日本バプテスト川越キリスト教会 Baptist Kawagoe

加藤享牧師,山下誠也協力牧師の礼拝説教・教会週報のメッセージ、イベント・行事案内

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20121111日川越教会
               おさな子を祝福する (前半)
                                 加藤 享
[聖書]マルコによる福音書10章13〜16節
イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。 はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。
 
[序]七五三を祝いながら
 七五三の季節になりました。3才5才になった男の子、3才、7才になった女の子が着飾って、氏神さまにお参りする行事です。医療が十分でなかった昔は、幼児が小さいうちに病気で次々と死にました。そこで「ああ3才になった、有難い!」  「もう5才、7才に達した。これで無事に成人してくれるだろう」と喜び祝い、引き続き健やかに成長するように、祈願したのです。
 
 ところがこの頃は、幼いわが子を虐待して殺してしまう親が絶えません。どうしたことでしょうか。一方成人した子供に親が殺されてしまう事件もよく起こります。幼子ばかりか、親もうかうかして居られなくなりました。親子の絆が脆くなり、変化してきたのでしょうか。世の中がどんどん悪くなってきているようです。どうしたらよいのでしょう。
 
[1]子は宝というけれど
 日本最古の歌集「万葉集」に、親心を歌った山上憶良やまのうえのおくら)の有名な歌があります。「(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむに、まされる宝、子にしかめやも」子供は金銀財宝にまさる一番の宝だというのです。ここから「子宝」という言葉が生まれてきたのでしょう。
 
 私は以前に札幌で30年余牧師をしていましたが、北海道の遠軽に有名な家庭学校があります。昔は非行少年の更生施設でしたが、現在は欠損家庭の子供たちの施設になりました。設立者の留岡幸助先生は少年時代に岡山県の田舎でクリスチャンになりました。明治の初期のことです。困り果てた父親が町の警察署長にクリスチャンをやめるように説得してもらいました。でも彼は頑として節を曲げません。署長は父親にこう言ったそうです。「金助、こんな子はダメじゃ。連れて帰れ。しかし子は親のものじゃから、煮て食おうが焼いて食おうが、親の勝手じゃ!」
 
 「煮て食おうが焼いて食おうが親の勝手」とは極端な言い方ですが、我が子は親の思うように扱えるものだという意味でしょう。このような思いと、「どんなに高価な金銀宝石よりも、わが子は大切な宝だ」と歌う万葉集の心とが、二つながら私たち日本人の心にはあるのですね。
 
 私は札幌の次に、シンガポール10年暮らし、日本語教会の牧師をしましたが、そこは金細工の装飾品店が実に多い街でした。人口の76%を占める中国人が、お金が出来るとすぐに金製品を買うからだそうです。銀行は何時つぶれるかわからない。戦争が起ったらすぐ逃げ出さなければならない。身近に持つ金の装飾品の方が、いざという時に世界の何処でもすぐ換金できるからだそうです。砂漠の民も財産は貴金属・宝石の装飾品にして身に着けて生活していると聞きました。
 
 宝というものは、我が身が危なくなった時に、それを売って我が身を守るのに役立つので大切なのですね。としますと我が子がどんなに金銀財宝よりも大事な宝だとしても、宝であるからには、危なくなればそれを売って、我が身を守るものでしかないということになります。そこで我が子を自分の思い通りに取り扱えるという 警察署長の考えと、結びつくのでしょう。
 
 しかしこれでは、親の立場が中心で、子供を本当に大事にしていることにはなりません。親心とは、その程度のものなのでしょうか。また子供は何故大事なのでしょうか。
 
[2] 神の国はこのような者たちのもの
 ここで聖書の言葉に戻ります。ある時主イエスさまのもとに、親たちが幼子を連れて集まってきました。手を置いて祝福の祈りをしていただこうとしたのです。ところが弟子たちは「ダメだ、ダメだ。先生は今お忙しいから」と叱って、追い返そうとしました。その有様を見て、イエスさまは非常に憤慨なさり、おっしゃいました。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」そして、子供たちを一人ひとり抱き上げ、手を置いて祝福されたのでした。
 
にこにこ機嫌よくしている赤ん坊は、思わず手を差し伸べたくなるように可愛いいですね。お母さんを見上げて仲良く会話している親子の姿は、周りを微笑ませ、和やかにしてくれます。しかし泣き叫んでいつまでも親をてこずらしている子供には、周囲の者まで次第にいらいらが募って、いい加減にしてくれとうんざりさせられます。
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2012年9月30日川越教会

                    国が滅びるとは[後半]



                                     加藤 享

(前半より)

