日本バプテスト川越キリスト教会 Baptist Kawagoe

加藤享牧師,山下誠也協力牧師の礼拝説教・教会週報のメッセージ、イベント・行事案内

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[聖書]マルコによる福音書10章13〜16節
イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。 しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。 はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」 そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された

[序]心も体も健やかに
日本では、男の子は3歳と5歳、女の子は3歳と7歳の11月15日に、成長を祝って神社やお寺に参詣する七五三の風習があります。11月は収穫を終えて実りを感謝する月、15日は、鬼宿日と言って鬼が出てこない日なので、11月15日に収穫感謝と子供の成長の感謝とこれからの加護を祈るようになったのだそうです。

昔は医療が貧しく幼い子供の死亡率が高かったので、3歳まで成長することも容易ではありませんでした。「ああ、3歳になれた。何と有難いことだろう」とお祝いしました。更に「5歳・7歳になった、これでひと安心」と喜び祝ったのでした。幼児の健やかな成長は、家族の何よりの願いです。でも体だけでなく、心の健やかさも大切です。次のようなフランスの実話を聞きました。

或る画家が天使の絵のモデルを探していました。「あの家に行って御覧なさい。天使のような子が居ますよ」本当にそうでした。汚れを知らぬつぶらな瞳、可愛い笑顔、紅葉のような手。彼は夢中になって天使の絵を仕上げました。大評判になりました。

月日が経ち画家も老いました。人生の様々な経験から悪魔の誘惑の恐ろしさを味わった彼は、悪魔の絵を画き残そうと思い立ちました。刑務所に通い一番凶悪な囚人を  モデルにしました。この絵も大評判になりました。すると彼が若い時に画いた天使とどこか似ていると言う人が出てきました。調べてみるとあの天使のモデルの成れの果てだったそうです。どこでどう人生が狂ってしまったのでしょうか。恐ろしい話です。

子供の可愛らしさは、小さな弱い者を守るために神さまが与えて下さった保護色です。大きくなるにつれて失せて行きます。保護色に代って、年令とともに輝きを増していく内面の美しさこそを身に着けていかなければならないのではないでしょうか。

[1]天国とは
イエスさまは、子供たちを連れて集まって来た親たちを、叱って追い払おうとした弟子たちを見て、非常に憤慨しておっしゃいました。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。」 憤るという動詞は福音書ではこの箇所でしか使われていません。イエスさまのこの時の怒りが特別だったのです。弟子たちは、どうして子供たちを追い払ったのでしょうか。

イエスさまは、十字架の死を目指してエルサレムの都に向って進んで居られました。弟子たちは8章と9章でイエスさまからその死について予告されていたのですが、その意味がよくわかりませんでした。しかしイエスさまからは、ただならぬ決意の気配が伝わって来ます。「大変な事態が起ろうとしている」ことを感じとりました。ですからイエスさまを煩わせまいとして、「子供たちは邪魔だ。あっちに行った、行った」と追い払ったのでしょう。私たちでも、よくしてしまう行動です。

しかしイエスさまは、十字架の死を目前にするからこそ、大人の都合でつい邪魔者扱いをされてしまう子供たちを大事にすること、また神の国に入る心構えを弟子たちに しっかりと教えておきたかったのでした。

「神の国はこのような者たちのものである。 はっきり言っておく。子供のように神の国を  受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」 子供たちが大人よりも罪穢れのない清い者だから、天国に入れると言われているのではありません。子供の心に既に罪の根はあるのです。イエスさまが見ておられる子供の良さは、何も出来ないこと、良い物・良い業績を差し出すことが出来ない点でした。

大人は少しでも自分をよく見せよう・他人から良い評価を得ようと頑張ります。そして崩れていきます。子供は何も出来ない自分を、それでも良いといって抱いてくれる人の手に自分を委ねます。手を引かれて付いて行くのです。天国に入るにはそれで良いのだ、否、そうでなければ入れないと、イエスさまは弟子たちに強くおっしゃったのでした。

