日本バプテスト川越キリスト教会 Baptist Kawagoe

加藤享牧師,山下誠也協力牧師の礼拝説教・教会週報のメッセージ、イベント・行事案内

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 次のページ ]

                  (前半より続く)

2012年6月3日川越教会
               深い悩み・涙の祈り(後半)
                            加藤 享


[3] 信仰をもって生き抜く
 
 神さまは、ぺニナには直ぐに子どもを幾人も授けられたのに、彼女よりも遥かに信仰深いと思われるハンナには、どうして子どもを授けなかったのでしょうか。5節に「主はハンナの胎を閉ざしておられた」と記されています。結婚した女性にとって神からいただく一番の祝福は、子どもと考えられていました。

 その神さまが胎を閉ざしておられる。祝福を拒否されるとは、余ほど罪深いのではないかと思われても仕方ありません。またぺニナもその点を突いて、ハンナをいじめたことでしょう。ハンナを苦しめた一番の悩みは、自分は神さまから見捨てられた罪深い女なのかという罪意識だったのではないでしょうか。だから祭司エリから「いつまで酔っているのか」と叱られた時、ハンナは「はしためを堕落した女だと誤解なさらないでください」と強い口調で弁明しています。

 しかし詩編には「卑しめられたのはわたしのために良いことでした。わたしはあなたの掟を学ぶようになりました」と歌われています。(詩119:71)これは口語訳・新改訳では「苦しみにあったことはわたしに良いことです」という訳になっています。どちらも原語に忠実な訳です。

 私たちは、人が受けている恵みが自分には欠けていると、屈辱や劣等感や罪意識にさいなまれます。これは本当に辛いことです。しかし詩編の作者は、卑しめられたこと、苦しんだことは良かった。それによって神さまの御心を深く学ぶことが出来たからと歌っています。

 そうです。ハンナは家族揃って神さまに礼拝を捧げるその時が、みじめな思いにされる苦しみを、来る年も来る年も味わい続けていたのです。そして悩み嘆き、激しく泣いて泣いて祈り続けました。そしてもしも男の子を授かったなら、生涯その子を神の御用のためにささげますと誓うまでに至りました。

 そうしたら、待望の男の子を授かったのです。彼女はそのかけがえのない子を、誓い通りに、乳離れするや祭司エリに托して、神さまにささげました。こうして神殿で育てられた幼子サムエルが、成長して大預言者となり、神さまの栄光を現わしていったのでした。

 「わたしの神は情け深い。哀れな人を守ってくださる主は、弱り果てたわたしを救ってくださる。わたしの魂よ、再び安らうがよい。主はお前に報いてくださる」(詩116:5〜7)この信仰を、私たちもしっかりと持ちたいものです。

[結] 謙遜に祈る者となる

 2章にはハンナの祈りが記されています。その中に次の言葉に注目いたしましょう。「驕り高ぶるな、高ぶって語るな、思い上がった言葉を口にしてはならない。主は何事も知っておられる神 人の行いが正されずに済むであろうか。」(3節)「子のない女は七人の子を産み、多くの子をもつ女は衰える」(5節)
 ハンナの前で誇り高ぶったぺニナは、その後どのような生涯を送ったことでしょうか。子どもたち共々に衰えていったのでしょう。ハンナはサムエルを全き献身者として神の御用に捧げました。すると神さまは、彼女に息子三人娘二人をお与え下さいました。私たちは、恵みを豊かに頂いて、誇り高ぶってはなりません。益々心を低くして、周りの人と恵みを分かち合い、共々に神さまに感謝していかなければなりません。 

 こうしてイスラエルの歴史の転換期に大きな働きをした預言者サムエルが、ハンナの深い苦しみと涙の祈りから誕生したのでした。貝の涙が美しい光沢をもつ真珠を生み出すと言われています。涙の祈りを神さまは大切に受けとめてくださるのです。 この確かな事実をハンナの証から学び取り、私たちも、どんな時にも心を注いで祈る者になりましょう。  完

