日本バプテスト川越キリスト教会 Baptist Kawagoe

加藤享牧師,山下誠也協力牧師の礼拝説教・教会週報のメッセージ、イベント・行事案内

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(前半からのつづき)


[2]人種・宗教の違いを克服する困難さ
佐々木和之さんは今年44歳。鹿児島大学農学部を卒業後、23歳で国際飢餓対策機構に加わり、エチオピアの農村自立支援活動に8年間従事しました。そしてすぐ近くの国ルワンダを訪問して、80万人大虐殺後の国内で、加害者と被害者がどのように共存するかという大変な課題を見せ付けられました。そこで飢餓対策機構を退職して英国に渡り、ブラッドフォード大学で暴力紛争後の平和構築について学びました。そして2005年から日本バプテスト連盟の国際ミッションボランティアとしてルワンダのNGO「REACH」の職員になり、和解と平和のプログラムに当っています。最近の働きの一端は憩いのみぎわ15号に紹介してあります。お読み下さい。

ルワンダは千の丘の国といわれる緑豊かな四国の1.4倍ほどの農業国です。人口840万人の85%がフツ族で15%がツチ族ですが、言葉も共通し、同じキリスト教徒です。両部族が交じり合って暮していました。ベルギーの植民地時代はツチ族が政権を握っていました。1992年に独立して共和制国家になると多数派のフツ族が政権を握り、政権を強化するためにツチ族を弾圧排除し始めました。そして1994年大統領の事故死をきっかけに、ツチの陰謀だとして大虐殺が始まったのでした。100日間で80万人のツチ族と穏和なフツ族が殺されました。身分証明書にツチと記されているというただそれだけで、その場で叩き殺さたのです。

人間の中身は同じで、ただ部族名が違うという唯それだけで殺されてしまうとは何と恐ろしいことでしょうか。人種差別・偏見は誰の心にも根付いている悪です。私たちが10年暮したシンガポールでもそうでした。シンガポールは人口約400万人、淡路島ほどの小さな都市国家です。中国人76%、マレー人14%、インド人7%、その他3%の他民族複合国家です。公用語は英語・中国語・マレー語、タミール語(印度語)です。
言葉も宗教も風俗習慣も気質も違う人種が、違いを超えて一致団結して、日本に次ぐ高い経済水準の豊かな国を作り上げています。

ところが2001年アメリカで9・11のテロ事件が起きました。程なくシンガポールでも JIというイスラム過激派の爆破計画が発覚してグループが逮捕されました。すると英字新聞に4コマの漫画が掲載されました。団地のエレベーターに先に乗っていた中国人のおばあさんが、後からマレー人が乗り込んで来たので気味が悪いといってエレベーターから降りて、階段をフーフーいいながら歩いて上り始めた漫画です。

イスラム教徒に対する嫌悪感と恐怖が、中国人の間に拡がり始めたのでした。政府はすべての大臣を先頭に立てて、中国人よ、マレー人とよく交わろう、食事を共にしよう、モスクに行ってイスラム教を学んでみようという大キャンペーンを始めました。そこで私たち日本語教会もイスラム教の導師を招いて学習会を日曜礼拝の前にしようと計画しました。そして礼拝のためにホールを借りているKayPohRd教会の牧師に了解を求めたところ、「とんでもない。イスラム教徒を教会内に入れたと分かったら大問題になるから絶対にしないで欲しい」と断られました。

毎年12月25日の夕方に、町の中心部にあるイギリス国教会の大聖堂を借りて日本人向けのクリスマス特別礼拝をさせてもらっていました。そこで2001年のクリスマス礼拝では、最初の15分間イスラム教の一番の先生に平和に向けての所信表明と祈りをしていただいてから、自分たちの平和礼拝をしたいと考えました。そしてその教会の牧師に相談したら「そんなことをしたら今後一切貸せなくなる」と言われました。

シンガポール政府は人種・宗教の違いをお互いに理解し合って One People,One Nation の旗を振っています。ところが一般民衆の心の底には、そして教会にも、  マレー人とイスラム教に対する偏見・差別があったのです。私は人種・宗教の違いを克服することの困難さを改めて自覚させられました。 

[結]福音信仰に固く立つ
この使徒会議から4〜5年後に書かれたガラテヤの教会への手紙2章にパウロはこう書いています。「さて、ケファ(ペトロ)がアンティオキアに来たとき、非難すべきところがあったので、わたしは面と向かって反対しました。なぜなら、ケファは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだしたからです。」

皆さん、この言葉をどう理解しますか。使徒の筆頭のペトロが新参者のパウロから会衆の面前で「福音の真理にのっとってまっすぐに歩いていない」と痛烈に批判されているのです。イエス・キリストの十字架の恵みによってのみ救われるという福音には、ユダヤ人・異邦人の差別は全くありません。神さまはどんな人間でも分け隔てなく、受け入れて救いに与らせて下さるのです。ペトロはその事実を身をもって体験しました。そしてあの大事な使徒会議の席上で、皆を導く貴重な発言をしました。ところがその福音信仰に固く立つことが出来ず、揺らいでいるのです。ペトロにしてこの有様でした。

そして若いパウロからその揺らぎを痛烈に批判されました。ここが教会の素晴らしさですね。この世では、トップに対するこの様な発言は許されません。発言者はたちどころにクビか左遷されるでしょう。皆さん、私は牧師生活48年になろうとしています。ペトロより遥かに劣る土の器です。ペトロ以上に福音の真理を踏み外すことがあるに違いありません。どうか遠慮なく批判してください。

偏見・差別は私たちの心に根深いものであることをよくよく自覚いたしましょう。そしてどんな者をも差別なく受け容れてくださる十字架の恵みによって救われる福音に固く立って、偏見・差別を克服して参りましょう。福音こそ世界中の人々を分け隔てせずに一つにしていく救いなのですから。


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