日本バプテスト川越キリスト教会 Baptist Kawagoe

加藤享牧師,山下誠也協力牧師の礼拝説教・教会週報のメッセージ、イベント・行事案内

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2013年1月1日川越教会新年礼拝
生きる喜び(前半)
                加藤 享
[聖書] マタイによる福音書251430
天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。 それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。早速、五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンをもうけた。 同じように、二タラントン預かった者も、ほかに二タラントンをもうけた。 しかし、一タラントン預かった者は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておいた。
  さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。まず、五タラントン預かった者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った。『御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました。』主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』
  次に、二タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、二タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに二タラントンもうけました。』主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と  一緒に喜んでくれ。』
  ところで、一タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』 主人は答えた。『怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。 さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。 この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』」
 
[]  明るい期待を抱いて
 新年、明けましておめでとうございます。2013が始まりました。この1年365日に、どんなことが待ち受けているのでしょうか。皆さんは明るい期待をしておられますか?
 
 ある人がこのように書いていました。「生きる意味を求めることは、若い人だけのものではない。中年になっても同じである。むしろ年をとると、その問いは深刻になる。自分は本当に生きているのだという充実感が、年と共に少なくなってきているからだろうか。」皆さんは如何ですか?
 私は去年の5月4日で80になりました。1年を振り返りますと、剣道の稽古量が、無理をしないようにと自分の体をいたわった結果、合計103回でした。2010年は147回、2011年は交通事故で7週間休養したために117回。去年の目標は150回だったのです。剣道ばかりでなく、矢張り仕事のスピードも量も減りました
 
でも身体の大事な部分は、昨年末の精密検査でどこも異常なしでした。喜美子も身体の精密検査は異常なしでしたが、骨粗しょう症からくる腰椎の圧迫骨折の痛みが暮れになって再発して、動けなくなりました。幸いにも少しずつ痛みが和らぎ、回復してきました。大変ご心配いただきまして、有難うございました。
 
 85までは現役でお仕えしたいと申し上げてきましたが、さて神さまがどのようにお考えでしょうか。しかし私自身は、皆さんの温かい愛に包まれて、実に明るい前向きの気持で、新年を迎えました。嬉しいのです。前途が明るく輝いているのです。自分でも不思議です。その信仰を、お分かちさせて頂くことにしました。
 
[1] タラントンを僕に預けた人
 今日の聖書の箇所は、皆に親しまれている「タラントンのたとえ」です。或る人が長期間家を留守にすることになりました。そこで使用人3人を呼んで、それぞれの力に応じて、5タラントン、2タラントン、1タラントンを預けました。かなり日がたってから、主人が帰って来ました。
 
5タラントン預かった者が、商売して5タラントンを儲け、合計10タラントンを主人に差し出しました。2タラントン預かった者もやはり2タラントン儲けて、4タラントンを差し出しました。主人は大変喜んで、この二人に言いました。「忠実な良い僕(しもべ)だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ
 
 1タラントン預けられた者は、預かったお金を失うことを恐れて、穴を掘り地の中に隠しておきました。そして増えも減りもしなかった1タラントンを差し出しました。「怠け者の悪い僕だ」彼は厳しく叱られて、外の暗闇に追い出されてしまいました。主人は預けたお金を増やすことを期待していたのです。「埋めておくぐらいなら、銀行に預けておくべきだった。利息付で返してもらえたはずだ」タラントンを預かる、財産を管理するとは、それを一生懸命に運用して増やすことなのでした。
 
 タラントンとは当時の通貨の単位の一つです。労働者1日分の日当が1デナリオン。6000デナリオンが1タラントンです。今日の日当を仮に5000円としますと3000万円。相当の金額です。テレビ等によく出演する人をタレントと言いますが、タラントンから生まれた言葉です。なにしろ1タラントンでも3000万円なのですから、何時しか才能のある人を言う言葉になりました。
 
 しかし主人は、3人の僕にそれぞれの力2515)、すなわち能力に応じて預けたのですから、才能そのものをタラントンと呼んでいるわけではないことが分かります。では主人が預けたタラントンのたとえで、イエスさまは、私たちに何を預けたと考えておられたのでしょうか。 (後半へ続く)
         信頼が育てた美しい心
 
最初に生まれた男の子が、高熱で知的障害になってしまいました。次に生まれた弟が二歳の時です。ようやく口がきけるようになると、こう言いました。「お兄ちゃんなんてバカじゃないか」。お母さんははっとしました。それだけは言ってほしくない言葉です。叱ろうと考えましたが、思い直しました。
 
