日本バプテスト川越キリスト教会 Baptist Kawagoe

加藤享牧師,山下誠也協力牧師の礼拝説教・教会週報のメッセージ、イベント・行事案内

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5月に飯舘村を訪れ、菅野典雄村長から話を伺って来ました。飯曽村と大舘村が対等合併して生まれた1956年の人口は1809世帯11403人でした。198610月村おこしセミナー開催を期に、夢想塾が誕生。(その関係者から菅野村長と3人の村議がでました)翌年の1月の「新春ホラ吹き大会」で若い女性が「若妻の翼」というホラを吹きました。「女性は結婚したら翼をもがれた鳥同然に、海外旅行なんて夢のまた夢。でも飯舘村の21世紀には、主婦の翼が飛んでいるはず」
  
 ところがこれが村の事業として、すぐに実現したのです。198910月の農繁期に、村内20の地区から1人づつ選ばれた30代の若い嫁たち11日間のヨーロッパ旅行をしたのでした。以後5年間継続され、91人の嫁さんがヨーロッパを訪れ、村に様々な変化をもたらしました。続いて1990年に村民企画会議が発足。普通の住民、若者、女性を積極的に15人選び、住民の誰もが容易に参加でき、自由に意見を述べられるようにしました。村の行政は出来る限り、意見を具体的な施策として実現していきました。
 
1993年冷害に見舞われ、米が殆どとれませんでした。そこで米作中心から高原野菜、葉たばこ、花、酪農等の複合的農業経営への転換に拍車がかかりました。特に肉牛を育成して「飯舘牛」のブランドを全国に広め、餌の自給も果たしました。
 
飯舘村は、標高220600mの高冷地独特の冷涼な気候です。11月上旬から霜が降り、氷点下15度にもなります。4つの川の流域25%が耕地で後は山林です。人口がほぼ半減してきました。3人に1人は年寄りです。しかし周辺の町村が次々と合併する中で、再度の合併はしないで自主自立の村作りの道を選んだことをきっかけに、村民意識が大きく変わりました。村が自立するために自分が自立しなければと、村のことを真剣に考える村民が増えたのです。
 
菅野村長が村民にこう呼びかけました。「までいライフ――暮らし方を少し変えてみよう。戦後一貫して大量生産、大量消費、大量廃棄によってつくられてきた今日の日本経済の中で、少しスピードをゆるめてみよう。走っている人は歩く 歩いている人は立ち止まる 立ち止まっている人はしゃがんでみる。戦後一貫して効率一辺倒スピーディに、お金が全てという価値観で進めてきた結果、人と人との関係が希薄になり、自分さえ良ければ病になってしまった。お互いさままでいの心が必ずや新しい日本を再生する基礎になると思う。」 
 
までいとは東北の方言で「手間ひまを惜しまず、丁寧に心をこめて、つつましく」等を意味します。そこで質の良い飯舘流スローライフを実現しようと菅野村長は呼びかけたのでした。「無いものをねだるのではなく、あるものを探して生かそう」と、村民が自分の手で未来を切り開くオンリーワンの村おこしに取り組み始めました。
 
例えば秋の農繁期に30代の農家の嫁たちを次々とヨーロッパ旅行に出したことがきっかけとなって、子育てに夫も参加すべきだという思いが生まれ、村内の事業所に育児休暇制度が設けられ、村役場の男子職員は出産前後一ヶ月の育児休暇を義務づける「子育て研修」が制度化されました。また子育てに頑張る父親を励ます「ナイスパパ表彰」、また三人以上の子どもには年5万円の育児クーポン券を支給する支援を実施した結果、出生率が県内トップになったそうです。
 
 小学校6年生3泊4日研修旅行は、12年間北海道へ行っていましたが、2年前から沖縄に変更しました。また「ふるさと納税」のお金をラオスに学校をつくる運動に寄付し、全国から寄せられた絵本を、中学生が授業の一貫で英訳してラオスに贈り始めました。中学3年生は福島大学に研修入学し、大学生活を体験します。学校給食は村内産食材100%を達成しました。自分なりに田舎暮らしを楽しんでいる人には「クオリティライフ顕彰」が与えられます。
 
