日本バプテスト川越キリスト教会 Baptist Kawagoe

加藤享牧師,山下誠也協力牧師の礼拝説教・教会週報のメッセージ、イベント・行事案内

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[聖書]使徒言行録2章1〜13節
五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。 すると、一同は聖霊に満たされ、"霊"が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、 この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。 人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。 どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。 わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、 フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、 ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」 人々は皆驚き、とまどい、「いったい、これはどういうことなのか」と互いに言った。 しかし、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた。

[序] 沈黙の観音さま
日本人の間に最も親しまれている仏は観音さま、観世音菩薩でしょう。観世音とは人々の救いを求める音声を聞くと、直ちに現れて救済するという意味だそうです。極楽往生を願う者の臨終には、阿弥陀如来のお伴をして、両手に蓮台をささげ持って迎えに来てくださるそうです。神戸在住の画家丸山寿美さんは、観世音菩薩の絵を一心に画き続けておられます。展覧会を二度、三度と観に行きました。この仏の包み込んでくれるふくよかな笑みと眼差しは、どうみても女性です。命を育む母性の限りない優しさと結びついて、仏の慈悲が表現されているのでしょう。丸山さんの詩を二つ紹介します。

仏さま 貴方と会っていたら 元気が生まれます 心の悲しみが うすらぎます
感謝の言葉  つぶやきました

悩みもあり 哀しみもあり 幸せも 喜びも 数々あれど
 仏はいつも 私のまわりを ただ 静々と 通り過ぎてゆき
  何をか語らん   何をか告げん
   知りたくて 悟りたくて ただ一心(ひたすら)で またも 仏の後を追う

何もおっしゃらない仏さまから 感性を静かに研ぎ澄ませて、一人一人が慈悲を感じ取っていく世界なのですね。 一方私たちの信じる神さまは、はっきりとご自分の心を語り告げて下さいます。聖書に記された神の言葉、とりわけイエス・キリストの全生涯を通してはっきりと語って下さる命の言葉を読み、聞き取り、応答していくことが出来ます。有難いことです。

[1] イエス・キリストに於ける神の自己啓示
神さまはこの世界を創造されたお方です。全知全能のお方です。永遠なるお方です。一方私たちは、ごく限られた時間しか生きられず、ごく限られたことしか出来ないものです。明日のことも何が起こるかを知らない者です。私たち夫婦には5人の子供が居ますが、5人の家を同時に訪ねることはできません。しかし神さまは、世界中の人が同時に祈っても、どの一人の傍らにも居て、祈りにちゃんと答えて下さるお方です。世界の何処に居ても、其処に神さまは居て下さるのです。このようなお方を、私たちはどのようなイメージで表現できるでしょうか。

イエスさまの弟子たちは「主よ、私たちに神さまをお示しください」と尋ねています。「フィリポ、こんなに長い間一緒に居るのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ」(ヨハネ14:8〜9) 神さまのお姿は、私たちの理解を超えていて、表現できません。
そこで神さまは、ローマ皇帝アウグストゥスの時代に、ベツレヘムの馬小屋で生まれ、エルサレムで十字架刑で死んだユダヤ人イエスという人物となって歴史の中に、ご自分を現して「私を見た者は父を見たのだ」とおっしゃったのでした。

確かに有限な人間の姿をとることで、神本来のお姿のある部分が犠牲になりました。でも暴風に襲われて沈没しかかった時に、波風を鎮めて弟子たちを救って下さった奇跡で、人生の嵐に悲鳴を上げる者を助け励まして、乗り切らせてくださる神さまを示して下さいました。 小さな弁当で大勢の群集の空腹を満たす奇跡を通して、互いに分け合えばほらこの通り皆が満腹するよと、大事なことを気付かせて下さいました。悪霊を追い出して人格の分裂を癒してくださる恵み、様々な障害者や重い病人や死人すらも癒して下さる奇跡の数々によって、私たちの苦しみや悲しみを憐れみ、救いの手を差し伸べてくださる愛の神さまのお姿を現して下さいました。

更に、この世の最も重い刑罰である十字架刑に自らついて、全ての人の罪を一身に引き受けて死に、罪を贖って、天の御国に迎えられる道を開いて下さいました。十字架刑で死ぬ囚人となって究極の愛を現すなどということは、「人の心に思い浮かびもしなかったこと」です。多くの人が、この点でつまずきました。旧約聖書を信じるユダヤ教徒も、イエスさまに従う弟子たちですら理解できませんでした。日本でも創価学会の信者さんたちは、「十字架で死刑になるような人物が、どうして救い主と言えようか」と言っています。

しかしこれこそが神さまの尊い本質、真実の愛を現すキリスト教信仰の核心なのです。ですからイエスさまは、十字架の死が身近に迫るや、「真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる」(16:13)と、聖霊について教え始められたのでした。

イエスさまが逮捕されるや、真理を十分に悟らない弟子たちは、我が身を守って逃げ隠れてしまいました。すると神さまはイエスさまを墓から復活させて、弟子たちの前に現れ、十字架の死が神の敗北ではなく、人間を罪から救う、その救いの完成を現すことを、お示しになったのでした。そしてイエスさまは「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。あなた方は間もなく聖霊によるバプテスマを授けられるからである」(使徒1:4〜5)と命じて、天に戻って行かれたのでした。


(後半につづく)


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