日本バプテスト川越キリスト教会 Baptist Kawagoe

加藤享牧師,山下誠也協力牧師の礼拝説教・教会週報のメッセージ、イベント・行事案内

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[聖書]イザヤ書9章1〜6節
闇の中を歩む民は、大いなる光を見/死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。 あなたは深い喜びと/大きな楽しみをお与えになり/人々は御前に喜び祝った。刈り入れの時を祝うように/戦利品を分け合って楽しむように。 彼らの負う軛、肩を打つ杖、虐げる者の鞭を/あなたはミディアンの日のように/折ってくださった。 地を踏み鳴らした兵士の靴/血にまみれた軍服はことごとく/火に投げ込まれ、焼き尽くされた。 ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」と唱えられる。 ダビデの王座とその王国に権威は増し/平和は絶えることがない。王国は正義と恵みの業によって/今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。

[序] 苦難と闇に覆われて
イスラエルの歴史は、紀元前1000年に始まったダビデ王の治世とその子ソロモン王の時代が絶頂でした。ソロモンの死後にイスラエル12部族は、北王国10部族と南王国2部族に分裂します。北はサマリアを都とし、エルサレムは南王国だけの都になりました。やがてイスラエル民族の父祖アブラハムの出身地チグリス、ユウフラテス川に起こったアッシリア帝国が、次第に南に勢力を拡大し始めました。北王国の北に位置するシリヤは北王国と相談して南王国も加えた三国同盟で、アッシリアに対抗しようとしました。ところが南王国は同盟を断りました。そこでシリヤと北王国の連合軍が南王国に攻め込んできたのです。シリア・エフライム戦争(BC734年)です。その時の南王国の様子がイザヤ書7章に記されています。

王も民も森の木々が風に揺れ動くように動揺しました。そしてアッシリアに助けを求めました。イザヤは反対しました。「同盟を結んだとしても、シリヤ、イスラエルの二国はアッシリア王によって滅ぼされる」「だから落着いて、静かに万軍の主なる神さまのみを頼るように」そして「もしもアッシリアに助けを求めたら、南王国も支配されるようになる」とアハズ王に進言しました。その時イザヤが示した神の救いのしるしが、有名な「見よ、おとめが身ごもって男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ」(7:14)でした。しかしアハズ王はイザヤの語る神さまの言葉に聞き従いませんでした。

歴史はイザヤの預言通りに進みました。先ずシリヤが滅ぼされ(BC732 年 )、北王国も領土の多くをアッシリアの属領にされてしまいました。やがては北王国も滅ぼされるのです(BC722年)。更にその先には、南王国の滅亡・バビロンへの捕囚という悲劇も控えているのです。まさに8章22節に述べられている「地を見渡せば、苦難と闇、暗黒と苦悩、苦悩の中にある人々には逃れるすべがない」と言われる状況になりつつありました。その時、イザヤに再び神さまからの預言が与えられました。それが今日の9章の言葉です。

[1] 平和の到来
「闇の中を歩む民は、大いなる光を見/死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。  あなたは深い喜びと/大きな楽しみをお与えになり/人々は御前に喜び祝った。」
「地を踏み鳴らした兵士の靴/血にまみれた軍服はことごとく/火に投げ込まれ、焼き尽くされた。」これらの事は、未だ現実にはなってはいません。将来の事です。しかし完了形の動詞で語られています。イザヤの確信を表しています。

小さな南王国はシリヤと北王国の連合軍の武力でさえも震え上がりました。今度は遥かに遥かに強力なアッシリアの武力に直面しているのです。ところがイザヤは、この大部隊の兵隊たちの踏み鳴らす靴も血にまみれた軍服も、ことごとく火に投げ込まれて、焼き尽くされてしまう日の到来を見ていたのでした。軍服を着た兵隊が一人もいなくなるのです。

イザヤは既に2章で「彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする」という預言を語っています。剣や槍という武器が鋤や鎌という農具に変えられ、武器を使って殺し合っていた兵隊たちが、皆農夫になり、命を養う食糧の生産に励むようになるというのです。何と言う変り方でしょうか。兵隊が一人もいなくなる――これこそ本当に平和な国ではないでしょうか。

人々は国王のいない国など頭に浮かびません。国といえば王が治めるものと思っていました。良い王さまが治める国が良い国だとしますと、あのダビデ王のような王がもう一度欲しいと思いました。イザヤは素晴らしい王の誕生を預言しました。「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。」国を本当に平和な国にしていく王とは、どのような王なのでしょうか。

「その名は、驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君と唱えられる。」まさに神さまご自身が王となってこの小さな国を治めてくださり、本当に平和な国にして下さるというのです。ここで「驚くべき指導者」という言葉に注目したいと思います。

指導者と訳された語は助言者とも訳せる語です。そこで新改訳では「不思議な助言者」と訳しています。私はこの訳の方がよいのではないかと思います。絶対的な叡智と権威と指導力で国を治める王もいるでしょう。でもそれでは、民はただ従うだけでよいのです。自立しません。神さまのご支配もとかくそのように考えられがちです。