このように、長い年月をかけて、全村民あげて創意と努力を結集し、日本一の美しい村造りに取組んできた飯舘村でした。それが 風上45キロ遠方の海辺に建設された福島原発の爆発で放射能汚染の被害を受け、全村避難地区になってしまったのでした。親と子どもの家族が引き裂かれ、地区の共同体が解体されてしまいました。
 
大都市で急激に増加する電力需要の電源確保として安全神話とともに推進された原子力発電が、永年にわたる6000人の村民の美しい努力を破壊してしまったのです。原発事故は明らかに人災です。何人といえども、美しく生きようとする他人の努力を理不尽に踏みにじる権利は与えられていません。「他に及ぼす影響を十分に考慮して行動する」ことを、福島原発事故のもたらした被害を検証することで、再確認しなければならないと、痛感させられました。
20121216日川越教会
素晴らしい決断(前半)
               加藤 享
[聖書] マタイによる福音書1章18〜25節
 イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。 このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」
  このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、 男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。
 
[序]
 待降節のローソクが3本灯りました。昨日は市民会館でヘンデルのオラトリオ「メサイヤ」を久し振りに聞きました。あと1本灯るとクリスマスです。クリスマス礼拝のご案内を、周りの方々にお配りください。
 
 新約聖書の第一頁は、アブラハムから始まりヨセフに至る系図が長々と記され、それからイエス・キリストの誕生の次第となります。マリアはヨセフと婚約中に赤ん坊をみごもりました。ヨセフには身に覚えがありません。ヨセフはどんなに大きなショックを受けたことでしょうか。マリアは「聖霊によって神さまから授かった」と申します。マリアの人柄からすれば、信じなければならないことでしょうが、でもそんなことが現実に起こり得るのでしょうか。ユダヤ教社会では不倫は死刑です。
 
ヨセフは眠れない日々を送りました。悩んだ末マリアを少しでも守るために、何とか明るみにしないで婚約解消にしようと決心しました。すると主の天使が夢に現れて告げました。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」
 
[1] 疑惑に翻弄される心
三浦綾子の出世作「氷点」は、私が目白ヶ丘教会から巣立って、札幌教会に赴任する直前から、朝日新聞朝刊に連載され始めました、私にとっては想い出深い小説です。人間の原罪を真正面から取り扱った、日本では珍しいキリスト教文学作品です。皆さんもよくご存知と思いますが、ヨセフの心境を知るために、少し引用いたします。
 
舞台は北海道の旭川です。主人公の辻口啓造は、病院の院長として信用も高く、クリスチャンではありませんが「汝の敵を愛せよ」という言葉を座右の銘としている人格者でした。ところが娘のルリ子が近くの川原で殺される事件が起り、自分の留守に妻の夏枝が勤務医の村井と密会している間に起ったことではないかと、二人の関係を強く疑うようになりました。そして夏枝がルリ子のような女の子をもう一度育てたいと望むので、犯人の子を引き取って夏枝に育てさせました。「汝の敵を愛せよ」を実行するのだと自分に言い聞かせながらも、本音は妻の不倫に対する復讐でした。
 
ふとしたはずみで真相を知った夏枝は、それまで可愛がっていた陽子をいじめ始めます。それでも陽子は世の光の如く明るく生きようとしました。しかし高校2年の時に、夏枝から真相を暴露され、翌日自殺を図ります。健気に生きようとしてきた自分の存在自体が、夏枝を傷つけ苦しめてきたことに気付いたからです。「どんな時でも明るく生きようとした私は、お母さんからご覧になると腹が立つほどふてぶてしい人間だったことでしょう。私の心は凍ってしまいました。陽子の氷点は『お前は罪人の子だ』というところにあったのです。私はもう人の前に顔を上げることができません」
 
啓造はクリスマスに、聖書の今日の箇所を開いて読みました。結婚していないのに婚約者が妊娠して、人目につくほどになった。それを知った時のヨセフの懊悩が、啓造には十分察することができました。「ひそかに縁を切ろうとした」という短い一句に、その思いがこめられています。ところが夢に現れた天使が、その妊娠は神の意志によると告げました。破約しようと決心していたヨセフは、天使の命じた通りに、マリアを妻に迎えました。この一事に啓造は強く心打たれて、深い吐息をつきます。
 