そしてお母さんはその日から、弟が兄に向かって言った言葉を毎日ノートにつけていきました。一年たち二年たち・・・相変わらず弟は「お兄ちゃんのバカ」としか言いません。お母さんはなんべんも諦めかけて叱ろうとしましたが、もう少し、もう少しと我慢して、ノートをつけ続けました。
 
 弟が幼稚園に入った年の七夕の日、偶然、近所の子どもや親戚が家に集まりました。興奮したお兄ちゃんが皆の頭をポカポカとぶち始めました。その子をよく知る皆は「やめなさい」と言わずにだまっていました。すると弟が飛び出してきて言ったのです。「お兄ちゃん、ぼくだけぶってちょうだい。ぼく、痛いって言わないよ」・・・これこそお母さんが長いこと待っていた言葉でした。
 
 その晩お母さんはノートに書きました。「ありがとう ありがとう   ありがとう  ありがとう・・・!」 無意識のうちにノートの終わりまで書き連ねてしまいました。
 
小学校の入学式の日、教室で席が決まりました。弟の隣に小児マヒで左腕の不自由な子が座りました。それを見てお母さんの心は動揺しました。家ではお兄ちゃん、学校ではこの友だちでは、幼い子に精神的負担が大き過ぎるのではないかと思ったからです。家を引っ越して転校させようかとすら思いつめました。でもしばらく様子をみてからにしようと、決心しました。
 
学校で最初の体育の時間のことです。先生は手の不自由な子の着替えを手伝いませんでした。その子は生まれて初めてやっと右手だけで体操着に着替えましたが、その時すでに30分も遅れてしまいました。ところが二度目の体育の時間には、その子がちゃんと着替えて、校庭に並んでいたのです。先生は次の体育の前の休み時間に、教室の外から様子をうかがいました。
 
すると隣の席のあの子が、大急ぎで自分の着替えを済ませると、着替えの手伝いを始めたのです。動かない手を体操着の袖に通してやるのは、母親でも結構難しいものです。それを小学校に入ったばかりの子が一生懸命手伝い、そろって校庭に駆け出していったのです。先生は褒めてやりたいと思いましたが、心を鬼にして黙っていました。「先生から褒められたから」と、彼の自発性をこわす結果になりはしないかと、恐れたからでした。
 
偶然ながらまた七夕の日の出来事です。教室に持ち込んだ笹に、先生は願いごとを書いた短冊を子どもたちにつけさせました。参観授業の時に先生はその一枚づつ読んでいきました。「おもちゃがほしい」「自転車がほしい」子どもらしい願いごとが続きます。「かみさま、○○くんのうでを、はやくなおしてあげてくださいね」先生はもう我慢できなくなり、体育の時間のことをお母さん方に話しました。
 
 小児麻痺の子のお母さんは、教室に入ることも出来ず、廊下からそっと参観していました。しかし先生の話を聞いて教室に飛び込んできて、床に座り込み、そのお友だちの首にしがみついて涙を流し、頬ずりしながら叫びました。「ありがとう ありがとう ありがとう ありがとう・・・!」 幼子の心の成長を信じて待ち続けたお母さんと先生。何と素晴らしい方々でしょうか
     (講談社文庫 鈴木健二著「本当に感動したときの言葉」)
 
 5月3日は憲法記念日でした。その前文には「日本国民は、恒久の平和を念願し・・・平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」「いずれの国家も自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」という「普遍的な政治道徳に従うことは、各国の責務であると信ずる」と宣言しています。そして第九条で「戦争武力は国際紛争を解決する手段としては永久に 放棄する」と規定しています。
 利害の対立から武器を手にとり殺し合う紛争・戦争が絶えない世界です。戦力を持たず、周囲の国々の平和を愛する公正と信義にひたすら信頼して、日本の安全と生存を保持しようと決意した平和 主義は、非現実的だと言われます。
しかしアジアの人々約3000万人の命を奪った戦争をした私たちなのです。もう絶対に戦争の悲劇を繰り返さないと戦後の誰しもが抱いた決意を貫くことこそ、日本国民の責任であり使命ではないでしょうか。幼子の心の成長を信じて待ち続けたお母さんや先生のように、他国の事情を無視せず、平和を愛する諸国民に徹底的に信頼を寄せて、忍耐強く平和を生み出す心を育てていきたいものです。
 
         百倍の実を結ぶ
 
私が札幌教会にお仕えしていた時のことです。Kさんが礼拝に見えました。高校の教員を定年まで勤め、それからも教育の働きを続けて70才を迎えました。いよいよ完全な引退生活が始まります。娘さんが東京から来られて「老後の生活を豊かに送れるようになって下さい。教会の礼拝に行きましょう」と誘いました。
 
