日本バプテスト川越キリスト教会 Baptist Kawagoe

加藤享牧師,山下誠也協力牧師の礼拝説教・教会週報のメッセージ、イベント・行事案内

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2013210日川越教会
        百倍の実を結ぶ(後半)
             加藤 享
                    (前半より続く)
 
[2] 百倍の実を結ぶ聞き方
では御言葉を聞いて悟り、百倍、六十倍、三十倍の実を結ぶとはどのような聞き方なのでしょうか? 今日は私が札幌教会時代に身近に体験したKさんの例をご紹介させていただくことにします。彼は高校の教員生活を長く送られました。60才で定年になりましたが、その後も教育の働きを続けて、70才を迎えました。いよいよ完全な引退生活が始まります。
 
 二番目のお嬢さんが東京から来られて、「老後の生活を豊かに送れるようになってください。教会の礼拝に行きましょう」と誘いました。Kさんは娘の提案を素直に受け入れて、日曜朝の礼拝に出席されました。3月末でした。娘さんは直ぐ東京に帰られましたが、Kさんはそれから毎日曜の礼拝を休まずに通い始め、8ヶ月後の11月に、信仰を言い表してバプテスマを受け、クリスチャンになられました。
 
「私は罪多い人間です。殊にしばしば酒に溺れ、泥酔の果てに、妻や子どもたちを悲しませ、泣かせたことが幾度あったかわかりません。それが原因で、妻は現在も病の床についております。どんな薬も療法も効果がなく、長い間苦しみ悩んでおります。しかも私自身4年前に心筋梗塞になり、時々発作がおき、その都度、死への恐怖におののき、悩まされてきました。
 
 教会の礼拝に出席し始めて、罪深い私のような者をも赦してくださる神を賛美し、キリスト・イエスを信じ、祈るほかないと心に決めるようになりました。私のために十字架につき、私の罪を赦して下さる身代わりの死を遂げて下さったイエス・キリスト、そして三日後に復活された神の子イエス・キリストを救い主として、神に召される日までお従いして生き抜こうと決心しました。」
 
 Kさんは、それから水曜日夜の祈祷会にも出席するようになりました。心臓発作によく襲われ、歩くと息づかいも荒くなる体です。札幌の寒い冬の夜、凍てつく雪道をバスに乗って教会に通うのは大変危険です。私たちは「温かくなるまでお休みください」と幾度もお願いしましたが、吹雪でバスが止まらない限り、欠席なさいませんでした。何か死に場所を求めているような真剣さでした。
 
 すると神さまはその信仰にお応え下さいました。そして春を迎えるころには、Kさんをかえって元気な体にして下さったのです。奥さんが夜中に汗をかきます。その洗濯物を毎日なさり、よくお世話をなさいました。短気ですぐに腹をたてることも、穏やかになっていきました。やがて奥さんも礼拝に出席して皆の前で信仰告白をなさり、バプテスマを受けました。
 
 教会学校の教師、校長や教会役員の奉仕も担うようになりました。家庭を開放して、奥さん共々に楽しい家庭集会をずっと続けて下さいました。そして91才の誕生日直前の2月1日に、静かに天に召されていきました。神さまは消えかかった灯のようなKさんをお救い下さり、お嬢さんが願ったように、豊かな晩年を21年も過ごさせて下さったのでした。
 
 私たちは、このような鮮やかな人生の転換に接しますと、Kさんがもっと早くにイエス・キリストの語りかけに応答していたら、奥さんも病気にかからずに済んだのに、またご本人も、21年どころかもっと長い年月を、恵み豊かに過ごすことが出来ただろうにと、つい思ってしまします。本当にそうですね。誰にもまして神さまが、そのことをどれほど切に願って居られたことでしょうか。でもKさんには、語りかけ続けて下さる神さまの言葉が、70才までは聞こえてこなかったのですね。聞いて応答しなければならないという気持ちが起こらなかったのですね。残念なことでした。
 
[3] 神の言葉に応じて、生き方を変える
 と表現されている心――道は踏み固められています。御言葉が蒔かれても、受け付けない心の状態です。自分の考えでしょうか。世間の考えでしょうか。とにかくこうだと思い込んでいる心には、もっと良い呼びかけが、全く響かないのです。気の毒ですね。独善はいけません。自分の現在が最高最善なのでしょうか。より良いものを求め、受け入れていこう、自分を変えていこうとする柔らかな心を待たなければなりません。Kさんの心も70才までは、まさに道のようでした。
 