これまでの何十億人のキリスト信者の中で、マリアの処女懐胎をヨセフほど信じることが難しい立場にあった者はいないでしょう。最も信じ難い立場にあって、天使の言葉に素直に従ったヨセフに、啓造は驚嘆しました。ヨセフが神を信じ、マリアを信じたように、啓造も夏枝の人格を信じたかったと、涙を流しました。啓造は、ヨセフのようには出来ない自分に泣いたのでした。
 
そうです。ヨセフほどマリアの処女懐胎を信じ難い立場にあった者は、この世にありませんでした。ヨセフの疑惑と苦悩に比べれば、啓造のそれなど何と軽いものでありましょう。事実夏枝に起こった出来事というのは、身ごもるという体の関係までには至らなかった程度のものだったのです。それでも啓造の疑惑と恐れは、彼を駆り立てて、復讐のために犯人の娘を妻に育てさせたのでした。人間の心には恐ろしい思いが次から次へと湧き出てくる底なしの洞窟があるのです。最愛であるべき妻に向かって何ということをしてきたのか、自分でも戦慄しながら、その怒りに翻弄されている自分に、啓造は泣いたのでした。(後半へ)
2012122日川越教会
       なかなか理解できない救い主(後半)
                   加藤 享
(前半より)
 
[2] 私たちの罪の深さ
 私たちは病気が治り丈夫な体で暮らせること、お金が十分にあって豊かに暮らせること、勉強がよく出来て良い学校を卒業し、良い地位につくことが幸福な人生 だと考えます。でも実際には、頑丈な体にまかせて弱い者をいじめたり、強盗殺人をする人がいます。お金持ちの家ほど家族がバラバラになったり、自殺する人が出ると言われています。良い地位について罪を犯し、滅びる人が絶えません。
 
 それは私たちの人格が病んでいるからです。私たちの心が本来在るべき状態にないからです。それを聖書は「」と言います。聖書のいう罪とは、犯罪ではなく、犯罪を生み出す心の病んでいる状態をいうのです。その罪が私たちの身を誤らせ、滅びの道へと引きずり込むのです。ですから私たちは先ず「罪から救われること」が何よりも先に必要です。そこで神さまは国や民族の栄光よりも、一人ひとりを罪から救う救い主をこの世にお送り下さったのでした。
 
 私たちがまだシンガポールで暮らしていた8年前に「キリストの受難」という映画が上映されました。皆さんは日本でご覧になりましたか? ゲッセマネの祈り・逮捕・拷問から十字架の死までを詳しく描写したただそれだけの映画でした。主イエスが残酷に痛めつけられていきます。兵士たちによってこれでもかこれでもかと、太い皮の鞭で叩きのめされ、血まみれになって茨の冠をはめられ、重い十字架を背負わされ、倒れては引き起こされ、倒れては引き起こされて、ゴルゴタの丘にたどり着き、大きな太い釘を手と足に打ち込まれます。そして最後には死を確認するために、わき腹を槍で突き刺されます。 
 
 喜美子は正視出来ず、うつむいて顔を覆っていました。そして帰宅すると寝込んでしまいました。あの兵士たちも妻や子どもたちを養う普通の人間でしょう。それがどうして罪も汚れもないお方に対して、あれほどまでも凶暴になれるのでしょうか。十字架とは私たち人間の内にひそむ罪を徹底的に暴き出すものなのだと、痛感させられました。
 
先日中村梧郎写真展「枯葉剤とベトナム」を見ました。ベトナム戦争10年間でアメリカ軍が使用した爆弾は785万トン(太平洋戦争で日本に投下された爆弾は164000トン)ベトナム人330万人が死亡しました。更にべトコンの潜む森林を枯野にするために、7200万リットルのダイオキシン枯葉剤を航空機から散布し続けて、広島・長崎の原爆被害に劣らない後遺症が、三世代にわたって発生している現実を、中村さんのカメラが知らせてくれました。
 
原子爆弾といい、枯葉剤といい、非人道的な兵器を使用して勝とうとしたキリスト教国アメリカ。アメリカ人の信仰とは一体如何なるものなのでしょうか。勝つためには手段を選ばない。これでもか、これでもかと残虐性がエスカレートしていくのです。私は中村さんの写真展を見ながら、主イエスを十字架につけて打ちのめした兵士たちの残虐性と同じ場面をもう一度見る思いがしました。
 