娘の提案を素直に受け入れて、日曜朝の礼拝に出席されたのでした。3月末でした。Kさんはそれから毎日曜の礼拝を休まずに通い始め、8ヶ月後の11月末に、信仰を言い表してバプテスマを受け、クリスチャンになられました。
 
「私は罪多い人間です。殊にしばしば酒に溺れ、泥酔の果てに、妻や子どもたちを悲しませ、泣かせたことが幾度あったかわかりません。それが原因で、妻は現在も病の床についております。どんな薬も療法も効果がなく、長い間苦しみ悩んでおります。私も4年前に心筋梗塞になり、時々発作がおき、その都度死への恐怖におののき、悩まされてきました。
 
礼拝に出席しはじめて、罪深い私のような者をも赦してくださる神を賛美し、イエス・キリストを信じ、祈るほかないと心に決めるようになりました。私のために十字架につき、私の罪を赦して下さる身代わりの死を遂げて下さったイエス・キリスト、そして三日後に復活された神の子イエス・キリストを救い主と信じて、神に召される日までお従いして生き抜こうと決心しました。」Kさんの決意表明です。
 
 信仰を確立させるためには、祈りを身につけなければと強く思いました。「よし、日曜の礼拝だけでなく、水曜夜の祈祷会にも出席しよう」と決心しました。歩くと息づかいも荒くなる体です。札幌の寒い冬の夜、凍てつく雪道をバスに乗って教会に通うのは大変危険です。私たちは「暖かくなるまでお待ちください」と幾度もお願いしましたが、吹雪でバスが止まらない限り、欠席なさいませんでした。何か死に場所を求めているような真剣さでした。
 
 すると神さまはその信仰にお応えになり、春を迎える頃には、Kさんをかえって元気な体にして下さったのです。奥さんが夜中に汗をかきます。その洗濯物を毎日なさり、よくお世話をなさいました。短気ですぐに腹をたてることも減り、穏やかになっていきました。やがて奥さんも礼拝に出席して、皆の前で信仰告白をなさり、バプテスマを受けました。
 
 教会学校の教師や教会役員、ことに児童文庫では子どもたちと一緒に過ごし、読み聞かせの相手をしてくださいました。家庭を開放して、奥さん共々に、楽しい家庭集会をずっと続けてくださいました。そして91の誕生日直前の2月1日に、静かに天に召されていきました。
 
 イエスさまは色々な地に落ちた種のたとえ話をなさっています。に落ちた種は、すぐに鳥に食べられてしまいました。道は踏み固められています。神の言葉が蒔かれても、受け付けない心の状態です。自分の考えや世間の考えが詰まっていて、とにかくこうだと思い込んでいる心には、もっと良い呼びかけを受け付けません。独善はいけません。常により良いものを求め、受け入れていこうとする柔らかな心を持ちたいものです。Kさんの心も70才までは、まさに道のようでした。
 
 岩の上に薄く土が覆っている土地に落ちた種は、日照りが少し続くと枯れてしまいました。困難に直面するとくじけてしまうのは、心に受けとめた神の言葉が、深く根を下ろしていかないからです。Kさんは夜の祈祷会に出ようと決心しました。心筋梗塞を患った老体には危険です。でも彼は神さまに賭けたのです。するとその決心が、心の中の岩を打ち砕きました。これが神の言葉を深く受けとる聞き方なのですね。
 
 茨が生える地に落ちた種は、成長の早い茨に覆われて実を結びませんでした。思い煩いや色々な欲や誘惑の妨げです。Kさんは神の言葉を第一にして生きると決心しました。夜の祈祷会出席を恐れませんでした。すると医者代も酒代も不要になりました。奥さんも同じ信仰を持ち、家庭集会に集まる教会員を喜んで迎えるようになりました。家の中が明るく楽しくなり、思い煩うことが一つ二つと消えていったのです。が消えていったのです。
 
Kさんは、70才にして神の言葉に心を開き、御言葉に応答して、自分の生き方を変えようとしました。すると神さまはKさんの心に百倍の実りを結ばせ、お嬢さんが願ったように、豊かな晩年21年も過ごさせて下さったのでした。
 
“御言葉を聞いて悟る人は、百倍、六十倍、三十倍の実を結ぶ”
                                     (聖書)
 
           夜の闇に光をともす
 
今年の1月10日に急性肺炎で奥さんを亡くされた友人Sさんから、お手製のクリスマスカードとお便りを頂きました。心を深く打たれましたので、許しを得て一部分をご紹介いたします。
 
