日本バプテスト川越キリスト教会 Baptist Kawagoe

加藤享牧師,山下誠也協力牧師の礼拝説教・教会週報のメッセージ、イベント・行事案内

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201377日川越教会
         人を生かす言葉(前半)  
                加藤 享
 
[聖書] エゼキエル書28節〜3章4節
  人の子よ、わたしがあなたに語ることを聞きなさい。あなたは反逆の家のように背いてはならない。口を開いて、わたしが与えるものを食べなさい。」わたしが見ていると、手がわたしに差し伸べられており、その手に巻物があるではないか。 彼がそれをわたしの前に開くと、表にも裏にも文字が記されていた。それは哀歌と、呻きと、嘆きの言葉であった。
 彼はわたしに言われた。「人の子よ、目の前にあるものを食べなさい。この巻物を食べ、行ってイスラエルの家に語りなさい。」わたしが口を開くと、主はこの巻物をわたしに食べさせて、 言われた。「人の子よ、わたしが与えるこの巻物を胃袋に入れ、腹を満たせ。」  わたしがそれを食べると、それは蜜のように口に甘かった。主はわたしに言われた。「人の子よ、イスラエルの家に行き、わたしの言葉を彼らに語りなさい。
マタイによる福音書4章1〜4節
さて、イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた。そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。 すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」
 
[] 聖書を通読する恵み
  聖書は、旧約聖書39巻と新約聖書27巻、合計66巻の文書から成り立っています。内村鑑三は聖書研究の著述活動を通して、聖書の信仰を大勢の日本人に紹介した功労者ですが、こう述べています。「聖書66巻を通読してみて、我々は明白な一事の印象を得る。それは、救われる道はイエス・キリストによる以外、天下になしということである」
 
救い主キリストが来りたもうことを待ち望みつつ、歴史の中で生きた人々の信仰の証を書き記した旧約聖書。ナザレのイエスとしてこの世に来て下さった救い主と出会って救いにあずかった者の証しと、救い主が新しい天地をもたらして下さる終末の黙示録新約聖書です。私たちはとかく新約聖書に偏りがちですが、旧約聖書をも努めて読んで、イエス・キリストを信じる信仰を豊かにしていきたいものです。
 
私たちは聖書教育のカリキュラムに従って、教会学校で聖書を学んでいますが、今年は5月から11月までの7ヶ月間、旧約聖書を読むことになっています。それによって、イエス・キリストを救い主とする聖書の信仰が豊かにされることを期待しています。さて5月のイザヤ書、6月のエレミヤ書に続いて、今月は同じ預言書エゼキエル書です。エゼキエル書も48章ありますから、4回の日曜ではごく限られた部分しか学べません。この機会にご自分で一応通読なさることをお勧めします。
 
[] 人はパンだけで生きるものではない
 イエス・キリストは、救い主としての働きを開始される前に、荒野で40日間の断食の祈りをされました。その時、悪魔から三つの誘惑を受けました。その第一が「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ」主イエスはお答えになりました。「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」(マタイ福音書4:4)
 
 私が青年時代に私の牧師から繰り返し聞かされたお話の一つ。明治時代の日本のキリスト教会の指導者の一人植村正久牧師は、徳川幕府の旗本の家の出身でした。靖国神社近くの富士見町教会牧師を長く勤められました。名古屋で特別伝道集会の奉仕をされた時のことです。或る金持から大層立派な食事のもてなしを受けました。先生は出されたご馳走を喜んで全部平らげた後で、「しかし○○さん、貴方は毎日このようなご馳走を食べておられるのですか?貴方は豚だねー」と言ったそうです。
 
 もてなした挙句に「豚だねー」などと言われたら、普通の人なら腹を立てるところですが、さすがに大きな商売をしている人物です。「先生。それはどういう意味でしょうか?」と静かに質問したそうです。「そうでしょう。毎日うまい物をたらふく食べて満足しているだけなら、豚と変りないでしょう。『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』 神の口から出る一つ一つの言葉に養われてこそ、人間ではないでしょうか」と植村先生はおっしゃったそうです。
 
 その金持は「本当にそうだ」と心を打たれ、それから聖書を読み、教会に通い始めて、立派なクリスチャンになったそうです。「しかし、貴方は豚だねー」私もご馳走に満腹した時、この声が聞こえてくるような思いになる時があります。人間食べ物がなければ、どんな人でも死んでしまいます。生きていく上で食べ物は絶対に必要です。ですから主イエスも「人はパンで生きるものではない」とはおっしゃっていません。「人はパンでだけで生きるものではない」とおっしゃったのです。
 
 貧しい人々に食べ物を豊かに与えることで、世界を救うキリストであることを現したらどうかという声。この声は今でも強力に響いてきます。そこらにごろごろしている石を次々とパンに変えて配ったら、主イエスはたちどころに、世界中の人々から「世界を救う王の王」として崇められることでしょう。しかし経済が豊かになれば、それで人間は皆幸福になるかというと、そうではありません。日本でも経済が復興し学校の校舎が新しく立派になったら、生徒が荒れ始め、いじめ、不登校、自殺という深刻な教育問題が起こってきたのでした。経済的に豊かになるだけでは, 私たち人間は幸福にならないのです。
  (後半へ)

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