日本バプテスト川越キリスト教会 Baptist Kawagoe

加藤享牧師,山下誠也協力牧師の礼拝説教・教会週報のメッセージ、イベント・行事案内

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(前半からつづき)

[3]平和のオアシス
イスラエルでは、イスラエル人とパレスチナ人との紛争が止みません。オバナ大統領の就任式直前にも、イスラエルはガザへの爆撃・砲撃を繰り返し、大勢を殺害しました。双方の憎しみは増幅して、赦し合いの兆しは見られません。

ところがそのパレスチナに平和のオアシスというユダヤ教徒、イスラム教徒、キリスト教徒が一緒に暮らす共同体があるのです。1970年にフサ神父の呼びかけで誕生しました。そこでは大事にされていることが二つあります。一つは同数でという原則です。スタッフはユダヤ人・パレスチナ人が同数で、ヘブライ語とアラビヤ語が併せて使われています。習慣や宗教等の違いで摩擦が生じると、双方同数の者の対等な話し合いで解決を計ります。

第二の原則はお互いの文化・習慣・信仰を尊重し合い、どちらかに同化させないこと。そこで子供への母国語教育を大事にします。そして自分の民族の文化をしっかり学ばせ、自分が本当の自分になっていくこと(アイデンティティの確立)を教育の基本原理にしています。その上で自分たちと違う相手を理解し尊重し合おうというのです。自分が自分になっていくことで、違う民族が一緒に仲良く暮していくようになるという理念です。

キリスト教こそ最高の宗教だという優越感に立って、他を見下しているならば、相互の理解やまして納得や一致は生まれてこないということを、私たちは肝に銘じなければなりません。

[4]日本の栄光と誉れ
さて私たちは歴史の未来に何を見ているでしょうか。神さまが備えて下さっている新しい天と地、神の都の黙示をもって私たちの聖書は終っています。人間、理想を抱き、その実現を目指して生きていかなければなりません。歴史の究極に、理想の世界を見、何とかしてその実現に向かって励む時に、歴史は進歩していくのです。私たち日本人はどのような歴史の究極を見つめて、励んでいるのでしょうか。

ヨハネ黙示録21章24節をご覧下さい。「諸国の民は、都の光の中を歩き、地上の王たちは、自分たちの栄光を携えて、都に来る。」26節をご覧下さい。「 都の門は、一日中決して閉ざされない。人々は、諸国の民の栄光と誉れとを携えて都に来る。」

地上の王たちも、諸国の民も、それぞれの栄光とほまれとを携えて集まって来るのが、歴史の究極・神の都だと記されています。自分たちの栄光と誉れです。日本人がアメリカの栄光と誉れとを携えて行くのではありません。日本人は日本の栄光と誉れを携えて神の都に入るのです。では私たちはどのような栄光と誉れを携えて行くのでしょうか。

シンガポールの有名なお寺のお祭りに行った時のことです。バスの停留所を降りて、多分この道だろうと思いながら、念のために中国系の人に尋ねました。すると彼は私の顔をまじまじと見てこう言いました。「日本人か?僕は去年日本を訪ねた。京都・奈良の神社仏閣を見て回った。本当に素晴らしかった。それに比べたら、シンガポールのお寺はケバケバしていて玩具同然だ。恥ずかしいよ。がっかりするから行くな、行くな」とそれは真剣に私たちを引き止めようとしました。本当にそうでした。仏教国といわれるタイもミャンマーもそうですが、仏像がやたらに大きくて金ぴかです。それに比べると、日本の古い神社仏閣は、周囲の美しいし自然と一体になり、調和しながら歴史の年月を経た静かな美しいただずまいです。

建物といい、そこに安置されている像をはじめ数々の芸術的調度品、それを創り出していった職人の技能、行なわれてきた伝統的祀りや行事等といい、世界中から集まる人々を感動させています。私は日本人が神の都に携えていく栄光と誉れの大事な部分として、このような神社仏閣を創り上げてきた文化・伝統があると思っています。

私は剣道を続けて来ましたが、シンガポールでも日本人学校の道場で週二回稽古をしていましたら、シンガポール人が少しずつ増えてきて、学生たちが自分の大学や高専に剣道部を作りたいというので応援しました。週5回250人位のシンガポール人に教えるようになったでしょうか。湿度の高い暑い国で、面をかぶり胴・小手等の防具をつけて汗まみれになる剣道の稽古にどうして惹かれるのでしょうか。「日本の文化を知りたい。日本人の心にふれたい。」日本の心というとサムライなのです。映画を観てチャンバラのかっこよさもあるでしょうが、やはり日本文化がもっている礼儀作法、命を投げ出して信義に生きる真心を形に現した剣道の美しさに惹かれるのですね。

クリスマスにシンガポールの銀座通りオーチャードで、キリスト教諸団体が参加するパレードが行なわれるようになりました。私たちの教会は浴衣姿で賛美歌を歌いましたが、何分人数が少ないので剣道の女子生徒たちに加勢してもらいました。彼女たちは剣道着姿もりりしく防具を着けて、日本人グループの周りを囲んで、木刀による剣道形の演技をして、大好評を拍しました。私はアジアの剣道仲間と剣道着姿で神の都を行進したいなと思っています。