 太陽の暑さに枯れてしまう岩地。困難に直面すると信仰がくじけてしまうのは、神の言葉が、心に深く根を下ろしていないからです。Kさんは寒い冬になり始めた11月にバプテスマを受けました。信仰を確立させるためには、祈りを身につけなければと強く思いました。「よし、祈祷会に出席しよう」と決心しました。心筋梗塞を患った老いの体には大変危険です。でも彼は神さまに賭けたのです。するとその決心が、心の中の岩を打ち砕きました。これが御言葉を深く受けとる聞き方なのではないでしょうか。
 
 信仰の成長を覆って窒息させていくとは、世の思い煩いや、富の誘惑や様々な欲望だとあります。Kさんは御言葉に聞き従うことを第一にすると決心しました。夜の祈祷会出席を恐れませんでした。すると医者代のかからない体になりました。酒代も不要になりました。奥さんに申し訳なかったと、心からお世話するようになりました。奥さんも急に元気回復したわけではありませんが、同じ信仰を持ち、家庭集会に集まる教会員を喜んで迎えるようになりました。家の中が明るく楽しくなり、思い煩うことが一つ二つと消えていったのです。茨が消えていったのです。
 
 良い土地とは? よく耕かされているとも、土がよく肥えているとも書かれていません。ただ、御言葉を聞いて受け入れる人たちと言われているだけです。Kさんは、説教で説き明かされる聖書の言葉を、神さまの語りかけとして、心を開いて聞き、御言葉に応答じて、自分の生き方を変えていきました。これこそまさしく、百倍の実を結ぶ聞き方をした人ではないでしょうか。
 
[] キリストの教会家族の喜び
 ヘブライ人の手紙の冒頭に、神さまは、「この終わりの時代には、神の本質の完全な現れである御子イエス・キリストによってわたしたちに語られました」(113)と記されています。イエス・キリストにおいて語られている神の言葉こそ、神の本質の完全な現れであると信じて聞いていく信仰、これが私たちの信仰です。イエス・キリストは聖書にのみ記されていますから、私たちは聖書を信仰の唯一の規範として大切にするのです。
 私たちが大事にしている礼拝では、聖書が神の言葉として朗読され、その説き明かしとしての説教が、礼拝の中心です。皆さんは説教を手がかりにして、キリストによって語る神の言葉を深く聞き取り、祈り賛美献金によって、神さまの語りかけに応答します。そして礼拝で始まる一週間を、神の言葉に聞き従って生きていくことで、神さまとの交わりを続けているのです。
 
 私たちは神さまの語りかけになかなか聞き従えません。しかしイエス・キリストが「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」と執り成し続けてくださっているので、神さまは時の到来を忍耐強く待って下さいます。Kさんに対しては、70才まで待って下さいました。そして百倍の実を結ぶ21年の晩年の恵みをお与え下さいました。またKさんを用いて、札幌教会という教会家族を豊かな恵みで祝福して下さいました。
 
 今日信仰を表明して、川越の教会家族に加わって下さった鹿島のぞみさん、福田せつ子さん、あなた方の入会を心から歓迎いたします。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である」とおっしゃる主イエスの喜びが聞こえて来ます。ご一緒に、御言葉に聞き従って天の父の御心を行い、喜びの溢れる川越の教会家族を作り上げていきましょう。また他の皆さんも、一日も早く、我が教会家族の一員になって下さいますように、願ってやみません。    完
  
2013210日川越教会
           百倍の実を結ぶ(前半)
         加藤 享
 
[聖書]マタイによる福音書13章18〜23節
   「だから、種を蒔く人のたとえを聞きなさい。 だれでも御国の言葉を聞いて悟らなければ、悪い者が来て、心の中に蒔かれたものを奪い取る。道端に蒔かれたものとは、こういう人である。石だらけの所に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて、すぐ喜んで受け入れるが、 自分には根がないので、しばらくは続いても、御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう人である。茨の中に蒔かれたものとは、御言葉を聞くが、世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を覆いふさいで、実らない人である。 良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである。」
 
[] 転入会の歓迎
 今朝は、ふじみキリスト教会に教会籍のある鹿島のぞみさんと大津バプテスト教会に教会籍のある福田せつ子さんが、川越教会員になることを希望されて、信仰の表明をなさいました。私たちはその表明を伺い、私たちと同じ信仰であることを確認できましたので、喜んで転入会を承認しました。
 
