日本バプテスト川越キリスト教会 Baptist Kawagoe

加藤享牧師,山下誠也協力牧師の礼拝説教・教会週報のメッセージ、イベント・行事案内

礼拝説教2009年

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(前半からのつづき)


[3] 国を滅ぼす贋物
ハナンヤとエレミヤの対決はゼデキヤ王の治世第4年の5月とあります。この年にゼデキヤはバビロンに赴いて忠誠を誓っています(51:59)。しかしこの年から5年後の治世第9年10月には、エルサレムがバビロン軍に包囲され、1年半後の治世第11年5月に落城し、王国は滅亡してしまいました(BC587年)。このように王国が滅びようとしている時のことでした。王国が滅びるとは異常な大事件です。国が内側で深く病んでいたからに他なりません。

日本も無謀な日中戦争の泥沼に陥り、戦線をアジヤ・太平洋全域に拡大して、64年前の1945年8月15日に日本の歴史始まって以来の敗戦という悲劇を味わいました。去る8月9日の夜TVのNHKスペシャルで、最近発見された海軍作戦中枢士官たちの戦後の反省会資料テープから集めた証言が放映されました。その証言では米国相手に戦争しても勝てないという意見が出てきません。敵が態勢を整える前に叩きつぶせという作戦に専念するばかりのようでした。また開戦反対を言おうものなら、陸軍が反乱を起こすと言われていたそうです。軍部内の強大化を目指す主導権争いが印象的でした。

海外諸国を見聞する機会の多い海軍士官たちが、どうして米国と日本の国力の違いを正しく判断出来なかったのでしょうか。私は戦後30年、米国へ行った時、太平洋上を航空機で10時間以上も飛行して西海岸に着き、それから6時間飛んでもまだ東海岸に着かない米国の遠さと広さに驚きました。どうしてこのような国と戦争して勝てると思ったのか、軍人たちの愚かさにあきれました。日中戦争が次第に不利になったのも、中国大陸の広大さからだったのですから。

無条件降伏した1945年だけみても、3月10日夜の東京大空襲で下町は焼け野原となり、一夜にして10万人の市民が死にました。6月沖縄地上戦では市民を含む25万人が死にました。8月6日には原爆一発で45万の広島市が廃墟になりました。そして9日には二発目の原爆降下が長崎に。

それでも陸軍は勝つ戦力を保有していると主張して、降伏に強硬に反対しました。そして8月15日に陸軍大臣は切腹自殺、宮城を護る近衛兵が師団長を軍刀で斬り殺しています。私たち国民も神風が吹いて最後には勝つと信じ込んでいたのです。まさに正常な判断が出来ない狂気が人々の心を支配して、国が滅びるのですね。国を護るべき軍隊が国を滅ぼしました。贋物が国も我が身も滅ぼすのです。

エレミヤは神さまの言葉をこう語っています。 「身分の低い者から高い者に至るまで、 皆利をむさぼり、預言者から祭司に至るまで、皆欺く。 彼らはわが民の破滅を手軽に治療して、平和がないのに、『平和、平和』と言う。」(6:13〜14)手軽に手当てをして、平和ではないのに平和、平和というのは、利をむさぼる心の仕業だというのです。ハナンヤはどうして手軽な平和を預言したのでしょうか。

預言者としてエレミヤにライバル意識を燃やしたからなのでしょうか。彼と別の言葉で自分の存在を誇示したかったからか。人々の喜び求める言葉で、人気や称賛を得ようとしたかったからなのでしょうか。

王国がまさに滅びようとしている時です。耳に快い言葉を聞く時ではないはずです。神の裁きの言葉を聞いて悔い改め、神の憐れみをいただいて再生すべき時のはずです。その時に、人に取り入って語ろうとすることが、預言者にとって利をむさぼることだと、エレミヤは言ったのでした。彼は自分の内にもある利をむさぼろうとする心と、生涯必死に戦い続け、神さまからのみ言葉のみに集中して語ろうとしたのでしょう。

[結] 悔い改めることの難しさ
平和がないのに平和・平和という偽りの預言者を生んだのは、手軽な治療を求める聞き手の責任でもあります。このままでは滅んでしまうぞと、自分の病んでいる姿を直視させる厳しい言葉を嫌い、甘い言葉を求める大衆の責任でもあるのです。神さまは私たちに決して迎合なさいません。滅びの道から取り戻し、命を与えるために、私たちを打ち砕き、悔い改めて立ち直らせようとなさいます。厳しい裁きの言葉をこそ求めて聞く勇気が必要です。

ヨヤキム王の世にエレミヤが神殿崩壊の預言した時に、100年前のヒゼキヤ王時代の歴史に学んで、エレミヤを本物と正しく判断した26章の裁判の記事も、大切な教訓を与えてくれます。神の言葉は歴史の出来事として具体的に現われます。語られた 神の言葉を歴史の出来事に見出していく信仰の大切を痛感します。