[2]神の目によって定まる歴史
 ではどうしてイスラエルの民は、このような悲劇を味合わねばならなかったのでしょうか。直接的原因は国王の無能さです。24章1節以下をご覧ください。ヨヤキム王は三年間バビロン王に服従しましたが、その後反逆しています。当時大国エジプトと新興国バビロンにはさまれた小国として、どちらの傘の下に身を寄せるかに国の命運がかかっていました。確かに父ヨシヤ王はエジプトがバビロンと対決しようとして、南から攻め上って来た時、これを迎え打って戦死しています。

 兄のヨアハズが王になりましたが、三ヶ月後にエジプト王によってエジプトに連れて行かれ、ヨヤキムが兄に代わって王に立てられました。ここまではエジプトが優勢です。しかしその後バビロン王が勢力を強大にしてエルサレムに攻めて来たので、エジプト王に貢いでいた税金をバビロン王に払うようになりました。ここで世界の覇権はエジプトからバビロンに移っています。その世界情勢を見究めることが出来ず、ヨヤキムはエジプトを頼みとして バビロンに反逆したのでした。

 バビロンはすぐさまエルサレムを包囲しました。しかしエジプトは最早助けに来てくれません。そして包囲されている最中に彼は死に、18才の息子ヨヤキンが王になり、城門を開いて降伏したのでした。そして第一次バビロン捕囚となりました。ところが次に王にされたゼデキヤも、バビロンに反旗を翻して、決定的に滅ぼされてしまったのです。どうして歴史に学んで世界情勢を的確に判断出来なかったのでしょうか。

 良い家臣に恵まれなかったのです。日本は世界の状況を知っている海軍が、世界に無知な陸軍の暴論に押されて、無謀な戦争突入に賛成し、天皇はその決定に従って開戦の詔勅を出してしまいました。しかしユダ王国の王たちは、エレミヤのような真の預言者が居るにもかかわらず、彼を退け、偽預言者たちに惑わされました。偽預言者の典型としてハナンヤの記事が、エレミヤ28章に記されています。

 しかし何よりも、王自身にイスラエルの歴史を通して彼らを導いて来られた主なる神を畏れ敬い、その御言葉に聞き従って、神の民の王としての責任を果たして行こうという信仰が薄かったことがあげられます。先週学んだヒゼキヤ王は偉大な預言者イザヤに聞き従いましたが、その息子マナセは主の目に悪とされる数々を行って主の怒りを招きました。「それゆえイスラエルの神、主はこう言われる。見よ、わたしはエルサレムとユダに災いをもたらす」(21:12)

 マナセの孫ヨシヤは、「彼のように全くモーセの律法に従って、心を尽くし、魂を尽くして主に立ち返った王は、彼の前にも後にも居ない」と言われるほど、宗教改革を進めましたが、「しかし、マナセの引き起こした主のすべての憤りのために、主はユダに向かって燃え上がった激しい怒りの炎を収めようとはなさらなかった」(23:26)と聖書は語っています。

 国を直接滅亡させたヨヤキムもゼデキヤも「主の目に悪とされることをことごとく行った」(23:37、24:19)と記されています。主の目によって国の滅亡が決まる――  人間の思惑や行動が歴史を織り上げていくように見えますが、歴史は神の御心が働く場なのですね。神さまの御心が歴史に表れていくのです。

 そうならば私たちは、神さまの御心を尋ねながら、歴史に参与していかねばなりません。神の目に良いとされることを行おうとする時、私たちは真剣にみ言葉を読み、祈らなければならなくなります。信仰の友の助言に謙虚に耳を傾けます。自分の欲や世間の慣わしになびこうとする心と激しく戦います。礼拝を大切にして、心身を整えます。こうして歴史を綴る信仰の歩みが一歩一歩と進められていくのです。神さまからの祝福をいただけるのです。国民の幸せを担う一国の王たる者こそ、そうでなければなりませんでした。

[3]裁きとともに赦しと祝福を備える歴史の主
 
 南王国が滅び、国王以下がバビロンで捕囚生活を始めました。エルサレムに残ったエレミヤは手紙を書き送っています。エレミヤ書29章です。

「家を建てて住み、園に果樹を植えてその実を食べなさい。妻をめとり、息子、娘をもうけ、息子には嫁をとり、娘は嫁がせて、息子、娘を産ませるように。そちらで人口を増やし、減らしてはならない。 わたしが、あなたたちを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。その町の平安があってこそ、あなたたちにも平安があるのだから。」(5〜7節)

「 主はこう言われる。バビロンに七十年の時が満ちたなら、わたしはあなたたちを顧みる。わたしは恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す。 わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。」(10〜11節)

