日本バプテスト川越キリスト教会 Baptist Kawagoe

加藤享牧師,山下誠也協力牧師の礼拝説教・教会週報のメッセージ、イベント・行事案内

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[聖書]使徒言行録4章32節〜5章11節
信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。 使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた。 信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、 使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである。 たとえば、レビ族の人で、使徒たちからバルナバ――「慰めの子」という意味――と呼ばれていた、キプロス島生まれのヨセフも、持っていた畑を売り、その代金を持って来て使徒たちの足もとに置いた。
ところが、アナニアという男は、妻のサフィラと相談して土地を売り、 妻も承知のうえで、代金をごまかし、その一部を持って来て使徒たちの足もとに置いた。すると、ペトロは言った。「アナニア、なぜ、あなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、土地の代金をごまかしたのか。 売らないでおけば、あなたのものだったし、また、売っても、その代金は自分の思いどおりになったのではないか。どうして、こんなことをする気になったのか。あなたは人間を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」 この言葉を聞くと、アナニアは倒れて息が絶えた。そのことを耳にした人々は皆、非常に恐れた。 若者たちが立ち上がって死体を包み、運び出して葬った。 それから三時間ほどたって、アナニアの妻がこの出来事を知らずに入って来た。 ペトロは彼女に話しかけた。「あなたたちは、あの土地をこれこれの値段で売ったのか。言いなさい。」彼女は、「はい、その値段です」と言った。 ペトロは言った。「二人で示し合わせて、主の霊を試すとは、何としたことか。見なさい。あなたの夫を葬りに行った人たちが、もう入り口まで来ている。今度はあなたを担ぎ出すだろう。」 すると、彼女はたちまちペトロの足もとに倒れ、息が絶えた。青年たちは入って来て、彼女の死んでいるのを見ると、運び出し、夫のそばに葬った。 教会全体とこれを聞いた人は皆、非常に恐れた。

[序]初代教会の特色
10月に入り、使徒言行録を学び始めました。主イエスさまが天に戻って行かれてから10日後の五旬祭の日の朝です。心を合わせて祈っていた弟子たちに、約束の聖霊が天から激しく降りました。弟子たちは力強く堂々と説教し始めました。「あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです」心を打たれた人たちは、弟子たちの勧めにしたがって、悔い改めてバプテスマを受け、弟子たちの仲間入りをし始めました。ペトロの説教で3000人ほどが仲間に加わったとあります。キリスト教会の誕生です。

信者たちは毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を讃美したので、民衆全体から好意を寄せられ、救われる人が日々に加えられていきました。素晴らしいですね。この初代教会には、もう一つ特色がありました。それが今日の聖書です。
「信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。」 「 信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、 使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである」(4:32、34〜35) 教会員が皆、自分の財産を教会の共有物だと考え、必要に応じて処分して分配し合ったので、一人も貧しい人がいなかったというのです。

貧しい人が一人もいない社会、そのために持ち物・財産を共有し、皆が仲良く暮していく社会――これは人類の理想ではないでしょうか。教会は発足当初にして、その理想を実現したのでした。ところがこの財産共有という理想が、教会からほどなく消えてしまいました。どうしたことでしょうか。教会という信仰共同体では、何を一番大事にされるべきか、それが今日の学びです。

[1]女性たちが支えた共同体
ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けて、救い主キリストとしての公の生涯を歩み始められたイエスさまは、ペトロはじめ12人を弟子となさり、寝食を共にして、親しく教育訓練なさいました。イエスさまに召し出された弟子たちは、職業や親・財産を捨ててイエスさまに従いました。ルカ福音書8章1〜3節をご覧下さい。

「すぐその後、イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。十二人も一緒だった。 悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、 ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた。」

神の国を宣べ伝えながら弟子たちを訓練していかれたそのイエスさまと12人の弟子たちの日常生活は、イエスさまから病気を癒されて新しい生き甲斐を見出した女性たちが、自分の持ち物を出し合って支えたのでした。五旬祭の朝、弟子たちが約束の聖霊を豊かに受けた会場は、120人が集まって祈ることの出来た広い家です。持ち主はマルコ  福音書を書いたヨハネ・マルコの母マリアだと言われています。このように女性たちが中心になって、持ち物を出し合って日常生活と伝道活動を支えるという信仰が、弟子たちの群れにはごく自然に出来上がっていたことが分かります。

