日本バプテスト川越キリスト教会 Baptist Kawagoe

加藤享牧師,山下誠也協力牧師の礼拝説教・教会週報のメッセージ、イベント・行事案内

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2013519日川越教会
美しい足よ(前半) 
               加藤 享
[聖書] イザヤ書52章7〜10節
  いかに美しいことか 山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え 救いを告げ 「あなたの神は王となられた」と  シオンに向かって呼ばわる。 
その声に、あなたの見張りは声をあげ 皆共に、喜び歌う。彼らは目の当たりに見る 主がシオンに帰られるのを。
歓声をあげ、共に喜び歌え、エルサレムの廃虚よ。主はその民を慰め、エルサレムを贖われた。
主は聖なる御腕の力を 国々の民の目にあらわにされた。地の果てまで、すべての人が わたしたちの神の救いを仰ぐ。
 
[] イザヤが生きた時代
 預言者イザヤは、主イエスの誕生よりも740年ほど前に、南ユダ王国のウジヤ王が死んだ年、神さまから預言者として召されました。そしてヨタム、アハズ、ヒゼキヤと三代の王の時代に貴重な予言の数々を残し、マナセ王の時代に殉教の死を遂げたと言われています。
 
66章全部がイザヤの予言ではなく、40章以下BC586年にユダ王国がバビロンによって滅ぼされ、捕囚として50年を過ごした時期のものではないか(第二イザヤ)、55章以下は更に後の時代の予言ではないか(第三イザヤ)という学説が、18世紀中ごろから強くなってきました。しかし私は、聖書が依然としてイザヤ書66章をイザヤの予言としている以上は、全てを預言者イザヤの予言として読みとっていこうと思っています。
 
 イザヤが生きた時代は、北のアッシリアが強大になり、国際関係が大きく変化した時代でした。南に位置するシリアと北イスラエルは南ユダと三国同盟を結んでアッシリアの侵略に対抗しようとしました。しかしアッシリアから一番遠い南に位置するユダはその誘いを拒否したので、シリアイスラエル同盟軍がユダに攻め込んで エルサレムを包囲しました。そこでユダはアッシリアに従属する条件で、同盟軍を北から攻撃するように願い出ました。
 
 アッシリアは早速シリヤに侵略してこれを征服し、更に北王国イスラエルも滅ぼしてしまいました。紀元前722のことです。ユダはアッシリアの強力な支配から逃れるためにエジプトに助けを求めました。そこでアッシリアの大軍がユダに攻め込み、エルサレムを包囲しました。ところがアッシリア軍18万5千人が一夜のうちに自滅してしまう奇跡が起こり、ユダは生き延びたのでした。紀元前700年頃のことです。
こうしてしばらくの間、アッシリアの脅威は収まりました。しかしアッシリアは 紀元前612年にバビロンに滅ぼされ、そのバビロンによって紀元前586にユダ王国も滅ぼされ、エルサレムは廃墟となり、王以下主だった人々はバビロン捕囚の50を過ごすことになったのでした。捕囚から開放されて帰国を赦された人々がエルサレムの神殿と城壁を再建したのは紀元前444です。国が滅び、イスラエルが廃墟にされてから143年も経ってのことでした。
 
[1] イザヤに示された予言
 私たちは去年の9月から11月にかけて、丁度その歴史を列王記下、エズラ記、ネヘミヤ記で学びました。その時私は「国が滅びるとは」「心に刻まれた喜びの叫び」「生きる力の源」と題して3回、大きな歴史のうねりのなかで、イスラエルの民がどのような信仰の歩みをしたかを説教させていただきました。読み返していただけたらと思います。後のテーブルにも置いておきました。
 
 なぜ国が滅びるのでしょうか。歴史に学んで世界情勢を的確に判断できなかった国王の無能さが上げられます。しかし聖書は「主の目に悪とされることを行ったから」と繰り返し語っています。主の目によって国の存亡が決まる−−人間の思惑や行動が歴史を織りなしていくように見えますが、歴史は神の御心が働く場であるというのが、聖書の信仰なのですね。それ故に私たちは神の御心を尋ねつつ、歴史に参与していかなければなりません。
 
