日本バプテスト川越キリスト教会 Baptist Kawagoe

加藤享牧師,山下誠也協力牧師の礼拝説教・教会週報のメッセージ、イベント・行事案内

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[聖書]コリントの信徒への手紙1章1〜9節
神の御心によって召されてキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟ソステネから、 コリントにある神の教会へ、すなわち、至るところでわたしたちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人と共に、キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々へ。イエス・キリストは、この人たちとわたしたちの主であります。 わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。
わたしは、あなたがたがキリスト・イエスによって神の恵みを受けたことについて、いつもわたしの神に感謝しています。 あなたがたはキリストに結ばれ、あらゆる言葉、あらゆる知識において、すべての点で豊かにされています。 こうして、キリストについての証しがあなたがたの間で確かなものとなったので、 その結果、あなたがたは賜物に何一つ欠けるところがなく、わたしたちの主イエス・キリストの現れを待ち望んでいます。 主も最後まであなたがたをしっかり支えて、わたしたちの主イエス・キリストの日に、非のうちどころのない者にしてくださいます。 神は真実な方です。この神によって、あなたがたは神の子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに招き入れられたのです。

[序]ニューイヤー・チャペル・コンサート
明けましておめでとうございます。今日は2010年最初の日曜日です。皆さんようこそ、今年第一回の礼拝にご出席下さいました。皆さんが一年を通じて、日曜ごとの礼拝から霊の祝福を豊かにいただいて、良き一年をお過ごしになりますように、お祈りしてやみません。

穏やかな日和に恵まれた年末年始でした。皆さんは、如何お過ごしでしたか。私たち夫婦は31日から昨日まで2泊3日を伊豆の天城山荘で過し、昨日夕方に帰って参りました。天城山荘が「年末年始くつろぎプラン」の目玉として、相模中央教会の石橋史生・香緒里夫婦のジョイントリサイタルを企画したので、そのコンサートを聞きに行ったのです。飯塚夫妻も元日の午後に来て一泊し、コンサートを聞いてくださいました。

丁度一年前、私の不注意で喜美子に腰椎圧迫骨折させ、15日間入院の難儀をかけてしまいました。皆さん大勢にお祈りいただき、他に傷害が及ばず骨折だけで済み、3月末には一応骨も固まり、以前と同じ様に働くことが出来るようになりました。そこで喜美子へのお詫びも兼ねて、3日間の休養をプレゼントした次第です。天城では思いがけず幾人もの古い友人に会い、旧交を温めることも出来ました。

石橋夫婦は小樽の高校から北海道教育大、東京芸大と同級生で学び、結婚してドイツに留学して帰って来ました。史生君は現在東京学芸大学の准教授として後進を指導しながら毎年ピアノリサイタルを開いています。毎年7月のリサイタルを聴いて来ましたが、演奏者として目覚しい成長を遂げています。
一方、香緒里さんは子育てで演奏活動が中断されていました。今回新たなデビューとなったわけです。札幌の隣り小樽教会滝沢牧師の長女で、我が家のかおりとは一才違い。お互いの子供たちを我が子のように思って、成長を楽しみに見守ってきました。この娘の再出発を励ましたかったのです。彼女自身はコンサートの後で、思うように歌うことが出来なかったと落ち込んでいたようです。当然でしょう。でも歌は50才からだと言われています。これにめげずにリサイタルを続けていけば、史生君と同じ様に成長して、豊かに歌えるようになっていくのです。今年の末も再び機会を与えてやって下さいと、天城山荘の所長にお願いして帰ってきました。

[1]コリント教会への手紙の書き出し
さて聖書教育の学びは、今日から3月末まで、コリント教会へ宛てた「パウロの手紙 一」を読んでいきます。パウロの伝道は紀元50年頃アジアからヨーロッパに拡がりました。ギリシャのアテネでの伝道は失望に終わりましたが、次に訪れたコリントは港町で商業の中心地です。人口70万の内、自由市民20万と奴隷といわれる下層階級50万が暮す大都市で、愛と美と豊穣の女神を祀る神殿があり、神殿娼婦が1000人も居たと言われていました。

この地にパウロは2年近くも腰を据えて伝道し、コリント教会を建て上げました。交通の要所の教会として、訪れる伝道者も多く、重要な伝道の拠点の一つになったようです。商業が盛んで、しかも異教的不道徳な町の影響を受けて、教会内に様々な問題が生じました。パウロは教会の生みの親として、幾度も手紙を書き送ったり自分でも訪問したりして、健全な教会として成長するよう心を砕きました。それがコリントの信徒への手紙一、二として遺されています。

一つの教会に宛てた手紙が29章にもわたって遺されているとは、珍しいことです。それらを読んでいきますと、一つの教会内によくもまあこれほど雑多な問題が生じるものだと、驚かされます。でも私たち信仰者を取り囲む社会状況は今日もそれほど変わりませんから、コリントへの手紙に述べられているパウロの考え方は、キリスト教信仰の本質を明らかにしていて、大変学ぶ所の多い手紙です。

今日は第一回目、手紙の書き出しに注目いたします。パウロはコリント教会をどのように呼びかけているでしょうか。内部に分派が生じて争いがあり、教会員の性的不道徳が教会内で容認されている教会。主の晩餐式や礼拝の秩序が乱れているといった教会なのに、パウロは「コリントにある神の教会」「キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々」と呼んでいるのです。

更に「あらゆる言葉あらゆる知識において、すべての点で豊かにされている教会」と呼びかけて、手紙を書き始めています。知識が欠けていて信仰が貧弱だから、このようにいろいろな問題を抱え込み、パウロを悩ましているのではないでしょうか。それを神の教会とか、聖なる者とされた人々などと呼べば、神さまの名を汚すことになりはしないでしょうか。パウロは余ほどお世辞上手な人柄だったのでしょうか。

(後半へつづく)


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