神さまは、預言者を通して御心を明らかに示して下さいました。旧約聖書は、多くの預言者の言葉と、その言葉が歴史の出来事としてどのように具体的に現わされてきたかを記しています。最後に神さまは、イエス・キリストによって御心を完全に決定的に現わして下さいました。その証言が新約聖書です。

ですから今日の私たちは、旧新約聖書全巻を通して神さまが私たち一人ひとりに語りかけて下さる言葉を聞いていく信仰に立っています。皆さん、聖書によって神の言葉を聞き取り、聖書によって神の言葉を語って下さい。語られる神の言葉が本物か贋物かも、聖書のよって判断していきます。私の説教も、聖書によって贋物か本物かを吟味なさって下さい。

神の名で安易な平和を語ったハナンヤが急死しました。どうしてゼデキヤ王も祭司たちも人々も、エレミヤの預言を本物を認めなかったのでしょうか。アッシリヤの大軍に包囲された時、ヒゼキヤ王は王衣を裂き、粗布を巻いて神殿にこもり、悔い改めの祈りを捧げたように、ゼデキヤもどうして悔い改めなかったのでしょうか。

29章をご覧下さい。人々は依然として安易な平和の言葉を求め続け、エレミヤの厳しい預言を嫌っています。そして遂に滅亡を迎えてしまいました。これほど私たちは、悔い改めることが、出来ない者なのですね。甘い言葉が好きなのですね。だからこそ神さまの厳しい言葉を聞き続けなければならないのではないでしょうか。

イエスさまは、「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」とお命じになっています。それは、すべての人が福音を必要としているからです。悔い改めえる者に命と喜びと希望を与える神の言葉・福音を語っていきましょう。人の好む言葉ではなくて、神さまの本物の言葉を語って参りましょう。

[序] 戦争に負けた8月15日
今日は8月15日敗戦記念日です。1945年の今日、天皇が無条件降伏を求める連合国のボツダム宣言を受諾すると詔勅を自分の声で国民に向って放送し、戦争が終りました。戦争に負けて敵国に降伏するなどということは、日本の歴史が始まって以来初めてのことでした。当時私は13才の少年に過ぎませんでしたが、それでも大変なショックを受け、人生が一変してしまったのです。

しかしあれから64年が経ちました。生まれる前の出来事だと言う人がどんどん増えて3/4以上になりました。日本が世界を相手に戦争をして負けてしまったということが、それほど大きな出来事とは感じられなくなって来ているのではないでしょうか。

今日の聖書哀歌は、BC587年に南王国ユダがバビロン帝国の大軍によって都のエルサレムを破壊・占領され、滅亡する悲劇の時に生まれた歌です。最後の王ゼデキヤは捕えられ、目の前で息子たちが殺されるのを見た後で両眼をつぶされ、バビロンに連れて行かれ、盲目の生涯を獄中で過しました。

要害堅固だった城が、城門も城郭も破壊され、老人も子供も地に倒れ伏し、おとめも若者も剣にかかって死にました。飢えがひどくなり母親が我が子を食べ物にすることも起りました。主だった人々は皆捕囚となり、貧しい者だけが取り残されたのです。これが2600年前の国が戦争に負けるという実態だったのです。

さて私たちの国日本が64年前に経験した敗戦は、どうだったのでしょうか。1945年の日本国内では、3月10日一晩の大空襲で、東京の下町は焼け野原になり、10万人の市民が死にました。6月23日軍司令官の自決で終った沖縄本島地上戦では、市民を含む25万人が殺されました。8月6日の原爆で40万人の広島市が一瞬にして廃墟になりました。二発目は長崎に落とされ、やっと8月15日。1931年の満州侵略に始まる15年戦争を終えさせられたのでした。でもそれから後に、外地に取り残された人々が日本に帰ってくるまでに味わった悲惨と苦しみが続きます。

日本人の死者だけでも310万人、私たちの民族が味わった恐ろしい経験を簡単に忘れてはなりません。8月15日を決して風化させてはなりません。そこで私が示されたみ言葉が「主はまことに敵となられた」(2:5)どいう、すさまじいみ言葉です。


[1] 15年戦争の傷あと
昨年私たちが忘れてはならぬ重大な事件が起りました。航空自衛隊のトップ田母神幕僚長が「我が国が侵略国家だったというのは、まさに濡れ衣である」という論文を発表して、さすがの自民党政権もかばい切れず、解任した事件です。「自分たちの国に誇りを持たずに国防に命をかけられないではないか」と言うのです。しかし  過去の誤りを認識せずに良い国だといくら吹き込んでも、正しい国防意識は高まらないのではないでしょうか。