ですから、新しく仲間入りした人たちも、その信仰をごく自然に受け継いで、土地や家を売って代金を持ち寄り、使徒たちの足元に置き、必要に応じて分配されていく教会を形成していったのでしょう。ここにバルナバの例が紹介されていますが、彼は後に、タルソに埋もれていたパウロをアンティオキア教会に引き出して、一緒に世界伝道に出かけた人物です。その時バルナバは従兄弟のマルコを同行させます。伯母のマリアから、マルコの信仰訓練を頼まれていたからでしょう。しかし伝道旅行の途中でマルコは母の家に逃げ帰ってしまいました。そこで第二次伝道旅行では、マルコを再度連れて行くかどうかで、パウロとバルナバが対立し、二人は分かれてしまいました。

使徒言行録の著者ルカは、パウロの主治医として第二次世界伝道から参加しますが、先輩のバルナバに対して特別な思い入れがあってので、初代エルサレム教会を支えたうるわしい献金者の一人として、紹介しておきたかったのでしょう。

[2]神を欺いた献金
しかしこの様なうるわしい財産の共有が、どうして教会から消えていったのでしょうか。そのきっかけがアナニアとサフィラ夫婦の事件です。彼らも自分たちの土地を売って、その一部を教会に献金しました。しかし彼らの行動には重大な罪があったので、ペトロから厳しく咎められました。

「あなたは人間を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」 アナニアはその言葉を聞くと、ショックのあまりその場に倒れて息が絶えてしまいました。三時間後に妻のサフィラが教会にやって来ました。ペトロは彼女にも質問しました。「あなたたちはあの土地をこれこれの値段で売ったのか」「ハイ、その値段です」 ペトロは彼女をも厳しく咎めました。「二人で示し合わせて主の霊を試すとは何としたことか」 彼女も倒れて息が絶えてしまいました。

二人は恐らく売った代金の一部を自分の手許に残しておきながら、あたかも全額を献げたかのように体裁を取り繕ったのでしょう。もしかしたら私でも、軽率にやったかも知れません。土地の代金ですから、一部分であったとしても多額の献金だったことは間違いありません。ペトロを始め教会の皆から感謝され、褒められても良かったのではないでしょうか。どうして命を失うほどの罪を犯したことになったのでしょうか。

イエスさまは或る時、神殿の賽銭箱に人々が献金を入れている様子を見ておられました。そして金持ちが沢山のお金を入れているよりも、貧しい未亡人の銅貨二枚の方を高く評価なさいました。「この貧しいやもめは、誰よりも沢山入れた。なぜなら貧しい中から、自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである」(マルコ12:41〜44)

アナニアとサフィラ夫婦は、皆が沢山献金しているのに自分たちが余りしていないことで、肩身が狭くなってきて、自分たちも土地を売ることにしたのでしょう。しかし全部を献げることが出来ませんでした。全部を献げた人が皆から称賛されています。 そこで「これは代金の一部ですが」と正直に言う代わりに、「売った金の全部です」と言って献金しようと、二人で話し合ったのでした。

一部を全部だと言うのは、不正直で偽りです。でもせっかく多額の献金をするからには、皆から大いに評価され、自分たちも大きな顔をしたいと思ったのでしょう。しかしその思いが、神の教会を破壊する罪であって、決して小さな罪ではなかったのです。

ペトロはアナニアにこう言いました。「(土地を)売らないでおけば、あなたの物だったし、また売ったとしても、その代金は自分の思い通りに使ってよいのではないか」自分の財産をどう使うかについてアナニアは完全な自由を持っていたと、ペトロは認めているのです。教会員の財産を献げる規則や誓約など教会には、全く無いのです。

しかしどんなに自発的な献金であっても、一旦神さまに献げられた献金は、その瞬間から、神さまの物となり、もはや私たちの物ではなくなるのです。そして献げ物は、神さまのご意志に従って用いられるものなのです。自分の金と献金とのこの違いを、私たちははっきりと自覚していなければなりません。献金を利用して自分の名誉を謀り、見栄を飾ろうとするならば、神さまのお金を自分の金として使うことになるのです。


(後半へつづく)


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