お二人とも以前から一緒に礼拝を守って来られましたから、お交わりについてはこれまでと変わる点はありませんが、集会出席、献金、奉仕等において教会員としての責任を、共に励まし合って担っていただけることは、小さな教会として大変心強く思います。それぞれご家庭の事情もおありでしょうが、祈りつつ、自分のベストを尽くして教会の頭である主イエスにお仕えして参りましょう。どうぞ宜しくお願いいたします。
 
[1] 弟子と群集との違い
 さて今日は有名な種蒔きのたとえを学びます。これは13章の書き出しに述べられていますように、ガリラヤ湖のほとりで、主イエスが舟の中から、岸辺に集った大勢の人々に向かってお語りになったたとえ話です。
 
 ある種は道端に落ちたので鳥に食べられてしまいました。ある種は石だらけの土の少ない所に落ちたので、根が地下に伸びず、すぐ芽を出しましたが、熱い日差しで枯れてしまいました。またある種はの根が残っている地に落ちたので、芽生えて育ったものの、茨の成長の方が早くて覆われてしまい、実を結ぶことが出来ませんでした。しかし他の種は良い土地に落ちたので、百倍、六十倍、三十倍もの豊かな実を結んだというお話です。
 
 すると弟子たちが主イエスに近寄って、「なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話になるのですか」と質問しました。「あなたたちには天の国の秘密を悟ることが許されているが、あの人たちには許されていないからである」主イエスは、弟子たちと群集との違いを、天の国の秘密を悟ることが許されている、許されていないと言う点で、はっきりと把握しておられ、接し方、教え方を区別しておられたのでした。
 
 「天の国の秘密」マルコ福音書では「神の国の秘密」(411)また「秘密」は口語訳や新改訳では「奥義」と訳されています。神の国即ち、この世に生きて働いておられる神さまの支配は、多くの人の目、耳、心には隠されていてなかなか悟れませんが、聖霊の働きによって明らかにされます。そして、主イエスに聞き従おうとしている弟子たちは、やがて聖霊の働きをいただいて、「天の国の秘密」この世に生きて働く神の支配を悟ることが許されると、主イエスは見てくださっていたのです。
 
 12章の一番最後の記事をご覧下さい。主のお母さんと兄弟たちが、話したいことがあってやって来ました。すると主イエスは、「わたしの母とはだれか。わたしの兄弟とはだれか」とおっしゃり、弟子たちを指しておっしゃいました。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である」
 
 主イエスは、家族というものを、単なる血のつながりで生まれる親密な関係とは考えておられません。自分の語る言葉を天の父なる神さまの言葉と信じて聞き取り、御心を行おうとして、主に従っている弟子たちが、自分の本当の家族、天の家族なのだと理解しておられたのでした。ですから、イエスというお方の語る教えや不思議な業、奇跡に心惹かれて集まって来ている群集や、単なる血のつながりだけの肉親と、弟子たちとは根本的に違うことを、弟子たちにお示しになったのでした。
 
 天の父なる神さまは、すべての人の父であるはずです。ですから神の御子である主イエスの語る言葉を、すべての人が、天の父の言葉として聞き、受け入れ、神の家族の交わりに入って欲しいと、主イエスは、切に願って語り続けておられるのに、そのことを人々はなかなか悟ろうとはしない。「あなたたちは聞くには聞くが決して理解せず、見るには見るが、決して認めない。」とイザヤの予言を引用して、聞いても悟ろうとしない人々を嘆いておられる主イエスのお言葉が、胸に響いてきます。(後半へ)
2013127日川越教会
     明日のことまで思い悩むな(後半)
                加藤 享
 
(前半より)
[2] 思い悩むな
 さて今日の教えは「思い悩むな」です。そして多くの人が知っている言葉が語られています。「何を食べようかと思い悩むな。空の鳥をよく見なさい」「何を着ようかと思い悩むな。野の花を注意して見なさい。」
 
 空を飛んで餌を探している鳥たちは鳥たちで、外敵の襲撃から細心の注意を払って身を守りながら、餌を探して、毎日懸命に生きています。決してのん気に遊び暮しているわけではありません。しかし彼らには、種を蒔いたり、刈り入れをしたり、倉を建てて納めたりという私たち人間の労苦は一切ありません。その分は、彼らの父である神さまが、ちゃんと配慮して、養ってくださるからです。
 