2012年6月3日川越教会

                  深い悩み・涙の祈り(前半)
                               加藤 享

[聖書]サムエル記上 1章1〜20節

[序] 若さをもらった札幌訪問
 
 私たち夫婦は去る5月24日から札幌教会に参り、父母、叔父母の遺骨を教会墓地から引取り、29日夕方無事に帰って参りました。お祈りを有難うございました。私はご存知のように1ヶ月前に80才になりました。喜美子に支えられた日常生活、剣道の稽古も週3〜4回できる体力がまだあります。川越教会が30人を越える群れになるよう後5年はお仕えさせて頂きたいと願っています。それでもさて何時まで続けられるかなと、前途を案じる思いがふと襲ってくるようになりました。

 この変化に自分でも驚きました。ですから念願の教会墓地が出来て、父母、叔父母の遺骨を、兄弟、孫たちが居住している関東圏に移しておいた方が良いと兄弟で相談して札幌に引取りに伺うに当り、これがお訪ねする最後になるかも知れないと思いました。そこで札幌の皆さんも土曜日に送別の夕食会を準備してくださっていました。

 ところが私たちに会った方々は、「何だ、まだ若いじゃないですか」と口々におっしゃるのです。昨日も70代の方から「高齢を感じさせない溌剌とした若さ、研ぎ澄まされた印象を受け、自分も見習って鍛え直す所存です」とメイルを頂きました。

 一方私は私で、墓地委員長が90才でかくしゃくとしておられました。山から車を運転してご夫婦で霊園に降りて来て、遺骨の引越しを指揮してくださいました。冬の雪道は大変なはずです。もうお一人の90才も夕食会でバプテスマを受ける意向を表明して下さいました。85才以上の方が幾人も集会に出席しています。80で老いたなどと言っていられません。私は若さをもらって帰って参りました。有難いことでした。

 若い時に目白ヶ丘教会で一緒に育ち、気心の知れた山下先生夫妻が身近に支えて下さいますから、心強い限りです。シンガポール、タイ、韓国、中国、ルワンダ、米国、フィリピンその他と、お訪ねしなければならないところが沢山あります。力の限り世界伝道のお役に立ちながら、川越教会にお仕えして参ります。どうぞ宜しくお願い申し上げます。

[1] バプテスト教会の特色 
 
 さてバプテスト教会の特色の一つは、全年齢層の教会学校でしょう。赤ちゃんから老人に至るまで全ての人が、教会に集まり礼拝を守るだけでなく、それぞれの年令に分かれて聖書を読み、学び合います。礼拝と教会学校(CS)を車の両輪として、信仰を成長させていきます。
 私たち夫婦が目白ヶ丘教会から巣立って、札幌教会牧師として赴任したのは1964年クリスマス後でした。その時札幌教会の礼拝は40人余の出席者で、20数名が中高生、10数名が青年、大人は10人弱で、米国の神学校へ留学された前任牧師のご両親以外では32才の私が最年長。24才の高校教師の兄弟が代表執事といった若い教会でした。それでも教会学強化運動のパイロットチャーチとして、全年齢層の教会学校形成に取組もうとしていました。そこで私の経験と若いバイタリティとを結合させて、幼稚科3組、小学科9組、幼稚園父母2組の14組を礼拝前に、中学高校科6組、青年成人科6組の12組を礼拝後に、そして乳嬰児科を礼拝中にと、合計27組の教会学校を一挙に組織して、しゃにむに活動を開始しました。そして礼拝出席が70名台になり、教会が一段階成長を遂げたのでした。

 さらに開拓伝道を開始して、中心メンバーを10余名株分けし、一時礼拝出席が減りましたが、小学生も皆大人の礼拝に出席して、教会家族全員の礼拝にしましたら、子どもたちが次々と礼拝で信仰の決心をしてバプテスマを受けるようになり、150名の教会に成長したのでした。今回も礼拝に出てみましたら、親子孫三世代の出席者が幾組も見られました。 