アメリカだけではありません。日本軍もアジア諸国2500万人以上の命を奪いました。ユダヤ人600万人を殺したナチスドイツ。ルワンダの70万人を超える虐殺、今なお世界各地で、殺し合いが続いています。私たち人間は皆、このような残虐な罪深さを、人格の底に隠し持っているのです。
 
この罪深さから、私たちはどうしても救われなければなりません。だからこそ神さまは、イエス・キリストとなってこの世に来てくださり、ご自分を十字架にかけて、私たちの凶悪な罪を一切引き受けて、死んでくださり、その血によって私たちの罪を清め、赦し、新しい神の命を与える救いを与えてくださったのでした。
 
[結] 十字架に込められた神の愛
 私たちはこれから主の晩餐式を守ります。第一回の晩餐式には、ユダもペトロも共に参加しています。ところがユダはその後で主イエス逮捕の手引きをしてしまいました。ペトロも「どこまでも従います」と誓っていながら、その夜のうちに「イエスなど知らない」と三度も嘘をついて我が身を守りました。
 
 ユダは自殺し、ペトロは立ち直りました。ペトロとユダとの違い――それは自分の罪を悔いて、泣きながら主イエスのもとに戻って来れた人間と、それが出来なかった人間という、ただそれだけの違いでした。ユダは自分で自分の罪を始末して、主の晩餐の食卓には、もう戻って来ませんでした。十字架には、どんな罪でも無条件で赦してくださる神の愛が込められています
 
 主イエスは、ご自分を十字架にはりつけて嘲笑っている人々の罪の赦しを祈りつつ、悔い改めている犯罪人を引き連れて、死んでくださいました。このお方が招いて下さっている晩餐の食卓です。自分の罪深さを恥じて、主の晩餐の食卓に戻ってこない人は、たとえどれほど誠実であっても、ユダの道をたどっている人ではないでしょうか。
 
 復活された主イエスは、三度嘘をついたペトロの前にたち、「わたしを愛するか」と語りかけ、「わたしの羊の世話をしなさい」と三度も繰り返して新しい人生の任務を与えて下さいました。こうしてペトロは立ち直り、弟子としての生涯を全うすることができました。
 
 これが生ける神の子きりストの福音です。平和を求めてこの福音を、先ず身の回りの人に、そして世界中の人々に伝えて参りましょう。祈り、献金し、自分自身を献げて、主のご命令に応えて参りましょう。       
                                 完
2012122日川越教会
なかなか理解できない救い主 (前半)
                                              加藤 享
[聖書]マタイによる福音書16章13〜23節
イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」 イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。 すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。 わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」それから、イエスは、御自分がメシアであることをだれにも話さないように、と弟子たちに命じられた。
  このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」 イエスは振り向いてペトロに言われた。「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」
 
[序] 世界バプテスト祈祷週間の起源
先週の日曜から今日にかけての8日間、世界中のバプテスト教会では世界伝道を覚えて祈り、献金を捧げる世界バプテスト祈祷週間を守っています。これは1873年から40年間中国の山東省で働いたロティームーン宣教師の熱い訴えを受けとめた アメリカ南部バプテストの諸教会の婦人たちの間から、世界伝道のために特別な クリスマス献金を捧げようという運動が起こり、それが全世界に広まったものです。
 
ロティームーンは優れた学校教師でしたが宣教師を志願し、187333才の時に3ヶ月の船旅をして上海に上陸、山東省40年間働きました。「もっと宣教師を送って欲しい。30人欲しいがせめて2人を!」と何度も本国の南部バプテスト連盟に訴えましたが、アメリカ国内の経済不況のためもあり、国内の伝道で手一杯と反応がありません。そこで彼女は諸教会の婦人たちに、世界伝道を支える婦人会を作って、クリスマスの一ヶ月前に献金を募って欲しいと直接訴えました。それに応える婦人たちが各地で立ち上がり、連盟にも婦人部が出来て、全国的に祈祷週間と取り組むようになったのでした。女性の力と働きは偉大ですね。
 
