日本バプテスト川越キリスト教会 Baptist Kawagoe

加藤享牧師,山下誠也協力牧師の礼拝説教・教会週報のメッセージ、イベント・行事案内

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(前半からのつづき)


[2]キリストに結ばれて見えてくる現実
パウロは哲学の都アテネで雄弁を振るいましたが、イエス・キリストの死と復活を語ると、人々からのあざ笑いにさらされました。しかし彼はこの経験からますます、十字架につけられたキリストにのみ固く立とうという決心を新たにして、コリント伝道に取り組んだのでした。(2:1〜4)ですから生みの親として問題だらけのコリント教会に手紙を書くに当っても、パウロは、イエス・キリストに目を注ぐことから始めました。

「わたしは、あなたがたがキリスト・イエスによって神の恵みを受けたことについて、いつもわたしの神に感謝しています。」(1:4) コリント教会の教会員一人ひとりは、皆イエス・キリストを救い主と信じてバプテスマを受けました。ですから、私たちの一切の罪をご自分が身に負い、十字架の裁きを受けて贖いの死を遂げて下さったイエス・キリストによって、神さまから罪の赦しと神の子として生きる命をいただく恵みを、コリント教会の皆も受けたのです。これは何といっても感謝すべきことです。

「あなたがたはキリストに結ばれ、あらゆる言葉、あらゆる知識において、すべての点で豊かにされています。」(1:5) 信仰を言い表してバプテスマを受けることによって、神の子イエス・キリストと一つに結ばれたのですから、私たちも神の子になったのです。私たちに与えられた赤ん坊は、まだ良くしゃべったり、歩き回ることが出来なくても、既に一人の人間として成長して、豊かな人生を送れる可能性を神さまから授かっています。それと同じ様に、コリント教会の信者一人一人の内にも、神の子としての言葉、知識がイエス・キリストと同じ様に豊かに与えられているのです。

コリント教会には、パウロ派、アアポロ派、ケファ(ペトロ)派、キリスト派などのグループが出来て、争っていたようです。聖書教育が指摘するように、パウロは異邦人キリスト者に、アポロは知識人層に、ぺトロはユダヤ人に人気があったのかも知れません。しかし教会員が徒党を組んで争うなど、教会のすることではありませんね。下の下です。

私は目白ヶ丘教会で熊野牧師の指導を16年半も受けて育てられました。本当に有難い恵みでした。先生が一番嫌ったのが、徒党を組み、衆にたのむことでした。人は人、我はわが道を独りゆくと、よくおっしゃいました。さすがのアポロもアポロ党が出来てうんざりして、パウロがどんなに説得しても、コリント教会に二度と行かなくなっています。(16:12)

それでもパウロはキリスト・イエスを信じてこう言っています。「主も最後まであなたがたをしっかり支えて、わたしたちの主イエス・キリストの日に、非のうちどころのない者にしてくださいます。」 (1:8) 私たちと一つに結ばれて下さっているイエス・キリストは、コリント教会を見捨てることなく、再び来られて天の御国に迎え入れて下さる時には、非のうちどころのない者にして下さると、パウロは確信していたのでした。
もう一度繰り返します。パウロは感謝からコリント教会に語りかけ始めました。「わたしは、あなたがたがキリスト・イエスによって神の恵みを受けたことについて、いつもわたしの神に感謝しています。」 感謝は神さまから恵みを豊かにいただいているという事実から生まれます。コリント教会の現在の姿がどんなに破れの多いものであっても、イエス・キリストによって神さまの豊かな恵みをいただいているという根源的な現実を、パウロは見ているからに他なりません。十字架を通して見えてくる恵みを数える時に、相手の現実がどのように惨めであっても、惑わされることなく恵みを数えて、深い感謝が生まれて来るのです。

[結]感謝から生まれる祈り
札幌の教育相談所の久野さんというカウンセラーの著書を喜美子から借りて読みました。「だめ!」「だめ!」という禁止の言葉が、親の口、殊に母親から我が子に向ってどれほど飛び出しているでしょうか。毎日の生活で、子供にとって危険なこと、良くないことが沢山あります。我が子を守るために「だめ!」が次々と出て来るのです。

人生の進路についても、大学を何処と定めて、高校、中学、小学校という通過地点が決められます。進路をきちんと進むように、指導監督が親の仕事になります。道からはずれると「だめ!」と引き戻す。子供にはそのようなプランはありませんから、親は「だめ!」を多発します。でもこの「だめ!」「だめ!」が、「お前はだめ人間だ」と伝わって、我が子をだめ人間にしていきます。

良いところを見つけて褒めること、自信を持たせることの方がどれほど大切でしょうか。しかしそうは分かっていても、この世の現実、我が子の現実を見ていると、不安でならなくなるのです。

パウロはコリント教会を「コリントにある神の教会」(1:2)と言っています。「神は真実な方です。この神によって、あなたがたは神の子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに招き入れられたのです。」(1:9)と言っています。神さまは真実なお方です。いい加減な言葉・いい加減な振る舞いをなさるお方ではありません。その神さまがご自分の教会として下さっているコリント教会、川越教会なのですね。

ご自分の子供として救い上げ、キリストとの交わりの中で、育み育ててくださっているという神の恵みの御業を、パウロはしっかりと見つめていました。私たちも目の前の現実ではなく、もう一つの現実、根源的な恵みの現実を、信仰の目をもって見つつ、教会を見、我が子を見、また自分の人生を見て、先ず感謝から出発したいものです。
 
祈ります: 神さま、いつも感謝から祈りが始まりますように。感謝から、人への言葉が出てきますように。感謝から恵みを見出しつつ、共に生きていくことができますようにお導き下さい。この一年をそのようにして、信仰の歩みを続けさせて下さい。川越教会を、あなたから豊かな恵みをいただいている教会として感謝して受け取り、手を取り合って輝かせていくことができますように。イエス・キリストの御名によってお祈りします。 アーメン


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