日本バプテスト川越キリスト教会 Baptist Kawagoe

加藤享牧師,山下誠也協力牧師の礼拝説教・教会週報のメッセージ、イベント・行事案内

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2013年8月4日川越教会
               何を大切にして生きるか(後半)
〜 ダニエル書1章1〜21節〜
     加藤 享
 
 
[3] 神の栄光を現すために
 ここでこの点について、イエス・キリストの救いにあずかった信仰者の信仰を新約聖書から学ぶことにいたしましょう。ダニエルたちは、神ならざる神、すなわち偶像に先ず捧げられた王宮の肉類と酒で自分を汚すまいと決心しました。これに対して新約聖書では パウロが「世の中に偶像の神など存在しないのだから、偶像に供えられた肉かどうかで心配する必要などない」と言い切っています。(Ⅰコリント10:4)「多くの神々がいるように思われているが、私たちにとっては、唯一の神、父である神がおられ、万物はこの神から出て、この神へ帰って行くのだ」とも言っています。(Ⅰコリント8:5〜6)
 
しかし偶像に備えた食べ物は食べないとしている人の信仰も尊重して、その人をつまずかせないように、愛の配慮を勧めています。そして「わたしの兄弟をつまずかせるくらいなら、兄弟をつまずかせないために、わたしは今後決して肉を口にしません」とさえ言っています。(Ⅰコリント813)すなわち「食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すために」(Ⅰコリント1031)を心がけていくのです。
 
ダニエルたちも自分たちの信仰の量りに従って真剣に祈り、あのような決断を貫きました。そしてイスラエルを滅ぼしたバビロン王の宮廷で、神さまの栄光を現すことができたのでした。「神さまの栄光を現すこと」それが大切なのですね。
 
 パウロは「偶像を礼拝してはいけない。『民は座って飲み食いし、立って踊り狂った』と書いてあります」「あなたたちは悪霊の仲間になってほしくありません」(Ⅰコリント10720)と述べています。社寺の祭礼には、飲み食いし、踊り狂い、淫行に走る状況が日本でも見かけられます。大きな神社や寺の門前には、淫らな宿屋が立ち並び、参詣者が精進落しをすると言われています。それが真の信仰者の姿なのでしょうか。
 私はお酒については、若い時は、社交上すすめられれば飲むという立場をとっていました。しかし私が目白の副牧師時代に、学生センターの主事を代行していた時のことです。センターに泊まって管理人をしてくれていた実に真面目な大学生が居ました。新潟の出身で父親とよく酒を飲み合う育ちでしたが、上京してクリスチャンになり、断酒しました。ところが或る晩、ウイスキーをがぶ飲みして狂乱状態になり、ホールのガラスをたたき割り、床の上をのたうちまわりました。電話で通報を受けタクシーで駆けつけ、彼を押さえつけ12時間格闘しましたが、遂に119番に電話して緊急入院させました。私も負傷しました。失恋してたまらなくなり、夜の街に出て行ってウイスキー瓶を買ってきて、一気に飲みほしたのでした。私はこの好青年を狂人にする酒の恐ろしさに身震いしました。それからは飛行機に乗った時の食事で、白ワインを少々口にするだけに決めました。
 
 「青年よ、大志を抱け」で有名なWクラーク博士は札幌農学校に赴任する時、アメリカから持参したウイスキーと葉巻を海に投げ捨て、代わりに聖書をもって教育することを 黒田長官に強く求めて承認させました。彼が横浜の白昼の路上で酩酊狼藉を働く若者の姿を幾人も見かけたからでした。前途ある有能な若者を、あたら酒・たばこで滅ぼさせてはならないと、自分に強く言いきかせて、禁酒禁煙を通したのだそうです。
 
[] 主を畏れることが知恵の初め
 バビロン王は、国家に役立つ人材を、自分が滅ぼしたユダ王国の王族貴族の中からも見出そうとしました。「体に難点がなく、容姿が美しく、何事にも才能と知恵があり、知識と理解力に富み、宮廷に仕える能力のある少年」と記されています。そして更に宮廷で3年間特別に養成訓練をして、選んだのでした。今日の世界でも社会が求める人材とは、全くこの通りで、変わっていないのではないでしょうか。ですから親たちはわが子を小さい時からこのような人間に育てようと、懸命に教育訓練しています。
 
