日本バプテスト川越キリスト教会 Baptist Kawagoe

加藤享牧師,山下誠也協力牧師の礼拝説教・教会週報のメッセージ、イベント・行事案内

全体表示

[ リスト ]

(前半からのつづき)


[2] 何が見えるか
私は目白ヶ丘バプテスト教会で16才から32才まで16年間熊野(ユヤ)清樹牧師の説教を聞いて育ちました。神学校時代6年間、副牧師になって2年9ヶ月も含まれます。説教の中で良く語られたエピソードの一つをご紹介します。

熊本県人吉の小学校時代のことです。習字の時間に受持ちの先生が、柱によりかかりながら外を眺めていました。突然一人の子を呼んで窓のそばに立たせ「何が見えるか」と尋ねました。その子は首をかしげるだけでした。「もうよい。席に戻りなさい」次の子が呼ばれました。「何が見えるか」その子も首をかしげるだけでした。

習字を書いていた子供たちは俄然興味をそそりました。幾人目かに「熊野」と呼ばれました。先生の傍らに立って外を眺め渡しました。「何が見えるか」いつもながらののどかな田舎の風景です。特別変った様子はありません。ところが校庭と地続きの農家の縁先で、子守さんが赤ん坊を抱きながら、こくりこくりと船をこいで居眠りをしているのに気付きました。赤ん坊を縁側から下に取り落としたらケガをします。「先生、危ないです」「そうか、行って起こして上げなさい」熊野少年はとんでいってその子守さんを起こして、教室に戻って来たそうです。

「何が見えるか」「先生、危ないです。」「そうか、行って起こして上げなさい」あめんどうの枝を見ながら、預言者に召されたエレミヤの話になる度に、私は一体幾度このエピソードを聞いたことでしょう。人吉の小学校の先生と目白ヶ丘教会の牧師の言葉が私の心に刻まれています。その言葉が今日川越教会で、皆さんにこのように語られています。これが言葉の素晴らしさなのですね。

熊野先生はお父さんを早く亡くしたので、中学校に進まず高等小学校を出て、内務省の衛生試験所で働き始めました。しかし試験管をふるっている毎日の生活が、何か他人の仕事をしているような気がして、仕方がなくなってきました。「自分でなければ出来ない仕事があるはずだ。」そして牧師になる道を神さまから示されて、東京に出て中学2年に編入し、神学校への道を歩み始めたのでした。

「何が見えるか」「先生、危ないです」皆がみな、危ないと気が付くわけではありません。ですから危ないと気付く心は天与の才の一つ、神さまから与えられた賜物(gift)ではないでしょうか。「ああ、わたしは若者にすぎませんから。」と尻込みするエレミヤ。しかし彼の中には、既に生まれる前から、「シャーケード」から「ショーケード」に気付く能力が、備えられていたのでした。

「わたしはあなたを母の胎内に造る前からあなたを知っていた。母の胎から生まれる前にわたしはあなたを聖別し、諸国民の預言者として立てた。」(1:5)神さまからこう言われてしまいますと、エレミヤは返す言葉がなくなってしまったのではないでしょうか」

[3] わたしの言葉を語れ
しかし「諸国民、諸王国に対して語る預言者の生涯」などという召命はアナトト村で育ったエレミヤには大き過ぎます。「ああ、わが主なる神よ、わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから。」しかし主なる神さまは彼におっしゃいました。「若者にすぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、だれのところへ遣わそうとも、行ってわたしが命じることをすべて語れ。 彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて必ず救い出す」(1:7〜8)

エレミヤの学歴がどの程度のものだったのでしょうか。日本の教会について良い点を一つあげるとすれば、牧師の学位を重視しないことでしょう。私自身も、聖書の言葉を少しでも的確に説き明かすことを最重要課題として、今も勉強に励んでいる積りです。そして牧師としてはそれで十分で、別に博士号を持たねば肩身が狭いなどと思う気持は全くありません。ところがアメリカやアジヤでは、学位の肩書きがとても大事のようです。日本の小さい教会も、やがてそのような風潮に染まっていくのでしょうか。

