日本バプテスト川越キリスト教会 Baptist Kawagoe

加藤享牧師,山下誠也協力牧師の礼拝説教・教会週報のメッセージ、イベント・行事案内

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[聖書]エレミヤ書1章4〜14節
主の言葉がわたしに臨んだ。 「わたしはあなたを母の胎内に造る前から/あなたを知っていた。母の胎から生まれる前に/わたしはあなたを聖別し/諸国民の預言者として立てた。」 わたしは言った。「ああ、わが主なる神よ/わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから。」 しかし、主はわたしに言われた。「若者にすぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、だれのところへ/遣わそうとも、行って/わたしが命じることをすべて語れ。 彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて/必ず救い出す」と主は言われた。 主は手を伸ばして、わたしの口に触れ/主はわたしに言われた。「見よ、わたしはあなたの口に/わたしの言葉を授ける。 見よ、今日、あなたに/諸国民、諸王国に対する権威をゆだねる。抜き、壊し、滅ぼし、破壊し/あるいは建て、植えるために。」 主の言葉がわたしに臨んだ。「エレミヤよ、何が見えるか。」わたしは答えた。「アーモンド(シャーケード)の枝が見えます。」 主はわたしに言われた。「あなたの見るとおりだ。わたしは、わたしの言葉を成し遂げようと/見張っている(ショーケード)。」 主の言葉が再びわたしに臨んで言われた。「何が見えるか。」わたしは答えた。「煮えたぎる鍋が見えます。北からこちらへ傾いています。」 主はわたしに言われた。北から災いが襲いかかる/この地に住む者すべてに。

[序] 違う人生を生きる
89才の女優森光子が、国民栄誉賞を受けました。舞台「放浪記」の林芙美子役を48年間2000回以上も続けて居ます。今後も主演を続けるという旺盛な意欲-――私よりも一回りも年上です。偉いですね。誰しもが拍手を惜しみません。加藤享よ、しっかりせよという思いが湧いてきます。

一方その放浪記で女流作家として25才でデビューした林芙美子は、幼い時から行商人の両親に連れられて各地を放浪し、貧しさゆえに悲しいこと、苦しいことを味わい尽くしました。その経験を優れた才能で数々の作品に仕上げて、大勢の人の心を動かしました。しかし読者にいつ忘れ去られるか不安に苛まれ、原稿依頼は無理を承知でも皆引き受けて、深夜も机に向かっていたそうです。濃いコーヒーとタバコを一日50本。心臓麻痺に襲われて47才の若さで急逝しました。「花の命は短くて 苦しきことのみ 多かりき」という言葉が有名です。哀しいですね。

同じ放浪記を舞台にしながら、二人の女性、林芙美子と森光子の生き方はまた何と違うことでしょうか。このお二人だけではありません。私たち一人ひとりも平凡な市民としてではありますが、それぞれ違う人生を生きています。この違いはどこから生じているのでしょうか。
聖書教育では、今月エレミヤを学びます。彼はイザヤと同じ南王国ユダの預言者です。でも二人の人生も違います。私たちは、イザヤとエレミヤを比べながら、自分の人生の足取りをどう進めていくべきかを考えてみることにいたします。

[1] 自然を逍遥する青年
イザヤはウジヤ王が死んだBC740年頃に預言者として神さまから召されました。
エレミヤはそれから6代後のヨシヤ王の治世13年、BC626年頃に神さまから召されました。預言者としては114年程イザヤの後輩に当ります。日本でいえば、初代神武天皇の少し後の時代です。

イザヤはエルサレムの都の貴族の家に生まれました。ウジヤ王の死に際して、国の行く末を案じて、神殿にこもり祈っている時に、聖なる神さまの臨在にふれて、預言者に召し出されました。エレミヤはエルサレムの郊外の田舎町アナトトの祭司の家に生まれました。内村鑑三はエレミヤを「余の特愛の預言者」と呼んでいますが、自然を逍遥する青年エレミヤの姿を推測して、こう述べています。

「多分アナトト付近を独り歩みし時、あるいは古きオリーブ樹の下に、独り黙想にふけりし頃、彼の心琴に幾度となく触れし、細きかすかな声があったろう。彼は幾度となく消さんとせしが、しかしその声は去らなかったであろう。彼は遂に彼の預言者として神に預定されしものであるを、信ぜざるを得ざるに至ったのであろう」

内村鑑三がこのように自然を逍遥する青年の姿を推測したのは、今日の1章11〜12節によると思われます。「エレミヤよ、何が見えるか。」「アーモンド(シャーケード)の枝が見えます。」「あなたの見るとおりだ。わたしは、わたしの言葉を成し遂げようと見張っている(ショーケード)。」

アーモンド(口語訳「あめんどう」)は、パレスチナではすべての木に先がけて1月の終わりか2月の初めに花をつける木です。私たちが長く暮した雪国札幌で言えば、雪解けの3月末に咲く「こぶしの花」に当るでしょう。エレミヤはアーモンドの花ではなく、アーモンドの枝と答えています。芽のふくらみを目ざとく見つけているのです。シャーケードの枝を見ながら、神さまのショーケードに気がついて、召命を悟っていくエレミヤの心の動きを見て、自然をよく観察しながら、其処ここに神さまの声を聞き取って精神形成をしていった若きエレミヤを内村鑑三は心に描いたのでした。

万物が眠っている冬の最中に、あざやかな花をつける目覚めの木のように、混沌とした歴史の中で、神さまが独り、目覚めて見張って居られます。預言者を送って語らせたご自分の言葉を、どのように実現させようかとはかりながら、見張っておられます。神さまは先ず預言者を通してお語りになる。それから出来事を起こして、歴史を綴っていかれるのです。そこで関根訳は「『目覚めの木の枝が見えます。』
よく見た。なぜならわたしは目覚めて、わたしの言葉を実行しようとしているから」と分かりやすい訳になっています。


(後半へつづく)


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