 野の花にしても、自分を美しく着飾ろうとして思い悩み、ファッションや美容に苦労してはいません。ただ自然環境の厳しい制約を受けながら、与えられた力で精一杯に成長し、与えられた花を咲かせ、子孫に命を伝える種を残そうとしています。そして自分をこのように生かして装わせてくださる神さまの恵みを証しています。
 
 それに比べると、私たち人間が、何と多くの思い悩みを抱え込んで、うめきながら暮していることでしょうか。そのどれもが不必要な悩みだとは言われていません。「その日の苦労は、その日だけで十分である」と言われています。苦労の無い日などないと、主イエスも認めていらっしゃいます。思わぬ事故が起った。家族が病気になった。食べ物が欠乏してしまった。仕事や勉強がうまくいかない。順調に事が運ばない難儀な一日の戦いに、心身をすり減らします
 
 でも私たちの天の父は、私の必要とするものをご存知なのです。必ず養ってくださると信じて祈り、祈りで示されたことに従って、落着いて対処していけばよいのです。今日がこんなだから、明日はどうなるのだろうか、その先は?と思い煩って、不安に駆られ、悩み始めるから、重荷が耐えられないものなっていくのです。
 
今日の苦労を今日精一杯に努力して一日を終える。神さまが必ず万事を益にしてくださる。お任せして眠りにつこう。そして新しい朝を迎えよう。神さまが必ず助けてくださる新しい一日を迎えよう。大切なことは、私の願うことよりも神さまのご支配、神さまがよしとされる御心が、行われていくこと、それを第一にして生きていこう ――これが信仰者の生き方なのではないでしょうか。
 
 幼い子どもは、お父さんが明日みんなで山へピクニックに行こうと言えば、それだけで楽しさ一杯になります。山にどんな遊びがあるのか、危険はないか、お金は大丈夫?などと心配しません。父・母が連れて行ってくれる所は楽しい所と、無条件で決めています。これが信頼でしょう。
 大人はそうはいきません。神は愛なりと信じ、死のこと、死後の世界は神さまにお任せするほかないと分かっていても、あと何年生きられるか、どんな死に方をするのか、病院代は、葬式は等々、限りなく考えてしまいます。すると主イエスの声が響いてきます。「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」ある聖書訳では「明日のことは明日が心配してくれる」とあります。明日が心配してくれるとは、「明日も今日と同じように、全能にして愛の神さまの配慮と導きの備わった一日だよ」という意味でしょう。ですから明日は明日で、御心を尋ねつつ生きていけば良いのです。 
 
[3] 野の花を見なさい
 口に絵筆をくわえて、詩を書き添えた花の絵を描き続けている星野富広さんの 詩画集をご覧になった方も多いと思います。体操の教師として中学校に赴任してほどなく、宙返りに失敗して、首の骨を折り、首から下、手足を動かせない体になってしまいました。朝目覚めてから夜寝るまで、何一つ自分ひとりでは出来ない。一切を他人の世話にならなければ出来ない。これは本当に苦しいことです。悲しいことです。
 
 入院生活のなかで、他の病院に移っていく同室の中学生を励ましたくて、口に筆をくわえて手紙を書こうと思い立ちました。何度も失敗を繰り返した末に、名前と一行の言葉の手紙が書けました。そしてそれがきっかけで、お母さんの手をかりて、口筆で絵や詩を書くようになりました。
 
 初期に画いた「菜の花」の絵に、このような詩が添えられています。
「私の首ように 茎が簡単に折れてしまった
しかし菜の花はそこから芽を出し 花を咲かせた
私もこの花と同じ水を飲んでいる
同じ光を受けている  強い茎になろう 」(1975年)
 
 後の絵と比べると、余り上手とは言えない絵です。しかし茎の曲がった菜の花をじっと見ているうちに、折れた茎から更に芽を出させて、遂に新しい花を咲かせてくださった神さまの愛と命の力が、この自分の体にも働いていることを、菜の花が教えてくれたのでした。ものを言わない花が、富広さんに感動と決意を与えて励ましてくれたのです。「野の花がどのように育つのか、注意して見なさい」と主イエスのおっしゃる通りです。野の花の一つ一つが、大切な言葉を語っているのです。
 
