日本バプテスト川越キリスト教会 Baptist Kawagoe

加藤享牧師,山下誠也協力牧師の礼拝説教・教会週報のメッセージ、イベント・行事案内

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2013818日川越教会
       たといそうでなくても (前半)   
                               加藤 享
[聖書] ダニエル書3章13〜30節
  これを聞いたネブカドネツァル王は怒りに燃え、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴを連れて来るよう命じ、この三人は王の前に引き出された。王は彼らに言った。「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴ、お前たちがわたしの神に仕えず、わたしの建てた金の像を拝まないというのは本当か。 今、角笛、横笛、六絃琴、竪琴、十三絃琴、風琴などあらゆる楽器の音楽が聞こえると同時にひれ伏し、わたしの建てた金の像を拝むつもりでいるなら、それでよい。もしも拝まないなら、直ちに燃え盛る炉に投げ込ませる。お前たちをわたしの手から救い出す神があろうか。」
  シャドラク、メシャク、アベド・ネゴはネブカドネツァル王に答えた。「このお定めにつきまして、お答えする必要はございません。わたしたちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手からわたしたちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。 そうでなくとも、御承知ください。わたしたちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません。」
  ネブカドネツァル王はシャドラク、メシャク、アベド・ネゴに対して血相を変えて怒り、炉をいつもの七倍も熱く燃やすように命じた。そして兵士の中でも特に強い者に命じて、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴを縛り上げ、燃え盛る炉に投げ込ませた。 彼らは上着、下着、帽子、その他の衣服を着けたまま縛られ、燃え盛る炉に投げ込まれた。王の命令は厳しく、炉は激しく燃え上がっていたので、噴き出る炎はシャドラク、メシャク、アベド・ネゴを引いて行った男たちをさえ焼き殺した。 シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの三人は縛られたまま燃え盛る炉の中に落ち込んで行った。
  間もなく王は驚きの色を見せ、急に立ち上がり、側近たちに尋ねた。「あの三人の男は、縛ったまま炉に投げ込んだはずではなかったか。」彼らは答えた。「王様、そのとおりでございます。」王は言った。「だが、わたしには四人の者が火の中を自由に歩いているのが見える。そして何の害も受けていない。それに四人目の者は神の子のような姿をしている。」 ネブカドネツァル王は燃え盛る炉の口に近づいて呼びかけた。「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴ、いと高き神に仕える人々よ、出て来なさい。」すると、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴは炉の中から出て来た。総督、執政官、地方長官、王の側近たちは集まって三人を調べたが、火はその体を損なわず、髪の毛も焦げてはおらず、上着も元のままで火のにおいすらなかった。
ネブカドネツァル王は言った。「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をたたえよ。彼らは王の命令に背き、体を犠牲にしても自分の神に依り頼み、自分の神以外にはいかなる神にも仕えず、拝もうともしなかったので、この僕たちを、神は御使いを送って救われた。わたしは命令する。いかなる国、民族、言語に属する者も、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をののしる者があれば、その体は八つ裂きにされ、その家は破壊される。まことに人間をこのように救うことのできる神はほかにはない。」こうして王は、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴをバビロン州で高い位につけた。
 
[] 信仰の証
 ダニエル書第1章では、捕囚になってバビロンに連れて行かれたダニエル達4人の少年が、宮廷の豊かな食事を食べず、野菜と水だけで3年間を過ごして、他のどの少年よりも秀でた青年に成長し、王のそば近くに仕えるようになった信仰の強さを学びました。第2章では、繰り返し見る夢に恐れをなし、心が混乱した王の諮問に答えて、その夢の意味を明快に解いたダニエルが、彼の前にネブカドネツァル王の方が思わずひれ伏して「あなたたちの神は、まことに神々の神、すべての王の主」と言わせています。そして今日の3は、ダニエルの3人の友人シャドラク、メシャク、アべド・ネゴの信仰の証です。
 
[1] 燃え盛る火の炉を畏れない信仰
 王は自分の絶大な権力を誇るために、都の近くの平野に高さ27m、幅2.7mの巨大な金の像を建て、楽器の合図とともに、家来はいうに及ばず、諸国、諸族、諸言語の人々も皆ひれ伏して拝むように命じました。拝まない者は直ちに燃え盛る炉に投げ込まれます。しかしシャドラク、メシャク、アべド・ネゴは拝もうとしませんでした。ユダヤ人でありながら高い地位についている彼らを妬む家来たちは、早速3人を中傷して王に訴えました。
 
 王は怒りに燃え、彼らを呼び出しで申しました。「もし拝まないなら、直ちに燃え盛る炉に投げ込ませる。お前たちをわたしの手から救い出す神があろうか」しかし3人は静かに きっぱりと答えました。「わたしたちのお仕えする神は、その燃え盛る炉の中から、わたしたちを 救うことができる神さまです。また王よ、あなたの手からわたしたちを必ず救ってくださいます。  たといそうでなくても、御承知ください。わたしたちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません。」
  
