした。私たち人間も神さまに似せて造られました。ところが私たちは今日、全てのものが、私たち人間も含めて極めて良い状態を失ってしまった現実の中にいます。

それは神さまからこの世界の管理を委ねられた私たち人間の責任にほかなりません。このままでは、世界も私たちも滅びます。私たちは何としても本来の姿を取り戻さなければなりません。在るべき姿を失っている罪から救われなければなりません。

在るべき姿を取り戻そうとすることは、おかしなことなのでしょうか。否、これこそが人間として一番まっとうな生き方です。世界を神さまが創造された時の、極めて良い状態に戻していく働きに手を取り合うよう、世界中の人々と呼びかけ合い、労する者になって参りましょう。それこそが世界祈祷週間の祈りです。


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