エレミヤも都や神殿や王宮で語るとすれば、経験不足、肩書不足で軽くあしらわれる惨めさを、嫌でも味合うことになるでしょう。彼の尻込みも当然でした。ところが神さまはおっしゃいました。「わたしがあなたを、だれのところへ遣わそうとも、行ってわたしが命じることをすべて語れ。 彼らを恐れるな。」

そうです。何を語るのか。語る言葉が大切です。どう生きるか迷う時に、私たちは正しい判断を示す言葉を必要とします。言葉を聞いて考え、自分の言葉で語りながら、自分の考えがまとまっていきます。そして言葉で決意を表明し、行動を起こします。こうして言葉で私の人格が形成され、言葉で私の生き方が綴られていくのです。正しい命の言葉、神さまの言葉を聞くことが、私たち人間には本当に大切です。

エレミヤが自分の学識や力量で語るのではありません。神さまから示され、命じられた神さまの言葉を、忠実に的確に語ればよいのです。イエスさまがなさったタラントンのたとえを思い出して下さい。神さまはそれぞれに、5タラントン、2タラントン、1タラントンをお託しになりました。5タラントンの人が倍に増やして  10タラントンを神さまにお返ししました。2タラントンの人も倍に増やして4タラントンを神さまにお返ししました。神さまは二人を全く同じ言葉でほめて下さいました。

5タラントンの人は、2タラントンの人が懸命に働いて倍に増やしても、まだその上をゆく豊かな才能を、既にスタートの時点で授かっています。でも彼が持っていて私にはない3タラントンは、私が私の任務を果たしていく上では必要ないものなのですね。私の仕事は私に与えられた2タラントンで十分に倍に増やしていけるものなのです。

その意味でエレミヤはありのままの自分で、諸国民、諸王国に対する預言者の働きを果たしていくことが出来るのだよと、神さまから言われてしまいました。必要なのは、学識や肩書、人生経験の豊かさではない。神さまの語る言葉を、どれだけ   はっきりと聞きとり、的確に伝えるかなのです。エレミヤは神さまの召しを受ける他ありませんでした。

[結] 母の胎内に造る前から
「わたしはあなたを母の胎内に造る前から、あなたを知っていた。母の胎から生まれる前に、わたしはあなたを聖別し、諸国民の預言者として立てた。」神さまは、エレミヤが母の胎内で形造られる前に、既に彼をご存知で、彼の任務を考えてこられたというのです。考えてみますとこれは不思議なことではありません。当然のことです。川越教会のこの小さな教会堂――いいですね。私は大好きです。この会堂は2001年 1月に完成しました。でも建築家の心には、工事が始まる以前から既に出来上がっていました。それが設計図面となり、大工さんたちの手で形になっていったのです。

歴史の動きでは、南王国にもまた北からの災いが襲いかかってくるのです。滅びの警鐘を打ち鳴らし、悔い改めを迫る預言者が必要です。神さまはその任務に当てるために、エレミヤをお選びになり、母の胎内でお育てになったのでした。

この私も戦後の混乱の中で、聖書に出会い、友人に誘われて目白ヶ丘教会に導かれました。喜美子も目白に導かれ、共に結ばれました。神学校に進み、牧師になり、目白、札幌、シンガポールを経て、今ここ川越教会でお仕えしています。目白の16年3ヶ月が、札幌30年を生み出しました。目白・札幌の46年余が、シンガポール10年の働きになりました。そしてこれまでの56年余の信仰生活をもって、川越教会へのご奉仕に当っています。

これから私たちを、神さまは何処でどのようにお用いになるのでしょうか。川越が終点でしょうか。その次がまだあるのでしょうか。私たち二人の生涯は既に神さまの御心に描かれているのです。私たちはその全容を知りません、しかしその時その時に神さまが示される私へのご計画を真剣に受けとめて、お従いして参ります。

私たちの人生の違い――それは私たち一人ひとりに対する神さまの期待、ご計画の違いです。私でなければならない仕事、私にして欲しいと神さまが願っておられる任務を、信仰をもって聞き取り、神さまの御手にあるご計画を実現させて参りましょう。


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事