ネブカドネツァル王は血相を変えて怒り、炉をいつもの七倍も熱く燃やすように命じて、彼らを、上着、下着、帽子等の衣服を着けたまま縛り上げ、7倍も熱くした燃え盛る炉に投げ込みました。ところが間もなく王は驚いて立ち上がり、叫びました。「四人の者が火の中を自由に歩いているのが見える。そして何の害も受けていない。それに四人目の者は神の子のような姿をしている。」
 
王は燃え盛る炉の口に近づいて呼びかけました。「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴ、いと高き神に仕える人々よ、出て来なさい。」 炉の中から出て来た3人を調べましたが、火はその体を損なわず、髪の毛も焦げてはおらず、上着も元のままで火の匂いすらしません。ネブカドネツァル王は言いました。
 
「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をたたえよ。彼らは王の命令に背き、体を犠牲にしても 自分の神に依り頼み、自分の神以外にはいかなる神にも仕えず、拝もうともしなかったので、この僕たちを、神は御使いを送って救われた。わたしは命令する。いかなる国、民族、言語に属する者も、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をののしる者があれば、その体は八つ裂きにされ、その家は破壊される。まことに人間をこのように救うことのできる神はほかにはない。」 こうして王は、 彼らをバビロン州で高い位につけたのでした。
 
シャドラク、メシャク、アベド・ネゴは絶大な権力を誇る国王に向かって、「神さまは、燃え盛る炉の中から私たちを救い出すことがお出来になる方です。ですから王の手からも必ず救ってくださいます。しかしたといそうではなく、この身が焼き殺されるとしても、それは神さまがそうお考えになってなさることですから、それをよしとして受け入れます。神さまに対する私たちの信仰は変わりません」 と言い切っています。何と素晴らしい信仰でしょうか。私たちの多くは、目先の危機から逃れる手段として、神仏に手を合わせて、助けを祈り願います。かなえられなければ、信じるに値しない神仏、無力な神仏と見限り、他の宗教に移っていきます。どちらが真の信仰でしょうか。
 
[2] 日本人が神の名でやったこと
 去る15日は我が国の敗戦記念日でした。政府主催の全国戦没者追悼式での安部首相の式辞には、「加害責任についてふれていない」と新聞は大きな見出しで報道していました。
私は先週福岡新生教会の世界宣教リバイバル聖会に出席して来ましたが、そこで日本の 朝鮮支配で殉教を遂げた牧師の息子さんが書いた、両親が拷問された記録を読みました。
今日の週報の巻頭言に一部分を紹介しておきましたので、ぜひお読みください。
 
 ここでは、40年前によく読まれた安利淑さんの自伝「たといそうでなくても」(待晨社)の初めの部分をご紹介します。ダニエル書と丁度同じ事件が起こったと書き始めています。
 
 「あの時と同じように、日本人はその八百万(やおよろず)の神々を偶像化して、それを全東亜に強制的に広めるために、都市や郡や村々にまで一番高くよい場所に日本の神社を建てて、官吏たちに強制参拝させた。そして学校や官庁や各家庭に至るまで、神棚を配り、強制的に拝ませた。ついには教会の聖壇にまで神棚が置かれた。クリスチャンたちが礼拝する前に、先ず日本の神棚に最敬礼をさせるため、刑事を教会に配置した。日曜日になると各教会で刑事達が鋭い目を光らせて、信者の行動を監視していた。時には制服の警官が聖壇に上って見下ろしながら、煙草を口にくわえて目を光らせていた。
 
もし牧師が反対するか、不遜な態度に出たら、すぐに引き立てて行き、耐えきれない拷問にかけて半殺しにするのであった。そしてその家族には配給を全然やらずに飢えさせ、虐待を重ねていく。このために人心は乱れ、弱い者は日本人の犬となって、日本人よりももっと悪辣になり、強い者は殺された。一般民は日本人を悪魔のように恨み、呪うように  なった。―――気をつけ!まことの生き神さまであらせられる天皇陛下と、天照大神あまてらすおおみかみ)と、皇大神宮八百万の神に向かって最敬礼!」安さんは女学校の教師として集団参拝の時に最敬礼せず、彼女の逃亡生活が始まったのでした。
 
 この本の序文で酒枝義旗先生が、「信仰不信仰戦いこそ世界史最大のテーマだ」というゲーテの言葉を引用してこう述べています。「神は実在して歴史の歩みを導き、また信じる者一人ひとりの生涯を顧みたもう方であるのか、それともキリスト信者だけが抱いている一種の信念、または思想に過ぎないのか。この本は数千年前にアブラハムを選び導き給うた神が、今もなお変わることなく信じて従う者を、どんな時にも愛し、慰め、教え、導き、すべてを益にして下さる生ける神であることを、数々の体験を通じて証している。」
             (後半へ続く)

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