 今日のイザヤの予言には、「歓声をあげ、共に喜び歌え、エルサレムの廃虚よ。主はその民を慰め、エルサレムを贖われた」(9節)という言葉があります。エルサレムがまだ廃墟のままになっていて、何時再建されるか見通しの経たない時の言葉だとすると、エズラやネヘミヤの帰国の頃ということになりましょうか。エズラの帰国が紀元前458年、ネヘミヤの帰国は445年です。それはイザヤよりも250年以上も後のことでした。だから第二イザヤの言葉だろうと言われます。
 
 しかし前々回に私たちはイザヤ書2章「終末の平和」の予言を学びました。イザヤが幻に示されて語った予言は、歴史の終局に神さまがもたらしてくださる、全世界の全く新しい平和です。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばなくなる 世界の到来です。
 
先週山下先生と学んだイザヤ書6章イザヤの召命も、彼が「高く天にある御座に座して居られる」聖なる万軍の主なる神さまを見上げて、御言葉を聞き取っていました。神さまの支配とご計画は歴史の究極までを視野におさめつつ、今をもお計りになっておられます。ですからイザヤの予言も歴史のはるか先の出来事を、今生きる者にも語るのです。
 
 国が滅びるとは、その国の人々が頼りにしていた神が滅びることを意味しました。紀元前2000年も昔に世界の全ての人々の祝福の源としてアブラハムを選び、その子孫イスラエルの民を通して、祝福を世界に及ぼそうとして、歴史を導いて来られた世界の主なる神さまが、バビロンによってイスラエルもろともに滅ぼされてしまったとすれば、イスラエルの民にとって、自分たちの存在そのものが全否定されたことを意味します。これは最も深刻な絶望でした。
 
 しかしイザヤに示された予言は、万軍の主は生きて居られて、廃墟となったエルサレムに、王として戻って来られるというのです。電話やラジオ、テレビの無い時代です。主から使わされた伝令が山々を行き巡り、そのよい知らせを伝えて回るしかありません。町には見張りの塔があり、走ってくる伝令を見張っていました。遂にある日、一人の伝令山の上に現れて叫んだのです。「あなたの神は王となられた。主がシオンに帰られるのを、目の当たりに見る
 
 万軍の主なる神さまがエルサレムに帰って来てくださる。民の罪を赦し救いと平和を再びもたらして下さるのです。民よ、歓声をあげ、共に喜び歌おう。主は聖なる御腕の力を、国々の民の目にあらわされた。地の果てまで、すべての人が、わたしたちの神の救いを仰ぐのです。なんと嬉しいことでしょうか。
 
 それにしても、山々を行き巡り、このよい知らせを伝えながら遂にエルサレムにも到着したこの伝令の足は、汗とほこりにまみれ、石につまずいて傷つき、血に染まっていたことでしょう。しかし恵みのよい知らせを伝えてくれたです。なんと貴い足でしょうか。なんと美しい足でしょうか。
 
 20章には、イザヤが神さまから裸、はだし3年間歩き回れと命じられています。イスラエルが助けとして依り頼むエジプトとクシュ(エチオピア)の人々が、アッシリアの捕虜になり、このように恥をさらして引き立てられていくことを、行動で予言 させられたのでした。
 
イザヤはどんなに恥ずかしい3年間を過ごしたことでしょうか。はだしで歩く痛みと惨めさを身にしみて感じる日々だったに違いありません。しかし52章の場面では、伝える言葉が平和と恵みの良い知らせなのです。ああこれを伝える足は、なんと幸いな足だろう、なんと美しい足だろうと、心の底から喜びつつ、イザヤはこの予言を語ったことでしょう。(後半へ)

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