 エレミヤは国家滅亡の悲劇を目の当たりにしながら、イスラエルを今日まで導いて来てくださった主が,ご自分の民をこのまま滅ぼし尽くしてしまわれるはずがないと確信しました。すると神さまは70年先の歴史を彼に見せて下さったのでした。それは捕囚の民の喜びの帰還です。先の見えない異国での捕囚生活、ともすれば絶望に押しつぶされそうになります。しかし主は希望を与える将来を示してくださったのです。「それは平和の計画である」何と嬉しいことでしょうか。

 王国の滅亡は神の民の罪に対する、神の厳しい裁きでした。しかし神さまは将来と希望を与える平和の計画をすでに用意しておられるのです。そして「あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く」「心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしに出会う」「わたしは捕囚の民を帰らせる」と約束して下さったのでした。

 これこそが祝福なのですね。信仰の祝福なのですね。信仰者には絶望はありません。どんな時にも、将来と希望が与えられるのです。歴史を導く神さまは、憐れみに富み、厳しい裁きと共に、赦しを祝福を用意しておられる支配者なのです。ですから私たちは、主の御心に背いた罪を悔い改めて、主の御許に戻らなければなりません。

[結] 赦しと希望の将来
 
 国が滅びるとは、神の激しい裁きです。神の激しい怒りの炎によります。私たちは心の底から、罪を悔い改めなければなりません。神さまは、赦しと希望の将来を既に御心の内に、備えて下さっているのです。 

 反日デモに心を痛めて祈っている時に、「主よ、御国を来たらせたまえ」という祈りの大きな響きが聞こえてきました。そうです。神さまは既に、一億を超える同信の友を中国に備えて下さっているのです。この兄弟姉妹が、中国の各地で今日も礼拝を守り、「主よ 御国をきたらせたまえ」と主の祈りを唱えて下さっているのです。何と心強いことでしょうか。

 「われらに罪を犯す者をわれらが赦すごとく、われらの罪をも赦したまえ」との祈りが、中国各地で祈られているのです。赦しは必ず拡がっていくのです。私たちもこの日本国内で、主の祈りを唱える同信の友もっともっと増やしていきましょう。  完

2012年9月30日川越教会

                  国が滅びるとは[前半]

                                    加藤 享

[聖書]列王記下23章24〜27節
 ヨシヤはまた口寄せ、霊媒、テラフィム、偶像、ユダの地とエルサレムに見られる憎むべきものを一掃した。こうして彼は祭司ヒルキヤが主の神殿で見つけた書に記されている律法の言葉を実行した。 彼のように全くモーセの律法に従って、心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして主に立ち帰った王は、彼の前にはなかった。彼の後にも、彼のような王が立つことはなかった。 しかし、マナセの引き起こした主のすべての憤りのために、主はユダに向かって燃え上がった激しい怒りの炎を収めようとなさらなかった。 主は言われた。「わたしはイスラエルを退けたようにユダもわたしの前から退け、わたしが選んだこの都エルサレムも、わたしの名を置くと言ったこの神殿もわたしは忌み嫌う。」

 24章10〜14節
 そのころ、バビロンの王ネブカドネツァルの部将たちがエルサレムに攻め上って来て、この都を包囲した。 部将たちが都を包囲しているところに、バビロンの王ネブカドネツァルも来た。 ユダの王ヨヤキンは母、家臣、高官、宦官らと共にバビロン王の前に出て行き、バビロンの王はその治世第八年に彼を捕らえた。 主が告げられたとおり、バビロンの王は主の神殿の宝物と王宮の宝物をことごとく運び出し、イスラエルの王ソロモンが主の聖所のために造った金の器をことごとく切り刻んだ。 彼はエルサレムのすべての人々、すなわちすべての高官とすべての勇士一万人、それにすべての職人と鍛冶を捕囚として連れ去り、残されたのはただ国の民の中の貧しい者だけであった。


[序]中国に於ける反日デモ
 
中国各地で反日デモが続発し、日本のスーパーや日本企業の工場破壊が発生しています。原因は日本政府が尖閣諸島の地権者から権利を購入して、国有化したからでした。そもそもの発端は石原東京都知事が地権者と交渉して東京都で購入し、放置されてきた漁民の避難所施設や灯台等を整備しようとしたからです。政府は島に手を加えて中国を無用に刺激して紛争を起こさぬようにした積りでしたが、それでもこの事態になってしまいました。

 自国の主権が侵されることに激しく拒否反応を示す中国。近代になって欧米日諸国に主権を侵され、最後には日本軍に全土を侵略された屈辱の歴史が、中国国民にとってどれほど深い傷跡を残したかを、あらためて見せ付けられています。