憲子は私と娘にとり、その存在は全てでありました。私達家族は40に及ぶ海外生活にあって、お互いがその存在を強く必要とし、強い絆で結ばれていました。特に妻の生き方は年令とともに研ぎ澄まされ、真の優しさを持った素晴らしい人間として生きました。彼女は本当に心の美しい人でありました。それは目の美しさによってよく現れています。
 
私達夫婦は結婚以来、実によく喧嘩をしました。その度に最後は私が謝りそれで解決するのですが、口では喧嘩をしながらも、その大きな目では私を赦しているのがよくわかるのです。結婚当初に妻はこう言いました。「結婚とはお互いを見つめるのではなく、同じ方向を見つめて生きることよ」と。私達二人はその生活を実践したと思います。私達の結婚生活は今振り返るとき、妻の大きな愛で支えられた宝石のように輝いたものでありました。
 
 妻は晩年「人間の死は突然、思いもかけない時にやってくるものよ」と私によく言っておりました。「だから今生きているこの時を大切にしたい。今を大切に生きるためにはどのように生きれば良いのか」を 二人でよく話合いました。最終的な結論は「与えられて生かされているこの命にただ感謝して生きる、それ以外の生き方はないよね」というものでした。
 
 彼女の人生はひと言で表現するならば、「他者への徹底した優しさ思いやりに溢れたものだった」に尽きると思います。特に家族への愛は溢れるばかりのものでした。その彼女の生き方の末に、彼女のがあったのです。私は悲しみにくれながら、「それならば、そこに大きな意味が隠されているのではないか」と思い始めました。
 
 「誰でもが避けられない死において、憲子は家族への優しさを示してくれた。道標(道しるべ)となって私達家族を待ってくれているのではないか。――そうであれば、彼女の死は家族にとって大きな希望と喜びを約束していることになります。これから温かい光の中を歩いて、憲子に会いに行くのだ」との思いに至りました。これこそが私が信じる永遠の命ではないでしょうか。
 
お便りは「まだ悲しみの中にありますが、少しづつ前を向いて歩いております。残された人生を元気溌剌に、希望に溢れ、日々感謝して生きること、これこそ妻憲子がくれた彼女の愛、優しさと思いやりに応えていくものだと、思うようになりました。」と結ばれていました。
 
イエス・キリストの誕生を祝うクリスマスが近づきました。世界の片隅、ユダヤの小さな田舎町ベツレヘムの宿屋の馬小屋でひっそりとお生まれになったのです。出身地で住民登録をせよとの政府の命令で、宿屋はどこも満員、金も力もないヨセフとマリアには家畜小屋に泊まるほかなかったのです。その夜生まれた赤ん坊は、飼い葉桶に寝かされました。こんな貧しい出産しかさせられなかったヨセフは、夫として惨めな思いに打ちのめされていたことでしょう。
 
 ところがわびしい家畜小屋に、突然羊飼いたちが誕生を祝いに来てくれました。彼らが野宿しながら夜通し羊の群れの番をしていると「救い主が誕生して飼い葉桶に寝かされている」と天使が知らせてくれたのです。夜空に天使の大合唱が響きました。彼らは急いで家畜小屋を見て回り、乳飲み子を探し当て大喜びしてくれました。またはるか東の国の学者たちも、暗い夜空に輝く星に導かれて夜の旅を続けて拝みに来ました。がクリスマスの舞台でした。
 
 人生の暗闇――これは先の見えない不安・惨めな貧しさ・失敗や挫折の恐れ病いの苦しみ・絶望をもたらす等でしょう。そして人生の幸福を奪うものとして恐れられています。私達は何とかして闇に襲われないように、身を滅ぼされないようにと懸命に努力し、また祈願を捧げますが、打ちのめされて悲惨な生涯を閉じる場合が多いのです。
 
 しかし皆さん。最愛の妻を失った深い悲しみの闇の中で、神さまはSさんの心に、奥さんの愛が指し示す希望と喜びを気付かせてくださいました。そして「天国での再会を目指して、希望にあふれ、日々感謝して生きて行きます」という手紙を書くまでに、導いてくださったのでした。愛の神さまは、人生の闇の中に救い主を生まれさせて、愛、喜び、平安、希望をもたらしてくださるお方なのです。夜空を通して、救いを告げる天使の声と賛美の歌声を、私たちも、心の耳を澄ませて聞きたいものです。
     
        “暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、
              我らの歩みを平和の道に導く“  (聖書)
 
