日本バプテスト川越キリスト教会 Baptist Kawagoe

加藤享牧師,山下誠也協力牧師の礼拝説教・教会週報のメッセージ、イベント・行事案内

礼拝説教2009年

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全15ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

[聖書]ルカによる福音書2章8〜20節
その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。 すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。 「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」
天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。 そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。 その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。 聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。 しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

[1]救い主の貧しい誕生
クリスマス、おめでとうございます。ようこそご来会下さいました。島田もと子先生と初雁女声コーラスの皆さんのご協力を感謝いたします。

世界の救い主イエス・キリストのお誕生を最初に祝って礼拝したのは、先ほどお読みした聖書にありますように、夜の野原で羊の番をしていた貧しい羊飼いたちでした。多くの人々が温かい家の内で眠っているのに、寒い野原で寝ないで働かなければならない貧しい労働者たちでした。

その羊飼いたちに夜の闇をついて天使が現れ、救い主の誕生を告げ知らせました。
救い主のしるしは「布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子」です。飼い葉桶の中に寝ているというのですから、牛やロバ、羊などの家畜小屋で生まれた赤ん坊ということになります。世界の救い主が家畜小屋の中で誕生されたなどというそんな不思議なことがあるのでしょうか。

しかし天使の大合唱が天から聞こえてきました。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」羊飼いたちはこの天使の大合唱に背を押されて、ベツレヘムの家畜小屋を探して、マリア、ヨセフと飼い葉桶に寝かされている乳飲み子を、探し当てたのでした。

もしも救い主がお城の中で誕生していたならば、貧しい羊飼いたちは近寄ることが出来ませんでした。救い主がむさ苦しい家畜小屋で生まれて下さって本当によかった。このような所ならば貧しい人たちばかりでなく、金持ちだって身分の高い人たちだって、心がけ次第で誕生をお祝いに集まることが出来ます。立派な御殿ならば、皆は集まれません。貧しい家畜小屋だからこそ、どんな人でも集まれるのですね。
 
それにしてもマリアはよくもまあ、最初の赤ちゃんを牛やロバや羊の暮すむさくるしい小屋で、産むことが出来たものです。設備の整った清潔な病院で安心して出産したいとは、誰しもが願うのではないでしょうか。

マリアは幼くして両親を失い、親戚の家で育てられたと言われています。16才になり、ヨセフという村大工と婚約しました。愛する夫とやっと自分の家庭を持って幸せに暮せると、胸をふくらませていたことでしょう。ところが天使から驚くべきお告げを受けました。「神さまから恵みをいただき、身ごもって男の子を産む。その子は神の子と言われ、神の民を治める方になる」

そんなことになったらヨセフとの結婚はどうなるのでしょうか。しかし彼女は答えました。「私は主のはした女です。お言葉通りこの身に成りますように」はした女とは召使、女中です。マリアは自分の貧しさを十分に自覚していたのです。ですから「神さまがそうおっしゃるのなら、お従いします」という従順な心を持てたのでしょう。

都の城に暮す王女だったら貧しい家畜小屋での出産など絶対に受け入れないことでした。貧しいからこそ、神さまのお役にたったのですね。貧しいからこそ、他の人の救いのお役にたつのですね。その意味で、貧しいことは大事ですね。人を幸せにするのです。そうしみじみ思うのですが、如何でしょうか?

[2]小さなもみの木に惹かれる心
ベルギーの絵本作家ガブリエル・バンサンの「くまのアーネストおじさん」シリーズに「小さなもみの木」という絵本があります。ご覧になりましたか?熊のアーネストおじさんの家に身寄りのない小さなセレスティーヌが引き取られて来ました。セレスティーヌと迎える最初のクリスマスです。アーネストはサンタを迎える準備をするために、セレスティーヌを連れて森にもみの木を探しに出かけました。すると小さな曲った木が一本雪の中に残されているだけでした。誰もがこんな木ではクリスマスツリーの役にたたないと思ったのでしょう。

ところが小さなセレスティーヌは、森のなかにぽつんと取り残されたこのもみの木に心が惹かれました。「この小さな木の傍に自分たちがやって来て、雪の中のクリスマスをしたい」と思いました。アーネストおじさんは、セレスティーヌのために大勢の友だちを招いて、にぎやかなクリスマスパーティーをして上げようと思っていました。でもおじさんがどんなに説得しても、セレスティーヌの心は変りません。

