日本バプテスト川越キリスト教会 Baptist Kawagoe

加藤享牧師,山下誠也協力牧師の礼拝説教・教会週報のメッセージ、イベント・行事案内

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[聖書]コリントの信徒への手紙 1章18〜25節
十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。 それは、こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さを意味のないものにする。」 知恵のある人はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。神は世の知恵を愚かなものにされたではないか。 世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。 ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、 わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、 ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。

[序]教会が成長するために
パウロはキリスト教の信仰を世界に広めた立役者の一人です。新約聖書にはパウロの名前で書かれた手紙が13もあります。その全部がパウロの直筆のものではないようですが、初代のキリスト教会の間で、宣教活動と共に、信仰の基本的教理を明らかにしていく上でも、大きな貢献をしたことが分かります。

彼は紀元50年頃アジアからヨーロッパへ渡り、ギリシャの大商業都市コリントに 約2年近く腰を据えて伝道し、教会を建て上げました。このコリント伝道にはアキラとプリスキラ夫婦や弟子のシラスとテモテ、また地元の会堂長クリスポや自分の家を集会に提供したユスト等、有力な働き人の協力がありました。

それでも教会が成長して成熟するには、相当長い年数がかかるものです。2年弱の期間では、いくらパウロをもってしても短か過ぎました。パウロが去った後で、コリント教会に、一致を乱す様々な問題が次々と発生し、生みの親のパウロを悩ませました。パウロは幾度も手紙を書き送ったり、訪問したりして、健全な教会に成長するよう心を砕きました。その貴重な努力がコリントの信徒への手紙一、二に書き記されています。私たちは聖書教育のカリキュラムに従って、その手紙の一部を3月末まで学んでいきます。

[1]十字架の愚かさ
今日の聖書は「十字架の言葉は、信じない人たちには愚かなものに思われている」という言葉で始まります。23節には「わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています」と言っていますから、十字架の言葉とは十字架につけられたキリストのことですね。これはまた十字架の福音とも言われていますから、皆同じだと言って良いでしょう。十字架のキリストの話は、この世の知恵からすると、実に愚かに聞こえて、理解してもらえないとパウロは言っているのです。

コリントに来る前に、パウロは哲学の都アテネで雄弁を振るいましたが、イエス・キリストの死と復活を語ると、人々からのあざ笑いにさらされました。彼は非常に失望しましたが、この経験から、知恵をもって論証しようとはしないで、十字架につけられたキリストにのみ固く立って宣教しようという決心を新たにして、コリント伝道に取り組みました。どうして十字架の言葉、十字架のキリストの話は、この世の知恵からすると愚かに聞こえるのでしょうか。

TVの「水戸黄門」は、皆さんも良く知っている人気番組の一つです。40年たっても今尚毎週続いています。悪人どもとの最後の大立ち回りの最中に、格さんが差し出す印籠。「この紋所が目に入らぬか。ここにおわすお方をどなたと心得る。恐れ多くも先の天下の副将軍水戸光圀公におわすぞ。一同控えおろう」この一喝で一同が平伏し、良民を苦しめる権力者の悪が一瞬にして裁かれていくという、どんでん返しの痛快さがたまらないのですね。

それに比べるとイエス・キリストの十字架のシーンは、また何と対照的でしょうか。十字架にはりつけにしたユダヤ教の権力者たちや、野次馬の民衆たちが叫びました。「他人を救ったのに自分を救えないのか。イスラエルの王なのだろう。それなら今すぐ十字架から降りてこい。そうしたら信じてやろう」

この場面でも、葵の紋所が求められています。そこでイエスさまが十字架から飛び降りて、悪人どもを成敗なさったら、拍手喝采、なるほどこのお方は神さまがお遣わしになった救い主だと誰からも納得されたのではないでしょうか。

しかし実際のイエス・キリストはそうではなかったのです。6時間にわたる断末魔の苦しみの果てに、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と大声で叫びながら死んでいかれたのでした。十字架から飛び降りて、「我こそまさしく神の子キリストなるぞ。一同控おろう」と一喝して、救い主の絶大な力と権威を明らかに示めせば、信じる人が続々と生まれたのではないでしょうか。