 でもこれに対して少年ダニエルたちは、NOと叫び、異なる行動をしたのでした。その 原理は「自分を汚すまい」 神さまを畏れ敬う信仰から出た決断です。今日の礼拝の冒頭でも司式者に「主を畏れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは分別の初め」(箴言910)の御言葉を読んでいただきました。
 
まさにダニエルたちは、王が求めなかった神を畏れる信仰を第一にしましたので、王が求める以上の健康、知恵、知識、理解力、判断力、行動力、更に霊感にも秀でた働き人に成長していきました。何を大切にして生きるか。神を畏れる信仰を第一にして生きること―― これが今日のメッセージです。
 
このメッセージを私たちは今日心に新たにいたしましょう。礼拝を第一にすることこそが、子育てに一番大切なのだと再確認いたしましょう。そしてそれを証して参りましょう。                              
                                   完
 
2013年8月4日川越教会
            何を大切にして生きるか(前半)
                       ダニエル書1章1〜21節〜
                            加藤 享
 
[]  三人三様の人生
 8月に入りました。5月から旧約聖書をイザヤ書、エレミヤ書、エゼキエル書と読み進めてきましたが、今月の4回の礼拝はダニエル書を学びます。ダニエル書の舞台はユダ王国を滅ぼしたバビロン帝国の宮廷です。祖国の滅亡を同じく体験しながら、エルサレムで預言者として生きてきた老年のエレミヤは、エルサレムに留まり、やがてエジプトに移って死にました。エルサレムの神殿の祭司だった若いエゼキエルは、捕囚の人々の間で暮らし、ほどなく預言者として召され、預言活動を続けてバビロンで生涯を終えます。一方少年ダニエルはバビロン王とペルシャ王に仕えて宮廷で生涯を送りました。三人三様です。
 
[] 自分を汚さない信仰
さてダニエル書の第1章です。バビロン王ネブカドネツァルは、ユダ王国から優秀な人材を捕虜として連れてきました。彼らをしっかり教育訓練して、拡大していくバビロン大帝国の世界統治に役立てようとしたのです。特に王族・貴族の中からこれはと思う少年を選んで、特別に宮廷で3年間養成訓練をし、その中から自分の身近に仕える者を得ようとしました。その候補者の中に、ダニエル3人の友人も選ばれました。
 
この少年たちは、先ずカルデア風に名前を変えさせられました。さあお前たちはユダヤ人ではない。カルデア人になったのだぞというのでしょう。宮廷の食事を毎日与えられることになりました。エリートとしての特別扱いです。そしてカルデア人の言葉と文書(モンジョ)を学ばせられました。ところがダニエルたち4人は、宮廷の肉類と酒で自分を汚すまいと決心して、食べ物は野菜と水だけにしてほしいと侍従長に申し出たのです。
 
王に命じられていた侍従長は困りました。「お前たちの申し出を受け入れて、お前たちの顔色が悪くなったら、私の首が危うくなるではないか」「どうか10日間試してください。そして私たちと他の仲間と比べてみて、その上で決めてください」10日たってみると、  ダニエルたち4人の顔色と健康が、宮廷の肉類と酒を食べていた者たちよりも優れていました。そこで4人は肉類と酒を除いた野菜と水だけで3年間の養成期間を送ったのでした。
 
 主なる神の民としての契約の書律法には、清い生き物汚れた生き物とがきちんと区別されています。しかも生き物のについては特別な思いを持っていて、食べる場合の血抜きは徹底していました。日本人とは大分違いますね。そこで宗教の違う外国人と食事を共にしないユダヤ教徒との衝突が、新約聖書のあちこちに記されています。
 
 そればかりではありません。国王の食べ物は神に捧げてから食卓に運ばれたようです。バビロンの神に捧げられた肉類や酒を食べることは、その神の加護にあずかることを意味します。だからダニエルたちは、真の神ではない偽の神、すなわち偶像なる神に捧げられた宮廷のご馳走で、真の神から授かったこの体を汚すことは出来ないと思ったのではないでしょうか。さて私たちなら、どのような行動をとったことでしょうか。
 
