日本バプテスト川越キリスト教会 Baptist Kawagoe

加藤享牧師,山下誠也協力牧師の礼拝説教・教会週報のメッセージ、イベント・行事案内

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(前半よりつづき)


[2] 聖霊の降臨
弟子たちはマルコの母マリアの家に集まって、心を合わせて熱心に祈りながら、聖霊の降臨を待ちました。10日がたちました。過越しの祭から50日たった五旬祭の日のことです。一同が一つになって祈っていると、 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響きました。 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまったのです。 そして一同は聖霊に満たされ、"霊"が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し出したのでした。

使徒言行録の著者はルカ福音書を書いた医者のルカです。福音を世界に広めたパウロの主治医として、病弱な体のパウロを支えて世界伝道に従った信仰者です。彼は聖霊が、待ち受けていた弟子たちに最初に注がれた様子を、「激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた」と記しています。激しい風とは、神さまの強力で自由自在な働きの現れでしょう。響き渡る物音とは、誰をも驚かせずにはおかない働きを示します。聖霊として弟子たちと一緒に生きて下さる神さまは、弟子たちの心の中に、誰にも気付かれずひっそりと住んで、それで終わりという神さまではありません。たとえその人が無力で弱々しくても、多くの人の驚きを惹き起す力強い働きを、自由自在にお進めになるお方なのです。

「そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上に留まった」 炎は先ず、神さまの臨在を表します。モーセは同胞のユダヤ人を救おうとして失敗し、エジプトの王宮から逃げ出し、荒れ野で羊飼いをしていました。すると神さまは燃える柴の炎の中から臨み、モーセに語りかけて、エジプトに戻ってユダヤ人を救い出す務めへと、召し出されました。

また炎は燃えさかる火を表します。世界に誇る日本刀は、良質の鋼を火で真っ赤に熱して、ハンマーで何千回となく打ち叩いて不純物を取り除きながら、造られていきます。同じ様に神さまは、私たちの中から一切の汚れを取り除き、清い器にしてくださるお方として、私たちに臨んでくださることを表しています。

更に炎はエネルギーを生み出します。蒸気機関車は石炭を燃やし、水を蒸気に変え、長い列車を動かします。火力発電所も、轟々と燃える重油が電力を生み、生活全般を支える働きをしています。聖霊は、信じる者を動かして、救いの業を至る所で繰り広げていく原動力として、一人一人にもたらされたのです。

最後に舌という言葉に注目しなければなりません。この語は聖書の別の所では「言葉」「国語」「異言」とも訳されて使われています。事実弟子たちは、聖霊に満たされるや、説教を語り始めました。ユダヤ人を怖れて、家の中に閉じこもって祈っているだけだった弟子たちが、家の外に出て、大勢の人々に向かって、神さまの偉大な救いのみ業を堂々と説教し始めたのです。後で議会に引き出されて語った時には、その大胆な態度に、大祭司・議員・学者たちは、すっかり驚いてしまったほどでした。

しかも普通のガリラヤ人でしかない弟子たちが、物音を聞きつけて集まって来た世界各地の人々に、皆が理解できる言葉で語ったので、人々は驚いたり戸惑ったりしたのでした。「霊が語らせるままに、いろいろな国々の言葉で話し出した」とはどういう現象でしょうか。

(1) 弟子たちがそれまで使ったこともない他の国々の言葉を語り始め、聞き手が自分たちの国の言葉を語る弟子の周りに集まって、その説教を聞いたのでしょうか。
(2) 聞く人々の側に、弟子たちの語るアラム語の説教が自分の国の言葉のように聞こえて、分かったのでしょうか。
(3) 弟子たちが聖霊の導くままに不思議な言葉を語り出し、聞き手もまたそれを理解する力が与えられて、説教が分かったのでしょうか。

言語の違いで不自由を覚えている私たちにとっては、実に羨ましい現象です。これについてはいろいろな説明がされていますが、とにかく弟子たちの説教が、世界各地から集まった人たちに通じたのです。言葉が違うことは、歴史も文化も生活習慣も違うことを意味します。そしてその違いが、私たちをどうしても仲良く一つにさせない障害になっています。ところが聖霊が語らせる言葉、すなわち神さまが力強く働く所では、言葉の違う者同士の間に、一致し合う共通理解が生まれたのでした。これは本当に素晴らしい聖霊の恵みではないでしょうか。

[結] 伝道する教会の誕生
「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」ヨハネ福音書の書き出しです。神さまは言葉を持って語りかけ、意志を伝え、言葉をもって救いの業を進めておられるお方、私たちと言葉で命のつながりを持とうとしておられるお方―――これが聖書の信仰です。  言葉でつながる関係では、聞く自由と同時に、聞かない自由が含まれています。従う自由と共に、従わない自由が認められているのです。神さまは私たちの人格をこの上なく大切にしてくださっているからに他なりません。その上で神さまは、イエス・キリストという人格を通して、愛を込めて語りかけられたのです。

角川漢和辞典は「言」を「口から表現される心」と解説しています。十字架に架けられながら、罵る人々のために「父よ、彼らをお赦しください」と祈りつつ、すべての者の救いのために死んでいかれたイエス・キリストこそ、神の心・神の愛を完全に現しておられます。 ですから  イエス・キリストは神の言なのです、

こう考えてきますと、イエス・キリストに代わって天から私たちの所に来てくださった聖霊が、言葉を語らせる炎のような舌と言い表されているのは、実に適切な捉え方だと分かります。ですから聖霊を受けた弟子たちは語り始めたのでした。何を語り始めたのでしょうか。11節に「神の偉大な業」とあります。14節以下のペトロの説教では「イエス・キリストの十字架を通してなされた神の偉大な救いの業」が語られました。

十字架の救いを語ったら、言葉の違いを超えて色々な国から集まった人々に分かってもらえた――これは神さまの真実な愛が真剣に語られると、語る者と聞く者の間に共感し合う心が生まれることを現しています。そうです。人を自分に従わせようとするから争いが生まれます。人の救いのために命を捨てて仕えるならば、共に生きる喜びが生まれてこないはずがありません。世界が最も必要としているのは、この愛です。

愛の神さまは、すべての人が豊かな命に生きるようにと、十字架の救いをもたらしました。そして信じる者に十字架の愛を語らせるために、聖霊を注がれました。イエスさまは弟子たちにおっしゃいました。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして――地の果てまで、わたしの証人となる」(使徒1:8) キリストの証人となり、世界に通じ合う心を生み出していくのです。

弟子たちが力強く福音を語った結果、3000人ほどの人々が信じてバプテスマを受け、弟子たちの仲間に加わりました。伝道する教会の誕生です。私たちも聖霊の力強い注ぎを祈り求めましょう。そして十字架の愛を証して参りましょう。   


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