[5]神の都に入る唯一の条件
それぞれの民族が自分たちの国の歴史の中で育てた栄光と誉れを携えて集って来ます。世界の様々な文化を携えて集まって来るのです。文化と共に様々な宗教も携えられて来ます。それでいて宗教の違いから生じるあつれきや紛争が起こらない所が、神の都なのです。
そのためには、大切な条件が必要です。それが27節です。

「しかし、汚れた者、忌まわしいことと偽りを行う者はだれ一人、決して都に入れない。小羊の命の書に名が書いてある者だけが入れる。」
神さまが備えて下さっている新しい天と地、神の都には、悪が一切ないのです。汚れた者・忌まわしいしいことと偽りを行なう者とは、だれ一人決してはいれないのです。一人でも泥棒が入り込んだら、もう安全ではなくなります。妬み争いを惹き起したり、頭にきたといって殺人を犯す者が出たら、血が流されて、この世と同じになってしまいます。

ですからイエスさまがこの世に来てくださって、十字架にかかり「神さま、私が罪の一切を引き受けて死にますから、全ての者の罪を赦し、取り除いて下さい。私の流す血によってこの者たちを罪なき者として迎え入れてください」と祈って、死んで下さったのでした。ですから私たちは世界の友たちにこう訴えていかねばなりません。

「清くなっていますか? ガンジス川に身を沈めて、心まで清くなりましたか?日本人の皆さん、白装束で滝に打たれたり、水ごりをしただけで、心の中が清められましたか?イエス・キリストはあなたのために十字架で血を流して死んでくださいました。天の入り口で、主イエスが待ち受けてくださっています。もしも汚れていて入城を拒まれたら、「主イエスよ,ありがとうございます。どうぞよろしく」と言って、清めの言葉を頂いて、お入りください。主イエスはどんな人でも喜んで命の書に名を書き記して、迎えてくださいますから」と伝えていけばよいのではないでしょうか。

イスラム教徒は善い行いを積もうと実によく励みます。死んだ時に運動会の玉入れみたいに、一生の間になした善い・悪いを一つ二つと数え上げられます。そして善い業が尽きて一つでも悪の業が多ければ、地獄行きになるのです。ですから死んでみなければ、天国行きか地獄行きか分からないのです。但し殉教の死を遂げるならば、本人ばかりでなく一族が天国行きを保証されるので、自爆テロの志願者が絶えないし、家族も殉教者が出ることを歓迎するのだそうです。でも神の都に入った後で、自分の信仰のために自爆テロをされたのでは、天国が地獄になってしまいます。自分ひとりを善しとして、他を否定してしまう悪は、決して持ち込んでもらっては困ります。その悪をどうしても清めてもらわなければならないのではないでしょうか。

[結]インドネシアの大切さ
私が連盟の国外伝道委員長時代に、アジア諸国に日本から宣教師を送り出すためにアンケートを出しました。そして宣教師を希望すると返事があった国を訪問して派遣地を絞り、最後にインドネシアの連盟と宣教協約を結んで、浅見夫妻、続いて木村一家を送り出しました。

インドネシアは人口2億人、その80%はイスラム教徒、10%がキリスト教徒でした。一つの国に1億6000万人ものイスラム教徒が居る国は、他にありません。世界最大のイスラム国です。しかもイラン、イラクのシーア派とは違い、スンニ派で温和な信仰なのです。またキリスト教徒も2000万人以上もいるのです。これまた大変な人数です。浅見さんはスマトラ島ランポンの農村地域で伝道しました。木村夫妻はジャワ本島の東部セマランの神学校で牧師養成の働きと、イスラム教徒と手を取り合って平和な国つくりを目指す働きをしました。浅見さんは健康を害して引き揚げて来ました。木村さんはインドネシアの保守的な一部の牧師に嫌われ、 日本の連盟は解任してしまいました。インドネシアは東南アジア第一の大国です。そして 世界で一番のイスラム大国です。クリスチャンも大勢いるのですから、ここでの共存・共生が世界のこれからに大きな指針を与えるに違いありません。日本からの宣教師が複数送られるべき国だと、私は信じています。

もしも野口牧師一家が行ってくださったら大いに喜ばれるでしょう。博士号を持つ神学校教師が強く求められているからです。セマランの神学校は、将来指導的な働きを期待されている牧師を養成していますから、インドネシアのバプテスト教会に大きく貢献できます。木村先生のために建てた住宅がそのまま残っています。野口先生が早く聖学院大学の博士論文を仕上げて下さるよう、どうか多摩川教会の皆さんもご協力下さいますよう、切にお願いします。彼は西南の神学部からアメリカの神学校に転校して卒業しました。将来宣教師として働く召命を受けたので、その備えとして英語圏に出て行ったのだそうです。私も野口牧師の召命の実現に、微力を尽くしたいと願っております。

マザー・テレサはカルカッタの路上に倒れて死んでいく貧しい人たちを修道院の施設に運び込み、体を洗い、食べ物を与え、祈りをこめてお世話しました。そしてその人の宗教で葬式を営んで、天国へ送り出しました。彼女はこの人たちが皆天国に迎えられると信じて送り出しました。この最も小さい者と一体になってくださっているイエスさまを彼らの内に、はっきりと見ていたからです。イエスさまの弟子になるとは、この信仰にたって、イエスさまの業をしていくことではないでしょうか。この世での宗教が違っても、このイエスさまの心を持ち、イエスさまにならって、愛の業に励む者がイエスさまの弟子なのだと、私は信じています。  


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