日本バプテスト川越キリスト教会 Baptist Kawagoe

加藤享牧師,山下誠也協力牧師の礼拝説教・教会週報のメッセージ、イベント・行事案内

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 2012年7月1日川越教会
                    
                     真の友情(後半)
                               加藤 享
(前半より続く)

[2] 私はあなたの次に立つ者

 イエス・キリストは12人の弟子を選んで、寝食を共にし、ご自分の伝道に彼らを連れて行かれました。彼らは皆、家族も仕事も捨てて主イエスに従いました。彼らは苦楽を共にする大切な仲間でした。しかしその彼らでも、誰が一番偉いかと言うことでは、ライバル意識から自由ではありませんでした。マタイ、マルコ、ルカ福音書には、それが正直に記されています。
 
 更にヤコブとヨハネ兄弟の母が、我が子二人を右大臣・左大臣にして下さいと主イエスのお願いしています。それを知って他の10人が憤慨しています。(マタイ20:21、24)更にルカ福音書では、主が十字架におかかりになる前の晩、地上での最後の晩餐を弟子たちとなさったその直後でも、誰が一番偉いかと言う議論が再び起こったと記しています(22:24)どんなに親密な仲間であっても、自分が一番になりたい。人と比べて上に立ちたいという思いが、私たちの親しい友情の裏にも潜んでいるものなのですね。

 イエス・キリストがベツレヘムの家畜小屋で誕生された時、東の国から学者たちが星に導かれて新しい王の誕生を拝みにはるばるやってきました。ヘロデ王はそれを知るや、自分の王位が危うくなると恐れて、ベツレヘム一帯の2才以下の男の子を殺してしまいました。しかし天使のお告げを受けたヨセフとマリアは、直ちにエジプトに逃れて、幼子を守りました。

 イスラエルの最初の王サウルも、ダビデの際立った働きを妬み、その信仰深さに神が彼と共に居られることを認めざるをえなくなると、彼を恐れ、憎み、殺そうとやっきになりました。サウロも自分が一番偉くなければ気が済まなくなったのです。

 ところがヨナタンは違いました。サウルの第一の王子として、サウロの後を継いで王になるのが当然の身分です。しかし彼は自覚していました。そしてダビデにはっきりと伝えています。「イスラエルの王となるのはあなただ。わたしはあなたの次に立つ者となるだろう。父サウルもそうなることを知っている」 

 「わたしはあなたの次に立つ者」 ここに、ヨナタンの信仰の素晴らしさが示されています。彼は人間的な思いよりも、神さまの思いを第一にして、御心を知ろうと常に心がけて居たに違いありません。だからゴリアトと戦うダビデの姿に、主に全く信頼してどのような大敵にも、怯まずに立ち向かう信仰の素晴らしさに深く感動し、即座に絶大の尊敬と信頼を寄せ、終生変わらずに、彼と真実の友情を持ち続けることが出来たのではないでしょうか。
 
 ダビデは年老いてから三男アブサロムに反逆されています。アブサロムは家臣を集めて王位につき、エルサレムから父を追い出しますが、逆に殺されてしまいました。ダビデは不肖の息子を失い悲嘆にくれました。一方ヨナタンは、悪霊に襲われて錯乱状態になる父を決して見捨てませんでした。父サウルの傍を終生離れず、負け戦を覚悟して父と共にペリシテとの戦いに出陣し、父と共に戦死しています。
 
 ダビデがサウル王を殺せる機会が二度もあったのに、主に油注がれて王位につけられたお方を貴び、手をかけず、御心を尊ぶ信仰を貫きました。それと同じ信仰を、ヨナタンも王である父に対して持っていたのです。だからヨナタンは、ダビデを憎む父に悲しみ、苦しみながらも、生涯父から離れなかったのです。こうにして同じ信仰を持つ二人が、同じ信仰の絆で固く結ばれて生涯を通したのでした。

[結] 主が間に居てくださる絆
 
「安らかに行ってくれ。わたしとあなたの間にも、わたしの子孫とあなたの子孫の間にも、主がとこしえにおられる、と主の御名によって誓い合ったのだから。」

 これはダビデを送り出すヨナタンの別れの言葉です。父サウルが絶え間なく追求する手をかいくぐって、荒れ野や山岳地帯を避難する苦難の日々が、ダビデの上にこれから何時まで続くのでしょうか。ヨナタンとしては本当に切なく、申し訳ない気持で一杯です。でもダビデと自分との間に、また我々の子孫の代になっても、彼らの間にも、主なる神さまが何時も居てくださるのだ。だから私たちは共に主に守られ続けるのだ。大丈夫。安らかに別れようと、言っています。

 私たちは大事な契約書には実印を押します。昔は指を切って、血判を押しました。しかし私たち人間が持ち合わせている愛や誠意には、自分を第一とする我欲が潜んでいます。主イエスの弟子たちですら、十字架の死と復活、そして聖霊を注がれるまでは、だれが一番偉いか競いました。だから私たちは、距離を保って傷つき合わない程度の友情で満足しようとしているのです。

 神さまが間にたって結んでくださる友情をこそ求めなければなりません。神さまの真実の愛は十字架の死にはっきりと啓示されています。キリストはご自分の命をもって私たちの罪を贖ってくださいました。ここに真実の愛があります。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネ15:13)

 お互いの間に主が何時も居てくださる絆に結ばれた友情――主が保証人となって、守って下さるのです。これほど確かな絆はありません。この絆に結ばれて、自分が傷つくことを恐れずに、互いに愛し合って生きていこうではありませんか。そして愛の実を結んでいきましょう。      
                                完


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