日本は1895年に日清戦争に勝利して台湾を領有しました。1910年には大韓帝国を併合して朝鮮半島を領有しました。1931年満州事変を起こして、満州国かいらい政権を打ちたてて支配権を確立。続いて支那事変をきっかけに中国本土に攻め込で、広大な中国大陸を支配しようと試みました。戦線が拡大するほどに補給が困難になり泥沼状態にはまりました。米英等の経済封鎖という制裁によって重要な物資に欠乏し、東南アジヤの資源を手に入れようと、米英蘭に対しても太平洋戦争を開始したのでした。

日本はシンガポールを占領して南方方面総司令部を置き、東南アジヤ全体を支配することにしました。ですから1941年12月8日の真珠湾奇襲攻撃よりも1時間以上早くマレー半島北部に上陸し、ジャングルの中を軽戦車隊と自転車部隊で一気に南下し、2月15日にシンガポールを占領しました。私たちはまるで戦争が大勝利で終ったかのように、提灯行列をして湧き返えりました。

日本軍はシンガポール占領3日後に、18才以上の中国人成人男子を皆呼び出し、密告者が指示した危険分子を片端からトラックで東部海岸に運んで、銃殺しました。その数約4万人。中国人社会は戦場で連れ出されて手伝いをさせられていると思っていました。

シンガポールには中国の革命運動をやり遂げた孫文の支援基地があり、華僑たちは物心両面の支援を新しい中国に、そして日中戦争になると国民党政府軍に送り続けました。ですから攻めて来た日本軍に一番激しく抵抗したのも中国人義勇兵だったのです。日本軍にとっては治安確保のために、危険分子の粛清が緊急でした。

戦後東部地区の開発工事中におびただしい白骨と入れ歯、時計、カフスボタン等の遺品が発掘され、大虐殺が明るみに出されました。賠償請求は、講和条約で英国が  請求権を放棄したのだからと日本政府は応じません。大きな排日運動が起り、日本は経済援助無償5000万ドル・有償5000万ドルと、殉難者記念塔建設費負担で騒ぎを収めました。

その記念塔の前で毎年2月15日に殉難者慰霊祭行なわれます。私が赴任した翌年1996年に初めて日本人の参列が許されました。広島市の教職員組合代表でした。原爆の被害者の代表だからということでした。私たち夫婦はその日の朝そっと記念塔に出かけましたら、大きな花立てが7ヶ飾られていました。右端の一つだけ倒れています。風の仕業かなと近寄りましたら、何と広島代表の花立てだったのです。そして記念塔の下に捧げられている花束には、「悲しみは今なお深く」と記されたカードが付いていました。戦後51年経つ2月15日でした。

シンガポールでは小学4年生が社会科で“The Dark Years”(暗黒時代)という教科書で、また中学1年生が歴史で日本軍の占領時代を習います。そればかりではありません。1999年2月26日に日本人中学すぐ近くの地元の中学校で生徒14人が救急車で病院に運ばれる騒ぎが起りました。学校が16〜18才の軍事教練団の生徒6人を雇って、日本軍占領時代を追体験する演習を行った時に、つい興奮して過激になり怪我人を出してしまったのでした。「他の中学ではこんな事故が起らなかったのに」という校長のぼやきを新聞で読み、この様な演習が多くの中学でも行なわれていることが分かり、それが私にとって大きなショックでした。

私の家に日本から大学生が遊びにきましたので、高校に一日体験入学させましたら、帰ってきて泣いて報告しました。戦争中の日本兵の数々の所業を休み時間にいろいろ聞かされて、この美しい町で日本人がそんなに酷いことをしたという驚きと、そのことを日本では何も教えられず、のん気に遊びに来たというショックで泣いてしまったのだそうです。

シンガポールでもこうなのですから、日本人から受けた戦争の被害の傷あとはアジヤの諸国の人々、特に中国の人々にとってどれ程深いものでしょうか。私たちが  日本から出て行って与えた戦争の被害を、私たち日本人が軽々しく忘れることは許されないのではないでしょうか。


(後半へつづく)

(前半からのつづき)


[2] 赦罪・和解の難しさ
私たち夫婦がシンガポールに赴任したのは1995年5月でした。その8月15日朝刊の第一面に大きな活字で記されていました。「我々アジヤが日本から聞きたい言葉は唯一語apologize(謝罪する)なのに、どうしてそれが言えないのか」その後の言葉です。「天皇裕仁が謝らなかったのだもの、今の指導者から謝罪が出てこないのは当然だろう」そうです。天皇は白馬にまたがり陸海空の三軍を統帥する大元帥陛下でした。私たちは天皇は日本の道徳の根源と教えられました。自分が開戦布告した戦争で、310万人の臣下を死なせたのです。ところが天皇は退位すらしなかった。そしてそれを私たち日本人はあいまいに認めてしまいました。しかしアジヤは50年経っても、はっきり見ていたのですね。私は大変な所に身を置いていることを知らされ、身震いしました。