「アーネストおじさん。私は雪の中でクリスマスのお祝いをしたいの。おじさんと二人きりでね。私は二人だけでいいの。ローソクに火を灯して、空には本物のお星さま」どうしてでしょうか。セレスティーヌは、独りぽっちで過してきた自分と、この取り残された小さな曲がったもみの木を重ね合わせて、離れられなくなったのでしょう。だから優しいアーネストおじさんと二人きりで、この木のそばに居てクリスマスをお祝いできたら、それで十分幸せだと願ったのでした。

小さな家畜小屋にひっそりとお生まれになった救い主。このイエスさまも、取り残されて誰からも顧みられない小さなもみの木と重なります。多くの人はそれに気が付きません。でもセレスティーヌは気付きました。小さな乳飲み子が漂わせている平安、その笑顔から輝く平和の光、それは飼い葉桶の中から静かに溢れてくるのです。この小さなもみの木と飼い葉桶の救い主は一つなのです。だからセレスティーヌは、この木の傍で優しいおじさんと一緒にクリスマスを祝いたいを願ったのでした。曲っていてまっすぐに立っていられないこと、貧しいこと、取り残されていることも、人を優しく慰める大事な役割を果たすのですね。

多くの人は、大きなもの、力強さや華やかさに心を惹かれます。でもそこに長続きする本当の喜びや人の心を安らかにする優しさがあるのでしょうか。貧しい家畜小屋にそっと身を置いて、静かに招いて下さる神さまの愛、世界の救いはここから始まるとクリスマスは、教えてくれているのです。

[3]闇に光をもたらすクリスマス
私の友人の一人、彼は年老いた父を永年介護しました。本当に良くやりました。排尿・排便の世話がことのほか大変でした。彼がこう書いていました。『「したくなったら、声をかけてね」「うん、うん」しかし一向に教えてくれない。介護の疲れに苛立って、父のお腹に手を置いて、辛い思いで、「どうして知らせてくれなかったの!」と責めてしまう。自分で自分を制することが出来ないのだ。優しさと愛が無いのに「何と優しい息子さん」といわれて、内心の辛さ、惨めさが一層つのる。

マザー・テレサの言葉が響いて来た。「人の面倒をみるよりも、その人を愛することが大切です」本当にそうですね。人は愛を求めているのです。面倒はみれても、心から愛することは難しいのです。親ですら本当に愛せない心の闇、罪深さ。でも神さまは汚れた飼い葉桶に身を横たえて、静かに微笑んでくださっている。「それでいいんだよ。大丈夫。私が一緒に居るからね。お父さんの体の中にも、貴方の心の内にも、私は居るからね。」闇の中に灯る明日の光。幾たび慰められ、支えられたことだろう。』

クリスマスの舞台は夜ですね。私たちの心にも闇があります。不安という闇。死という闇。私も次第に高齢に向いつつあります。何処でどのように介護されて、死ぬのでしょうか。なるべく迷惑をかけたくないですね。あれこれ考えますと不安になっていきます。病気の不安、経済的不安。仕事、家族、子育て等々、不安になり出したら、底なしの泥沼です。そして死が例外なしにやって来ます。皆さん。死の備えは出来ていますか。更に人を心から愛し得ない闇。妬みや憎しみ、偽りや不義の闇――罪という闇です。

でも神さまは、私の家畜小屋のような心の内に、救い主を生まれさせて下さる――これがクリスマスの恵みです。どうぞ皆さん、クリスマスに神さまが語りかけて下さる貧しさの中にもたらされる救い、ひっそりとした本当に温かな愛の光を見出して下さい。

お祈りします。「神さま、互いに優しくいたわり合えたら、どんなに幸せでしょうか。平安を与えられるでしょうか。その様な愛の中で死を迎えられたら、死を恐れなくなると思います。神さま、私たちの心の闇に、光を当ててくださる貴方の愛を、救いを、一人一人が豊かにいただくことが出来ますように。貧しいマリアが貧しさの故に、従順に神さまのなさる事を受け容れたように、私たちもまた神さまのなさる事を受け容れ、恵みを分かち合う役割を少しでもさせて下さい。この祈りをイエス・キリストの御名によってお捧げいたします。 アーメン

[聖書]マタイによる福音書2章1〜12節
イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」 これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。 彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。
『ユダの地、ベツレヘムよ、/お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、/わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」
そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。 そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。 彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。 学者たちはその星を見て喜びにあふれた。 家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。 ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。

[序]闇の力を奪う光の到来
2000年前にイエス・キリストが十字架で死なれた後、世界を支配するローマ帝国内にキリスト教が広まりました。4世紀になってローマ皇帝までもがキリスト教に入信しますと、キリストの誕生を国をあげて盛大に祝おうということになりました。

