旅人酒場 〜1杯やってかない?〜

慌ただしく過ぎていく毎日。でも、空は見上げよう。

映画や本のこと

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[製作]2009年  メキシコ・アメリカ  96分
[公式ホームページ]http://yami-hikari.com/

意外な映画が日本に上陸、そんな感じでした。
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【SIN NOMBRE -闇の列車、光の旅-】

もしかするとこの映画と、それとも中米と縁があるのかも…なんて思っちゃいました。

メキシコから日本に帰る前日、何枚か映画のDVDを買ったのですが、膨大な映画の中から
好みの作品を探すのは途方もない時間がかかりそうで、ほとんどジャケット写真を見て
即決する、所謂「ジャケ買い」など。荷物の整理がついた頃、思い出したように見始めて
一番引っ掛かったのがこの映画です。数ヵ月後、日本での公開が決まりびっくり。

先月から東京・日比谷でも公開されたので観に行って来ました。
貧しい中米の人々が危険と隣り合わせでアメリカに不法入国する話なのですが ―。
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“危険”と言ってもいろいろあって、国境警備兵だとか強盗だとか、身を守るものが何もない
列車の屋根そのものだったり。この映画で最も恐ろしいのはストリートギャング・マラス。

マラ(又はマラス)は米・カリフォルニアから中米にかけて多くの構成員が存在、
青少年犯罪組織として有名です。頭のてっぺんからつま先までタトゥーを入れて、
それは所属組織や階級、戦績を示す勲章のようなもの。

マラスの拡大の原因として、低就学・貧困・家庭崩壊などの社会問題、90年代まで続いた
中米紛争や米国の中米対策があります。あらゆる中米紛争に米国が関わっていた事実があり
ながら、ヒスパニックが増えたことで90年代から数万単位での強制送還を開始。

こうしてメキシコからグアテマラ・エルサルバドル・ホンジュラスを中心としたマラスの
ネットワークができました。強制送還=犯罪組織の大移動でもあったわけです。

特にエルサルバドルにおける二大勢力“マラ・サルバトゥルーチャ(MS-13)”と“マラ18
(MS-18)”は有名で、ロサンゼルスのエルサルバドル人居住区の番地に由来する名前だとか。

こういう現実を見ると、ますますアメリカと中米の関係に「?」が増えます。
一向に治安や貧困問題が改善されない中米諸国、根本的な原因って、ソコじゃないの?

中米の移民たちの苦悩と現実、殺人数を競い合うようなギャングの存在、それを知った
だけでもこの映画に出会った価値はあるみたい。
ちなみにこちら、日系米国人キャリー・ジョージ・フクナガ監督による作品です。

目を覆いたくなるようなシーンもありますが、これが現実でもあると思います。
興味がある方、是非どうぞ。
[製作]2007年  フランス・ドイツ・ベルギー・イタリア・南アフリカ合作  117分
[公式ホームページ]http://mandela.gyao.jp/

【<ノーベル平和賞受賞>ネルソン・マンデラ生誕90周年】

「肌の色や生まれ育ち、宗教などを理由に生まれつき他者を憎むものなどいない。人は憎しみを
 学ぶのだ。憎しみを学ぶことができるなら、愛することも学べるはずだ。なぜなら愛は、人間の
 本性により自然に寄り添うものだからだ ―ネルソン・マンデラ―」
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アパルトヘイト―1948年の提唱から1991年まで続いた南アフリカの人種隔離政策。
アパルトヘイト関連法は、国民を【白人】【バントゥー(アフリカ黒人)】【カラード(混血)】の3集団に
分類、各集団ごとに居住地や職業、学校などが定められた。更に人種間の結婚が禁止、公共施設も区別
され、非白人のみ登録証(身分証)の携行が義務づけられた。この登録証チェックは街中でも突発的に
行われ、所持していない者は暴力を受けた上、連行された。
(その目を覆いたくなるようなシーンはこの作品の中でも流れる。)
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長い間、人種差別と白人優位の暗い歴史を歩んだ南アフリカ共和国。この国が無意味で悲し過ぎるアパルト
ヘイト時代を経て希望の路へ進むのを見届けることができる映画。希望を捨てず、理想のために命も掛けて
戦い抜いたネルソン・マンデラ、彼は27年間囚われた後、94年に南アフリカ初の黒人大統領に就任した。

少しあらすじについて触れると…
差別主義者の看守・グレゴリーは南ア最悪のテロリストとされるマンデラの担当に抜擢される。これは
マンデラの故郷近くで育ち、黒人の言葉・コーサ語を解した為、秘密文書や会話をスパイするためだった。

だが、彼が人種を超えて平和に暮らせる世界の実現を求めていることを知り、マンデラの思想の尊さ・
気高さに気付き、引かれていく。そしてグレゴリーのコーサ語はやがて、マンデラとのコミュニケー
ションツールとなる。だからこれは、様々な葛藤の中で苦しみながらも、正しい歴史のひとこまでいたい
と願った看守とマンデラの十数年間にわたる魂の交流を描いた真実の物語。
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そこに真実があるからこそ、心に響く。人間はいかに愚かで、いかに希望を持てる生きものなのだろう。
相手を理解することで見える世界がある、目を背けたから知らない現実がある。
日本では、こちらから欲すれば様々な情報を得ることができる。だから私は知ろうとし続けよう。
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[製作]2007年  日本  100分
[公式ホームページ]http://www.cuba-okinawa.com/