 我が家の孫のあんりは、今月2才になります。浦和に引越してから、月二回の浦和教会の嬰児クラスに入りました。するとすぐに聖句をちゃんと暗誦するようになりました。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべて感謝しなさい」我が家にきますと挨拶代わりに唱えてくれます。世の闇を照らす神の言葉を心に刻んで成長してくれるとは、何と嬉しいことでしょうか。

 川越教会も乳嬰児が一人二人と増えてきました。小学生も二人います。彼らが聖書を学ぶクラスが必要です。奉仕者が与えられるよう祈って参りましょう。また礼拝前の成人科の分級にも努めて出席して、聖書を一緒にお読み下さい。祈祷会も礼拝も同じ聖書の箇所から、豊かな命の言葉を汲み取ろうとしています。聖書は読めば読むほど豊かな命をいただける宝の書です。

[2] サムエルの誕生
  
 さて前置きが長くなってしまいましたが、今日から士師記を終えてサムエル記上に入ります。エジプトからカナンの地に移住したイスラエルの民が、異なる信仰を持つ先住民や周囲の民族と衝突を繰り返しながら、次第に定着していきます。神さまはイスラエルの民が存亡の危機に直面するたびに、士師と呼ばれるリーダーを立てて、護ってくださいました。その歴史が士師記に記されていました。

 しかし歴史の流れは、強力な支配者を柱とする王国の出現を必要とするようになりました。その歴史の転換期に、キシの子サウルを選んでイスラエルの最初の王に立てる大切な働きをしたのが、最後の士師であり、最初の預言者であるサムエルです。歴史はサムエルを軸としてサウル王からダビデ王の王国確立に向います。この重要な橋渡しをした宗教的指導者サムエルは、母ハンナの涙の祈りから生まれた子どもです。

 ハンナはエルカナと結婚しました。彼は信仰深い誠実な人でした。しかしなかなか子どもが与えられません。エルカナは社会通念に従って、ぺニナを第二の妻として迎えました。彼女は子どもを幾人も産みました。ペニナは夫が自分よりもハンナを愛していることを知っています。しかし自分はこのように子どもを幾人も産んでいることで、ハンナに対する優越感を抱いていたことでしょう。

 エルカナは毎年一回、遠いシロの神殿に家族全員を連れて出かけ、家畜を犠牲の供え物として献げて礼拝することを常としていました。礼拝後に捧げ物の一部を払い下げてもらい、調理して家族一同で会食します。二人の妻と元気に成長していく息子・娘たちと一緒に神さまを礼拝し、家族一同て楽しく食事できることは、エルカナにとって至福の時だったことでしょう。

 しかしハンナにとっては、この上なく惨めでつらい時でした。子どもは神の祝福のしるし、子を産まない女は神から顧みられていないと思われていた時代です。これ見よがしに振る舞うぺニナに、ハンナは深く傷ついていきました。ある年のこと、彼女は遂に我慢できなくなり、神殿に逃げ込んで激しく泣いて祈り続けました。

「万軍の主よ、はしための苦しみを御覧ください。はしために御心を留め、忘れることなく、男の子をお授けくださいますならば、その子の一生を主におささげし、その子の頭には決してかみそりを当てません」頭にかみそりを当てないとは、信仰の純粋性を保つ献身のしるしとして、髪の毛を切らない姿のナジル人として神の御用に当る生涯を送らせますという誓いです。

 あまりにも長く祈っているので、祭司エリは酒に酔っていると誤解しました。「祭司様、私は深い悩みを持った女です。主の御前に心からの願いを注ぎ出しておりました」「安心して帰りなさい。イスラエルの神が、あなたの乞い願うことをかなえてくださるように」泣くだけ泣いて、心からの願いを注ぎ出し尽くしたハンナは、晴れやかな心を取り戻して、エルカナの許に帰りました。