しかし既に300年以上前に、世界の片隅ユダヤの田舎町ベツレヘムの家畜小屋で生まれたイエス・キリストです。誕生日の記録など残っていません。そこでローマで盛大に祝われていた冬至の祭りを切り替えて、クリスマスを祝うことになりました。北半球の冬至は、一年の中で一番夜が長い日です。これから光が次第に輝きを増して昼が長くなっていきます。闇の力を奪い世界を明るくしていく救い主の誕生を祝う最も相応しい日だと考えられたからでしょう。

新約聖書にはイエス・キリストの生涯を記した福音書が4つありますが、誕生物語はマタイ福音書とルカ福音書にしかありません。ルカ福音書では、野宿して羊の番をしていた貧しい羊飼いが、ベツレヘムの家畜小屋の飼い葉桶に寝かされている赤ん坊の救い主を一番最初に礼拝しに来たと記されています。豊かな教養人で医者のルカは、貧しさのただ中に誕生してくださった救い主に、注目しています。

一方、新約聖書の最初の書マタイ福音書は、選民意識の強いユダヤ人を対象に旧約聖書とのつながりの中で救い主の誕生を記しました。そこではイエス・キリストの誕生を祝った最初の礼拝者が、はるか東方の国から星に導かれてやってきた博士たちだったと語っています。ユダヤ人は外国人を異邦人といって差別・軽蔑し、汚れるからと言って交際しません。その異邦人が、ユダヤ人が大事にしてきた預言書の示すベツレヘムへ向ったのに、都の王やユダヤ教の指導者たちは、拝みに行こうとはしなかったのです。

選ばれた神の民だと誇るユダヤ人にではなく、異邦人に喜び迎えられた救い主の誕生――今日はこの記事からクリスマスメッセージを汲み取りたいと示されました。

[1]人種差別・偏見の根深さ
私は国際日本語教会牧師として、10年間シンガポールで暮しました。シンガポールは中国人、マレー人、インド人その他種々雑多な人種が、仲良く一つの国を作り上げていこうとしています。人種が違っても皆シンガポール人だ。one people ,one nation,we are Singaporians これが国家のスローガンです。日本に次いで経済水準が高く、政治家・警察官の汚職が少なく、清潔で平和な国です。世界の手本になる国だと感心していました。

ところがあの9.11事件後にシンガポールでもイスラム過激派の爆破計画が摘発されると、中国人の間に、イスラム教徒のマレー人に対する嫌悪感が急速に広まりました。政府は大臣総出で中国人とマレー人の融和をはかりました。隣国マレーシアでは首都クアラルンプールで、或る長屋で起きたマレー人とインド人の喧嘩が、たちどころに全市に広がり、警察官総動員で鎮圧して、暴動化を防ぎました。

このように人種間の偏見・差別・嫌悪感は、政府の普段の努力にもかかわらず、何かの社会的要因が働きますと、火山の噴火のように突然表に噴出して、恐ろしい結果を生じることを、シンガポールに身を置くことによって、私は身近に経験したのです。さて私たちの国日本はどうでしょうか。

つい先週のことです。戦後35年経ってから在日朝鮮人約95000人が北朝鮮に帰還したその後についての報道がありました。理想の国になったという故国に、胸を膨らませて帰国したのに、案に相違して厳しい階級社会で最下層の悲惨な生活を強いられたのだそうです。その内の200人がやっと逃亡に成功して日本に戻り真相を語り始めたというのです。ではどうして偽りの宣伝に騙されて帰還したのでしょうか。それまでの日本での生活も朝鮮人だと分かればまともな職につけず、差別と軽蔑の中で惨めな貧しさを余儀なくされていたからだったそうです。日本人として本当に申し訳ない話です。 
私はあらためて、教会の本棚にあった「在日コリアンのアイデンティティと日本社会」という本を読んでみました。そして在日と言われる人々が、日本の社会でどのように生きてこられたかを学び直しました。日本は1910年に朝鮮を併合してから敗戦までの35年間、朝鮮半島で名前を日本式に変えさせ、日本語を話すよう命じるという同化政策を行いました。

日本社会は集団で行動する指向が強い社会です。個性や異質な存在や少数者を認めない傾向が強い社会だと言われています。その上日本に支配されている朝鮮人は、  日本人よりも劣っているという偏見・差別があります。ですから朝鮮から日本に移ってきた人たちは、コレアンがコレアンらしく生きることを許さない強い圧力の下で生きることを余儀なくされてきたのです。そして私たち日本人はそのことに、気が付かないで来たのでした。今でも在日と言われる人の90%以上が、朝鮮名を名乗らず、日本名で暮して居られるのです。