 私たち夫婦がシンガポールから帰国した2005年にも、4月に中国各地の大都市で激しい反日デモが発生し、一部が暴徒化しました。あの時は小泉首相の靖国神社参拝問題と韓国竹島問題、そして日本が国連安保理事会の常任理事国になりそうになり、国際政治でも大国化することへの反感から起ったものでした。中国の若者たちは「小日本」(xiao Riben)を口々に叫びました。英語のJapと同じ軽蔑語です。今回のデモではこの言葉が聞こえませんね。日本をもう小日本とは呼べなくなったのでしょうか。

 先日の朝日新聞投書欄で北京に6年駐在した方の文を読みました。「各地を訪問し多くの場所で『抗日記念館』を目にしました。雲南省の小さな村の記念館では日本軍の残虐行為について、若い係員が涙ながらに説明していました」デモに参加した若者たちは愛国教育を受けて育ちました。丁度私たちの世代が戦時中に徹底的に皇民愛国教育を受け、お国のために戦死して靖国神社に祀られることのみを目指した姿を想い起こします。一体何時になったら、愛国心と日中友好が両立して、このような反日デモの起らない時代が来るのでしょうか。暗い思いに襲われます。

[1]戦争の悲惨さを感じる心
 
 さて私たちは、旧約聖書のイスラエル王国時代の歴史を学んできました。紀元前1000年にダビデが統一王国を建てましたが、栄華に輝くソロモンの代が終わると南北に分裂し、北王国は前722年に滅亡、南王国も前586年にバビロンにより滅ぼされてしまいました。南王国の滅亡――それが今日の学びです。

 ヨヤキン王は、バビロンの大軍に包囲されている危機の最中に、父ヨヤキム王が死に、18歳で王位を継ぎました。そこで3ヶ月後に城門を開いて全面降伏したのでした。そして神殿、王宮の宝物のすべてと共に、母や妻、家来、有力者の全員、軍人、兵士から職人、鍛冶等の技術者全員を捕囚の民としてバビロンへ連れて行かれました。 第一次捕囚です。都には貧しい者だけが残されました。

 バビロン王は、ヨヤキンに代えておじのマタンヤを王にし、名前をゼデキヤと改めさせました。名前を変えさせられるとは、それまでとは別の人格にされることです。ゼデキヤはバビロン王の意のままになる王となりました。しかし愚かにも8年後に、反旗を翻してバビロンの大軍に包囲され、2年半後に遂に落城。自分の目の前で息子たちを殺され、両眼をつぶされてバビロンに引き立てられて行き、牢獄のなかで死にました。エルサレムの神殿も王宮も焼き払われ、城壁も取り壊されてしまいました。イスラエル王国の完全な滅亡です。

 NHKの朝ドラ「梅ちゃん先生」が昨日で終わりました。東京蒲田の焼け野原で空襲を生き延びた庶民が、バラック住まいから次第に暮らしを立て直して幸せになって行く戦後の復興振りが描かれていました。見ていますと戦争に負けて打ちのめされたという惨めさや厳しさが余り感じられません。確かに67年前の我が国の敗戦は、戦勝国から随分寛大に扱われたと言えましょう。私自身の戦争体験もこのドラマと似ていました。大空襲以前に東京から北海道に疎開して平穏な8月15日を迎え、翌年には東京に戻り、空襲の被害にあわなかった練馬で中学生活を送ったのです。二度と戦争をしてはならないという厳しい自覚に欠けていないかと反省させられます。

 それに比べて、東京や大阪、広島、長崎の大空襲、原爆の被害に直接遭われた方、沖縄の激しい地上戦の戦場に巻き込まれた方、外地で敗戦を迎え、難儀な引き揚げや抑留生活を余儀なくされた方々の苦労はどんなにか深刻なものだったことでしょうか。否、それ以上に日本軍の侵略によって平和な生活を破壊され、家族を殺され、悲惨のどん底を味合わされた、中国はじめアジア諸国の皆さんは、どれほど戦争を呪い、日本を呪ったことでしょう。

 私は今日の聖書箇所を読んで、国を滅ぼされた時に味合わせられる恐怖、苦痛、悲しみ、呪いに、もっともっと共感する感性を持たなければと痛感させられました。
                              (後半へ)

2012年9月2日川越教会

                  どちらが本物か[後半]

                                         加藤 享

(前半より)

 丹頂鶴自然公園の実験によりますと、丹頂鶴の卵は保温器で温められても最後の10日間言葉かけをされないと雛が殻を破って生まれてこない。言葉がかけられることによって、卵の内にある命がひきだされて、生きるものとなるのだそうです。まして私たち人間は、言葉をかけられていくことによって人格が形成され人間になっていくのです。ですから人間を創造された神さまが、言葉をもって私たちに絶えず語りかけ、私たちの人格を養い育てていこうとされることは当然ではないでしょうか。

