日本バプテスト川越キリスト教会 Baptist Kawagoe

加藤享牧師,山下誠也協力牧師の礼拝説教・教会週報のメッセージ、イベント・行事案内

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(前半に続く)
                     心の闇との戦い
                                        加藤 享

[2] 監獄生活の屈辱

 英国からはるばる来られたコーンウォール・リー宣教師は、草津温泉に集まったハンセン病患者から、「母様」と慕われた方です。50才で来日され、59才になって草津に移りました。約20年間自分の財産はみな献げて世から捨てられた病者に仕えました。

 リー先生は宣教師として日本に来る前は、イギリスで女流文学者でした。43才の作品” Gold in the Furnace”(厳しい試練で磨かれた金)は、無実の罪で裁判にかけられ、牢獄に三ヶ月閉じ込められた若い女性の心の闘いと、やがて一切を試練として受け容れ、信仰を磨いていく姿を描いたものだそうです。

 主人公は14才で父親と死別し、養父に育てられます。勤勉で誠実で健気な娘に成長しました。それなのに「自惚れて、思い上がっている」という陰口が耳に入り、ショックを受けました。その時に、「ヨセフが奴隷としてエジプトの売られた、無実の罪で長い獄中生活を余儀なくされた試練によって、自惚れを焼き尽くされて、人に仕える者に成長した」という説教を聞きました。

 主人公は自分に対抗意識を持つ女性から、その人が犯した罪を一方的になすり付けられて裁判にかけられました。正義の叫びを上げたい衝動に駆られますが、自分を練り清める試練として受け止めることにしました。弁明をしないために有罪となり投獄されます。身体検査を受けて囚人服に着替えさせられた時に、激しい屈辱感がこみ上げてきました。陰鬱な獄中生活での数々のおぞましさ。

 監獄付チャプレンが言いました。「間違ったことをしていないのに受ける苦しみは、私たちの捧げる神への贈り物です。他の人の罰を担うのであれば、それは神に対して最大の栄誉になるでしょう」彼女は答えました。「でも自分から罰を引き受けようとしたのではありませんでした」チャプレンは言います。「自分で選びとったことにすることは出来ますよ」 無実の罪で投獄された獄中生活での心の戦いは容易なものではありませんでしたが、不当な裁判と十字架刑を黙って引き受けられたイエス・キリストを見上げることによって、乗り越えていったのでした。  
 
 これが、リー先生の作品”Gold in the Furnace”の概略です。先生は、自惚れや思い上がりを捨てて、ハンセン病者にひたすら仕える自分になりたいと、無実の罪で長い監獄生活を送ったヨセフを、いつも心に覚え続けておられたようでした。

[3] 「主が共におられる」とは

 この作品の主人公の監獄生活は3ヶ月でしたが、その短い期間でさえも、心の葛藤は大変なものでした。一方ヨセフの監獄生活は、恐らく20才頃から30才まで10年余に及ぶものでした。何と長い監獄生活だったことでしょう。殊に28才の時に、監獄に入って来た王の給仕長の夢を解いて上げた時には、救い出されるチャンス到来かと期待を抱いたに違いありません。しかし無情にも忘れ去られてしまいました。

 所詮エジプトという大国の監獄に、囚人として投げ込まれた奴隷のユダヤ人に過ぎません。誰にも顧みられず、忘れ去られてしまって当然でしょう。救い出される可能性などゼロに等しい。このような絶望的状況に置かれて、よくもまあくじけないで、耐えることが出来たものです。秘訣はどこにあったのでしょうか?