関東大震災の折には、朝鮮人が井戸に毒を投げ込んでいる、暴動を起こそうとしているという風評は広がり、東京ばかりでなくこの埼玉県下でも、大勢が殺されました。原爆が投下されて広島が廃墟になった時、日本人の遺体が片付けられた後も、在日朝鮮人の遺体はいつまでも野積みにされ、カラスに食い散らされていたそうです。丸木夫妻は原爆の図に、烏という題でコリアンの痛ましい姿を画いて、日本人の根深い差別を告発しています。

[結]人種差別を乗越える救い
さてヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでイエス・キリストが誕生されました。
東の国の占星術の学者たちが、異常に輝く星からユダヤに新しい王が誕生する告知を読み取りました。恐らく文明の発祥地ユーフラテス河の豊かな流域にあるバビロンの学者だろうと言われています。彼らは約2000km北海道から九州までの遠い道のりをらくだに乗り、星の光を頼りにエルサレムまでやって来ました。

都のヘロデ王の城には新しい王は誕生していませんでした。祭司長・律法学者たちは、旧約聖書のマラキの預言から、ベツレヘムだろうと答えました。博士たちは  ヘロデの城を後にして南に向うと、星が再び現れて彼らを導いてくれました。彼らは母マリアと共に居られた幼子の前にひれ伏し、黄金・乳香・没薬を贈り物として献げて、帰って行きました。

バビロンに暮す異邦人の博士たちが、2000kmも旅して、ユダヤの国までわざわざやって来て、小さな田舎町に貧しい姿で誕生した赤ん坊の前に、ひれ伏して拝みました。貴重な宝物を献げました。どうしてその様なことが出来たのでしょうか。  バビロンから見れば、ユダヤは世界の片隅の小さな国でしょう。しかも社会的に卑しい階級のマリアに抱かれた幼子です。

どうして博士たちは拝めたのでしょうか。星の光に導かれてでした。神さまの示す真理の光に忠実に従ったからでした。新しい世界は人種の違い、階級の違いを乗越えることによってもたらされるのだという神さまの真理を現わす新しい王の誕生、それがクリスマスなのです。この王はやがて十字架にかけられて死んでいかれました。全ての人の罪を一切ご自分の身に引き受けて、死んでいかれました。このイエス・キリストが私たち一人一人の心の内に、救い主として迎えられる時に、闇は力を失い、救いの光が全地をあまねく照らす新しい世界がもたらされるのです。

私たちは一人ひとり皆違います。お互いの違いが豊かな命を生み出していくのです。その違いを喜び合うことです。区別に妬みや軽蔑が加わると、差別になります。差別が嫌悪感や憎しみ・恐れを抱かせ、排除・闘争・殺し合いに進みます。

博士たちが別の道を通って帰って行った後で、ヘロデ王はベツレヘム一帯の2才以下の男の子を皆殺しにしました。この様な心が世界を闇にしていくのです。ヘロデや祭司長・律法学者たちが博士たちと一緒にベツレヘムの幼子にひれ伏して誕生を祝えたら、ユダヤの歴史は変ったことでしょう。

博士たちの心を持たなければなりません。私たちの心から何としても差別を、ことに人種差別を取り除かなければなりません。イエス・キリストを私たちの心に新しい王、救い主としてお迎えいたしましょう。

[聖書]使徒言行録17章22〜34節
パウロは、アレオパゴスの真ん中に立って言った。「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。 道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう。 世界とその中の万物とを造られた神が、その方です。この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。 また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、この神だからです。 神は、一人の人からすべての民族を造り出して、地上の至るところに住まわせ、季節を決め、彼らの居住地の境界をお決めになりました。 これは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにということなのです。実際、神はわたしたち一人一人から遠く離れてはおられません。 皆さんのうちのある詩人たちも、/『我らは神の中に生き、動き、存在する』/『我らもその子孫である』と、/言っているとおりです。 わたしたちは神の子孫なのですから、神である方を、人間の技や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません。 さて、神はこのような無知な時代を、大目に見てくださいましたが、今はどこにいる人でも皆悔い改めるようにと、命じておられます。 それは、先にお選びになった一人の方によって、この世を正しく裁く日をお決めになったからです。神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになったのです。」 死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言った。 それで、パウロはその場を立ち去った。 しかし、彼について行って信仰に入った者も、何人かいた。その中にはアレオパゴスの議員ディオニシオ、またダマリスという婦人やその他の人々もいた。