 祭司エリの言葉通りに、神さまは彼女を御心に留めて、彼女の願い通りに、男の子を授けて下さいました。ハンナはサムエル(その名は神)と名付け、乳離れするまで3年間手許で育ててから、シロの神殿に連れて行き、祭司エリのもとにサムエルを託したのでした。サムエルがエリの許でどのように成長していったかは、来週の学びになります。
                       (後半へ続く)

 (前半より続く)

2012年5月20日川越教会
                      人生の明暗(後半)
                                 加藤 享

[2] 愚かな大間違い
 
 しかしここで彼は、愚かな大間違いを犯してしまいました。戦闘開始に当たって主に誓いを立てたのです。「もしあなたがアンモン人をわたしの手に渡してくださるなら、わたしがアンモンとの戦いから無事に帰るとき、わたしの家の戸口からわたしを迎えに出て来る者を主のものといたします。わたしはその者を、焼き尽くす献げ物といたします」(11:30〜31)

 ところが、エフタが勝利をおさめて家に帰った時、彼の唯一人の最愛の娘が、真っ先に鼓を打ち鳴らし、踊りながら迎えに出て来たのです。彼は衣を裂いて嘆き悲しみました。しかし主に対する誓いは破ることができません。娘も誓いの重みを十分に自覚していました。二ヶ月間友だちと山をさまよって泣き悲しんだ後に、父のもとに帰り、主の献げ物となって死にました。

 主なる神さまは、全ての人の祝福の源となるようにと選ばれたイスラエルの民に、神の民としての信仰生活の指針として、モーセを通して、律法をお与えになりました。その律法には大切に育てた家畜を献げ物として献げる規定はありますが、人間を献げることは厳しく禁止されています。「自分の子を一人たりとも火の中を通らせてモレクの神にささげ、あなたの神の名を汚してはならない」(レビ18:21)

 何故でしょうか。それは他の宗教では、我が子を神に献げることが、当り前のこととして行われていたからです。日本でも川が氾濫すると、川の神を宥めるために、子どもが生贄として川に投げ込まれました。

 ではエフタはどうして、律法で厳しく禁じられている献げ物の誓いをしてしまったのでしょうか。彼は後に「わたしは命がけでアンモン人に向って行った」(12:3)と語っています。敵は十分に準備した上で集結した軍隊です。こちらは急遽呼び集められた部隊です。エフタ自身が長老たちに頼まれて、急遽指揮官についたばかりです。 

 外交交渉も、全軍を把握するための時間稼ぎでもあったでしょう。勝ち目のない命がけの戦いです。ですから彼は、我が家の大事な使用人の誰かを献げてでも、主の助けを頂きたいと、平素見聞きしている異教徒の慣習に影響されていたこもあって、誓願をしてしまったのでしょう。

 ではどうして神さまは、彼の軽率な誓いを、御自分が最も嫌う行為だと厳しく叱って、取り止めさせなかったのでしょうか。昔神さまはアブラハムに、100才になってやっと与えられた秘蔵息子のイサクをモリアの山上で焼き尽くす献げ物にせよとお命じになりました。そしてアブラハムが御言葉通りに実行しようとした時、山上に山羊を備えて、イサクの命を救って下さいました。どうしてエフタにもその様な救いの手を差し伸べて下さらなかったのでしょうか。

 榎本保郎牧師の旧約一日一章によると、アブラハムの場合は主の命令によるものでしたが、エフタの場合は自分から誓った誓願でした。ここに同じかけがえのない唯一の我が子を献げながら、一方は神の応答が与えられ、他方は神の沈黙に出会った違いがあると述べられています。神さまが求めておられるのは、私たちが御心に聞き従う信仰に立つことなのです。

