日本バプテスト川越キリスト教会 Baptist Kawagoe

加藤享牧師,山下誠也協力牧師の礼拝説教・教会週報のメッセージ、イベント・行事案内

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2012年7月29日IJCS16周年記念礼拝

               足を洗いつつアジアで生きる(後半)
                                    
                                       加藤 享

             
[2] アジアの中の日本
 私たち夫婦がシンガポールに赴任した1995年の8月15日は丁度日本の敗戦50周年の記念日でした。シンガポールの英字新聞の朝刊第一面に、大きな字でこう書かれた記事がのったのです。「アジアが日本から聞きたい言葉は唯一つ“Apologize” (謝罪する)なのに、日本人はどうしてそれが言えないのか。」そして次の言葉です。「天皇裕仁が責任を取らなかったのだから、今の政治家・指導者たちが責任をとろうとしないのも当然だろう」

 確かに天皇は自分の名前で戦争開始を宣言したのです。そして310万人の国民を死なせ、はるかに大勢のアジア諸国の人々を死なせました。しかし無条件降伏しても、天皇はその重大な責任を取って辞任しませんでした。切腹しませんでした。  アジアの人たちは、「それはおかしい」と見ていたのですね。

 日本人が余り自覚していなかった戦争責任についてのアジアとの認識のズレ。 それを戦後50年の節目に、はっきりと突きつけられたのでした。私は新聞を手にして、日本の侵略戦争で肉親を殺された大勢のアジア諸国の人々の怒り・悲しみ・痛みが未だに癒されていない事実を感じ取り、深い衝撃に襲われました。

 ところが皆さん。今年のことです。4月にインドのナガランド州バプテスト連盟結成75周年の記念集会が開かれ、日本からも代表が招かれました。開会一万人の集会で日本連盟の常務理事が、先ず戦時中の日本軍侵略作戦で平和な地に戦火をもたらしたことを、心からお詫びをしたところ、会衆に大きな反響を呼び起こし、翌朝の地元新聞にも写真入りで報道されました。

 ビルマを占領した日本軍がインド経由の中国支援の道を断ち切るために、無謀なインパール作戦を強行し、ナガランド州に攻め込んで補給が続かず大敗北をきっしたのです。日本の敗残兵が農村の人たちに大勢助けられました。もうあれから69年の歳月が過ぎています。ところが戦争を知らない世代が圧倒的に多い今日でもなお、日本からのお詫びがこれほど大きな反響を呼んだという事実を、私たち日本人は よくよく心に刻まなければならないのではないでしょうか。今年のナガランドの状況は、私たちが17年前にシンガポールで直面した状況と同じだったのです。

 私が赴任した当時は、2月15日、平和記念塔前での市民殉難者慰霊祭には、日本人の参列が許されていませんでした。2年後の1997年8月9日午前にIndoorStadiuamで、クリスチャン一万人の祈祷会が行われました。イギリスの教会の代表が、植民地支配の傲慢さを壇上に平伏して、お詫びしました。日本の憲兵隊によって電気ショックの拷問を繰り返し受けたチョイ夫人が「心では赦せたが、55年たった今でも体が反応して、電気のスイッチをさわれません」と静かに証されました。

 日本の教会代表が涙を流し身を低くしてお詫びしました。シンガポールの牧師が彼に手を置いて祈りました。司会者が日本人は起立するようにと言いました。私たちがそこここに起立すると、皆で日本人のために祈ろうという言葉に、周りの若い人たちが私たち夫婦を囲んで手を置いて祈ってくれました。逃げ出したくなりました。涙が止めどなく流れて、本当に辛い時でした。

 夕方友人から電話がありました。感想を聞かれ、「辛くて逃げ出したかった」と申しましたら、「私たちにとっても辛い集会だった。でもこれで癒やされ、心に整理がつきました。この一回で十分です。新しい歩みを始めます」と言って下さいました。十字架の赦しをいただいているクリスチャンでも、これが現実なのです。私たちは、よくよく心に留めなければなりません

 皆さん、皆さんが今日平安に暮らしておられる美しい国シンガポールにも、突然 日本軍が攻め込んできて、4万人はくだらないと言われる大勢の市民を虐殺し、死体を海に流し、地に埋めて、その罪を隠そうとしたのでした。
 
 戦後の開発工事中に沢山の遺骨が地中から出てきて、虐殺が明るみに出され、排日運動が全市に沸き起こりました。その時にお詫びとして、経済援助1億ドルと、あの白い平和記念塔(殉難市民紀念碑)が建てられたのでした。更に戦後52年経ち、クリスチャンたちが大祈祷会を開いて、日本を赦す心の区切りをつけてくださったのです。

[3] 罪人の中の最たる者
 使徒パウロは熱心なユダヤ教徒でした。キリスト教迫害の急先鋒として弟子たちを脅迫し、家々に押し入って男女を問わず縛り上げ、牢にぶち込みました。その彼がシリアのダマスコに乗り込んでいく途中で、復活されたイエス・キリストに出会って、劇的な回心をしました。そして今度は熱烈な福音伝道者として、その生涯をささげました。

 当然彼は、裏切り者としてユダヤ教徒から迫害され続けました。キリスト教徒  仲間からも、非難を浴びました。しかし彼は謙遜の限りを尽くして福音を宣べ伝え、教会に仕えました。彼が信仰者として生涯立ち続けた原点はどこか。

 それが今日の聖書の言葉です。「『キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた』という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者です。」

 彼は迫害の息をはずませながらダマスコに乗り込んで行く途中で、復活された イエスさまに出会いました。「なぜ私を迫害するのか」主イエスは彼を無条件で赦して下さったばかりでなく、その福音の伝道者として、お召しになったのです。

 罪人の中で最たる者――英語ではThe worstと訳されていますね。しかも動詞は現在形なのです。全世界への福音宣教の働きで一番活躍したパウロですのに、彼は罪人のなかでも、I am the worstという自覚を持ち続けて、生涯を閉じたのでした。  
 主イエスは最後の晩餐の食卓で、弟子たちの汚れた足を洗って下さいました。足を洗うのは、その家の最も卑しい僕の役割です。「主であり、師である私があなたがたの足を洗ったのだから、貴方がたも互いに足を洗い合わなければならない」(ヨハネ13:14)弟子たちは最後まで、誰が一番偉くなるか競い合う心を持っていたのです。

 パウロが生涯立ち続けた原点は、自分の犯した大きな罪の自覚と十字架の主イエスの無条件の赦しでした。ですから主イエスにならい、謙遜の限りを尽くして足を洗う僕に徹して生きたのです。

[結] 身を低くして 
 皆さん。私たちはアジアの一員として、シンガポールで、また日本で生活しています。私たちの国日本がこのアジアの国々に対して犯した侵略戦争の大きな罪を、いつまでも忘れずに、アジアの中で生きて参りましょう。

 イエス・キリストは、この世で最も重い罪を犯した者の受ける十字架の死を、私たちに代わって受けて下さったのです。私たちはその十字架をいつも見上げています。私たちは、アジアの友の足を洗いつつ、福音を証して参りましょう。

 武士道に憧れ、剣道を習うシンガポールの若者たちが、私に言いました。「威張る日本人は嫌いです」皆さん、私たちは心のどこかに優越感を抱いていませんか。十字架を見上げつつ、アジアの友の足を洗う日本人になって行きましょう。  完


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