[序]日本人にとっての神
日本の一番古い歴史書は「古事記」(712年)です。江戸時代の国学者本居宣長がその注釈書「古事記伝」48巻を1798年に著わしました。これは日本の古代文化研究の最高峰と言われています。その中で彼は「日本人にとって神とは人であれ鳥や虫・木や石であれ、尋常ただならものを言う」と定義しています。格別にすぐれたものなら何でも神様として崇めるのが日本人の心だと言うのです。ですから日本では神が「八百万(やおよろず)の神々」と言われています。

八幡神社は源氏の武将八幡太郎義家を祀ったもので、村を守る鎮守の神として全国に建てられ、戦争・試合・競技に勝つ祈願が捧げられています。天神さまは菅原道真を祀ったものです。彼は右大臣の地位を追われて九州の大宰府に流され無念の死を遂げました。すると京都に大きな落雷があり御所が焼けてしまったので、道真の祟りだと恐れられ、天の神として祀り上げて霊を慰めようとしたのが起りです。彼は優れた学者でもあったので後に学問の神としても崇められ、合格祈願のお札が人気を集めています。靖国神社は明治以降天皇のために死んだ兵士や軍人を祭神としています。

稲の霊・穀物の霊を祀る稲荷神社は、狐が仕えているので狐の好物の油揚げに寿司米をつめたいなり寿司が奉納され、稲作農業と共に各地に広まりました。また千年杉と呼ばれる古い大木や大きな岩がしめ縄をはられて拝まれています。これらは すべての物に霊魂や精霊(スピリット)が宿っているという考えから生まれたものでありましょう。人や生き物や自然に宿っている霊魂には特別な力があるので、怒らすと祟りがあり、良い関係を結べば加護があると考えるのですね。

しかしこれは何も日本だけの現象ではありません。パウロがアジヤ州のリストラで足の不自由な人を癒すと、人々が「神々が人間の姿をとって降られた」といって神に祀り上げて拝もうとしています。11月15日に阿久津兄がメッセージで取り次いで下さいました。今日はパウロのヨーロッパ伝道の第二回目、ギリシャの哲学の町  アテネでの宣教を学びます。

知的好奇心の強い人々がパウロの宣教を聞いて、「奇妙なことを語っているが、もっとよく知りたい」とアレオパゴスの評議所に連れて行きました。町の至る所に偶像が祀られています。その数3000を超えると注解書にありました。哲学の都だからこそ、人々は様々な知識や思索からいろいろな神々を創り出して、祀り上げていたのですね。そこでパウロは人間によって創り出された神ではなくて、私たち人間をお創りになった真の神さまを明らかにしようと、語り始めまたのでした。

[1]天地を創造された神
「アテネの皆さん。道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけました。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるその神をお知らせしましょう。 世界とその中の万物とを造られた神が、その方です。この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。 また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、この神だからです。」

私たちの聖書は「初めに神は天地を創造された」という言葉で書き始められています。光も闇も、空も地も海も、太陽・月・星も、海の生き物、鳥、動物、植物そして人間も、すべて神さまによって創造された。実に天地万物を創造なさった方が神さまなのだという宣言です。人間・生き物・自然物がどんなに尋常ただならぬものであっても、神さまによって創造された被造物に過ぎず、神さまではないという宣言なのです。正月元旦に初日の出に手をあわせて拝む人も居ますが、太陽も神さまではありません。神さまによって造られた天体の一つでしかないのです。

「尋常ただならぬもの」という私たちの判断で、神が誕生するのです。私たちが神を造っているのです。私たちによって造られた神がどうして私たちを救えるでしょうか。神さまが天地を創造されました。ですから天地万物は神さまの手の中にあって治められているのです。すべての初めから神さまとして存在し、終わりまで支配を続けておられる唯一のお方が神さまなのです。

世界を造られた神さまのために私たち人間が住居を建てて差し上げることが出来るでしょうか。また食べ物を毎度作って差し上げなければ神さまは飢死にしてしまわれるのでしょうか。神さまが私たちすべての者に、命と霊の息吹と、生きるに必要な物すべてを与えて下さっているのです。

神さまは一人の人から全ての民族を造りだして、地上の至る所に住まわせてくださいました。ユダヤ人は人間を二種類に分けました。ユダヤ人と異邦人です。アテネ人も自分たちと 野蛮人とを分け、差別・蔑視しました。しかし真の神さまは、どんな人をも差別なさらない神なのです。人間は本来、皆同じ家族の出身であり、兄弟なのです。