1912年、中国は深刻な飢饉に見舞われました。毎日大勢が餓死していきます。彼女は自分の預金を全部引き出して救済に回しました。自分の食べる分も細くして飢えてる人に回している彼女をみかねて、周囲の人々が衰弱した体を無理に船に乗せて帰国させました。そして船が神戸港に停泊中に、1912年のクリスマスイヴの鐘を聞きながら、静かに72才の生涯を閉じたのでした。
 
後に残された残高ゼロの銀行通帳には、「私のような淋しさを経験する宣教師が決してないように」と書かれてあったそうです。世界伝道のための献金をアメリカでは、ロティームーン・クリスマス献金と呼んでいます。
 
今年はロティームーンが神戸港で亡くなって100年の記念の年です。彼女が40年間福音を伝えて中国の人々に仕えた山東省では、浦和教会から送り出された宮井武憲・乃り子夫妻が、自分のアパートで去年の11月6日の日曜日から、青島の在住  日本人の日曜礼拝を開始しました。4家族16人の礼拝でした。ロティームーン宣教師の世界伝道への訴えが、私たちの身近からも、このような形で応答されていることは、本当に嬉しいことですね。
 
[1] 弟子たちが期待したメシア
 今日の聖書の箇所は、シモン・ペトロが弟子たちを代表して、「あなたはメシア、生ける神の子です」と告白した場面です。ペトロとアンデレ、ヤコブとヨハネ兄弟たちは、ガリラヤ湖の漁師でした。主イエスから「わたしについて来なさい」と声をかけられ、全てを捨てて弟子になりました。このお方について行けば、もっと良い人生を送れると期待したからでしょう。他の8人の弟子たちも同じだったに違いありません。
 
 彼らは主イエスと毎日一緒に暮らして、人々に接しておられるお姿をつぶさに見て学んでいるうちに、このお方は預言者以上のお方であると分かって来ました。そして「あなたがた方はわたしを何者だと言うのか」との主の質問に、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えるまでになったのでした。すると主イエスは弟子たちに対して、「メシヤ教育」をお始めになりました。
 
 メシアとはヘブル語で「油を注がれた者」を言います。そのギリシャ語訳がキリストです。王や祭司は油を注がれることで神によって任職された王・祭司であることを表わしました。ところが紀元前8世紀、イザヤを始めとする預言者たちが、神によって立てられる救世主を予言するようになり、そのようなメシヤの到来にたいする期待が、人々の間に広がりました。
 
 人々はメシアを、自分たちの国が歴史上一番栄えたダビデ王のようなお方と考えたようです。ペトロたちも同じようなメシヤを期待していたのでしょう。そして主イエスをそのメシヤと結びつけて考えるようになりました。ところが主イエスの口から出てきたのは、ご自分が「必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている」というお言葉だったのです。
 
 ペトロはあわてて主イエスをわきへお連れして、いさめ始めました。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」弟子たちの驚きと戸惑いがよく表わされています。メシヤはダビデ王国を再び興してくださる方でなければなりません。指導者たちから苦しめられ、殺されてしまうなど、とんでもないことです。しかし主イエスはおっしゃいました。「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」
 
 サタンとは悪魔のことです。ペトロは主イエスから悪魔呼ばわりされたのです。ペトロも他の弟子たちも、二度続けて腰を抜かさんばかりに驚き、恐れたのではないでしょうか。「どうして?」「神のことを思わず、人間のことを思っているから」です。神さまのお考えは「多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活するメシア」。「必ず」というお言葉に、神さまのゆるがない意志と計画が表明されています。
 
 これは言葉を変えて言えば、「十字架の死を通して救いをもたらすメシア」ということです。しかしそのようなメシアを弟子たちも人々も期待していませんでした。神さまはどうしてこのような栄光とはかけ離れた惨めなメシアを、この世にお送りになったのでしょうか。
(後半へ)
 
20121111日川越教会
おさな子を祝福する(後半)
            加藤 享

 
 
(前半より)
「ここは子供の来る所ではない」「邪魔だ、あっちに行け!」――大人の心に余裕がなくなると、子供は邪魔者扱いされます。大事に可愛がられたり、粗末に追い払われたりと、大人の都合で子供が翻弄される――私たちの日常生活でよく見かける光景です。しかしイエスさまは、子供たちが粗末に扱われると、非常に憤慨して弟子たちを叱りました。
 
