日本バプテスト川越キリスト教会 Baptist Kawagoe

加藤享牧師,山下誠也協力牧師の礼拝説教・教会週報のメッセージ、イベント・行事案内

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2013年6月16日渋谷教会
何を大切にするか(後半)
             コリントの信徒への手紙一 4章1〜13節
                                  加藤 享
 
 
[2]  世の屑すべてのものの滓(かす)
今日の聖書の箇所の最後13節で、パウロは「今に至るまで、わたしたちは世の屑、すべてのもののとされています」と言っています。随分ひどい表現ですね。私は神学校を卒業して51年になりますが、少しでもそのような扱いを受けたら、打ちのめされて、とうの昔に牧師を辞めてしまったことでしょう。パウロはキリスト教信仰をローマ世界に広く伝える偉大な 働きをしたのではなかったでしょうか。どうして自分を世の屑、滓と言うのでしょうか。
 
それは十字架のキリストの僕という徹底した自覚が言わせている言葉だと思います。そうです。十字架刑とは、この世の屑と言われる最悪の犯罪者が受ける刑罰だからです。ですからキリストの使徒パウロは、世の屑・滓扱いを受けたお方の僕に徹しなければと、 自分に言い聞かせて、十字架のキリストを宣べ伝え続けたのでしょう。
 
同じコリント教会への手紙一の第3章で、パウロはキリストという土台の上に、各自が金・銀・宝石・木・草・わらで自分の教会という神殿、礼拝共同体を建てていくと言っています。キリストが再び来られる終わりの日に火をもって仕事が吟味されます。だから火に焼かれ、燃え尽きて残らないような仕事をしないようにと、警告しています。では試練にあって燃え尽きてしまう仕事、木や草やわらで家を建てるとは、何を意味するのでしょうか?
 
カトリック教会の信者遠藤周作が、悲哀に満ちたかくれキリシタンについて、このように書いています。「我が身を守るために、毎年一回の踏み絵を役人たちの前で踏み、村に戻ると“おテンペンシャ”と呼ばれる鞭で自分の体を打ちたたき、こうして生きる悲しさを神に訴え、罪の赦しを乞いながら、それでも生き抜いてくれたからこそ、信仰が今日の私たちに繋がっているのではなかろうか」
 
このようなかくれキリシタンを、遠藤周作はキリストの土台の上に木や草やわらで家を建てた信者と言っているのでしょう。しかし3章15節をご覧下さい。パウロはその人でも「火の中をくぐり抜けて来た者のように、救われます」と言っているのです。何故ならば彼らの 信仰も、キリストという土台の上に営まれた信仰だからです。そして十字架のキリストなら、そんな彼らをも必ずや受け入れてくださると、パウロは信じていたからではないでしょうか。
 
マタイ福音書20章に「ぶどう園の労働者のたとえ」があります。主人が夜明け、多分6時頃、町の広場で労働者を雇いました。9時、12時、3時にも広場に行って、立ちんぼしている人を雇いました。午後5時にも仕事にありつけなかった人を雇いました。日暮れの6時、夕方の1時間しか働かなかった人から順繰りに、皆同じ1デナリの賃金が渡されました。当然12時間働いた者たちから不満が出ました。実に不合理な話です。こんなことが毎日行なわれたら、朝早くから働きにくる労働者など居なくなるでしょう。ぶどう園はつぶれます。
 
しかしこの主人は5時まで仕事を待ち続けた人辛さ、悲しさを知っていたのです。彼も家族を食べさせるお金が必要なのですから。夜明けから暑い中を辛抱強く12時間も働いた人たちは勿論立派です。彼らのおかげでぶどう園の仕事がはかどりました。パウロの言葉で言えば、金・銀・宝石にたとえられる仕事をやったのです。でもイエス・キリストは、わらの仕事しか出来なかった人にも目を注ぎ、心を寄せて、受けとめくださる神さまの姿をお示しになったのでした。
 
一番弱い者、一番惨めな低い者を見過ごしにせず、寄り添って下さる神さまの愛、それをそのままキリストの十字架が現わして下さったのでした。だからパウロは、コリント教会の人たちにこう書き送ったのでした。「だれかが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか。だれかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか。 誇る必要があるなら、わたしの弱さにかかわる事柄を誇りましょう」(Ⅱコリント112930
 
[] キリストの教会で大切にされる心
日曜礼拝を最優先にして守って下さる教会員が核になって、真剣で豊かな礼拝 共同体が建て上げられていきます。役員として役割を担って下さる、或いは様々な委員として伝道活動を担って下さる教会員がいなければ、教会の証は社会に拡がっていきません。また献金によって財政を支えることがあって、牧師・スタッフの給料、建物の維持管理、集会や活動が実施出来るのです。このような教会員の働きがあって、渋谷教会という神の神殿、礼拝共同体が、建て上げられ、活動が拡大していきます。
 
しか私たちは、教会の土台であるイエス・キリストが、世の屑・滓といわれる十字架につけられたキリストであることを、しっかりと心に留めておく必要があります。キリストは世の屑・滓といわれる者に身を寄せ、心を寄せて生きられましたから、十字架で死なれたのでした。
 
私たちが生きているこの社会では、夕方に1時間しか働かなかった者に12時間働いた者と同じ賃金を払うなどという事は通用しません。しかしキリストの教会は12時間働けた者が、1時間しか働けなかった者に寄り添って、悲しみや喜びを共有することを、何よりも大切にする神の神殿でありたいものです。ここに教会の一致の要があるのです。
 
そのために牧師としての私も、パウロと同じように、自分が弱い者、愚かな者、侮辱される者であって当然だという自覚をもって、教会にお仕えしなければと改めて反省させられました。
 
牧師就任式でのお祝いの言葉に戻ります。「牧師先生を中心にして教会が発展していきますように」教会の一致の要は牧師ではありません。コリント教会の創設者パウロは申しました。教会の土台は十字架のキリスト。ですから教会一致の要も十字架のキリストです。牧師は船長ではありません。船底で懸命に船を漕ぐ漕ぎ手の一人に過ぎません。この説教を準備しながら、私自身がこの自覚を新にさせられました。このような機会を与えてくださった渋谷教会の皆さまに、心から感謝いたします。
 
パウロはコリント教会に書き送りました。「だれかが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか。だれかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか」(コリント二1129
 
教会内ばかりでなく私たちが暮す社会ででも、この心が何よりも大切にされなければと思います。そしてそれがキリストを信じる私たちの責任ではないでしょうか. 
                               完 

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