「一生懸命」という言葉があります。これは本来は「一所懸命」小さな土地でも命懸けで守ったという領地争いの深刻さから生まれた言葉だそうです。自分の住む土地を奪い合う争いは今日でも世界各地で起っています。しかし住む土地は皆が仲良く共存するようにと神さまから分け与えられたものなのです。もしも私たちが現在の自分たちの在り方がおかしいと気付いて、神さまを真剣に求めるならば、天地万物を創造し支配しておられる神さま、そして調和・共存・平和を願っておられる神さまを身近に見出すはずなのです。


(後半へつづく)

(前半からのつづき)


[2]神の愛の内に生きる恵み
天地を創造された神さまなのですから、星や太陽を超えた宇宙の果てに居られるお方、遥か遠く離れた存在なのでしょうか。「我らは神の中に生き、動き、存在する」とは、神さまの愛に包まれ、御手に導かれて日々に生きている愛の親密さを言い表しているのでしょう。

ベツレヘムの馬小屋で生まれ、十字架に付けられて死なれたイエス・キリストは、貧しい 幼子を抱き上げて祝福してくださいました。卑しまれて人々から隔離されている病人に手を置いて癒してくださいました。差別されている女性や異邦人も分け隔てなさいませんでした。そして人々の罪の一切を引き受けて、贖いの死を遂げて下さいました。

もしも墓に葬られて朽ちてしまわれるお方なら、他の犯罪人と同じです。しかしイエス・キリストは復活されました。神さまはイエス・キリストを墓の中から復活させて、救いに確証を与えて、私たちにイエス・キリストの十字架の救いを確信させて下さいました。こうして私たちは神さまの愛を知ったのです。「我らは神の愛の内に生き、動き、存在する」神の子とされたことを知ったのです。

イエス・キリストの十字架の救いは、私たちに悔い改めを迫ります。救い主が私のために命を投げ出してくださったのです。その愛を受けいれ、自分の罪深さを悔い改め、赦しを頂いて、赦された恵みのもとで感謝して生きる応答が求められます。ところが死者の復活ということを聞くと、アテネの人たちは、ある者はあざ笑い、ある者は、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言ったのでした。

復活とは、あざ笑うべき荒唐無稽な話なのでしょうか。「いずれまた聞かせてもらおう」とは、何時の日なのでしょうか。「いずれまた」と口にする時、その人は真理から顔を背けているのです。私たちは皆死にます。死の先をどのように見据えていますか。朽ち果てて無に帰してしまうのでしょうか。何と空しい人生の終わりでしょうか。或いは自分の犯した罪の数々についての良心の呵責に苛まれ続ける終局でもよいのでしょうか。

パウロは死を間近にしてこう書いています。「しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。 キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。」(フィリピ3:20〜21)

彼は癲癇の発作に悩まされ、医者ルカに付き添われて伝道旅行しなければならない卑しい体の持ち主でした。しかしやがてはキリストと同じ栄光の体に変えられて天国に迎えられる希望に生きていたのです。復活こそ救いの完成です。恵みです。どうしてあざ笑うのでしょうか。いずれまたと聞き流そうとするのでしょうか。

しかし、彼の説教を聞いて信仰に入った者も、何人か与えられました。その中にはアレオパゴスの議員ディオニシオ、またダマリスという婦人やその他の人々もいた。後に有力な信徒として活躍した人たちだったのでしょう。嬉しいことですね。やはり何時何処ででも、私たちは福音を大胆に宣べ伝えていかなければなりませんね。

[結]神の創造の御業の回復を目指す
日本人が聖書と向き合うようになったのは、ザビエルが日本に渡来した1549年以降のことです。宣教師が語る天地創造の神は、聞く者に大きな衝撃を与えました。しかし多くの日本人はつい最近まで、聖書を知らぬままに様々なものを神とする日本古来の神信心を受け継いで来ました。

明後日は12月8日ですね。大東亜戦争開戦の日です。日本は68年前にマレー半島に上陸し、ハワイの真珠湾に奇襲攻撃を始めて、日中戦争をアメリカ、イギリス、オランダとの全面戦争へと拡大しました。天皇こそ神である・日本は神の国だという皇国史観にやすやすと洗脳され、一億の人間が一つの火の玉のようになって、アジア統一という無謀な侵略戦争に突入する大きな過ちを犯してしまいました。アジヤ諸国の人々を自分たちよりも劣った人間だと軽蔑して、虐げました。当時は少年だったとはいえ、私もその過ちを犯した一人です。

