日本バプテスト川越キリスト教会 Baptist Kawagoe

加藤享牧師,山下誠也協力牧師の礼拝説教・教会週報のメッセージ、イベント・行事案内

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2012年6月3日川越教会

                  深い悩み・涙の祈り(前半)
                               加藤 享

[聖書]サムエル記上 1章1〜20節

[序] 若さをもらった札幌訪問
 
 私たち夫婦は去る5月24日から札幌教会に参り、父母、叔父母の遺骨を教会墓地から引取り、29日夕方無事に帰って参りました。お祈りを有難うございました。私はご存知のように1ヶ月前に80才になりました。喜美子に支えられた日常生活、剣道の稽古も週3〜4回できる体力がまだあります。川越教会が30人を越える群れになるよう後5年はお仕えさせて頂きたいと願っています。それでもさて何時まで続けられるかなと、前途を案じる思いがふと襲ってくるようになりました。

 この変化に自分でも驚きました。ですから念願の教会墓地が出来て、父母、叔父母の遺骨を、兄弟、孫たちが居住している関東圏に移しておいた方が良いと兄弟で相談して札幌に引取りに伺うに当り、これがお訪ねする最後になるかも知れないと思いました。そこで札幌の皆さんも土曜日に送別の夕食会を準備してくださっていました。

 ところが私たちに会った方々は、「何だ、まだ若いじゃないですか」と口々におっしゃるのです。昨日も70代の方から「高齢を感じさせない溌剌とした若さ、研ぎ澄まされた印象を受け、自分も見習って鍛え直す所存です」とメイルを頂きました。

 一方私は私で、墓地委員長が90才でかくしゃくとしておられました。山から車を運転してご夫婦で霊園に降りて来て、遺骨の引越しを指揮してくださいました。冬の雪道は大変なはずです。もうお一人の90才も夕食会でバプテスマを受ける意向を表明して下さいました。85才以上の方が幾人も集会に出席しています。80で老いたなどと言っていられません。私は若さをもらって帰って参りました。有難いことでした。

 若い時に目白ヶ丘教会で一緒に育ち、気心の知れた山下先生夫妻が身近に支えて下さいますから、心強い限りです。シンガポール、タイ、韓国、中国、ルワンダ、米国、フィリピンその他と、お訪ねしなければならないところが沢山あります。力の限り世界伝道のお役に立ちながら、川越教会にお仕えして参ります。どうぞ宜しくお願い申し上げます。

[1] バプテスト教会の特色 
 
 さてバプテスト教会の特色の一つは、全年齢層の教会学校でしょう。赤ちゃんから老人に至るまで全ての人が、教会に集まり礼拝を守るだけでなく、それぞれの年令に分かれて聖書を読み、学び合います。礼拝と教会学校(CS)を車の両輪として、信仰を成長させていきます。
 私たち夫婦が目白ヶ丘教会から巣立って、札幌教会牧師として赴任したのは1964年クリスマス後でした。その時札幌教会の礼拝は40人余の出席者で、20数名が中高生、10数名が青年、大人は10人弱で、米国の神学校へ留学された前任牧師のご両親以外では32才の私が最年長。24才の高校教師の兄弟が代表執事といった若い教会でした。それでも教会学強化運動のパイロットチャーチとして、全年齢層の教会学校形成に取組もうとしていました。そこで私の経験と若いバイタリティとを結合させて、幼稚科3組、小学科9組、幼稚園父母2組の14組を礼拝前に、中学高校科6組、青年成人科6組の12組を礼拝後に、そして乳嬰児科を礼拝中にと、合計27組の教会学校を一挙に組織して、しゃにむに活動を開始しました。そして礼拝出席が70名台になり、教会が一段階成長を遂げたのでした。

 さらに開拓伝道を開始して、中心メンバーを10余名株分けし、一時礼拝出席が減りましたが、小学生も皆大人の礼拝に出席して、教会家族全員の礼拝にしましたら、子どもたちが次々と礼拝で信仰の決心をしてバプテスマを受けるようになり、150名の教会に成長したのでした。今回も礼拝に出てみましたら、親子孫三世代の出席者が幾組も見られました。 