 仏教徒は沈黙する仏の前で自己との対話に精進し、ととのえられた自己、優れた人格を確立していくといわれます。私はそのような自分との対話に精進する方に深く敬意を抱きます。でも神さまとの対話と自分との対話を比べる時、私にとっては真の神さまとの対話の方が、人格を育んでいくにあたってはるかに優っていると思えるのです。

 何故ならば、私のような者が一人で語り始めると、どうしても手前勝手な自我のこだわりから抜け出ることが困難だからです。神さまああしてください、こうしてくださいという祈りは、神さまを召使にして自分の欲を果たそうとする自己中心的なご利益信仰に他なりません。神さまから正しい命の言葉を聞き、自我のこだわりから引き離されて、真実に応答していこうとするところで、私の人間としての在るべき人格が創られていくのではないでしょうか。私にとっては、もの言わぬ神をつくって拝むことは、自分を卑しくしていく道だと思うのです。

[2]神さまとの真実な交わり
 日本のプロテスタントの信仰の発生地は、横浜・熊本・札幌です。札幌の場合は「青年よ、キリストにあって、大志を抱け(Boys, be ambitious in Christ)」の言葉で有名なDr. William Clarkの感化を受けた青年たちから始まりました。クラークは北海道開拓使長官の黒田清隆に招かれ、札幌農学校初代教頭として明治9年(1876年)に来日しました。

 彼は横浜に上陸して、昼間から酒に酔って醜態をさらしている若者を幾人も見かけて驚きました。そこで横浜から苫小牧までの船旅の途中で、アメリカから持ってきたブランデーの箱を全部海に投げ捨て、札幌滞在中はアルコールを一切口にしなかったそうです。彼は聖書も沢山持って来ました。聖書をもって生徒の人格教育をしようとしたのです。黒田長官は国立学校だからそれは困ると反対しましたが、それでは教育に責任が持てないからアメリカに帰ると言われて、仕方なしに許可したそうです。

 クラークは聖書を教え始めてしばらくしてから、「耶蘇の信徒の誓約(イエスを信じる者の誓約)」を書いて第一期生に示しました。すると16人全員が署名し、翌年に入学した第二期生15人もそれに署名したそうです。クラークは僅か10ヶ月しか 札幌に滞在しませんでしたので、第二期生は直接クラークの教えに接していません。しかしこの誓約にこめられたクラークの信仰は大きな影響を二期生にも与え、彼らの中から宮部金吾、内村鑑三、新渡戸稲造などの優れた信仰者が出たのでした。

 この誓約は二部から成っており、罪を贖うキリストの救いを信じること、それゆえに十戒を守る生活を送るというものです。すなわち十戒を守る生活が彼ら若者たちの信仰生活のしっかりとした枠組みとなり、札幌バンドの若者たちの成長を導いたのでした。宮部金吾17才、内村鑑三16才、新渡戸稲造15才の時に誓約しています。

 僅か10ヶ月間しか教えずに帰国したにもかかわらず、後から入学してきた生徒たちにまで素晴らしい生涯を送らせた教育の成果は、とりもなおさず「耶蘇の信徒の誓約」が生み出したものに他なりません。キリスト信仰と十戒を心に刻むことが、どれほど大切かを改めて知る思いがします。

 十戒の最初の言葉に注目しましょう。 「わたしは主(ヤハウェ)、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」これは神さまの自己紹介です。神さまとはどういうお方なのでしょうか。私にどんなことをしてくださるお方なのでしょうか。ここで神さまは、ご自分がイスラエルの民にどんな事をしてくださったかを単純明快に語っておられます。それは奴隷から自由人への解放者でした。

 奴隷とは人間らしく生きていけない状態をいいます。貧しさや弱さの故に、周りから人間扱いされなくなっている場合もあるでしょう。あるいは自分の意志の弱さから自分で人間らしく生きられなくなっている場合もあるでしょう。また強い者の理不尽な暴虐によって、しいたげられている場合もあります。しかし神さまはそのような奴隷状態から私たちを救い出し、神さまから与えられた本来在るべき姿をもって自由に生きていけるようにしてくださるお方なのです。

 続いて十戒の第一の戒めを見てみましょう。「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」 英語のKing James Version では ”Thou shalt have no other gods before me.”