 神さまはこの純真な信仰を喜び、侍従長に好意をもってこの少年たちに対応するように導いて下さいました。大国バビロンの侍従長です。相手はバビロンがひねり潰した小さな国ユダから捕えられてきた少年たちです。ごちゃごちゃ言わずに王様の命令に従えと𠮟りとばすことも出来たはずです。ところが自分の首をかけて、言い分を受け入れてくれたのです。これは見えざる神さまの働きというほかありません。しかも美酒美食の少年たちよりも健康にしてくださったのです。9節に「神の御計らいによって」と記されています。
 
[2] 神の守りと恵み 
この少年たちは、生まれ育った都で一家親族に囲まれて恵まれた生活を送ってきました。それが遠く離れた異国の地で捕囚として生きねばならなくなったのです。不安でいっぱいだったことでしょう。そこに思いがけない出世話が舞い込んできました。相手に気に入れられてチャンスをものにしたいと、誰しもが必死になるのではないでしょうか。ところがダニエルたち4人は、国王が示したよりも悪い条件で自分たちを扱うように申し出たのです。未だ少年です。私たちにこのような行動がとれたでしょうか。
 
 小林英二兄はその道の専門家ですが、栄養のバランスのとれた適度な食事こそ老人に至るまで全ての人にとって心身健やかに過ごす基本だと言われています。育ち盛りの若者が野菜と水だけでよいはずがありません。でもダニエルたち4人は、神ならざる神の加護のもとにある栄養たっぷりの食事を拒否したのでした。「自分を汚すまいと決心した」からです。
 
 思うに、彼らは自分の心も体も、神さまが深い御心をもって創り、この自分にお委ね下 さったものという信仰をしっかり持っていたのですね。自分の出世・栄達よりも神さまの 御心にかなう生き方をすることが大切だと思ったのですね。ですから神さまも、彼らの信仰に応えて、健康ばかりでなく、学問・知識・能力においても優れた若者に育ててくださったのでした。
 
17節をご覧ください。「この4人の少年は、知識と才能を神から恵まれ、文書や知恵についてもすべて優れていて、特にダニエルはどのような幻も夢も解くことができた。」 特にダニエルは「幻も夢も解く力」すなわち神さまからの霊感を豊かに受ける能力もいただいたのでした。こうして4人は3年間の養成期間を終えると、国王の諮問にも合格してそば近くに仕えることになったのでした。
 
私は運動能力の豊かな子供でした。走っても、相撲をとっても、泳いでも一番でした。小学校5年でツベルクリン反応が陽転し、過激な運動をしないよう医者から注意されたのに、平気で暴れ回って遂に肺結核を発病させ、6年生一年間休学の憂き目にあいました。敗戦後の東京の中学校は、教科書も食糧も不十分なので授業もろくに行われません。暇をもてあまして野球ばかりしました。そして野球部に入り選手生活に明け暮れしました。  一度休学した身体なのだから、過激な運動を控えろと医者や母に再三注意されましたが、自分の体の丈夫さを過信していたのです。そして高校2年の終わり、遂に喀血して入院、手術まで受け、足掛け7年の療養生活を余儀なくされました。
幸い中学3年の秋から教会に通い始めていましたので、次第に聖書の信仰が分かってきました。「この私も神さまによって創造されたもので、神さまのものなのだ。神さまから私に貸し与えられている。神さまの建てた家に加藤享の表札をかけて住まわせていただいている借家人なのだ。家を大切にして暮さなければいけない」と知り、脳天を一撃されました。自分の体は自分の思うように使えると思い込んでいたのです。その結果学業も友人から大きく遅れ、親に看病の苦労を掛けるこのような惨めな日々を送っているのです。自分の愚かさを痛感させられました。
 
それ以来「神さまから授かった自分の心と体を、神さまのものとして大切にする」ことを心に刻み付けて、今日まで働かせていただいています。それにつけてもダニエルたち4人の少年は偉いなーと感心させられます。彼らは自分の体を汚すまいと決心したばかりでなく、バビロンの地で出世する道が閉ざされて、惨めな将来を送ることを恐れなかったのです。神さまはそのような彼らに、恵みをもって応えてくださいました。合格祈願、出世・成功祈願のお札が神社やお寺に沢山見受けられます。でもダニエルたちのような信仰を心に しっかりと持った上で神さまの守りと導きを祈り求めている人がどれほど居るでしょうか。(後半に続く)

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