日本バプテスト川越キリスト教会 Baptist Kawagoe

加藤享牧師,山下誠也協力牧師の礼拝説教・教会週報のメッセージ、イベント・行事案内

全体表示

[ リスト ]

2011年7月31日川越教会
                   心の闇との戦い
                                        加藤 享
[聖書] 創世記32章23〜33節

 その夜、ヤコブは起きて、二人の妻と二人の側女、それに十一人の子供を連れてヤボクの渡しを渡った。 皆を導いて川を渡らせ、持ち物も渡してしまうと、 ヤコブは独り後に残った。そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。 ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿の関節を打ったので、格闘をしているうちに腿の関節がはずれた。 「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」とその人は言ったが、ヤコブは答えた。「いいえ、祝福してくださるまでは離しません。」 「お前の名は何というのか」とその人が尋ね、「ヤコブです」と答えると、 その人は言った。「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。」 「どうか、あなたのお名前を教えてください」とヤコブが尋ねると、「どうして、わたしの名を尋ねるのか」と言って、ヤコブをその場で祝福した。 ヤコブは、「わたしは顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている」と言って、その場所をペヌエル(神の顔)と名付けた。 ヤコブがペヌエルを過ぎたとき、太陽は彼の上に昇った。ヤコブは腿を痛めて足を引きずっていた。 こういうわけで、イスラエルの人々は今でも腿の関節の上にある腰の筋を食べない。かの人がヤコブの腿の関節、つまり腰の筋のところを打ったからである。

[序] 自殺に追いやる心の闇

 信頼が裏切られた時に、私たちの人間関係は深く傷つき、壊れてしまいます。そればかりか、その後の人生に大きな狂いが生じます。人間不信に陥り、他の人との交わりも悪くなり、次第に孤独になります。多くの中学生が国語の授業で学ぶ夏目漱石の「こころ」の主人公は、父親の死後に叔父から財産を横領されて人間不信になりました。そして帝国大学を卒業しながら、積極的に生きて行く意欲を失っていました。

 ところが下宿先の自分の部屋においてやった友人のKから、下宿の娘さんに心がひかれると打ち明けられるや、それまで優柔不断だった彼が、「お嬢さんを下さい」と母親に直接交渉をして、Kを出し抜きました。気が咎めて詫びなければと思うものの、自尊心がそれを許しません。迷いながら縁談が進むうちに、突然Kが自殺してしまい、詫びる機会が永久に失われてしまいました。

 幸福であるべき新婚生活に、Kへの思いが黒い影となってつきまとい、彼をおびやかします。自分もまたあの叔父と同じく許されざる人間ではないか。そのことに気付かされた時、彼は闇に突き落とされる思いに襲われました。誰からも切り離された孤立・孤独感に捉われます。これではいけない、妻と一緒に新しく生きていかなければと意欲を奮い立たせようとすると、虚無感にぐいと握りしめられてぐたりとなります。
 彼は遂に遺書のかたちで告白し、妻には決して見せぬことと書き添えて自殺しました。

[1] 自分の心の闇と格闘する

 今日は、先週に引き続いて三代目の族長ヤコブ物語です。ヤコブは兄が受け継ぐ家督相続をどうしても手に入れたかったので、老いた父をだまして祝福の祈りを横取りしてしまいました。エサウは激怒して彼を殺すと息巻きます。彼は遠く800キロ離れた母の実家に逃亡しました。ヤコブは伯父ラバンにだまされながら20年間苦労します。しかし伯父の家にも居づらくなり、思い切って故郷に戻ることにしました。

 殺すと息巻いた兄エサウが待ちうけています。故郷が近づくにつれて、彼の不安は募って来ました。エサウが400人の従者を連れて迎えにくると聞くや、ヤコブの恐怖は頂点に達しました。彼は兄の襲撃から身を守る対策を講じます。そして神さまに必死に祈りました。「私は兄が恐ろしいのです。彼は私をはじめ子どもたちとその母親を皆殺すかもしれません」そして沢山の贈り物を用意してヤボク川を渡りました。

 彼はその夜独りだけ、川を渡って引き返しました。そして一晩中何者かと格闘をしています。その相手はヤコブに勝てないとみて、彼の股関節を痛めて足を引きずる体にしました。それでもヤコブは「祝福して下さるまで離しません」と、相手にむしゃぶりつく手をゆるめません。「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ」ヤコブはその場で祝福を受けました。

 この物語には不可解な点があります。ヤコブが格闘した相手が誰か、「何者かが」と不明のままです。ヤコブは「どうかあなたのお名前を教えてください」と頼んでも名を明かしてくれません。祝福を与えるお方、それは神さまに違いありませんから、ヤコブ自身は「わたしは顔と顔を合わせて神を見た」と言っています。彼に新しい名前を与え、祝福してくださったのは、神さまに違いありません。

 しかし神さまは「お前は神と人と闘って勝った」とおしゃってイスラエルという名を与えられました。ヤコブはその晩、神と格闘したばかりでなく、人とも格闘して勝ったのでした。これはどういうことでしょうか。私はこう理解します。

 彼はエサウの復讐を非常に恐れて、おびえました。居ても立ってもおれなくなったのです。あれから20年過ぎています。しかし父をだまし、兄を出し抜いた行為は   人間として信義に反する許されない罪です。その罪についてのいつまでも消えない後悔が、ヤコブの心を晴れやかにしない闇となりました。そして彼を、人を信頼できず、疑わせ、必要以上に恐れ、さいなませてきたのではないでしょうか。漱石の「こころ」の主人公は、その心の闇にさいなまれて耐えられず、遂に自殺してしまっています。

                                      (後半に続く)

閉じる コメント(0)

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事