日本バプテスト川越キリスト教会 Baptist Kawagoe

加藤享牧師,山下誠也協力牧師の礼拝説教・教会週報のメッセージ、イベント・行事案内

全体表示

[ リスト ]

[聖書]マタイによる福音書13章1〜9節
その日、イエスは家を出て、湖のほとりに座っておられた。 すると、大勢の群衆がそばに集まって来たので、イエスは舟に乗って腰を下ろされた。群衆は皆岸辺に立っていた。 イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。 蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。 ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。 しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。 ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。 ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。 耳のある者は聞きなさい。」

[序]パンだけでは満足しない心
「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」(マタイ4:4)とは、よく知られているイエスさまの言葉です。子供たちならこう言うでしょう。「そうだよ、パンだけでなく、スープやご飯や味噌汁、おかずも必要だよ」 確かに人は毎日食事をしなければ生きていけません。でもいくら十分な食べ物があっても、それだけでは満足しない心を持っている者です。では私たちの心を本当に満足させてくれるものは、何でしょうか?

イエスさまは、「人は神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」とおっしゃいました。私たちは神さまの言葉を必要としている者なのです。ですから私たちはこのようにして教会に集まり、神さまの言葉を聞こうとしているのではないでしょうか。私たちを本当に生かす神の口からでる一つ一つの言葉を、どのように聞いていくか、神の言葉の聞き方について、ご一緒に学んで行こうと示されました。

[1]命をもたらす言葉
皆さんの田口先生は北海道釧路のご出身ですね。北先生も以前、釧路教会の牧師でした。釧路近郊の大湿原は丹頂鶴の生殖地で有名です。私が札幌に住んでいた頃、丹頂鶴自然公園園長の高橋さんが鶴を育てている貴重な記録をHNKがTVで放映し、大きな反響を呼びました。洪水で巣が水浸しになり、親鳥が抱かなくなってしまった卵を、何とかして雛にかえそうとした実験です。人工孵化器に入れ、親鳥の体温と同じに暖めます。親鳥がやるように卵を時々動かします。しかしいくら条件を変えて工夫しても、卵は雛に孵りません。

とうとう言葉かけの大切さに気付きました。高橋さんは30日目頃から固い殻に包まれた卵に向かって、言葉をかけ始めてみました。すると10日ほどたって殻の内側から応答が始まり、雛が内から殻をつつき始めました。そして遂に殻を破ってくちばしがとび出てくるのです。最後の10日間、言葉をかけない卵は、他の条件をどんなに工夫してみても、雛に孵らないのだそうです。
更に殻を突き破って雛が誕生するのに、6時間かかりますが、可哀想だからだからといって手を貸して時間を短くしてやると、弱い鳥になって、成長がおぼつかない。そこで高橋さんは雛に向かって「ピー子、頑張れよ」「ほらもう少しだぞ。頑張れよ」と、唯ただ言葉をかけて、励まし続けていました。

このように丹頂鶴の命は、科学や技術、機械だけではこの世に生まれてこないのです。命をいとおしみ、何としても育てようとする愛が、言葉となって白い卵の殻に語りかけられているうちに、この言葉に込められた愛が、丹頂鶴の命を固い殻の中から引き出し、育てるのでした。言葉にはこのように素晴らしい命と力が備わっているのですね。

イエスさまは、「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」とおっしゃいました。人間の言葉でも素晴らしい命の業を行なうのです。神さまが、豊かな真実の愛を込めて語りかけて下さる言葉よって、私たちの内に、神の子の姿が形造られて行くのは、当然のことではないでしょうか。

札幌教会に耳の聞こえにくい子供、従ってよくしゃべることが出来ない子供の学校(昔は聾唖学校と言いました)の先生がいました。「僕だって聞こえるよ」という本を出しました。同じ親から生まれた兄弟でも、耳に障害がある子は、耳が聞こえる兄弟よりも、一般的に言ってわがままで自分勝手、また知能も劣るのだそうです。原因は何か?お母さんが「この子はどうせ聞こえないのだから」とあきらめて、その子への言葉かけが少なくなってしまう結果なのだそうです。そこで佐藤先生は「お母さん、諦めないで。聞こえるんだから、他の子以上に話しかけて下さい」と訴えていました。

赤ちゃんを育てているお母さんを見てください。何かにつけて我が子に言葉をかけています。「育児とは限りないおしゃべり、言葉かけだ」と言われています。その言葉が赤ちゃんの内に次第に溜まっていって、溢れるようにして口から言葉が出てくるのだそうです。言葉かけが少ないと、なかなか言葉が溜まりませんから、溢れ出てこないのです。また脳が刺激されることが少ないから、知能の発達も遅れるのだそうです。

女性は子育てするのでよくしゃべるようになったのでしょうか。それとも子育てするために、神さまが女性によくしゃべる力をお与えになったのでしょうか。とにかくよくしゃべるおばあちゃんたちは、無口なおじいちゃんたちよりも、生命力があり元気ですよね。言葉が命の力を持っているからでしょう。

また札幌教会で毎週一回、アルコール依存症の人たちの断酒会AAが会合していました。彼らは6箇所の教会をめぐり歩いて毎晩集まり、断酒の誓を唱和し、一人一人が経験や決意を述べ合います。アルコール依存症の怖さは、たとえ20年断酒を続けても、一度酒を飲んでしまうと元の木阿弥、また振り出しに戻ってしまうことだそうです。そこで一日一日決意を口で言い表して、断酒を実行して生きているのでした。

このように言葉が言葉を生み出し、知能を啓発し、人格を作り上げ、意志の力を強くしていくのですね。人間の言葉でも素晴らしい命の業を行なうのです。ましてや神さまが真実の愛を込めて語りかけて下さる言葉によって、私たちの内に神の子の姿が形造られて行くのは、当然ではないでしょうか。まさに「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」のです。

(後半へつづく)


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事