 剣道では、相手の真正面に我が身を置き、相手の目を見据えながら相手の全身を捉え、相手の心の動きを察知して、全身全霊を込めた攻防をする修練を積み重ねていきます。相手と自分の間に邪念を入れてはなりません。瞬間の動きが乱れるのです。

 これと同じ様に、神さまの真正面に我が身を置き、真剣に神さまに向かう時には、神さまと私以外の何物も入る余地はありません。一対一で全身全霊を込めて相対峙することは、剣道以上に信仰においては大事なことではないでしょうか。

 友だちは少ないより多いほうが良い。しかし一体となる夫と妻の場合は一対一、その間に他の何者も入る余地はありません。アブラハムとサラ夫婦になかなか子どもが生まれなかった時、サラは自分の召使ハガルにアブラハムの子を生ませて、跡取りにしようとしました。しかしアブラハムとサラとの間にハガルが割り込んでくることによって、夫婦の愛に亀裂が生じました。そこでサラはハガルを追い出してしまいます。(創世記16章)随分手前勝手なひどい話です。でも夫婦の真剣な一体性と一夫多妻とは決して両立いたしません。

 だとしますと、神さまと私との関係も当然一対一でなければなりません。もしも神さまを二人・三人持つことが出来るとすれば、その神さまと本当に一体となることを求めていないからに他なりません。神さまと一体にならずに、どうして神さまの真実の命を受けることが出来ましょうか。あっちの神さまと相談し、こっちの神さまにお願いして、本当に真実の信仰が確立するのでしょうか。

 「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」神さまの前に立つのは私です。右を見、左を見てさてどうしようかという問題ではないのです。「あなたにはーーーあってはならない」あくまでも私が問われています。私が全身全霊をこめて神さまの御前に立ち、真っ直ぐに神さまを見上げ、神さまから真剣に聞き、応答していくことが信仰なのです。そしてそこから人間としての真実さ・誠実さが生ま
れてくるのです。

[結]御言葉に聞き従って生きる
 カルメル山での対決で、エリヤは集まって来た民すべてに呼びかけました。「あなたたちは、いつまでどっちつかずに迷っているのか。もし主が神であるなら主に従え。もしバアルが神であるならバアルに従え。」

 バアルは大地の生産力を、地に宿る超自然的な霊の力だとして、神格化した神です。しかし雨が降らず飢饉になれば、地は干からびていきます。作物を豊かにもたらすバアルの力は衰え、無力さを現します。飢饉になればバアルはどうすることもできないのです。豊かな収穫をもたらすアシュラの女神も同じです。だから預言者850人が、朝から午後3時まで大声で叫び血を流して呼ばわっても、答えることが出来なかったのは、当然でした。

 偶像は、ご利益を求める人間が作り上げた、神に値しない像でしかありません。それを有り難がたらせ、人々に拝ませているのは、その宗教を利用して自分の支配権を確立しようとしている王妃イザベルの政治的たくらみでした。エリヤの問いかけに民衆が一言も答えられなかったのも、主の預言者を迫害し殺しまくるイザベルの権力を恐れたからでしょう。

 支配権力と結びつき、利用されて堕落する宗教のおぞましさを、私たちは歴史のなかで繰り返し学んできました。宗教と政治の混同、教会と国家の癒着は、人権を  抑圧し、批判を許さぬ国家権力の神聖化と、教会の世俗権力化をもたらします。  政教分離の原則はバプテストの先達が勝ち取ってきた大切な嗣業であることを、あらためて自覚したいと思います。
 
 先週、東日本大震災の最中での、山浦医師の証をご紹介しました。津波に襲われ九死に一生を得た山浦さんは、瓦礫の山の中で涙を激しく流します。しかしその時「わが神わが神なぜわたしをお見捨てになったのですか」という十字架上のイエスさまの叫びが心に響いてきました。そして「よし、へこたれないぞ!」と決意したそうです。どうしてでしょうか?

 主が叫ばれた言葉は、詩編22編の冒頭の言葉です。その後には「私たちの先祖は貴方により頼み、救われてきた。助けを求めて救い出され、裏切られたことはない」という絶対的な信頼が歌われているのす。だから山浦さんは「命を助けられた自分も、神さまの御用に用いられて働かなければ」と思ったのでした。これが信頼を寄せて神さまからの語りかけを聞きながら、それに答えて生きていく信仰者なのですね。

 神さまは、必ず私たちの叫び、呼びかけに答えてくださいます。どんなに絶望的な状況になろうとも、必ず救いの御業を行われるお方です。信じて、神さまの語りかけに耳をすませ、御言葉に聞き従い、神さまの御用に用いられて生きる生き方をして参りましょう。     完

2012年9月2日川越教会

                   どちらが本物か[前半]