 彼は、臭くて嫌われる「どくだみの花の絵に、このような詩を添えています。
「お前を大切に  摘んでゆく人がいた  臭いといわれ  
きらわれ者のおまえだけれど  道の隅に  歩く人の足許を見上げ
 ひっそりと生きていた  いつかおまえを必要とする人が
現れるのをまっていたかのように お前の花 白い十字架に似ていた」
 
お前の花 白い十字架に似ていた」私たちは、十字架にかかってくださったイエス・キリストを、私たちの救い主として仰いでいます。弟子たちもユダヤ人たちも皆、威風堂々たる王の王、そういう救い主を期待しました。世の中を救ってくれる方なのですから、力強い偉大なイメージの救い主を期待していました。
 
ところが主イエスはロバの子の背にのって、エルサレムの都に入城し、むちで打たれ、茨の冠をかぶせられ、十字架にかけられて死ぬことによって、本当の救い主であることを現わし下さいました。主イエスの十字架の姿には、見るべき麗しさ、力強さ、偉大さはみじんもありません。ですから人々はがっかりして、彼を見限り、離れていったのです。しかし神さまは、その十字架の姿のままのイエスこそが、あなたの本当の救い主なのだよと、おっしゃっておられるのです。
 
弱さを人に隠して、背伸びして、見限られまい、見限られまいと、恐れ戦きながら、疲れていく私たちに向って、そんなに背伸びをしなくても大丈夫。人に捨てられたって、私はあなたを捨てない。いいじゃないか。人に捨てられるなら捨てられなさい。私があなたを拾って上げるよ。「思い悩むな」「明日のことまで思い悩むな」と十字架の救い主イエスさまは、語りかけて下さるのです。
 
[] キリストの執り成し
 最後に、招詞で読んでいただいた聖書をもう一度読み直しましょう。「もし神が わたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。 わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。 だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです。 だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。 だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。」(ローマ83135
 
 神さまが私たちの味方なのだから、私たちには何ひとつ怖いものはないと、パウロは言います。御子イエスをさえ惜しまずに十字架の死に渡された方なのですから、御子と一緒にすべてのものを、私たちに賜らないはずがないと言います。この神の愛をパウロが確信できたのは、復活されたイエス・キリストに出会い、その十字架が、キリスト教徒を迫害していた自分のその罪を、贖うための死であったことを知ったからでした。そして彼は、キリストが神の右の座に居られて執り成してくださっている救い主だから、神さまの愛がこのような自分にも豊かに注がれていると確信できたのです 私たちもパウロと同じく罪深い者です。しかし十字架のイエス・キリストが父なる神の右に居て、執り成してくださっているので、私がどんなに罪深くても、信仰が薄い者であっても、決して見捨てられることはないのです。ですから、神さまへの絶対的信頼をよせて祈り、信仰に生きる者になりましょう。  完
2013127日川越教会
明日のことまで思い悩むな (前半) 
      加藤 享
 
[聖書] マタイによる福音書62534
「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。 なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。 今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。 それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。 だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」
 
[] どう祈るべきか
 年の初めに、大勢の人が神社やお寺に初詣でして、大事な願い事を捧げました。神田明神は神田、日本橋、秋葉原、丸の内、神田や築地の市場などの地域の総氏神なので、各会社の幹部たち一同が押し寄せて参拝し、大変な混雑の中で商売繁盛の祈願をする様子が、TVで報道されていました。お賽銭なしで手を合わせて祈願する人を多く見かけました。また入学試験が始まっています。すると本人や親に代わって合格祈願に出かけて行き、お札をもらってくる業者が繁盛しているそうです。神信心とは、この程度のものなのでしょうか。
 
 確かに私たちは自分の力の及ばないことに直面しますと、よい解決を願って神仏の助けを祈願します。祈りは誰にとって欠かせない心の営みです。しかし皆の祈願がその通りにかなえられるとしたら、この世の中はどうなることでしょうか。A社が儲ければ、ライバルのB社は没落することになります。C君が合格すれば、D君は不合格。私たちの祈願成就は、競争相手に不幸せをもたらします。心から喜べません。単純に祈願成就を願うわけにはいかなくなります。一体、どう祈ったらよいのでしょうか
 