               老いの日を生きる
 
百歳を超える高齢者が日本では51000人を超えました。去年より4000人弱の増加です。私も80歳を超えましたが、まだ若造ですね。有難いことです。もう自分は役立たずになってしまったと思い始めたら、老いの危険信号だと言われました。
 
老いに伴う苦しみは孤独だと言われています。日本では独り暮らしの人よりも家族と同居している老人の方が、自殺者が多いそうです。家族と暮らすだけでは孤独は解消しないのですね。孤独の最大の苦痛は、人の中にいながらコミュニケーションがもてないことではないかと言われています。
 
自分で殻の内にこもり、せっかく一緒に暮らす家族との交わりを自分で断ち切っています。出会いとは自分から出て行って会うことです。自分の殻から抜け出して、相手に心を開いて語りかけ、交わりのきっかけをつくる努力、これは老いを生きるにあたって、どうしても必要です。長命の女性が圧倒的に多いのも、男性より会話力が豊かだからにほかなりません。
 
その一方で、孤独を恵みとして素直に受け入れなさいとも言われました。心を散らさず神との対話を深めるために、老いの孤独の時が贈られたからです。自分がいかに多くの人や物に支えられて生きてきたかを振り返る時、今の自分に与えられている恵みに、感謝がわいてきます。自分の力で生きているのではないことに、気付かされます。そしてこれからの人生を、どうやって生きていったらよいか、じっくり考えるようになります。
 
 百歳を超えてなお元気に活躍して居られる日野原重明医師が力を入れている働きの一つが小学生のいのちの教育です。「君たちいのちを持っているだろう?どこにあるの」たいてい、胸のあたりを指します。「それは心臓だよ。モーターだよ。そこにいのちがあるわけじゃない。いのちそのものは、どこにあると思う?」
 
いのちは目に見えません。「いのちとは、君が持っていて、君が使うことの出来る時間のことだよ。その時間をどう使っているの?何時間寝て、何時間遊んでるの?」色々な答えを聞きながら「君がしたいようにできるもの、それが君の持っているいのちだよ」と話すと、子どもたちがふっと分かったような表情になります。
 
「じゃあ、君らしくいのちを使うとはどういうことなんだろう?」日ごろ自分のためだけに時間を使っていたことを反省して、「何かしなくちゃならない」と感じ始めるそうです。いのち人のために使う大切さに気付くこと、これが日野原先生の願いなのです。 
 
私は若い頃にアメリカの田舎町の教会で半年研修をしました。一番印象的だったのは、活き活きとして教会生活を送っている年配者の多いことでした。教会の事務室に気軽に立ち寄って教会員の動きや必要を知り、病院に見舞いに行ったり、家の中の不具合を直して上げたり、話相手をしたり、買い物をして上げたりしています。警察を引退したビショップさんの家では、2年前に脳卒中になった奥さんが手の痺れを防ぐために、手料理をこまめにつくります。そして90を超えた二人暮らしの老姉妹に毎日、夫婦で届けていました。喜びを増やして、なによりもご本人たちが楽しんでいる姿に感心しました。
 
 フランスに「別れは小さな死」という諺があるそうです。人生で経験する数々の別れ――親、伴侶、わが子、親しい友、かけがえのない同労者等との別れの悲しみ――愛する人が私の一部を切り取って持ち去るのですから、その度に私の中の一部が失われ、私は 小さな死を味わいます。そしてこの小さな死を一つひとつ受けとめながら、私たちはやがて訪れる我が身の大いなる死に備えていくというのです。そうですね。
       
     (ヘルマン・ホイヴェルス「人生の秋」より)
この世の最上のわざは何? 楽しい心で歳をとり
働きたいけれども休み  しゃべりたいけれども黙り
失望しそうな時に希望し 従順に平静におのれの十字架を担う
   若者が元気いっぱいで歩むのを見ても ねたまず
   人のために働くよりも 謙虚に人の世話になり
 弱ってもはや人のために役たたずとも 親切で柔和に過ごす
老いの重荷は神の賜物 これで古びた心に最後の磨きをかける
まことの故郷に行くために 己をこの世につなぐ鎖を
少しずつはずしていくのは つらい仕事 
こうして何も出来なくなれば、それを謙遜に承諾するのだ
神は最後に一番よい仕事を残して下さる  それは祈りだ―――
手は何も出来なくなっても 最後まで合掌ができる
  愛するすべての人の上に 神の恵みを求めるために
  すべてをなし終えたら 臨終の床に神の声を聞くだろう
     『来よ わが友よ われ汝を見捨てじ』と
 

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