真の神を知らず、神ならざるものを神とする時、私たちはこのように生き方を誤るのです。神さまがお造りになったものは、すべてが極めて良いものでした。私たち人間も神さまに似せて造られました。ところが私たちは今日、全てのものが、私たち人間も含めて極めて良い状態を失ってしまった現実の中にいます。

それは神さまからこの世界の管理を委ねられた私たち人間の責任にほかなりません。このままでは、世界も私たちも滅びます。私たちは何としても本来の姿を取り戻さなければなりません。在るべき姿を失っている罪から救われなければなりません。

在るべき姿を取り戻そうとすることは、おかしなことなのでしょうか。否、これこそが人間として一番まっとうな生き方です。世界を神さまが創造された時の、極めて良い状態に戻していく働きに手を取り合うよう、世界中の人々と呼びかけ合い、労する者になって参りましょう。それこそが世界祈祷週間の祈りです。

[聖書]使徒言行録16章6〜15節
さて、彼らはアジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられたので、フリギア・ガラテヤ地方を通って行った。 ミシア地方の近くまで行き、ビティニア州に入ろうとしたが、イエスの霊がそれを許さなかった。 それで、ミシア地方を通ってトロアスに下った。 その夜、パウロは幻を見た。その中で一人のマケドニア人が立って、「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください」と言ってパウロに願った。 パウロがこの幻を見たとき、わたしたちはすぐにマケドニアへ向けて出発することにした。マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神がわたしたちを召されているのだと、確信するに至ったからである。
わたしたちはトロアスから船出してサモトラケ島に直航し、翌日ネアポリスの港に着き、 そこから、マケドニア州第一区の都市で、ローマの植民都市であるフィリピに行った。そして、この町に数日間滞在した。 安息日に町の門を出て、祈りの場所があると思われる川岸に行った。そして、わたしたちもそこに座って、集まっていた婦人たちに話をした。 ティアティラ市出身の紫布を商う人で、神をあがめるリディアという婦人も話を聞いていたが、主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた。 そして、彼女も家族の者も洗礼を受けたが、そのとき、「私が主を信じる者だとお思いでしたら、どうぞ、私の家に来てお泊まりください」と言ってわたしたちを招待し、無理に承知させた。

[序]アジアからヨーロッパへ
ユダヤの小さな田舎町ベツレヘムの家畜小屋で誕生し、30を少し過ぎた年で十字架につけられて死なれたイエス・キリストは、葬られた墓から復活されると、弟子たちにお命じになりました。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」(マルコ16:15)「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(使徒1:8)

弟子たちの働きはイエスさまのお言葉通りに展開されていきました。今日の聖書は、福音がアジア州からヨーロッパ大陸に伝わった様子が記されている大切な箇所です。 世界伝道を覚えて祈る日曜日に相応しい箇所と申せましょう。

[1]福音がヨーロッパへ
エルサレムの使徒会議から帰って来たパウロとバルナバは、早速第一次伝道旅行で生まれた各地の信者たちが、その後どうしているか訪ねて回ろうと考えました。どの町にもイエスさまを十字架にはりつけにして殺したユダヤ教の信者たちが、安息日ごとに会堂に集まって礼拝しています。悔い改めてイエスさまの福音を信じた者の生まれた一方では、福音に反撥した者たちは、パウロたちの伝道を激しく妨害しました。リストラではパウロは石で打たれて死んだ状態になり、町の外に引きずり出されました。その様な町々でキリストを信じて生活していくことは、並大抵ではありません。パウロたちの心配は当然でした。

ところが嬉しいことには、諸教会はしっかりと礼拝を守っていたのです。それどころかパウロが殺されかかったリストラの町の教会からは、信者仲間で評判の良いテモテという青年が、パウロの伝道旅行に加わってくれたのでした。パウロは喜び勇んでアジア州全域に福音を伝えようとしました。ところが再三にわたってその試みは実現せず、道が閉ざされるままにとうとうアジアの西の端トロアスという港町まで来てしまいました。海の向うはマケドニア州、すなわちヨーロッパ大陸の東の端です。

ここでパウロは夜、夢の中で幻を見ました。一人のマケドニア人が立って、「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください」とパウロにしきりに願っているのです。 翌朝パウロはこの不思議な幻を同行している仲間に伝えました。そして「マケドニア人に福音を告げ知らせるために神がわたしたちを召されているのだ」と確信して、すぐさま船出してマケドニア州に向ったのでした。