 「もし貴方が助けてくださるなら、私も――します」とは、自分と神さまが対等の立場で取引していることになります。御礼として、家で働く者の誰かを献げる痛みを払いますからと、自分が決めているのです。そこで神さまは沈黙されてしまわれたのでしょう。エフタは「御心ならば勝利によって御栄光を。よしたとえ敗戦でも、御心としてお受けします。御栄光をお現わしください。」と祈り、神さまの御心に従って行動するべきだったのです。

[3]健全な人格の源
 
 エフタは母が卑しい女だからという理由で、社会から差別・排除されてしまいました。生まれながら負わされたハンデ――これは自分ではどうすることも出来ない人生のマイナス要因です。そしてそのハンデによって、多くの人が苦しみ、悩み、押しつぶされてしまいます。ところがエフタは挫けませんでした。他の町に移って、自分は自分らしく生きていこうとしていたら、彼の周りに、同じような境遇の若者たちが集まってきたのです。

 「ならず者」とは「何も持たない、空しい者」の意味から、「社会的立場や経済力を持たず、やけくそになったごろつき」を意味するようになった語だそうです。口語訳では「やくざ者」、新改訳では「ごろつき」と言われる連中が集まって来て「行動を共にする」と言うのですから、口語訳は「彼と一緒に出かけて略奪を事としていた」と記述しました。しかしこれでは訳し過ぎだと、私は思います。

 何故なら、盗賊集団になれば町の中で暮らせないはずだからです。またもしも彼らが反社会的な集団ならば、長老たちがエフタにギレアド族の軍の指揮官になって欲しいと要請しに来ないでしょう。すると、「やくざ」とか「やけくそになったごろつき」が集まりながらも、彼らを反社会的集団にさせない健全な規律がそこにあったことになります。そしてそれこそが、中心人物であるエフタの健全な人柄とリーダーシップによると私は思うのですが、いかがでしょうか。

 エフタは、自分が生まれた町から追い出されたことに、いつまでもこだわっていません。一応言うべきことは言いますが、長老たちが、自分たちは神さまの前で語っていると言うと、彼らを信じて申し出を素直に受けいれています。彼の健全な人格とリーダーシップの源泉も、この信仰によるのではないでしょうか。民族の歴史を通して受け継がれてきた、主なる神さまへの畏れと信頼とが、人間社会の生み出す不条理によって押しつぶされず、ゆがめられずに、人を信じ赦すという健全な人格を養い、人生を切り拓いていく原動力となっているのではないでしょうか。

[結]明暗を生きる教師
 
 エフタは明暗交差する人生を送りました。母が卑しい女だというので、成人すると家から追い出されました。遠く離れた町で一人暮すうちに、ならず者たちが集まってきました。彼らを指導することで、リーダーシップが養われ、アンモン人との戦争になると、司令官に抜擢されます。主の霊を注がれて、命がけの戦闘に大勝利します。しかし愚かな誓約をしたばかりに、勝利の喜びは吹き飛び、最愛の娘を失う深い悲しみを味わう破目に陥りました。そして士師としての役割を果たして死にました。

 エフタは人生のどの場面でも精一杯に生きました。逆境に遭っても卑屈にならず、順境に在っても驕り高ぶらず、自分の罪ゆえに大失敗を犯しても、耐え抜き、与えられた使命を全うして、死にました。人生の明暗において、如何に生きるべきかを、深く教えてくれる教師です。私の心に、彼の失敗から、パウロの言葉が響いてきます。
  
“心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、
何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかを
わきまえるようになりなさい。”(ローマ12:2)
                               完