                                    加藤 享
[聖書]列王記上18章20〜40節
 アハブはイスラエルのすべての人々に使いを送り、預言者たちをカルメル山に集めた。
エリヤはすべての民に近づいて言った。「あなたたちは、いつまでどっちつかずに迷っているのか。もし主が神であるなら、主に従え。もしバアルが神であるなら、バアルに従え。」民はひと言も答えなかった。 エリヤは更に民に向かって言った。「わたしはただ一人、主の預言者として残った。バアルの預言者は四百五十人もいる。 我々に二頭の雄牛を用意してもらいたい。彼らに一頭の雄牛を選ばせて、裂いて薪の上に載せ、火をつけずにおかせなさい。わたしも一頭の雄牛を同じようにして、薪の上に載せ、火をつけずにおく。 そこであなたたちはあなたたちの神の名を呼び、わたしは主の御名を呼ぶことにしよう。火をもって答える神こそ神であるはずだ。」民は皆、「それがいい」と答えた。 エリヤはバアルの預言者たちに言った。「あなたたちは大勢だから、まずあなたたちが一頭の雄牛を選んで準備し、あなたたちの神の名を呼びなさい。火をつけてはならない。」 彼らは与えられた雄牛を取って準備し、朝から真昼までバアルの名を呼び、「バアルよ、我々に答えてください」と祈った。しかし、声もなく答える者もなかった。彼らは築いた祭壇の周りを跳び回った。 真昼ごろ、エリヤは彼らを嘲って言った。「大声で呼ぶがいい。バアルは神なのだから。神は不満なのか、それとも人目を避けているのか、旅にでも出ているのか。恐らく眠っていて、起こしてもらわなければならないのだろう。」 彼らは大声を張り上げ、彼らのならわしに従って剣や槍で体を傷つけ、血を流すまでに至った。 真昼を過ぎても、彼らは狂ったように叫び続け、献げ物をささげる時刻になった。しかし、声もなく答える者もなく、何の兆候もなかった。
エリヤはすべての民に向かって、「わたしの近くに来なさい」と言った。すべての民が彼の近くに来ると、彼は壊された主の祭壇を修復した。 エリヤは、主がかつて、「あなたの名はイスラエルである」と告げられたヤコブの子孫の部族の数に従って、十二の石を取り、 その石を用いて主の御名のために祭壇を築き、祭壇の周りに種二セアを入れることのできるほどの溝を掘った。 次に薪を並べ、雄牛を切り裂き、それを薪の上に載せ、 「四つの瓶に水を満たして、いけにえと薪の上にその水を注げ」と命じた。彼が「もう一度」と言うと、彼らはもう一度そうした。彼が更に「三度目を」と言うと、彼らは三度同じようにした。 水は祭壇の周りに流れ出し、溝にも満ちた。 献げ物をささげる時刻に、預言者エリヤは近くに来て言った。「アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ、あなたがイスラエルにおいて神であられること、またわたしがあなたの僕であって、これらすべてのことをあなたの御言葉によって行ったことが、今日明らかになりますように。 わたしに答えてください。主よ、わたしに答えてください。そうすればこの民は、主よ、あなたが神であり、彼らの心を元に返したのは、あなたであることを知るでしょう。」 すると、主の火が降って、焼き尽くす献げ物と薪、石、塵を焼き、溝にあった水をもなめ尽くした。 これを見たすべての民はひれ伏し、「主こそ神です。主こそ神です」と言った。 エリヤは、「バアルの預言者どもを捕らえよ。一人も逃がしてはならない」と民に命じた。民が彼らを捕らえると、エリヤは彼らをキション川に連れて行って殺した。

[序]カルメル山の対決
 北王国第7代のアハブ王はシドン王の娘イゼベルを王妃に迎えました。彼女は都のサマリアに自分が信じるバアルの神殿を建て祭壇を築いて、その信仰を熱心に広め始めました。バアルとは大地の生命力を象徴する神です。アハブも彼女に追従して、バアルの祭壇の傍らに、豊穣の女神アシェラ像を造りました。イゼベルは主の預言者を迫害して、絶滅させようとしました。

 神さまは預言者エリヤをアハブ王に遣わして、神の裁きを宣告なさいました。露も雨も降らない飢饉の到来です。エリヤは2年間、身を隠していましたが、3年目に再び王の前に現れます。「お前か、イスラエルを煩わせる者よ」「主の戒めを捨て、バアルに従っているあなたこそ、イスラエルを煩わしているのだ」

 エリヤはカルメル山に、イゼベルに庇護されているバアルとアシェラの預言者全員850人を集め、自分と対決するよう王に求めました。こうして集まって来たイスラエルの民たちにエリヤは申しました。「あなたたちは、いつまでどっちつかずに迷っているのか。もし主が神であるなら、主に従え。もしバアルが神であるなら、バアルに従え。」