 39章の初めに、侍従長ポティファルに奴隷として買い取られた時、「主がヨセフと共におられたので」彼のなすことがすべてうまくいって、主人の信頼を得るようになったと、二度繰り返して記述されています。また39章の終わりにも、女主人の讒言で監獄に入れられてからも、「主がヨセフと共におられ」、恵みを施し、万事がうまくいくので、看守長の信頼を得たと、二度繰り返して記述されています。

 ヨセフは女主人の強い誘惑に対して、主人の信頼を裏切る大きな悪を働いて、神に罪を犯すことができませんと、きっぱり拒否しています。神さまはこのようなヨセフを何故お守りにならなかったのでしょうか。族長ヤコブの秘蔵息子からエジプトの奴隷に転落し、更に監獄へと転落していく人生が、どうして「主が共におられる」と言えるのでしょうか? しかも無実の罪なのに10年余も監獄生活を余儀なくさせるなど、これでどうして「主が共におられる」と言えるのでしょうか?

 私たちは6月から、アブラハム、イサク、ヤコブを学んで、ヨセフまで来ました。神さまは地上の氏族すべてを祝福する源として、先ずアブラハムをお召しになりました。そしてその子のイサクを、そしてヤコブをお召しになりました。彼らの生涯には、すべての人に救いが及ぶようにと働かれる神さまが、自分と共にいてくださり、お用いになっているのだという信仰が一貫していました。ですからヨセフもその信仰を受け継いでいたのです。

 ヨセフは国王の夢を解くにあたって「神がこれからなさろうとしていることを、ファラオにお告げになったのです」(41:25)「ファラオが夢を二度も重ねて見られたのは、神が間もなく実行されようとしておられるからです」(41:32)と語っています。ヨセフは神さまがこの世界でどうお働きになるかに注目しています。そして御心にそって多くの人の祝福になるように、王も自分も働かねばと考えています。

 大飢饉が続けば、国民が大勢飢え死にするのです。エジプトのみか、世界の多くの人々が飢死にするのです。自分ひとりの人生が、自分の願い通りにうまく行くかどうかではなくて、多くの民の祝福のために、神さまはどのようになさろうとされるのか?そしてこの私に何をしろとお考えなのだろうか? ヨセフはエジプト国王の前に立ちながら、こう考えたのではないでしょうか。

 主が私と共にいてくださるとは、自分の願いを一つ一つ皆、神さまがかなえてくださるということではありません。全ての人を祝福しようとされる神さまが、私と共にいて、私をお用いくださるという信仰です。神さまは夢を通して神の心を読み取る賜物をヨセフにお与えになりました。そして飢饉の迫る時に、彼をエジプト王の近くに置くために、奴隷にし、さらに侍従長の牢獄に留めて置かれたのです。ヨセフは王の前に引き出されて、夢を聞かされた時に、主が自分と共におられて、今日この時に備えて来られたのだと悟ったのではないでしょうか。
 
[結] 神さまに目を注いで生きる

 それにしても、逆境の中でヨセフはよくも絶望しなかったものです。それどころか、30才にしていきなり大国の宰相となっても、立派にその任務を果たせるまでに、よくも自分を磨き上げて来たものです。我が子を有名な大学に入れて良い就職をさせようと必死になる世の親たちは、もっとヨセフを学ばなければなりません。

 私たちの人格形成に、何が一番大切か?「神がそういうことをみな示されたからには、お前ほど聡明で知恵のある者は、ほかにはいないであろう。」この国王の言葉がいみじくも謂い得て妙です。「神が示された」そうです。ヨセフは多くの人によって傷つけられ、不当な扱いを受けました。しかし歴史に働き、また自分の内に働いて下さる神さまに、いつも目を注いで生き抜きました。

 それが彼を聡明で爽やかな人格の持ち主に育て上げたのです。ヤコブはどん底に沈む彼の傍らに立ち、語りかけて下さる神さまを知りました。ヨセフはその信仰を父からしっかりと受継いていたのでした。

 私たちも、どんなときにでも神さまが共にいてくださる信仰を持ち、神さまの霊を豊かに頂いて自分の霊性を養い、歴史を導く神さまの御心を悟り、他の人に神さまの祝福が及んでいく働きに、用いられる者になっていきたいものです。   
                                             完

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