日本バプテスト川越キリスト教会 Baptist Kawagoe

加藤享牧師,山下誠也協力牧師の礼拝説教・教会週報のメッセージ、イベント・行事案内

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201362日川越教会
神に呼び出された青年(後半)
                    加藤 享
 
(前半より)
 
[2] 何が見えるか
 
私や山下先生、喜美子や伊藤三恵子さんは、若いときに目白ヶ丘教会で熊野(ユヤ)清樹牧師の説教を聞いて育ちました。先生は色々なエピソードを説教の中で繰り返し語られました。「もう何回目だと指折り数える人も居るだろうが」とおっしゃで語られましたから、今でも鮮やかに甦ってきます。そのなかの一つです。
 
先生が熊本県人吉の小学校時代のこと、習字の時間に受持ちの先生が、柱によりかかりながら外を眺めていました。突然一人の子を呼んで窓のそばに立たせ「何が見えるか」と尋ねました。その子は首をかしげるだけでした。「もうよい。席に戻りなさい」 次の子が呼ばれました。「何が見えるか」その子も首をかしげるだけでした。
 
習字を書いていた子供たちは俄然興味をそそりました。幾人目かに「熊野」と呼ばれました。先生の傍らに立って外を眺め渡しました。「何が見えるか」いつもながらののどかな田舎の風景です。特別変った様子はありません。ところが校庭と地続きの農家の縁先で、子守さんが赤ん坊を抱きながら、こくりこくりと舟をこいで居眠りをしているのに気付きました。赤ん坊を縁側から下に取り落としたらケガをします。「先生、危ないです」「そうか、行って起こして上げなさい」熊野少年はとんで行ってその子守さんを起こして、教室に戻って来たそうです。
 
「何が見えるか」「先生、危ないです。」「そうか、行って起こして上げなさい」 皆が皆、危ないと気が付くわけではありません。ですから危ないと気付く心は天与の才の一つ、神さまから与えられた賜物gifyt)ではないでしょうか。あめんどうの枝を見ながら、預言者に召されたエレミヤと神さまとの会話と重なるお話ですね。
 
熊野先生はお父さんを早く亡くしたので、中学校に進まず高等小学校を出て、内務省の衛生試験所で働き始めました。しかし試験管をふるっている毎日の生活が、何か他人の仕事をしているような気がして、仕方がありません。「自分でなければならない仕事があるはずだ。」こうして牧師になる道を神さまから示されて、東京に出て中学2年に編入し、神学校への道を歩み始めたのでした。
 
ああ、わたしは若者にすぎませんから」と尻込みするエレミヤ中にも、既に生まれる前から、「シャーケード」から「歴史を見張っている神さまの眼差し・ショーケード」に気付く賜物が、授けられていたのでした。主は手を伸ばして、エレミヤの口に触れ、言われました。「見よ、わたしはあなたの口にわたしの言葉を授ける。見よ、今日あなたに、諸国民、諸王国に対する権威をゆだねる。抜き、壊し、滅ぼし、破壊し、あるいは建て、植えるために。」
 
神さまからこう言われてしまうと、エレミヤは返す言葉がなくなってしまいました。小さな村の祭司の息子です。どれ程の学歴の持ち主か。都の神殿や王宮で語るとすれば、貴族出のイザヤとは違い、軽くあしらわれる惨めさを味わうことになるでしょう。彼の尻込みも当然でした。
 
ところが神さまはおっしゃいます。「わたしがあなたを誰のところへ遣わそうとも、行ってわたしが命じることをすべて語れ。彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて、必ず救い出す」 そうです。何を語るのか。自分が考えたことを語るのではありません。神さまが語れとお命じになる言葉をそのまま語ることが、預言者の任務なのです。
 
混沌とした時代の流れのなかで、ただ自分の思いのみで安楽に毎日を送っている多くの人々。神さまはどのように歴史を導こうとしておられるのか、その言葉を語る預言者に聞き従うことこそが、私たち人間にとって最も大切ではないでしょうか。
 
[結] 聖書から神の言葉を聞きとる
日本が戦争に負けた時、学校で教科書の間違いを、先生の指示で、習字の墨と筆で黒く塗りつぶす作業をさせられました。こんなに間違っていたことを学んでいたのかと、愕然としました。時代が変わろうと墨で消されることのない、本当の真理を学ばなければならないという思いが、心の底からふつふつとこみ上げてきたことを、今でも忘れません。
 
軍人になって天皇陛下に命を捧げるという人生の目的を失い、新しい目的をつかもうと、本を読み漁りました。聖書を手にしました。その聖書が私を惹きつけました。しかし分からないことだらけ。友人の教会に連れて行ってもらいました。説教を聞きながら聖書を読んでいくうちに、私に対して神さまが呼びかける言葉として、聖書に向かい合うように導かれました。聖書から神さまが私に語りかけておられる言葉を聞き、神の御心に従って生きる信仰を与えられました。神さまは、私を牧師にお召しになりました。
 
どう生きたらよいか迷う時に、私たちは正しい判断を示す言葉を必要とします。その言葉を聞いて考え、自分の言葉で語りながら、自分の考えがまとまっていきます。そして言葉で決意を表明し、行動を起こします。このように言葉で私の人格が形成され、言葉で私の生き方が綴られていくのです。人間の言葉を聞くことによってすら、私たちは人間として成長していくのですから、神さまの正しい命の言葉を聞くことが、私たちにはなおさら大切ではないでしょうか。
 
私は聖書を読みながら、今どう生きるべきかを示す神さまの言葉を聞き取って従う生活を続けて今日に至りました。本当に幸いな人生を歩んで参りました。特に聖書から聞きとる神さまの言葉をお取次ぎする牧師の務めを長くさせていただいておりますことを、心から感謝しています。
 
「わたしはあなたを母の胎内に造る前からあなたを知っていた。母の胎から生まれる前にわたしはあなたを聖別し、諸国民の預言者として立てた」とエレミヤに語られた神さまは、皆さんお一人ひとりにも語りかけておられるのです。
 
 皆さんは、その語りかけをお聞きになっていませんか。今日のスケジュールの中でどうすることが、神さまの御心でしょうか。どちらを選ぶべきか、何をなすべきか、聖書を読みつつ、祈って御心を聞いて参りましょう。神さまの霊、聖霊が私の心に働きかけて、神さまの言葉を、聖書を通して示してくださいます。
 
 私たちの人生の違い――それは一人ひとりに対する神さまの期待、ご計画の違いです。貴方でなければならない仕事、貴方にして欲しいと神さまが願っておられる任務を、各自が信仰をもって聞きとり、神さまの御心にあるご計画を、実現させて参りましょう。     完

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