 薪の上に雄牛一頭を裂いて載せ、祈りを捧げます。どちらの神が火をもって祈りに答える神でしょうか。先ずバアルの預言者たちが祈り始めました。大声をあげ、祭壇の周りを跳び回って祈りました。昼過ぎからは、剣や槍で体を傷つけ、血を流してまで狂ったように叫び続けましたが、火の答えはありませんでした。

 エリヤの番です。彼はイスラエル12部族を表す12の石を築いて祭壇を修復し、薪を並べて雄牛を切り裂いて載せました。更に水を十分に注いだ上で、祈りました。
「アブラハム、イサク、ヤコブの神、主よ。あなたがイスラエルにおいて神であられることが、今日明らかになりますように。主よ、私に答えてください。そうすればこの民は、あなたが神であることを知るでしょう」

 すると主の火が降って、献げ物も薪も石も焼き尽くしました。民は皆ひれ伏して 「主こそ神です」と叫びました。そこでバアルとアシュラの預言者は皆捕らえられ、キション川で殺されてしまいました。

[1]日本人の信仰と聖書の神
 江戸時代の国学者本居宣長は、日本最初の歴史書「古事記」の注釈書「古事記伝」(古代文化の最高峰と言われています)の著者として有名です。彼は日本人の信仰を「人でも生き物や自然の物でも、尋常ただならざるものを上(かみ)と呼ぶ」と定義しています。特別に勝れているものはなんでも「かみ」にしてしまうというのです。ですから日本では神が「八百万(やおよろず)の神々」といわれて、限りなく多いと思われてきました。これは色々なものに霊が宿っていると考える精霊信仰からくるものでしょう。

 日本で一番多い神社はお稲荷さんで親しまれている稲荷神社でしょう。京都の伏見稲荷大社を総本社として、全国の稲作地帯に3万社あると言われています。人々は豊年満作を祈願し、秋には感謝のお祭りをします。エリヤが戦ったバアルの神信仰も、豊年満作を受け持つ農業神だったのではないでしょうか。

 日本では、無病息災、商売繁盛、家内安全、それに合格祈願、交通安全を願って、人々が色々な神社やお寺に参詣し、お札やお守りを頂いて、大切にしています。確かに人生には病気の苦しみ、商売の苦労を筆頭に、災害や事故から守られ、家族が仲良く暮らし、試験に合格して人生の進路が開けてくるようにという願いを、皆が切に求めています。そしてご利益信仰に精を出しています。しかしこの信仰の特色は、願いがかなわないと、あちらこちらに転々と移っていく無節操さです。

 では仏教はどうでしょうか。仏教も色々の宗派があって一口に言えませんが、私が一番心を引かれている仏教徒は、観世音菩薩像と地蔵菩薩の画を書き続けている神戸の丸山寿美さんです。静かな悟りの境地をひたむきに求めて表現しようとしている作品の一つ一つが、実におだやかな優しさを伝えています。

 丸山さんは法句経の次の言葉をよりどころにしています。「己れのよるべは、己れを措(お)きて他になし。よくととのえし己れこそ、まこと得難きよるべなり」自分の頼りになるものは自分しかいない。だからよくととのえられた自分になるように、ひたすら精進していこうというのでしょう。

 丸山さんは言います。「悩みもあり 哀しみもあり 幸せも 喜びも数々あれど 仏は何時も私のまわりを ただ静々と通りゆき 何をか語らん 何をか告げん 知りたくて 悟りたくて ただ一心で またも 仏の後を追う」 またこう言います。「今日のこの一刻を 大切に生きよ 確かに生きよと 私の中の私が ささやいています」これは自己との対話の世界ですね。

 ですから仏像や仏画と対座し、観想しながら自分をととのえていくことに精進する人にとっては、仏像・仏画は礼拝の対象ではありません。あるお坊さんが、自分の守っている本堂の見事な仏像を「あんなもの、あってもなくてもかまわない」と言ったそうですが、本当にそうだと思います。本当の仏教者は、偶像礼拝とは無縁の世界に生きているのでしょう。

 ここにいたって聖書によって養われる信仰と仏教者の信仰が、全く質を異にしていることが分かってきます。仏教徒は仏が徹底して沈黙者なので、自己との対話に精進していきます。やはり無の世界なのでしょう。これに対して聖書の神は、言葉をもって語りかけ、行動を起こされる人格的実在者です。言葉には神さまの命が込められています。私たちは神さまの言葉を真剣に聞き応答することにより、神さまの命をいただいていくのです。
                       (後半へ)


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