 我が家の孫のあんりは、今月2才になります。浦和に引越してから、月二回の浦和教会の嬰児クラスに入りました。するとすぐに聖句をちゃんと暗誦するようになりました。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべて感謝しなさい」我が家にきますと挨拶代わりに唱えてくれます。世の闇を照らす神の言葉を心に刻んで成長してくれるとは、何と嬉しいことでしょうか。

 川越教会も乳嬰児が一人二人と増えてきました。小学生も二人います。彼らが聖書を学ぶクラスが必要です。奉仕者が与えられるよう祈って参りましょう。また礼拝前の成人科の分級にも努めて出席して、聖書を一緒にお読み下さい。祈祷会も礼拝も同じ聖書の箇所から、豊かな命の言葉を汲み取ろうとしています。聖書は読めば読むほど豊かな命をいただける宝の書です。

[2] サムエルの誕生
  
 さて前置きが長くなってしまいましたが、今日から士師記を終えてサムエル記上に入ります。エジプトからカナンの地に移住したイスラエルの民が、異なる信仰を持つ先住民や周囲の民族と衝突を繰り返しながら、次第に定着していきます。神さまはイスラエルの民が存亡の危機に直面するたびに、士師と呼ばれるリーダーを立てて、護ってくださいました。その歴史が士師記に記されていました。

 しかし歴史の流れは、強力な支配者を柱とする王国の出現を必要とするようになりました。その歴史の転換期に、キシの子サウルを選んでイスラエルの最初の王に立てる大切な働きをしたのが、最後の士師であり、最初の預言者であるサムエルです。歴史はサムエルを軸としてサウル王からダビデ王の王国確立に向います。この重要な橋渡しをした宗教的指導者サムエルは、母ハンナの涙の祈りから生まれた子どもです。

 ハンナはエルカナと結婚しました。彼は信仰深い誠実な人でした。しかしなかなか子どもが与えられません。エルカナは社会通念に従って、ぺニナを第二の妻として迎えました。彼女は子どもを幾人も産みました。ペニナは夫が自分よりもハンナを愛していることを知っています。しかし自分はこのように子どもを幾人も産んでいることで、ハンナに対する優越感を抱いていたことでしょう。

 エルカナは毎年一回、遠いシロの神殿に家族全員を連れて出かけ、家畜を犠牲の供え物として献げて礼拝することを常としていました。礼拝後に捧げ物の一部を払い下げてもらい、調理して家族一同で会食します。二人の妻と元気に成長していく息子・娘たちと一緒に神さまを礼拝し、家族一同て楽しく食事できることは、エルカナにとって至福の時だったことでしょう。

 しかしハンナにとっては、この上なく惨めでつらい時でした。子どもは神の祝福のしるし、子を産まない女は神から顧みられていないと思われていた時代です。これ見よがしに振る舞うぺニナに、ハンナは深く傷ついていきました。ある年のこと、彼女は遂に我慢できなくなり、神殿に逃げ込んで激しく泣いて祈り続けました。

「万軍の主よ、はしための苦しみを御覧ください。はしために御心を留め、忘れることなく、男の子をお授けくださいますならば、その子の一生を主におささげし、その子の頭には決してかみそりを当てません」頭にかみそりを当てないとは、信仰の純粋性を保つ献身のしるしとして、髪の毛を切らない姿のナジル人として神の御用に当る生涯を送らせますという誓いです。

 あまりにも長く祈っているので、祭司エリは酒に酔っていると誤解しました。「祭司様、私は深い悩みを持った女です。主の御前に心からの願いを注ぎ出しておりました」「安心して帰りなさい。イスラエルの神が、あなたの乞い願うことをかなえてくださるように」泣くだけ泣いて、心からの願いを注ぎ出し尽くしたハンナは、晴れやかな心を取り戻して、エルカナの許に帰りました。

 祭司エリの言葉通りに、神さまは彼女を御心に留めて、彼女の願い通りに、男の子を授けて下さいました。ハンナはサムエル(その名は神)と名付け、乳離れするまで3年間手許で育ててから、シロの神殿に連れて行き、祭司エリのもとにサムエルを託したのでした。サムエルがエリの許でどのように成長していったかは、来週の学びになります。
                       (後半へ続く)

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