自分の心身の鍛錬のために、日本人小学校の道場で剣道の稽古を続けていましたら、私の周りに剣道を習いたいという学生が集まってきて、大学や高専に剣道部が生まれ、250人位になったでしょうか。赤道直下の暑い国で重い防具を身につけて汗まみれの剣道に何故ひかれるのでしょうか。柔道をしている人には悪いのですが、剣道を通して日本人の心に触れたいというのです。相手を見事に切り伏せてていく剣法のかっこよさを映画で観たからという面もあるでしょうが、武士たちに見られる礼節を重んじ、切腹をいとわぬ忠節を尊ぶ武士道精神に、自分たちが持合わせていない心の特色をみて、剣道をやってみたいと思うようです。

私が赴任して2年後の8月9日の独立記念日の午前に、室内競技場でクリスチャンの1万人祈祷会が行われました。先ずイギリスの教会の代表者が植民地支配の傲慢さを床に平伏して謝罪しました。次に老婦人チョイさんが、日本軍憲兵隊で受けて拷問を静かに語りました。彼女の夫は死んでしまったのです。「電気は文化生活に欠かせません。でも私はそのスイッチにさわるだけで、異常に反応します。繰り返し受けた電気ショックの拷問が体に刻み込まれてしまったからです。私は赦しています。でも体は忘れないのです」日本のクリスチャンを代表して、有賀喜一牧師がひざまずき、涙ながらに謝罪しました。

司会者が日本人が居たら立つようにと言いました。起立しますと周囲の若い人たちが集まってきて、私たち夫婦に手を差しのべて口々に祈ってくれました。涙がとめどなく流れて、つらくてつらくて逃げ出したい思いに駆られました。シンガポールの友人から電話がかかってきました。「逃げ出したいほどつらかった」と申しますと「もうこの一回の祈祷会で十分だ。私たちは和解できた。心が軽くなった」と言ってくれました。クリスチャンたちでも戦後52年経って、やっとこの様な祈祷会を持てたのでした。赦すこと・和解することの何と難しいことでしょうか。

私たち夫婦をシンガポールに招いたのは、シンガポールバプテスト連盟の総主事 ジョン・チャン先生です。私が国外伝道委員長時代に、シンガポールから在留日本人の伝道のための宣教師を送って欲しいと要請がありました。日本人が救われなければアジヤに平和は来ない。聖書を勧めるけれども日本人はボスだからシンガポール人の言葉に耳を傾けてくれない。彼らより年上の牧師夫妻が来てくれたら、少しは聞いてくれるだろうというのです。

日本の連盟の方針はその国の人々への伝道に協力するというものでしたから、これは別枠の要請です。そこで私は先ず松村先生夫妻に要請しました。当時先生は世界バプテスト連盟の副会長、夫人はアジヤ婦人連盟会長でした。このような方がシンガポールに駐在して下さったら、とても良い働きをなさるでしょう。夫人はOKでしたが、松村先生に別の召命感があってダメでした。それから先輩幾人かに声をかけたのですが応じてくださいません。

1989年8月バプテスト宣教100年の記念礼拝が西南のランキンチャペルでありました。その最中に「お前が行きなさい」という声が響いてきたのです。「えっ、私で良いのですか」「その通り。お前が行きなさい」私は喜んで決心しました。札幌に帰ると直ぐに教会に申出ました。しかし教会はまともに対応してくれません。辞表を毎年出して3年経ってやっと牧師招聘委員会を作ってくれました。ところが家内が賛成してくれません。アジヤ各地を回った時、ジャカルタ、マニラの雑踏で裸足のストリートチルドレンを見かけ、心を動かされていたのです。「あのような子供たちの所へなら行くが、シンガポールのような豊かな都市へなら、わざわざ行きたくない」と申します。若ければよいが、60才を過ぎては永続きしないでしょう。困りました。

するとチャン総主事がわざわざ雪の札幌を訪ねて来られて、お母さんの証をして下さいました。彼は貧しい中国人の家に生まれました。病弱で育たないだろうといわれました。親は金持ちにもらってもらえば、或いは育つのではと思いました。一方  マダム・チャンは中国本土の教育大学を出て、シンガポールの女子教育のために招かれ、南洋女子校を創設しました。自分でも子育ての経験をしたいと養子を探していました。そして骨と皮のジョンを引き受けて育てたのでした。

日本軍が攻めてきて学校は接収されてしまいました。ジョンの生みの父親は殺されてしまいました。平和が戻り、マダム・チャンは長らく校長を勤めて引退しました。熱心なクリスチャンです。しかし日本人だけは赦せないと厳しい心を捨てませんでした。牧師になっていたジョンがとうとうお母さんに言ったそうです。「お母さんは、どうして日本人を赦せないのですか。間違っています」顔色を変えたお母さんは、部屋に閉じこもってしまいました。二週間後に出てくると言いました。「ジョン、貴方の言うとおり、私が間違っていました。日本人を赦します。どうか日本へ行って宣教師を送るよう頼んでおくれ」

