日本バプテスト川越キリスト教会 Baptist Kawagoe

加藤享牧師,山下誠也協力牧師の礼拝説教・教会週報のメッセージ、イベント・行事案内

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20131117日川越教会
いと小さき者から(後半)
[2] 終わりの日の約束
 神さまが創造された世界は、悪のない楽園でした。楽園の中央に命と善悪を知る木とが一体となって植えられていました。神さまはこの木の実だけは食べてはならないと、園を  管理するアダムにお命じになりました。善悪の判断は神が下す命は神が与える。人が勝手にしてはならないという、神さまの命令です。そうです。善悪の基準は一つでなければなりません。人がそれぞれ自分で善悪を決めるから、人よって善と悪が異なり、そこで衝突、争いが起こるのです。命も人が勝手にしてはなりません。
 
しかしアダムとエバは禁じられていた木の実を食べてしまいました。アダムとエバの家庭に兄が弟を殺すという殺人事件が起こりました。楽園は失われてしまったのです。神の 創造された世界が、今日このようになってしまったのです。預言者たちは、人の犯す数々の罪神の裁きを厳しく預言します。滅びを語ります。しかし同時に、歴史の究極、終わりの日に神さまが備えておられる平和をも明らかにしました。それがイザヤやミカが語った「終末の平和」「終わりに日の約束」です。
 ここで示されているのは、世界中の人が、主が示される道を歩もうとして、神さまの許に集まって来るということです。神さまが善悪を示して、争いを裁き、戒めてくださるならば、戦争で決着をつけることがなくなります。剣も槍も核兵器もいらなくなります。皆で生産に励み、仲良く分け合い助け合って暮していけます。皆さん、このほかに究極的平和の道があるでしょうか。
そこで大切な課題となるのが、では神さまの御心をどのように聞き取っていくかです。
イザヤは「エッサイの株から一つの芽が萌えいで、その根から一つの若枝が育ち、その上に主の霊がとどまる」という言葉で、ダビデの子孫から、弱い人のために正当な裁きを行い、貧しい人を公平に弁護する平和の主の誕生を予言しました。(イザヤ11:1〜10) 一方ミカは、「エフラタのベツレヘムよ お前はユダの氏族の中でいと小さき者。 お前の中から、わたしのために イスラエルを治める者が出る。」(5:1)と預言したのです。
 エフラタはベツレヘムの古い名前です。ですから昔はエフラタと呼ばれたベツレヘムと言うことです。ダビデ王の出身地です。ユダヤの人たちにとっては、世界を救う救世主はダビデ王のような方と思う人が多かったのでしょう。人々はダビデ王の子孫からということで、ダビデの輝かしい栄光を期待しましたが、しかしイザヤの預言は、弱い人、貧しい人を正義と公平で守るお方でした。またミカの預言では、ユダの氏族の中で最も小さい者という視点でベツレヘムが選ばれ、平和の王が生まれ出ると、予言されたのでした。
 
こうして、世界に究極の平和をもたらす王は、世の貧しい者、弱い者を守るために、最も小さな町から誕生するお方という神さまの御心が、預言者イザヤ、預言者ミカを通して示されたのでした。
[3] 権力者の実の姿
 私たちは、来月になりますとイエス・キリストのお誕生を祝うクリスマスを迎えます。  東の国の占星術の学者たちが、不思議な星の光に導かれ、ユダヤに新しい王が誕生したと信じて、エルサレムの王宮を訪れました。ヘロデは王である自分の他に、新しい王が誕生したとすれば、それは救世主メシアに違いないと思い、祭司長や律法学者たちに尋ねました。彼らは直ぐに聖書から、「それはベツレヘムです」と言って、ミカの預言を示しました。これほどミカの預言は、ユダヤの人々にしっかりと受けとめられていたのですね。
 博士たちは、再び星に導かれて小さな町ベツレヘムへ向かい、貧しい馬小屋で誕生したイエス・キリストをひれ伏して拝み、黄金・乳香・没薬の贈り物を献げて、喜びにあふれて  帰っていきました。しかし聖書のミカ書によって、キリスト誕生の場所を確認したヘロデ王祭司長律法学者たちも、そのまま都の王宮や神殿に留まって、貧しい救い主の誕生を拝もうとはしなかったのです。
 それどころか、ヘロデ王はベツレヘムとその周辺で誕生した2才以下の男の子を殺しています。祭司長や学者たちは、やがて成長して神の国の到来を宣べ伝える救い主イエス・キリストを、神を冒涜する危険人物として逮捕し、十字架にはりつけて殺してしまいました。これが権力者の実の姿なのでした。
この世の権力者たちは、手に入れた権力、特権をいつまでも持ち続けることに汲々とします。自分の地位を脅かす者は、権力をふるって打ち倒し、我が身の安泰をはかります。これでは、争いが絶えません。平和はもたらされません。神さまが世界を創造された時、この世界は楽園でした。神さまが善悪をお裁きになり、皆はそれに聞き従ったからです。全ての者が皆、神さまの裁きに聞き従う――これこそが楽園の原則です。
 ですから、イザヤもミカも究極の平和は、世界中の人々が、主の示される道を求めて集まって来る。そして主が争いを裁き、強い国を戒められる時、「剣は鋤に、槍は鎌に打ち直され、戦いはなくなる」と語ったのでした。では、神さまの裁きとは、どのようなものなのでしょうか。 
[結] 天国をつくる心
 イエス・キリストは、終わりの日に天国へ迎えられる人について、マタイ福音書2534節以下で、こう語られました。「『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。 お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。 いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』
 報いを求めず、最も小さい者に食べものを与え、一杯の水を飲ませ、宿を貸し、着物を分け与え、病床を見舞い、故なく牢に入れられた人を慰めた人が、天国に迎えられるのです。イエスさまは、この世の最も小さい者を私の兄弟とおっしゃいました。私たちの世界では、小さな者、弱い者は見向きもされません。力ある者、大きな者ほど大事にされます。理想に燃えた若き医師徳田虎雄さんも、必死になって衆議院議員という権力者になり、重んじられて、徳洲会病院を350も全国につくる大物になりました。そして75才の今、事業を大きくすることで身に負ってしまった悪を、裁かれる身となったのです。
 天国を備える神さまの御心は、最も小さい者、弱い者を大切にし、共に寄り添って生きていく心こそ天国をつくる心だとおっしゃっておられるのです。ですから最も小さな町ベツレヘムを選んで、救い主を誕生させたのです。貧しいナザレの大工の息子イエスとして成長し、貧しい者、弱い者の友として福音を語り、権力者の悪に負けて十字架に殺されながら、天国を創り上げる神の愛の勝利、本当の平和への道筋をお開きになったのでした。
この世の最も小さい者、弱い者の中に、世界の平和があるのです。神さまはクリスマスを通して、最も小さい者、弱い者こそ大切にすることから、世界の平和を創りだしていくようにと、訴えておられるのです。最も小さい者をわたしの兄弟であるとおっしゃる神の子イエスさまのお言葉・天国をつくる心を、私たちの心にしっかりと受けとめて、自分の人生を選び取り、生きていき参りましょう。    完

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