パウロ一行はローマの植民都市フィリピに到着すると、安息日に川岸に集まっている婦人たちの祈りの輪に加わり、福音を伝えました。するとリディアという女性がパウロの話を心を開いて福音を信じ聞き入れ、家族ともどもバプテスマを受けて信者になったのです。リディアはアジア州ティアティラの出身で高級な布地を扱う豊かな商人でした。彼女はパウロたちを自分の家に来て滞在するように熱心に申し出てくれました。こうしてヨーロッパでの最初の教会が誕生したのです。フィリピ教会はその時以降、パウロのヨーロッパ伝道を物心両面で支え続けたのでした。

[2]不思議な導き
それにしても、パウロに助けを求めてヨーロッパに招いた幻のマケドニア人の働きは大きいですね。私はこの幻の人は使徒言行録の著者ルカではないかなと思います。なぜなら10節の「パウロがこの幻を見たとき、わたしたちはすぐにマケドニアへ向けて出発することにした」とわたしたちという言葉が突然出て来ているからです。 ルカは医者でマケドニアに住んでいた言われています。ユダヤ人ではありません。どうしてここで医者のルカがパウロの一行に加わったのでしょうか。

思うに、パウロの健康状態が医者を必要としたからでしょう。6節に「アジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられた」とありますが、もしかしたらパウロの健康状態が弱まり、迫害をはねのけて伝道することが出来なかったことを意味しているのではないでしょうか。7節の「ビティニア州に入ろうとしたが、イエスの霊がそれを許さなかった」とあるのも、同じ理由ではないでしょうか。そこで医者ルカが呼ばれて、主治医としてパウロに付き添うようになったのでしょう。
ルカの介護・治療のお蔭でトロアスに到着する頃には、パウロも元気を取り戻しました。そこでルカは、ここまで来たのなら思い切ってマケドニアに渡って福音宣教を広めて下さいと、熱心にパウロに訴えたのではないでしょうか。10節に「マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神がわたしたちを召されているのだと、確信するに至った」とありますが、確信するとは「よく検討して結論を出す」という時に使われる語です。マケドニアに渡ってというルカの提案は、先ずアジア州全域に伝道する考えしかなかったパウロを、驚かせたに違いありません。

しかしアジア州全域への道はその都度阻まれて、出来なかったのです。よくよく考えてみると、復活のイエスさまのご命令は「全世界に行って福音を宣べ伝えよ」であり「聖霊が降ると力を受けて、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」でした。だからこそアジア全域しか頭にない自分たちを全世界、地の果てまで宣教する思いを持たせるために、アジア州への道、ビティニア州への道を閉ざされたのだ。あれは聖霊の導き、イエスさまの霊の導きだったのだ。とするとマケドニアへというルカの提案こそ、神さまのお召しに違いないという結論に導かれて、一同は納得したのではないでしょうか。

そうです。マケドニア州に着いたパウロたちが先ず訪れたフィリピの町で伝道を始めました。すると富裕な紫布の商人リディアが、心を開いて信じ受け容れ、自分の家にパウロたちを迎えいれました。パウロのヨーロッパ伝道を生涯にわたって支えた教会の誕生です。神さまはリディアを備えていて下さったのでした。

小林さんの家に、オーストラリアからの井石さん夫婦が滞在して居られます。昔同じ高校で教師仲間だったそうです。井石さんは36歳の時に、学校を退職してオーストリアに渡りました。シドニーに近い町に着くと若いインド人に声をかけられ、コーヒーを一緒に飲みました。オーストラリアで暮したくて日本から来たと言ったら、この人を訪ねろと教えてくれました。その人は教育界の大御所で、永住権をとるために移民局に手紙を書いてくれました。こうして不思議な出会いが38年間にわたるオーストラリア暮しの道を開いてくれたのだそうです。予期しない人との出会いが人生の新しい局面を開いてくれた。これは神さまの導きです。

病気がパウロとルカを結びました。ルカがパウロにマケドニアへの道を示しました。フィリピの町でのリディアとの出会いが、パウロのヨーロッパ伝道を支えることになったのです。神さまの導きの不思議さを覚えます。

[結]聖霊に動かされて
それにしても、医者の介護を必要とする病弱な身体で、パウロはよくも西へ西へと進んで行ったものですね。大抵の人は、病気になれば出発点に戻るのではないでしょうか。どうして彼は戻らなかったのでしょうか。全世界に出て行って福音を伝えるというイエスさまの心、聖霊がパウロに働いていたからに他なりません。私たちの教会も、地の果てまで至る聖霊の力・神さまの導きをいただきたいものです。 

全15ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事