2012年5月20日川越教会

                 人生の明暗(前半)
                          加藤 享

[聖書]士師記10章17節〜11章11節

 アンモンの人々は集結してギレアドに陣を敷き、イスラエルの人々も集まってミツパに陣を敷いた。 民ギレアドの指導者たちは互いに言い合った。「アンモンの人々に戦いを仕掛けるのは誰だろうか。その人が、ギレアド全住民の頭となろう。」
 ギレアドの人エフタは、勇者であった。彼は遊女の子で、父親はギレアドである。ギレアドの妻も男の子を産んだ。その妻の産んだ子供たちは成長すると、エフタに、「あなたは、よその女の産んだ子だから、わたしたちの父の家にはあなたが受け継ぐものはない」と言って、彼を追い出した。エフタは兄弟たちから逃れて、トブの地に、身を落ち着けた。そのエフタのもとにはならず者が集まり、彼と行動を共にするようになった。
 しばらくしてアンモンの人々が、イスラエルに戦争を仕掛けてきた。アンモンの人々が戦争を仕掛けてきたとき、ギレアドの長老たちはエフタをトブの地から連れ戻そうと、やって来た。 彼らはエフタに言った。「帰って来てください。わたしたちの指揮官になっていただければ、わたしたちもアンモンの人々と戦えます。」 エフタはギレアドの長老たちに言った。「あなたたちはわたしをのけ者にし、父の家から追い出したではありませんか。困ったことになったからと言って、今ごろなぜわたしのところに来るのですか。」 ギレアドの長老たちは、エフタに言った。「だからこそ今、あなたのところに戻って来たのです。わたしたちと共に来て、アンモン人と戦ってくださるなら、あなたにわたしたちギレアド全住民の、頭になっていただきます。」 エフタは、ギレアドの長老たちに言った。「あなたたちがわたしを連れ帰り、わたしがアンモン人と戦い、主が彼らをわたしに渡してくださるなら、このわたしがあなたたちの頭になるというのですね。」 ギレアドの長老たちは、エフタに言った。「主がわたしたちの一問一答の証人です。わたしたちは必ずあなたのお言葉どおりにいたします」と答えた。 エフタはギレアドの長老たちと同行した。民は彼を自分たちの頭とし、指揮官として立てた。エフタは、ミツパで主の御前に出て自分が言った言葉をことごとく繰り返した。

[序]士師エフタの登場

 イスラエルの民は、またもや主なる神を捨て、他の神々に仕えるようになり、主の怒りをかいました。その結果18年間も周りの諸国の侵略・圧迫にさらされ、苦境に陥ります。耐えられなくなった民は、主に助けを求めますが、「もう救わない」と突き放されます。彼らは異国の神々を一掃し、ひたすら主に仕えようとしました。それをご覧になった主は、見るに忍びなくなって、手を差し伸べて下さいました。ここで士師エフタが登場します。

[1]のけ者がトップに

 エフタは父が遊女に産ませた子でした。妻が産んだ息子たちが成長すると、彼は家から追い出されてしまいました。同じ町で暮らせないので、20キロ離れた別の町に移りました。彼はギデオンと同じように強い勇士であるばかりでなく、人を惹きつける魅力とリーダーシップがあったようです。そこで彼の許には、同じように社会に居場所のない若者たちが集まってきて、次第に注目を集めるようになりました。

 折りしもアンモン人がイスラエルの民に戦争を仕掛けてきました。ところがイスラエル側には、頼りになる指揮官が見当りません。長老たちが連れ立ってエフタを訪ねて来ました。「帰って来てください。わたしたちの指揮官になっていただければ、わたしたちもアンモンの人々と戦えます。」

 エフタは長老たちに言いました。「あなたたちはわたしをのけ者にし、父の家から追い出したではありませんか。困ったことになったからと言って、今ごろなぜわたしのところに来るのですか。」「だからこそ今、あなたのところに戻って来たのです。わたしたちと共に来て、アンモン人と戦ってくださるなら、あなたにわたしたちギレアド全住民の頭になっていただきます。」

 かつて自分をのけ者にして父の家から追い出した兄弟たちに同調した長老たちです。のけ者にすると訳された原語は、「憎む」「嫌う」という語ですから「わたしを憎んで」と訳した口語訳の方がよいと思います。思うに兄弟たちはエフタが、自分たちよりも強くて能力があるからこそ、家督を奪われるのを恐れて、追い出したのでしょう。それに同調した町の長老たちは、自分たち部族の将来を見据えて、有能な若者を大切に育てていこうとする見識に欠けていました。

