日本バプテスト川越キリスト教会 Baptist Kawagoe

加藤享牧師,山下誠也協力牧師の礼拝説教・教会週報のメッセージ、イベント・行事案内

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[聖書]使徒言行録17章22〜34節
パウロは、アレオパゴスの真ん中に立って言った。「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。 道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう。 世界とその中の万物とを造られた神が、その方です。この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。 また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、この神だからです。 神は、一人の人からすべての民族を造り出して、地上の至るところに住まわせ、季節を決め、彼らの居住地の境界をお決めになりました。 これは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにということなのです。実際、神はわたしたち一人一人から遠く離れてはおられません。 皆さんのうちのある詩人たちも、/『我らは神の中に生き、動き、存在する』/『我らもその子孫である』と、/言っているとおりです。 わたしたちは神の子孫なのですから、神である方を、人間の技や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません。 さて、神はこのような無知な時代を、大目に見てくださいましたが、今はどこにいる人でも皆悔い改めるようにと、命じておられます。 それは、先にお選びになった一人の方によって、この世を正しく裁く日をお決めになったからです。神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになったのです。」 死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言った。 それで、パウロはその場を立ち去った。 しかし、彼について行って信仰に入った者も、何人かいた。その中にはアレオパゴスの議員ディオニシオ、またダマリスという婦人やその他の人々もいた。

[序]日本人にとっての神
日本の一番古い歴史書は「古事記」(712年)です。江戸時代の国学者本居宣長がその注釈書「古事記伝」48巻を1798年に著わしました。これは日本の古代文化研究の最高峰と言われています。その中で彼は「日本人にとって神とは人であれ鳥や虫・木や石であれ、尋常ただならものを言う」と定義しています。格別にすぐれたものなら何でも神様として崇めるのが日本人の心だと言うのです。ですから日本では神が「八百万(やおよろず)の神々」と言われています。

八幡神社は源氏の武将八幡太郎義家を祀ったもので、村を守る鎮守の神として全国に建てられ、戦争・試合・競技に勝つ祈願が捧げられています。天神さまは菅原道真を祀ったものです。彼は右大臣の地位を追われて九州の大宰府に流され無念の死を遂げました。すると京都に大きな落雷があり御所が焼けてしまったので、道真の祟りだと恐れられ、天の神として祀り上げて霊を慰めようとしたのが起りです。彼は優れた学者でもあったので後に学問の神としても崇められ、合格祈願のお札が人気を集めています。靖国神社は明治以降天皇のために死んだ兵士や軍人を祭神としています。

稲の霊・穀物の霊を祀る稲荷神社は、狐が仕えているので狐の好物の油揚げに寿司米をつめたいなり寿司が奉納され、稲作農業と共に各地に広まりました。また千年杉と呼ばれる古い大木や大きな岩がしめ縄をはられて拝まれています。これらは すべての物に霊魂や精霊(スピリット)が宿っているという考えから生まれたものでありましょう。人や生き物や自然に宿っている霊魂には特別な力があるので、怒らすと祟りがあり、良い関係を結べば加護があると考えるのですね。

しかしこれは何も日本だけの現象ではありません。パウロがアジヤ州のリストラで足の不自由な人を癒すと、人々が「神々が人間の姿をとって降られた」といって神に祀り上げて拝もうとしています。11月15日に阿久津兄がメッセージで取り次いで下さいました。今日はパウロのヨーロッパ伝道の第二回目、ギリシャの哲学の町  アテネでの宣教を学びます。

知的好奇心の強い人々がパウロの宣教を聞いて、「奇妙なことを語っているが、もっとよく知りたい」とアレオパゴスの評議所に連れて行きました。町の至る所に偶像が祀られています。その数3000を超えると注解書にありました。哲学の都だからこそ、人々は様々な知識や思索からいろいろな神々を創り出して、祀り上げていたのですね。そこでパウロは人間によって創り出された神ではなくて、私たち人間をお創りになった真の神さまを明らかにしようと、語り始めまたのでした。

[1]天地を創造された神
「アテネの皆さん。道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけました。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるその神をお知らせしましょう。 世界とその中の万物とを造られた神が、その方です。この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。 また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、この神だからです。」

私たちの聖書は「初めに神は天地を創造された」という言葉で書き始められています。光も闇も、空も地も海も、太陽・月・星も、海の生き物、鳥、動物、植物そして人間も、すべて神さまによって創造された。実に天地万物を創造なさった方が神さまなのだという宣言です。人間・生き物・自然物がどんなに尋常ただならぬものであっても、神さまによって創造された被造物に過ぎず、神さまではないという宣言なのです。正月元旦に初日の出に手をあわせて拝む人も居ますが、太陽も神さまではありません。神さまによって造られた天体の一つでしかないのです。

「尋常ただならぬもの」という私たちの判断で、神が誕生するのです。私たちが神を造っているのです。私たちによって造られた神がどうして私たちを救えるでしょうか。神さまが天地を創造されました。ですから天地万物は神さまの手の中にあって治められているのです。すべての初めから神さまとして存在し、終わりまで支配を続けておられる唯一のお方が神さまなのです。

世界を造られた神さまのために私たち人間が住居を建てて差し上げることが出来るでしょうか。また食べ物を毎度作って差し上げなければ神さまは飢死にしてしまわれるのでしょうか。神さまが私たちすべての者に、命と霊の息吹と、生きるに必要な物すべてを与えて下さっているのです。

神さまは一人の人から全ての民族を造りだして、地上の至る所に住まわせてくださいました。ユダヤ人は人間を二種類に分けました。ユダヤ人と異邦人です。アテネ人も自分たちと 野蛮人とを分け、差別・蔑視しました。しかし真の神さまは、どんな人をも差別なさらない神なのです。人間は本来、皆同じ家族の出身であり、兄弟なのです。

「一生懸命」という言葉があります。これは本来は「一所懸命」小さな土地でも命懸けで守ったという領地争いの深刻さから生まれた言葉だそうです。自分の住む土地を奪い合う争いは今日でも世界各地で起っています。しかし住む土地は皆が仲良く共存するようにと神さまから分け与えられたものなのです。もしも私たちが現在の自分たちの在り方がおかしいと気付いて、神さまを真剣に求めるならば、天地万物を創造し支配しておられる神さま、そして調和・共存・平和を願っておられる神さまを身近に見出すはずなのです。


(後半へつづく)


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