家内はその証を聞いて、お母さんの祈りに応えなければとシンガポール行を決心してくれました。私たちが赴任した時には、マダム・チャンは既に亡くなっていました。しかしチャン先生夫妻は今も変わらずに、シンガポール国際日本語教会を支えて下さっています。赦すということは、本当に難しいことなのです。更に自分の罪を自覚して忘れないということも、難しいことなのですね。

[結] 敵となって打ち据えられた神
神さまはどうして愛するイスラエルの敵となられたのでしょうか。要害堅固だった都の城門も城郭も破壊され、老人も子供も地に倒れ伏し、おとめも若者も剣にかかって死ぬ。飢えがひどくなり母親が我が子を食べ物にすることまで起るという悲惨な目に、どうして遭わせられたのでしょうか。おもだった人々を皆捕囚とし、貧しい者だけが取り残されるようにされたのでしょうか。

哀歌2章14節「預言者はあなたに託宣を与えたが、むなしい、偽りの言葉ばかりであった。あなたを立ち直らせるには、一度、罪をあばくべきなのに、むなしく、まよわすことを あなたに向って告げるばかりであった」
預言者は次々と出ました。しかし彼らは耳障りのよいことしか言わなかったのです。人々は耳に痛い言葉は聞きたくないのです。自分の罪があばかれる言葉は、聞きたくないのです。だから偽預言者は出てくるけれども、それでは人は神さまのもとに立ち返ることが出来ないのです。わたしたちが立ち直るためには、一度罪がはっきりとあばかれなければならないのですね。罪があばかれる時に、本当の悔い改めが生まれるのです。

今朝の早天祈祷会で野口先生が後悔や反省程度ではダメだとおっしゃいました。ああ、まずいことをやらかしてしまったと反省したり、失敗してしまったと後悔する程度と、悔い改めとは違うのです。日本人は戦争に負けて、馬鹿なことをした、間違っていたと後悔し、反省しました。大空襲、沖縄の悲劇、広島・長崎の地獄絵、これは大変だった、矢張り戦争はしない方がいいと反省して平和憲法を持ったのですね。

「国際紛争を解決する手段としての戦争、武力の行使は、永久に放棄する。陸海空軍等の戦力は持たない。国の交戦権は認めない」(憲法第9条) しかし軍備を待たずに国家の安全を護れるのか。軍隊をもたずには国際平和に十分貢献できない、  日本も普通の国になるべきだとの声が起こり、憲法改正の動きが強くなってきました。それでよいのでしょうか。

我が国日本は、台湾・朝鮮半島の領有に始まって、中国大陸にまで支配権を拡大し、遂には東南アジヤ、太平洋全域に戦火を及ぼしました。その結果が日本人310万人が死に国内の都市至る所の破壊となりました。アジヤ諸国の死者・被害はいかばかりだったことでしょう。その悲惨さがあばきだす私たち日本の罪を、私たちは逃げずに、直視しなければなりません。そして深い悔い改めの証として、憲法第9条を堅持すべきではないでしょうか。

神さまは徹底的に悔い改めを迫って、イスラエルの民の敵となり、一旦国を滅ぼされました。同様に日本にも、歴史始まって以来初めての敗戦を味あわせられたのです。愛の神さまが私たち日本の敵となられて、あのような悲劇をお与えになったのです。それなのにどうして敗戦を忘れようとするのですか。憲法を改正しようとするのですか。

それは福音を聞かないからです。神さまのみ言葉を聞かない限り、本当の悔い改めに導かれないからです。後悔や反省程度で終ってしまうからです。今何よりも必要なことは、すべての日本人が神さまの言葉を聞くことです。ですから死から復活されたイエスさまは、「すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい」とおっしゃったのです。

あの田母神さんが8月6日に広島で講演会をしようとしたそうですね。そのような事を企てる人が、広島にも居るのです。矢張り神さまのみ言葉を聞く日本人にならなければなりません。「わたしたちが立ち直るためには、一度罪がはっきりとあばかれなければならない。そのために神さまは私たちの敵となられた」という言葉を、 8月15日にあたりしっかり聞いて、神さまに立ち返ると共に、すべての人に証して参らなければなりません。

お祈りします。「神さま、ひとり子イエスさまを十字架にかけ、あの死の苦しみの  極みを味あわせてまでして、私たちの罪を贖ってくださったあなたの愛を、心から感謝いたします。その貴方が、敵となって私たちを打ち据え、悲惨な敗戦をお与えになりました。私たちは身を震わせて貴方の裁きを受けなければなりません。日本人は忘れようとしますけれども、アジヤの人々は容易に忘れないのです。私たちが深く悔い改めて、赦しと和解と平和の道を見出し、命のみ言葉を証するものとならせてください。お願いします。イエスさまの聖名によって、お祈りします。アーメン」