十字架のキリストのお姿からは、無残な敗北しか見えてきません。全世界・全宇宙を創造され、支配しておられる全地万物の主である神さまの権威と力は、日本という小さな島国の副将軍とは比べものにならない位、遥かに偉大で栄光に輝くものであるはずです。どうして神さまは十字架から降りて来られなかったのでしょうか。

[2]人を救う神の知恵
21節でパウロは「世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。」 24節で「神の知恵であるキリストを宣べ伝えています」と述べて、パウロはここで、世の知恵・人間の持ち合わせている知恵と神の知恵と、二つの知恵を対比しています。

知恵とは、本来は「物事を正しく判断し、正邪を分別する心の働き」を言いました。
しかし人間の持ち合わせている知恵について、老子はこう言っています。「知恵出でて大偽あり」 人間が素朴であった昔は、人々が自然に従って生きていて平和であった。ところが、なまじ知恵がついてくると嘘をついたり、だまし合ったりしで、世の中が乱れるようになったというのです。

そこで仏教では「真理を洞察し、正邪を分別する知恵の会得」を、解脱に至る大事な修行の一つにしています。この真理の洞察ということを、パウロは「十字架の   キリストに、神の知恵を見る、これすなわち真理の洞察である」としたのです。どうして救い主は十字架の上で栄光を現わさずに、無残な死に方をなさったのか。それが神さまの知恵の現れなのです。神さまはその知恵を、既に700年前にイザヤの有名な「苦難の僕」(イザヤ53章)の預言で、はっきりと示されました。

「彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、病を知っている。」「 彼が担ったのはわたしたちの病、彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに、わたしたちは思っていた、神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだと。」

「 彼が刺し貫かれたのは、わたしたちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは、わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって、わたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」

「そのわたしたちの罪をすべて、主は彼に負わせられた。」「わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために、彼らの罪を自ら負った。」「彼が自らをなげうち、死んで、罪人のひとりに数えられたからだ。多くの人の過ちを担い、背いた者のために執り成しをしたのは、この人であった。」

神さまは、キリストに私たちの罪のすべてを負わせ、罪人の一人として死なせて、背いた者のための執り成しをおさせになったのです。キリストが打ち砕かれたのは、私たちの咎のためだったのです。キリストの受けた傷によって、私たちは癒されたのです。キリストの十字架の死によって、すべての人の罪が執り成され、赦され、救われる――これが人を救う神の知恵でした。

十字架に現わされたキリストの無力さ、惨めさにこそ神の栄光があり、十字架こそが万民を救う神の力、真の知恵の現れなのです。ところがこの世の知恵が考え出す救いは、十字架から降りて勝利を現わすことでした。葵の紋章を示して天下の副将軍の威光を現わす救いです。神の知恵である十字架の救いを理解できないのです。ですからパウロは「世は自分の知恵で神を知る(神の愛を知る)ことができませんでした」と言ったのでした。

[結]真の救い主
神さまが救い主としてこの世に来てくださったお姿は、ベツレヘムという田舎町の家畜小屋での誕生、貧しいヨセフとマリアの子としてのイエスというお姿でした。そしてその死は、茨の冠をかぶせられ、人々の嘲りの中で、十字架にはりつけになり、絶叫して死んでいく惨めな犯罪者の姿でした。私たちが持ち合わせている知恵をもってしては、救い主とはおよそ結びつかないお姿です。

しかし神さまの霊が働き、自分の弱さ、貧しさ、罪深さを痛切に自覚させられる時に、私たちは知るのです。この方こそ真の救い主、このお方にこそ真実の愛、豊かな命があると。そしてこのお方に結びつくことによって、神の子とされて生きる恵に与かることを。

十字架のキリストこそ、神の知恵・神の力です。この神の知恵である十字架を悟らないこの世の知恵は、真理を洞察出来ない不明、愚かさです。葵の紋所を求める知恵は真の知恵ではないのです。十字架の救いの宣教は、世の知恵からすれば、愚かな手段と見えるでしょう。しかしそれこそが神の知恵にかなっているのです。

真実な神さまは、イエス・キリストとの交わりを通して、私たちを最後までしっかりと支えて、非のうちどころのない者にしてくださると、パウロは確信していました。私たちも神さまの霊に導かれて、パウロと同じ信仰の確信に立って、十字架の救いを証して参りましょう。


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