そうです。能力のある者、優れた者が良い地位を占め、無力で弱い者は、みじめな思いをしているのが、この世です。その様な世界は天国ではありません。強かろうと弱かろうと、一人一人が在るがままの自分で大事にされ、皆が平等で差別がない国こそ、天国ではないでしょうか。何も出来ない者、小さくて弱い者がそのままで迎えられてこそ、天国なのです。大人はこの大切な天国の真理を、幼な子から学ばなければならないのです。

[2]いと小さな者に対する限りない愛
イエスさまは子供たち一人一人を抱き上げて、手を置いて祝福して下さいました。このお姿に何も出来ないいと小さな者に対する、限りない愛が現れています。無力な者を無条件で受け容れて豊かな祝福を注ぐ愛が現れています。もしも私たち大人が、我が身をその様な神さまの愛の手に委ねるならば、私たちの心にも、小さな者・弱い者への惜しみない愛が与えられるのではないでしょうか。

小説家三浦綾子は、1963年朝日新聞が募集した1000万円の懸賞小説に応募して入選した「氷点」で、一躍小説家になりました。それまでは寒い北海道旭川で小さな雑貨屋を営んでいる主婦でした。クリスマスには毎年近所の子供たちを我が家に招いて楽しい集まりをしていました。懸賞小説の締切り日12月31日が迫ってきたクリスマス、原稿は未だ出来上がっていません。それに原稿は二部必要なのです。今のようにコピー機などありません。悪いことには風邪をひき38度も熱が出てきました。

子供クリスマスのためには、プレゼントを買い、お菓子も人数分袋に詰めなければなりません。サンタクロースの衣装を教会に借りに行かなければなりません。部屋の飾りつけもあります。丸二日は完全につぶれます。不可能に思えました。「ねえ光世さん。子供クリスマスを正月に延期しましょう。小説が間に合いません」

夫の光世さんが言下に答えたそうです。「神の喜びたもう事をして落ちてしまう小説なら、書かなくてもよい」何よりも小さな者への祝福を大切にする心を、光世さんは  イエスさまから受け取って居たのでした。こうして子供クリスマスをやり遂げ、締切りぎりぎりに間に合った「氷点」を、神さまは入選させて、お用いになったのでした。

[結]幼な子をイエスさまのもとに
親は食事に気を配ります。子供の好き勝手にさせません。悪い友達と付き合って悪に染まらぬように注意します。子供の好き勝手にさせません。勉強だって同じでしょう。
としますと、真実の愛を育てていくために、神さまの真実の愛に出来る限り触れさせることが、とても大事ではないでしょうか。

札幌教会でもシンガポールでも、子供も大人も皆一緒に礼拝を守りました。子供たちは礼拝を苦にしませんでした。時々いたずらしながらも、説教をちゃんと聞いて、心に受けとめます。そして感動し、その時々に決心を新にしていました。小学4年生のやんちゃ坊主がこんな感想文を書いていました。

「そうがくが始まると、僕の心はしずまります。さんびかがはじまると、きれいな声で歌いたくなります。とくに説教は、神様・イエスさまのすばらしさにかんどうします。聖書がおもしろくなってきました。おいのりは、とても心がしずまります。」
大人たちが大切にして、真剣に守っている礼拝を良さを、子供たちもちゃんと受けとめることが出来るのですね。

詩人八木重吉は、こう歌っています。
「さて あかんぼうは なぜに あんあん あんあん なくんだろう ほんとうにうるせいよ あんあん あんあん あんあん あんあん うるさかないよ うるさかないよ よんでるんだよ かみさまをよんでるんだよ みんなもよびな あんなにしつっこく よびな」

幼児もお祈りが大好きです。神さまを心から信じてお祈りしています。ところが単純に祈れなくなった大人たちが、子供たちの単純な祈り心をおしとどめて、つぶしていないでしょうか。イエスさまは「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。」 とおっしゃっています。一人一人を抱き上げて、手を置いて、祝福しようと招いて居られます。

このイエスさまのもとに、親たちが我が子を連れて来ました。自分では来れない我が子を祝福してくださるようにと連れて来ました。今日、私たちの礼拝で、幼な子に手を置いて祝福のお祈りが出来て、嬉しいですね。幼な子たちすべての上に、神さまの祝福が豊かに在りますよう、心から願います。


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