ところが助言者とは、相手の主体性を尊重して、本人が良いリーダーに成長していくように脇から支える役割です。力あり永遠に父である神さまが、助言者としてのリーダーシップをもって国を治め、国民が総力をあげて本当に平和な国を一緒に作り上げていくようにしてくださる。その時に平和は絶えることがないという世界が実現するというのです。これは神さまの支配についての驚くべき預言ではないでしょうか。

[2] 助言者イエス・キリスト
私たちは、イエス・キリストを世界の救い主と信じています。このお方の誕生に当っては、天使が「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる」(マタイ1:23)とイザヤが語った預言の成就だと、父親になるヨセフに教えています。また天使は、野宿していた羊飼いたちにも、救い主のしるしは「飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子」と教えました。(ルカ2:12)イザヤの預言「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた」の「みどりご」が「飼い葉桶の中の乳飲み子」だというわけでした。

兵隊を一人も必要としない本当に平和な国を作るために来られる王が、飼い葉桶の中に眠る乳飲み子の姿でこの世に現れるとは、私たち人間の思いを超えた出来事です。そうです。ナザレのイエスと言われるこのお方は、力ある神、永遠の父、平和の君でありながら、まさに驚くべき助言者でした。

良いサマリヤ人の話を思い起こしてみましょう。このお方は、真面目な律法の専門家の質問に対して、祭司、レビ人と良いサマリヤ人の話をなさいました。そして「さてあなたは、この3人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか」と質問しておられます。「その人を助けて人です」「行って、あなたも同じようにしなさい」(ルカ10:25〜37)

また徴税人ザアカイの救いを思い浮かべてみましょう。ナザレのイエスは、エリコの町で嫌われ者の金持ちザアカイに「ぜひあなたの家に泊まりたい」と声をかけて、誰も寄りつかない彼の家に泊まりました。ザアカイは嬉しさの余りに立ち上がって言いました。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。まただれかから何かだまし取っていたら、それを4倍にして返します」「今日、救いがこの家を訪れた」 (ルカ19:1〜10)

一人ひとりに対してイエス・キリストは、一貫して、応答を各自の決断に委ねる態度で接しておられます。まさに優れた助言者そのものではないでしょうか。そしてご自分は自ら決断して十字架の道を進み、「父よ、彼らをお赦しください」と祈りつつ全ての人の罪を一切ご自分が引き受けて、贖いの死を遂げて下さいました。そしてご自分を救い主と信じる者を、聖霊を注いで、愛して仕えていくことによって平和を実現していく者に変えて下さるご支配を確立なさったのでした。

そうです。本当の平和は、血にまみれた軍服を着た兵隊たちによって生まれるものでは、決してないのです。でもそのような理想論は現実の世界では通用しないと誰しもが思います。イザヤが40年にわたって、国王や人々に預言し続けましたが聞き入れられませんでした。そして最後には王に憎まれて、殉教の死を遂げなければなりませんでした。しかしイザヤは今日の預言の終わりにこう語っています。「万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。」何と言う力強いことばでしょうか。

[結] 犠牲的苦難を必要とする暗闇 
アメリカ合衆国では、建国以来233年たった今年1月に、アフリカ系黒人のオバマ氏が第44代大統領に就任しました。1776年の独立宣言では「すべての人間は平等に造られている」とうたわれています。しかし奴隷解放宣言をしたリンカーン大統領は1865年に暗殺されました。差別の撤廃を目指す公民権法を提出しようとしたケネディ大統領も1963年に暗殺されました。非暴力の抗議活動でこの公民権運動の先頭に立ったキング牧師も1968年に暗殺されました。そしてアメリカは、やっとオバマ大統領誕生にこぎつけたのです。

キング牧師は正義をもって愛を実現していく道筋で不当に受ける犠牲的苦難を、他者の救いのためには必要な苦難なのだという信仰を、キリストの十字架の死から受け取って運動の原点に据えました。1963年にワシントン行進の終わりに、25万人の人々に彼はこう語りかけました。「私は夢を持っている。いつの日かこの国は立ち上がり、『すべての人は平等に造られている』という信条を生き抜くだろうという夢をである。 私は夢を持っている。いつの日かジョージアの赤土の丘の上で、かつての奴隷の子孫と奴隷主の子孫とが、兄弟愛のテーブルに一緒に座れるようになるであろうという夢をである。」

その翌年に彼はノーベル平和賞を受けましたが、4年後に暗殺されました。彼はその死を覚悟していたようです。そしてその40年後にアメリカの国民はアフリカ系黒人を大統領に選出したのでした。私たち人間の罪深さの暗黒は、人種差別一つを取り上げても、このように多くの犠牲的苦難を必要とする根深さをもっているのです。

しかし「闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に光が輝いた」とイザヤを通して語りかけられた神さまの言葉は、イエス・キリストの十字架という 具体的な姿で示されて、信じる者たちの勇気と希望の源泉になり、今日も光輝いてい私たちを励ましています。

血にまみれた軍服をきた兵隊を一人も必要としない本当に平和な世界を神さまは約束しておられるのです。「万軍の主の熱意がこれを成し遂げる」私たちはどんなことがあっても剣や槍を取らない決意を貫いて参りましょう。全ての者が鋤と鎌をもつ農夫になって、互いの命を大切に養い育てる働きに汗を流す者になりましょう。

私たちは大いなる光をみているのです。


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