 だから戦争の危機が迫ると、うろたえる破目に陥るのです。この様な彼らならば、戦争が終れば、エフタは再びお払い箱にされかねません。エフタの返事は当然です。すると彼らは「全住民の頭(最高指導者)になってもらいます」と、神にかけて誓ったのでした。そこで彼はミツパに戻り、主と会衆の前で就任したのでした。

 エフタは、直ちにアンモン王と外交交渉に入りました。「現在我々が暮らしているこの土地は、エジプトから移動してきた先祖が、平和的に通過させて欲しいと願ったにも拘わらず、アモリ人の王が戦いを仕掛けてきて、やむなく応戦した結果、我々が勝利して、我が領土となったものだ。以来300年にわたり我々は住み続けてきたが、貴方たちは取り戻そうとしなかった。今になって戦いを仕掛けるのは不当ではないか」実に筋の通った主張です。

 何故命をかけてまで戦うのか、戦いの意義を明らかにした上で、皆が心を合わせて全力を尽くす――これは実に大切なことです。エフタは単に戦争に強い指揮官だったのではなく、部族の全住民を統率する指導者振りを発揮したのでした。この見識を彼はどのようにして身に付けたのでしょうか。それが「主の霊がエフタに臨んだ」と言われているゆえんでしょう。エフタを通して主の霊が働いて、民の心を一つにし、全力を結集して戦わせたのでした。そして激しい戦いの末に大勝利をおさめることが出来たのでした。
                       (後半へ続く)

                (前半より続く)

2012年5月6日川越教会
                   約束を必ず果たす神(後半)
                                 加藤 享

[2] 神の大勝利
 
 デボラは、ラビトトの妻で預言の賜物を神さまから与えられていました。そしてエルサレムから北約40キロほどのエフライムの山地で、裁きを求めて各地から来る人に、士師として裁きを与えていました。当時カナン王ヤビンは鉄の戦車900台という 強力な武力を背景にして、イスラエルの民を20年間にわたって徹底的に押さえつけていました。神さまは救いを求めるイスラエルの叫びに応えて、遂にデボラに指示をお与えになりました。

 デボラは北に約140キロ、ガリラヤ湖の更に北のケデシュに暮すバラクを呼び寄せました。「イスラエルの神、主がお命じになったではありませんか。『行け、ナフタリ人とゼブルン人一万を動員し、タボル山に集結させよ。 わたしはヤビンの将軍シセラとその戦車、軍勢をお前に対してキション川に集結させる。わたしは彼をお前の手に渡す』と。」 ナフタリ族とゼブルン族はガリラヤ地方に定住したイスラエル12部族の一員です。バラクはそのリーダーだったのでしょう。

 タボル山はガリラヤ湖の南西約10キロ、キション川の流域に広がるイズレエル平野の北の端にある高さ588mの山です。その山に集結して、戦車900台でキション川を攻め上ってくるカナン軍を撃破するようにという神さまの命令でした。しかしバラクはためらいました。「あなたが共に来てくださるなら、行きます。もし来てくださらないなら、わたしは行きません。」 どうしたことでしょうか。

 5章のデボラの歌の7〜8節をご覧下さい。「イスラエルの4万人の中に、盾も槍も見えたであろうか」とあります。たとえ4万人の兵士が集まっても、最低の武器である盾や槍を持っている者がいない、皆が手製の武器しか持たない農民兵だったからです。これでは戦車に立ち向かえません。たちまち蹴散らかされてしまいます。

 しかしバラクはデボラが預言者であり、士師として立てられているこことを知っています。もし神さまが本当にデボラにそう命じられたのなら、従わなければなりません。そこで本当に神さまのお告げかどうか、デボラを試したのではないでしょうか。  デボラは言下に答えました。「わたしも一緒に行きます。」 バラクはデボラのこの毅然たる態度に促され、一緒にカナンの平野を南から北に140キロ縦断してケデシュに向い、兵士を招集したのでした。その距離は今の関越道なら大泉から水上の距離です。