[1] 大切な祈りの教え
 主イエスは、だからこう祈りなさいと祈りの手本「主の祈り」を教えてくださいました。先ず誰に祈るのか、呼びかけが欠かせません。「天におられるわたしたちの父よ」です。それから1)御名があがめられますように、2)御国が来ますように、3)御心が地の上にも行われますように。これは神さまについての祈りです。それから、4)わたしたちに必要な糧を今日与えてください。5)わたしたちの負い目(罪)を赦してください。6)わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください。
 
 最初の三つは神さまに関する祈りで、後の三つが私たちに関する祈りです。祈りとは、天の父なる神さまに向かって捧げるものであり、先ず神さまについてよく祈ってから、自分たちについての祈りをするものだと、教えられているのです。これはキリスト教ならではの、非常に大切な祈りの教えです。
 
 私たちの祈りはどうでしょうか。無病息災、商売繁盛、家内安全、合格成功、交通安全等々と、自分についての祈りばかりで、神さまについて祈る余裕がありません。「特に祈ることなどない」という幸せな人も居ますが、その平穏無事が何時までも続きますようにと、願い求めずにはおれないでしょう。どうして自分のために祈ることより先に、神さまのために祈らなければならないのでしょうか。
 
 主イエスは朝に昼に夜に、本当によく祈られました。逮捕される直前にも、弟子たちと最後の晩餐を済ませた後で、ゲッセマネの庭の奥で、身もだえして祈られました。「アッバ父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」(マルコ1436
 
 ここで主イエスは「十字架の死という杯を、出来ることなら取り除いてください」と、何でもおできになる全能の父に祈り求めておられます。しかし、自分がこうして欲しいと願うことと、神さまがこの方が良いとお考えになることが食い違う場合には、神さまの思いを優先なさってくださいと、祈られたのでした。
 
 私たちの祈りは、「何がなんでも自分の願いをかなえてください」と、私中心です。しかし私の願い通りになることが、果たして一番よい結果をもたらすのでしょうか。自分は良くても、回りの者が苦しむならば、良い結果とは言えません。主イエスの祈りは、「御心に適うことが行われますように」と神中心です。そこには全能者であり、全ての者の愛の父である神さまの意志決定こそが、私たちすべての者にとって  最高最善なのだという絶対的信頼感が溢れています。
 
 すべての者の父である神さまは、我が子皆それぞれの先まで見通して、大局的に配慮してくださいます。しかし目先しか見えない子どもには親の心がわからずに、泣き喚きます。そうです。自分の欲求・願望よりも、神さまのお考えの方が、はるかに、はるかに良いことなのです。ですから自分の願いを神さまに訴え始めるよりも先ず、私たちの心を神さまに向け、神さまに心を寄せていくことの方が大切です。ですから主イエスは「先ず神のことを祈るように」とお教えになったのでした。(後半へ)
2013年1月1日川越教会新年礼拝
生きる喜び (後半)
              加藤 享
 
(前半より)
 
[2]  この小さい者を愛しなさい
 このたとえは、過ぎ越しの祭りが始まる週の日曜日に、イエスさまがエルサレムの都に入城され、木曜日の夜最後の晩餐を弟子たちと共にして、逮捕されていくという緊迫した時期になされたものです。
 
イエスさまを妬み、策略をめぐらして十字架につけようとするユダヤ教の指導者たち、イエスさまに罪がないことを知りつつも自己保身から、十字架刑の執行を命じるローマ総督ピラト、十字架につけろと付和雷同する野次馬たち、逃げ散って姿をくらます弟子たち。このような人間模様の渦巻く中で、自ら進んで十字架につけられ、「父よ、彼らをお赦しください」と祈りつつ、全ての人の罪を贖う死を遂げられたイエスさま。その御子イエス・キリストの十字架によって、ご自身のを現された父なる神さま
 
 イエスさまが語られたこのたとえで、3人の僕たちにタラントンを預けた主人とは、言うまでもなく神さまです。ですから主人が豊かに持っている財産とは、十字架のイエスさまに現されたです。この神さまの愛を自分なりに懸命に増やそうとした僕を、「忠実な僕だ、よくやった」と非常に喜ばれたのではないでしょうか。
 
 ですから、このタラントンのたとえに続いて、あのマザーテレサを動かした言葉、「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」というたとえを、イエスさまは語られたのだと私は理解します。飢えている者に食べ物を与え、のどの渇いている者に飲ませ、宿を貸し、着るものを着せ、病人を見舞い、牢に入れられた人を訪ねること、その小さな業を惜しみなくすること、それが、主人が僕たちに期待したことだったのです。
 