 その理由は「神の国はこのような者たちのもの」だからです。子供は罪が無くて清いからというのではありません。どんな幼い子供でも、大人の罪深さをちゃんと備えています。我ままな点では大人以上です。だから神の国は子供のものだとは言われていません。子供のように受け入れる者だけが入れる所だと,受け入れるという点が強調されています。
 
神の国は、入学試験のように良い成績をあげて合格するものではなくて、さあ入れてあげるよと差し出される恵みを、有難く頂戴することによって、入れる所だとイエスさまはおっしゃったのです。そうです。良い成績を上げなければというのでしたら、頭の悪い者はダメです。修行を積んでとなれば、意志の弱い者はダメです。沢山の寄付をすればというのでしたら、貧しい者はダメです。
 
 ところが差し伸べられた手に、無心に身を委ねることの出来る幼子のように、神さまがイエス・キリストを通して与えて下さろうとしている救いの恵みを、ただ有難く頂戴することならば、誰にでもできます。何も出来ない幼子でも救われるとすれば、どんな人でも救われます。大切なのは修行ではなく、受容なのだとおっしゃったのでした。 
 
[3] アーメン坊やの救い
以前のこと、「アーメン坊や、救われる」という見出しの新聞記事を読みました。  父親と山菜とりに山に入った4才の男の子がはぐれてしまいました。警察・消防団総出で捜査し、翌朝木の根の陰に眠っているところを、無事救い出されました。「淋しくなかったの」「怖くなかったの」という質問に「ううん、アーメン、アーメンとお祈りしていたから」と答えたそうです。「神さまが守ってくださっている、お父さんが必ず助けに来てくれる」と信じて、じっと待っていることが出来たからでした。
 
 このアーメン坊やは、遭難した時にとるべき最善の行動をとりました。むやみに歩き回ったら体力を消耗します。闇の中で崖から転落したかも知れません。迷子になった地点からそれほど動き回りませんでしたから、見つけ易かったのです。不安や恐怖に駆り立てられて絶望することなく、平安な心で眠って待つことが出来ました。実に見事ですね。
 
 でもこの子はそれが最善だからと自覚して、行動したのではありません。普段から身につけていたアーメンとお祈りする信仰と、神さまとお父さんへの信頼を持ち続けたので、結果的に大人でもなかなかとれない最善の行動をとれたのでした。その意味でこの子の両親は、命を守る一番基本的な教育を、我が子に授けていたと言えましょう。「神さま、お守りください、アーメン」とどんな時でも祈って、平安な心を保つ信仰こそ、私たち大人にとっても、何にもまして大切ではないでしょうか。
 
 家族一緒に教会に通い、礼拝し、毎日神さまの恵みに感謝して「アーメン」と祈る信仰を、素直に身につけたこの坊やこそ「神の国はこのような者たちのものである」とイエスさまがおっしゃった子供だと思います。そして私たち大人は「はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」という言葉を心に刻みつけ、子供たちから常に学ばなければならないのではないでしょうか。
 
[結] 主の御手に我が子を差し出して
 イエスさまは、幼子ばかりでなく、病気で苦しんでいる人、人々から卑しめられている人を招き、無条件で祝福されました。「父よ、貴方の御心をなさってください」と神さまへの全幅の信頼をお示しになりました。妬む者たちによって捕えられ、  十字架にはりつけにされながら、彼らの罪を赦してくださいと祈りつつ、死んでくださいました。こうしてどんな人の罪をも赦し、救い、祝福してくださる神さまの愛を現してくださいました。
 
 このお方につながることによって、私たちは神さまとの絆を保つことができます。聖書を読んでこのお方の言葉を知り、信じて祈ることによって、命を豊にする力を頂きましょう。家族みんなで礼拝に集まり、あのアーメン坊やのような信仰を親子ともどもに、身につけていきましょう。
 
 いとし子を与えられているお父さん、お母さん。手を差し伸べてくださっているイエスさまに、我が子を差し出して、祝福を豊に頂き続けながら、ご自分たちもその祝福のもとに、養育の務めを果たしていかれますように。ご自分たちのふところが、我が子の信仰の揺りかごです。
 
皆さんお一人ひとりと、大切な家族お一人ひとりの上に、神さまの恵みが豊に在りますように。     完    
 
 

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