 カナン軍の司令官シセラが鉄の戦車900台に加えて自分の部隊全軍も動員して、キション川に集結しさかのぼってきました。キション川は全長37キロですが雨の降らない乾期には、川水が流れるのは下流10キロ余で、上流の川床は乾いた道になります。その川床を戦車隊を先頭に大軍が、タボル山目指して押し寄せて来たのでした。

 ところが5:21節をご覧下さい。「キション川は彼らを押し流した。太古の川、キション川が。わが魂よ。力強く進め」突然大雨が降り出したのです。乾いていた川床は一挙にぬかるみとなり、重い鉄の戦車の車輪が泥にめり込んで動けなくなり、激流に流される破目になりました。兵士は戦車から飛び降りて逃げ出しました。こうして敵軍はタボル山を一挙に駆け下ったイスラエル軍によって、全滅してしまったのでした。

 シセラはヘベルの妻ヤエルの天幕に逃げ込みました。喉が渇いていたので水を求めると、ヤエルは凝乳(5:25)を差し出しました。発酵してアルコール分が含まれています。シセラは酔いが回り熟睡している間に、ヤエルによって頭に釘を打ち込まれて死んでしまいました。この大敗北でカナン王はやがて没落します。

 こうして神さまは、戦場では全く出番のないはずのか弱い二人の女性をお用いになって、神の民を滅亡から救い出されたのでした。

[結] 御言葉に聴き従う信仰
 
 男のバラクは、貧弱な武器しか持たない自分たちの実力をよく知っていました。自分たちを押さえつけているカナン王に対して、勝ち目は全くありません。「戦え、勝つ」と神さまが命じられたとは、どうしても信じられなかったのでしょう。でもデボラの確信に満ちた態度に圧倒されて、彼女と行動を共にすることにしたのでしょう、

 ではデボラはどうして確信することが出来たのでしょうか。デボラは、今自分たちが約束の地カナンに居るという事実に立って、神さまを信じたのです。自分たちが今この地に居るのは、出エジプトに際しての、あの劇的なドラマのお陰です。強大なエジプト王国の戦車・騎兵隊の精鋭に追い詰められながら、カナンの地を与えると約束された神さまは、東風を送り海の水を二つに分けて、150万の大集団を向う岸に渡らせ下さった。そして追いすがるエジプト軍を海に呑み込ませてしまわれたのです。

 一体海の水を分けて、進む道を備えるなどということを、誰が思いつくでしょうか。しかし神さまは、人の心に思い浮かびもしない救いを備えて下さるお方なのです。この全知全能なる主が、私たちを約束の地にこの通り住まわせてくださっている。だから私たちは滅びない。神さまは御手の力をふるって必ず救い出して下さると確信して、デボラは祈ったのです。そして示された御心をそのまま信じて、バラクに伝えたのでした。                            

 バラクが御言葉に従って兵士たちを召集し、「立ちなさい。主があなたに先立って出て行かれた」というデボラの声に押し出されて、タボル山から攻め下った時に、天から大雨が降り、精鋭の戦車隊が混乱して、全滅してしまいました。

 神さまは「目が見ず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、御自分を愛する者たちに準備」(汽灰螢鵐硲押В后砲靴堂爾気襪方です。神さまは「約束されたことを、必ず実現される力をお持ちの方だと確信して」(ロマ4:21)、御言葉に聞き従っていく信仰を、デボラは身をもって、私たちに証してくれました。

 イエス・キリストは、十字架の死に至るまで、神の御心に聞き従われました。そして復活の栄光をお受けになったのです。私たちも、イエス・キリストを見上げつつ、神さまの愛と力を確信して、祈り、聞き従って、信仰の勝利を証しして参りましょう。       
                                完

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 次のページ ]


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事