 キャンドルサーヴィスでも語りましたように、この世界は戦争に明け暮れしています。権力で支配しようとする者は、武力に頼ります。そして殺し合う悲劇が果てしなく続きます。戦争ばかりではありません。世界人口約71億人の内92500万人以上の人々が飢えに苦しんでいます。貧しい子どもたちが、5秒間に1ひもじさの中で死んでいます。一方日本では期限が切れたからといって、食べられる食物が1年に900万トン近くも捨てられているそうです。私たちははるかに豊かな暮らしをしているのに、なかなか貧しい国と分かち合おうとはしません。欲望を抑えて我慢しようという時には、心に新しい原動力を持たなければなりません。それがです。子どもを育てるために、は相当の犠牲を払います。でも犠牲をいといません。我が子を愛するからです。地球上に暮す者が皆、せめおなか一杯に食べられるようになるためには、私たち先進国の人間に思いやりが、欲望を抑えるがどうしても必要です。そこで神さまは、家畜小屋で生まれ、飼い葉桶に寝かされる貧しい救い主イエスさまを、この世界にお送りになりました。イエスさまは貧しい人々と共に生涯を送られました。最も小さい者の内に共に生きて、私を愛するなら、この小さい者を愛しなさいとお命じになって居られるのです。
 
 ヨハネの第一の手紙の41011節にこう記されています。「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。」
 
[] 生きる喜びに満たされて
 このタラントンのたとえでは、主人が僕に自分の大切な財産を託しました。主人とは神さまです。神さまの愛を現したイエスさまです。私たちはそのです。信仰とは神さま、イエスさまを自分の主人とすることです。しかし私の命の生き死には、愛の豊かな主人の手の中にあるのです。私たちは安心して、神さまの御心に従って働き、御心のままに生きることができます。これが私たちの信仰です。
 
 神さまはご自分の仕事を僕に手伝わせました。神さまは僕であるこの私をも必要として居られるのです。何と嬉しいことでしょうか。主人の大切なタラントンを増やした僕は、「忠実な僕だと褒められました。信頼するに足りる忠実さ――神さまは私たちを信頼し、尊重して、愛するという主人の仕事をそのまま委ねてくださるのです。
 
 5タラントン、2タラントン、1タラントンと私たちの力は違います。でも能力の大小を比較して誇ったりひがんだりすることよりも、儲けの多少などを差別なさらずに、全く同じに喜ばれる神さまの心を第一にしたいものです。私は私で喜んで精一杯に愛の業に励めば、それでよいのです。
 
 私が衰えてきた自分を自覚しながら、それでも新年に当って喜べる理由はここにあります。神さまは、このような夫婦をなお受け入れ、祈り支えてくださる皆さんに囲まれて、神さまから託された御用をさせようとして下さっているのです。たとえ1タラントンであろうとも、土に埋めておかず、少しでも増やそうと励めば、神さまは良しとしてくださる――何と嬉しいことでしょうか。
 
 生きる意味とか生きている充実感というものは、自分ばかりを見つめていても、答が出てくるものではないと思います。この私にを与え、ご自分の豊かなをもっと増やし拡げて欲しいと、この私に託してくださる役割を、力に応じて懸命に励み、「忠実な良い僕だ。よくやった」という神さまの喜びを聞く時に、生きる喜びが湧き上がり、人生の意義も充実感も、共に知るのではないでしょうか。
 神さま、イエスさまの望んでおられることは、神さまの愛、十字架の愛を家族に、友人に、地域の隣人に、我が町に国に、そして世界中の人々分かち合うことです。愛は、心を込めた祈り言葉動作をもって、分かち合われていきます。皆さん、手を取り合って、広めて行こうではありませんか。
 
武器からは決して平和は生まれません。弱い者、小さな者を思いやる愛こそが、新しい世界を造っていくのです。どんなに時間がかかろうとも、この道しかありません。たとえ私たちは、僅かなタラントンしか預けられない僕であっても、「イエスさまが最後までしっかりと支えて下さり、終わりの日には,非のうちどころもない者にしてくださる」(Ⅰコリント18)と約束されているのです。そのような恵みに励まされて、生きる喜びに満たされて、愛に溢れる新しい世界を造って参りましょう。    完

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