[聖書] エレミヤ書7章1〜11章
主からエレミヤに臨んだ言葉。 主の神殿の門に立ち、この言葉をもって呼びかけよ。そして、言え。「主を礼拝するために、神殿の門を入って行くユダの人々よ、皆、主の言葉を聞け。 イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。お前たちの道と行いを正せ。そうすれば、わたしはお前たちをこの所に住まわせる。 主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない。この所で、お前たちの道と行いを正し、お互いの間に正義を行い、寄留の外国人、孤児、寡婦を虐げず、無実の人の血を流さず、異教の神々に従うことなく、自ら災いを招いてはならない。 そうすれば、わたしはお前たちを先祖に与えたこの地、この所に、とこしえからとこしえまで住まわせる。 しかし見よ、お前たちはこのむなしい言葉に依り頼んでいるが、それは救う力を持たない。 盗み、殺し、姦淫し、偽って誓い、バアルに香をたき、知ることのなかった異教の神々に従いながら、 わたしの名によって呼ばれるこの神殿に来てわたしの前に立ち、『救われた』と言うのか。お前たちはあらゆる忌むべきことをしているではないか。 わたしの名によって呼ばれるこの神殿は、お前たちの目に強盗の巣窟と見えるのか。そのとおり。わたしにもそう見える、と主は言われる。

[序] むなしい神殿信仰
ヒゼキヤ王の治世第14年(BC701年頃)エルサレムはアッシリア帝国の大軍に包囲されました。ヒゼキヤ王は降伏して、大きな賠償金を支払いました。しかし毎年貢物を沢山取られる重い負担に耐えられなくなり、エジプトと同盟を結んで、アッシリアに反旗をひるがえしました。エルサレムは再び包囲されました。頼みにしたエジプトの援軍は来ません。絶体絶命の窮地に陥ってしまったのです。

ヒゼキヤは王衣を引き裂き、粗布を腰に巻いて、神殿にこもり、悔い改めて祈りました。イザヤにも祈りの助けを頼みました。すると神さまはアッシリア王の心の内に、不安と恐れを惹き起す霊を送り込まれました。アッシリア王は、エチオピアの大軍が攻めてくるとか、アッシリアの都で息子たちの間に権力闘争が起こったといううわさにおびえて、急遽ニネベに引き揚げて行きました。奇跡が起こったのです。エルサレムは救われました。イザヤの晩年BC688年頃のことでした。

この結果、エルサレムの人々は、この神殿がある限り、どんな国難が襲って来ても、
神さまに守られるという神殿信仰を強く持つようになったようです。ヒゼキヤ王から6代後のヨシア王の治世13年、BC626年頃に、エレミヤが預言者として召されました。
神さまはエレミヤに神殿の門に立って、人々に呼びかけるようにとお命じになりました。「主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない。」「この神殿は強盗の巣窟に見える」

[1] 神社と神殿の違い
日本では何処に行っても、その村を守り治める神を祀る鎮守の社があります。人々は農業の豊作や漁業の安全を祈願します。私が30年暮した札幌には北海道神宮がありました。明治の初めに「えぞ」と呼ばれていた地が日本の国土であることを明確にするために、「北海道」と名付け、開拓使を派遣するに先立って、北海道の守り神として大国魂神、大那牟遅神、少彦名神の開拓三神を祀る北海道鎮座祭を明治2年に東京で行ないました。そして翌年にその祭神を札幌に移して、札幌神社に祀りました。昭和39年には明治天皇をも祭神として祀ることで北海道神宮に昇格したのでした。

島根県の松江の西に出雲大社を訪れました。立派な社殿の傍らに小さな社があり、 神さまの宿と立て札がたっていました。旧暦の10月に日本全国から神々が集まるので、そのお宿だというのです。そこで日本各地では10月が神無月(カミナズキ)と呼ばれています。一方出雲だけは神在月(カミアリズキ)です。出雲大社に祀られている大国主命が、日本中の神々を集めるほどの高い徳を備えていると考えられている訳です。

彼は豊葦原瑞穂国と呼ばれる平和で豊かな国を造り上げ、天照大神に国を譲り渡して引退しました。その私心の無さが大きな徳として称えられているのでしょう。また  大国主神は、縁結びの神としても有名です。単なる結婚の縁に留まらず、人間同士が皆互いに仲良く結ばれてこそ、明るく楽しい社会が形作られていき、皆が幸福になる。その縁結びに愛情を限りなく注ぐ有難い霊力をもって、人々の暮しを守って下さると慕われているのだそうです。だから日本中の神々も集まって来るのでしょう。出雲にまで集まって来て、何を話し合うのでしょうか。人々の縁結びについてに違いないと言われています。結構なお話ですね。

イスラエルの民の先祖アブラハムは、文明の発祥地メソポタミヤ地方から、神さまに呼び出されて、独りカナン地方に出て行きました。そして神さまから「あなたの子孫にこの地を与える」と示された地に祭壇を築いて礼拝しました。彼も息子のイサクも孫のヤコブも、住む所に祭壇を築いて神さまを礼拝し、神さまの指示を聞き取りながら、生涯を送りました。

