日本バプテスト川越キリスト教会 Baptist Kawagoe

加藤享牧師,山下誠也協力牧師の礼拝説教・教会週報のメッセージ、イベント・行事案内

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2013年6月23日川越教会
        心で結ばれる新しい契約(前半) 
                   加藤 享
 
[聖書] エレミヤ書31章31〜34節
見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。この契約は、かつてわたしが彼らの先祖の手を取ってエジプトの地から導き出したときに結んだものではない。わたしが彼らの主人であったにもかかわらず、彼らはこの契約を破った、と主は言われる。しかし、来るべき日に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。そのとき、人々は隣人どうし、兄弟どうし、「主を知れ」と言って教えることはない。彼らはすべて、小さい者も大きい者もわたしを知るからである、と主は言われる。わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない。
 
[] 過去を振り返り
 米国のロスアンジェルス近郊で暮している長女かおりと孫のサブリナが夏休みで4年振りにやってきました。サブリナは近所の月越小学校3年1組に2週間の体験入学の機会を与えられました。水曜日が参観日でしたので、1時間目国語の授業を参観しました。小学校の教室に入ったのは30年以上も前のことだったでしょうか。教室自体が廊下との区切りがなく、オープン構造で驚きました。きっと教育内容も私たちの時代とは大きく変わっていることでしょう。
 
 私たちの時代には、学校の校門を入ると、玄関との中間に奉安殿という神社の神殿のような造りの建物があり、天皇皇后の写真と教育勅語が収められていました。誰でもがその前で帽子をとり最敬礼をしなければ厳しく叱られました。歴史の授業は初代神武天皇から昭和天皇まで124代の名前を暗誦することから始まりました。日本は2600年以上も続いてきた万世一系の天皇を戴く世界唯一の素晴らしい国なのだから、この天皇様を神と崇めて忠義な国民にならなければならないと繰り返し教えられました。
 
 時代は15年戦争のただなかで、台湾、朝鮮に続いて、満州、支那、東南アジア、太平洋に侵略を拡大して負け戦になり、遂に沖縄を占領され、原爆二発を投下されて無条件降伏。連合軍の占領支配を受けるに至りました。3ヶ月にわたる沖縄戦の悲劇については先ほどもDVDで学び、祈りを共に捧げたところです。
 
日本は破壊の中から新しい歩みを始めました。政治・経済・そして教育も大きく変わりました。その変化の象徴が戦争放棄を誓った平和憲法の制定でした。しかし戦後68過ぎますと、戦前の歴史観に基づく日本人としての誇りを持て、憲法を改正しろという政治家の声が大きくなってきました。彼らは15年戦争で犯した、他国民に対する数々の恐ろしい罪をどのように反省しているのでしょうか。
 
[1] 神の契約を破った神の民
私たちが今月学んできている旧約聖書の預言者エレミヤも、紀元前1000年に始まるダビデ王国が413年後に滅び、バビロンの捕囚となる歴史的悲劇を経験した一人でした。滅亡に向かう王国の末期に、神の裁きによる国の敗北・破壊を、人々の嘲笑、迫害を受けつつ、孤立無援の中で預言し続けたのです。そして歴史は彼の預言通りになったのでした。
 
旧約聖書に記された神の民イスラエルの歴史アブラハムに始まります。紀元前2000年頃のことで、彼は地上のすべての民の祝福の源となるという神の言葉に従って、文明の発祥地メソポタミア地方からパレスチナ地方に移住しました。三代目ヤコブの晩年に大飢饉が起こり、一族はエジプトに避難します。其処で人口200万の民族に成長しましたが、エジプトの王朝が変わり奴隷扱いを受けるようになりました、そこでモーセの指導の下にエジプトを脱出し、パレスチナに戻ってきます。その途中シナイ山の麓で、神の民として生きる契約書として律法を授けられました。
 
彼らは石の板二枚の記された律法(モーセの十戒)を大切に箱に入れて担ぎ、荒野の旅を40年続けました。そしてダビデ王朝が確立しエルサレムに都を定めると、神殿を建てて神の箱を安置し、朝に夕に礼拝を捧げるようになりました。しかし諸民族との交流が広がるにつれ、彼らの拝む神々をも一緒に拝む者が増えてきました。
 
神さまが結んでくださった契約書十戒が記された石の板が、エルサレムの神殿に安置されていることで、神の特別な民であるしるしのようになってしまい、神の民にふさわしく生きるようにと主なる神さまから与えられているとは思わなくなってしまったのです。こうして、神の民が神の民でなくなっていきました。
 
預言者が次々と立てられ、神の裁きの警告を語りましたが、悔い改めが起こりません。遂に国が滅びるという決定的な裁きを受けることになったのでした。しかし神さまはその時に、エレミヤに30章から33章に記されている言葉を残らず巻物に書き記すようにお命じになりました。それが裁きと滅びの後にもたらされる赦しと救いの預言です。
 
[2] 新しい契約とは
 今日の聖書の箇所をもう一度読み返してみましょう。「見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。 この契約は、かつてわたしが彼らの先祖の手を取ってエジプトの地から導き出したときに結んだものではない。わたしが彼らの主人であったにもかかわらず、彼らはこの契約を破った、と主は言われる。」
エジプトから救い出された時に結んで下さった、彼らを神の民とする契約を、彼らは破って、国が滅びるという厳しい裁きを受ける。しかし見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主はおっしゃるのです。その新しい契約とはどのようなものでしょうか。それは石の板に書き記して、箱の中に納められているだけのものではなく、人々の心にそれを記され、彼らの胸の中に授けられる契約なのだと言うのです。
 
契約の内容が変わるのではなく、律法の与えられ方が変るのです。モーセを通して与えられた時は、石の板に律法が刻まれて、モーセに手渡され、彼が大切に山から持ち帰って、民たちに読み聞かせました。しかし来るべき日に主なる神がイスラエルの家と結んでくださる契約は、「律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心に記す」ことにより、主が彼らの神となり彼らは神の民となるのだと、エレミヤは語りました。
 
「胸の中」とは原語は「内部」で新改訳は「彼らの中に置き、彼らの心にこれを書き記す」フランチェスコ会訳は「彼らの内面にわたしの掟を置き、彼らの心にそれを書き記す」この箇所は新約聖書のヘブライ人への手紙8章10節にも引用されています。「わたしの律法を、かれらの思いに置き、彼らのにそれを書きつけよう」これを英語の欽定訳では「思い」をmind(知性、理性、考え)、「心」をheart(心、愛情、勇気)と訳しています。すなわちmindheartで、人間の人格的内面性を現している表現だということが分かります。
 
律法が外側から強制されるような与えられ方ではなく、私たちを内面から揺り動かす力として与えられるということでしょう。エルサレムの立派な神殿の至聖所の箱に安置されている律法に代わって、神の民一人ひとりの人格的内面に授けられる律法、これを新しい契約と言うのでしょう。
                         (後半へ)

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