世界的大飢饉に襲われてエジプトに移住したイスラエルの民は、約400年後にモーセに率いられてエジプトを脱出し、カナンの地に戻ってきました。その途中シナイ山で神の律法十戒を授けられて、神の民としての明確な自覚を持ちました。十戒の記された石の板を箱に納め、神さまが共に進んでくださる徴として、大切に運びました。

カナンの地に定住するようになり、シロに神の箱を安置しました。ところがペリシテ軍にシロを破壊され、神の箱は奪われてしまいました。ダビデ王の代になり神の箱を取り戻し、エルサレムの都に安置しました。そしてダビデの息子ソロモン王の代になってやっと神殿が建立され、神の箱はその神殿の至聖所におさめられました。

ソロモンは神殿の完成式の時にこう祈っています。「神は果たして地上にお住まいになるでしょうか。天も、天の天もあなたをお納めすることができません。わたしが建てたこの神殿など、なおふさわしくありません。 わが神、主よ、ただ僕の祈りと願いを顧みて、今日僕が御前にささげる叫びと祈りを聞き届けてください。 そして、夜も昼もこの神殿に、この所に御目を注いでください。ここはあなたが、『わたしの名をとどめる』と仰せになった所です。この所に向かって僕がささげる祈りを聞き届けてください。僕とあなたの民イスラエルがこの所に向かって祈り求める願いを聞き届けてください。どうか、あなたのお住まいである天にいまして耳を傾け、聞き届けて、罪を赦してください。」(列王記上8:27〜30)

この祈りで分かりますように、イスラエルの民は神殿を神さまの住いとは考えていません。神さまというお方は、たとえ7年の歳月をかけて国家の総力をあげて建設した神殿だとしましても、人間の造った建物の中に納まるような小さなお方ではないのです。ただ昼も夜も絶えずこの神殿に目を注ぎ、耳を傾けて下さり、ここで、またこの神殿に向って捧げる私たちの真心込めた祈りを聞き入れて、答えてくださる天の神さまと私たちとの接点として、この神殿があるという信仰なのです。

アブラハムたちがこしらえた祭壇も、そこで神さまに捧げ物を献げて礼拝し、神さまの御心を聞き取り、それに聞き従っていく決意を表していく場所でした。自分たちのいろいろな願い事をあれこれ注文するのではなく、神さまの望んでおられる生き方を心に刻んで実践していきますと応答していく場所でした。十戒の記された石の板を神殿の至聖所におさめておくのも、私たちの生活の指針が示されているからなのです。この点で、ただ願い事を捧げて拍手を打って拝礼する日本の神社と、聖書の神殿とは違います。

[2] 強盗の巣窟に様変わりする神殿
「主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない。」と神さまはおっしゃいます。都の中心に立派な神殿がこれこの通りに建てられている。我々はこのように礼拝を捧げている。だからどんな時にも神さまの守りがあると思ってはならない。自分の道と行いを正さなければ、どうして祈りが答えられるだろうか。道とは神ならざる神になびき、従っていこうとする道です。行いとは寄留の外国人、孤児、寡婦を虐げたり、無実の人の血を流したりする行いです。盗み、殺し、姦淫し、偽って誓い、バアルの神に香をたく行いです。

礼拝とは、自分の様々な欲から生まれる願い事を、神さまにすがってかなえてもらう行為ではありません。信仰は自分の道や行いを正しくしていく心を養う真剣な営みです。自分の道や行いを正していくことが、一向に現れて来ない信心とは、一体何なのでしょうか。欲望から生まれる願い事を神の座に据えて拝んでいる行い、信仰とは言えない行いです。

エレミヤから660年ほど経った紀元30年頃のことです。イエスさまが十字架にかかるためにエルサレムの都に入城された時に、先ずなさったのが、神殿の境内に入って行き、そこで商売している人々を追い払い、両替人の台や鳩を売る者の腰掛をひっくり返されたことでした。「私の家はすべての国民の祈りの家と呼ばれるべきである。ところがあなたたちは、それを強盗に巣にしてしまった」(マルコ11:17)とおっしゃっています。これはまさにエレミヤが叫んだ言葉です。

エレミヤの時代に、ヨシア王は熱心な宗教改革を行なって、神ならざる神に献げ物を捧げる礼拝になりがちな村々の祭壇をどんどん取り壊しました。年三回の大事な祭りには国中の者が皆、エルサレムの神殿に参拝するよう求められました。神殿では牛・羊、貧しい者は鳩を献げ物として捧げます。遠路を旅して集まる人々は、連れて来れないので、境内で買って捧げます。神殿税も特別な神殿用貨幣で納めるので、両替しなければなりません。

そのために神殿内に商売の店が数多く並ぶようになりました。一銭でも多く儲けようとする欲得が渦を巻き、商人と神殿当局の間にリベートなどの金が動きます。神殿が礼拝者で賑わうにつれて、祈りの家が強盗の巣窟に様変わりしていきました。そしてそれがおかしいと思う人が居なくなってしまったのです。このような状態がどうして聖なる神さまと神の民の接点といえるでしょうか。大体礼拝する場所に献げ物を売買したり、献金を両替する商売を持ち込むなど、不必要です。堕落させるものを祈りの家から、努めて取り除く心が大事ではないでしょうか。エレミヤが叫び、イエスさまが力を振ったのは、当然のことでした。

ところがエレミヤの言葉は無視されました。20章、26章の記述によると、神殿当局に捕えられ、死刑になりかかっています。イエスさまの場合も、「祭司長たちや律法学者たちはこれを聞いて、どのようにして殺そうかと謀った」と記されています。そして4日後に十字架刑になったのでした。神殿の本来の意義がなおざりにされる時、神殿が国を滅ぼしていく人間の重い罪を現わす場になるのです。

(後半につづく)

[3] 神社が果たした誤った役割
1895年(明治28年)日清戦争に勝利した日本は、台湾を領有することになりました。6年後に台湾総督府は台湾総鎮守の社として台湾神社を創建しています。1910年に日本は大韓帝国を併合して、朝鮮半島を領有しました。そしてやがて京城に朝鮮全土の総鎮守として、天照大神と明治天皇を祭神とする朝鮮神宮を創建しました。これは 北海道開拓に当って、先ず札幌神社を建てたのと同じ発想だったのかもしれません。

しかし文化や民族性の違う外国の地では、日本国内の場合のように、ことがスムーズに運びません。例えば朝鮮神宮の場合ですと、お前たちも日本の国民になったのだから、参拝して朝鮮の繁栄と日本全国の繁栄を祈願するようにと勧められます。1932年に日中戦争が始まりますと、戦勝祈願するようにと参拝が強制されるようになります。キリスト教会の中に警察官立会いという状況から、神社参拝を決議する教会が増えていきました。そこで信仰の自由が侵されると反対した牧師・信徒が2000人検挙・投獄される事態になりました。200の教会が閉鎖になり、50人が獄中で死にました。こうして、朝鮮の人々に恵みをもたらすために建てられたはずの神社が、国家権力の朝鮮支配の苛酷な道具になってしまったのでした。宗教にはこのように権力に利用され、悪に加担して、本来の任務とは逆の働きをしてしまう危険を、はらんでいるのです。

シンガポールでも、日本軍が占領するや、直ちに伊勢神宮の分社、昭南神社が建立されました。これなどは天皇の威光と支配を東南アジヤに示すためのもの以外の何物でもありませんでした。ですから敗戦と同時に爆破されて、跡形も無く消えてしまいました。軍国主義日本がアジヤ諸国に示した天皇の威光とは、こんなに哀れで情けないものだったのです。

むなしい言葉といえば、戦時下の国民を鼓舞した「神風が守る不滅の神州日本」という言葉がありました。鎌倉時代に蒙古の大船団が九州に押し寄せてきた時に、二度とも台風が襲来して敵船を沈没させて、退却させたという歴史が殊更に取り上げられて、米英の大軍が襲来しても、神の国日本は、神風に守られて、負けることはないという迷信に国民は洗脳されてしまっていました。若者たちが神風特攻隊になり、爆弾をだいて敵艦に突っ込んでいき、あえない無駄死を遂げました。まさに「主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない」というエレミヤの言葉の通りでした。

[結] 滅びるな
神さまが私たちに求めておられることは、神さまの前に立って、自分の歩む道と行いを反省し、正しく保つことです。ヤコブの手紙にこう記されています。「人はそれぞれ、自分自身の欲望に引かれ、唆されて、誘惑に陥るのです。 そして、欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます」(1:14〜15)

外国人や孤児や寡婦などの社会的弱者を苦しめたり、偏見や誤解から人を不当に責めたりしていないかどうか、盗みや殺しや不品行や嘘をついていないかどうか、これらの罪はみな欲望から生じます。欲望・誘惑・罪・死。私たちは絶えず清められ、どんな人とも仲良く助け合って生きていかなければなりません。神さまは、それを求めて絶えず私たちに語りかけておられるのです。

「人間同士が皆互いに仲良く結ばれてこそ、明るく楽しい社会が形作られていき、皆が幸福になるのだ」と人と人との縁結びを大事にした大国主命、日本中の神々が10月に出雲に集まって、この縁結びを日本中に広める話し合いをするという出雲大社の信仰――これはエルサレムの神殿の入り口でエレミヤに叫ばせた神さまの御心と同じです。

「お前たちの道と行いを正せ」「むなしい言葉に依り頼んではならない」「滅びる」私たちは神さまのこの呼びかけをしっかり聞き取って、真剣に応えていく今週の歩みを進めていかなければなりません。


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