         【歴史に翻弄された真実のドキュメンタリー】
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昨年10月、沖縄からのキューバ移民が100周年を迎えた。
美しい海とサトウキビ畑、のんびりとした生活に独特の音楽。キューバと沖縄、
遠く離れた地でありながら重なるイメージが多い。

しかしこの隔てられた土地の大きく異なるところは、波多野監督のメッセージを引用すると―
その決定的な違いは、キューバが先住民の絶滅した国、すなわちすべてが外部からやってきた
支配者と被支配者(スペイン人とアフリカ人)によって作られた国であるのに対して、琉球=沖縄が
先住民を主体に形成され、しかしつねに外部の大国(明、清、日本、アメリカなど)の圧倒的な力の
支配下の置かれてきた国であるという事実である。
日本は20世紀初頭から、中南米をはじめとする世界各地に移民を送り出してきた。
特に戦後の日本は、人口の急激な増加に頭を抱え、解決策として海外への移住計画を奨励した。
しかしごくわずかな成功者を除き、ほとんどが不遇の生涯を送ることになった。

土地を売り、あるいは借金をして渡航費を調達し、長く辛い航海の末にようやく現地に到着して
みると、手のつけられない荒地での農作業や、劣悪な労働条件での仕事が待ち受けていたのだ。
(ドミニカ政府などは、日本の移住者を使い不毛な土地の開発をさせた。しかし反対を押し切り、
夢の国と信じて渡っていった人たちにとって、日本に戻ることなどできなかった。)

そもそも、なぜ沖縄からのキューバ移民が多かったのか?
そこには当時沖縄が抱えていた問題、とりわけ貧困・出稼ぎ・琉球王国が諸外国との交流を続けていた
ことからくる「移民観」の本土との違いなどがある。
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フィルムには第二次大戦中、日系男子が強制的に収容された監獄跡(パノプティコン)の映像もあり衝撃的だ。
(ここはフィデル・カストロ元議長が最初の武装蜂起に失敗したときに幽閉されたところでもある。)
「乞食のようでした」という1世の宮澤さんに、「すべてにグラシァス(ありがとう)です」と語る
同じく1世の島津さん。その対照的なキューバへの思いにも、同じ移民として何か重みを感じる。  
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過酷な運命と、移住地での革命、まさに歴史に翻弄された人々。
今もたくましく生きる移民・日系人が世界各地に居ること、そしてその歴史を忘れてはいけないと思わせる映画だった。

“今夜、列車は走る”

[製作]2004年  アルゼンチン  110分
[公式ホームページ]http://www.action-inc.co.jp/salida/

鉄道の民営化により6万人もの鉄道員が失業した90年代のアルゼンチン。
利益の見込めない路線は廃止の決定を下され、交渉の余地もなかった。
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失業理由も「自主退職」扱いにすることを余儀なくされ、明日からの生活は暗闇の中。

最後まで交渉を続けた組合代表は自ら命を絶ち、他の仲間たちも行き場のない怒りを
ぶつけられずに過ごす日々。

鉄道員という誇り、そこから一転した生活環境と守らねばならない家族。
そんな厳しい現実が彼らを犯罪者に導いていく…
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『出口はきっとある』
ラスト、廃止路線を再び走った列車は鉄道員の誇りと家族の希望を乗せ、
小さな田舎町の出口へ向かった。

『失業』 他人事じゃない、誰の身にも起こりうる現実。
利己主義に走り、格差社会を生み出した日本。
人間としての価値や権利を考え直すきっかけになるのでは、そんな映画だった。
[製作]2004年  スイス  74分
[公式ホームページ]http://www.uplink.co.jp/burma/
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東南アジアの敬虔な仏教国・ミャンマー。
それがミャンマーの“表の顔”だとしたら、“裏の顔”は軍事政権じゃないかと思う。

民主化運動の指導者であるアウン・サン・スー・チーさんは余りに有名だが、実際ミャンマーの軍事政権が、
北朝鮮やベネズエラの政権ように度々ニュースになることはなかった。そう、昨年9月のデモが起きるまでは。

2007年9月27日、日本人カメラマンの長井健司さんがミャンマー・ヤンゴンで取材中に死亡した。
僧侶や市民のデモを取材中のことだった。

そもそも一連のデモは、昨年8月15日に政府が突然ガソリン価格を数倍に引き上げたことに端を発た。
生活が窮迫した市民の代弁者として僧侶たちが立ち上がったのだ。デモはミャンマー都市部だけでなく地方にも
広がり、僧侶・市民10万人が集まり、88年の民主化デモ以来の規模となった。

88年のデモでは社会主義独裁体制による圧政に不満が爆発、学生や市民らの反政府運動が展開されたが
軍が武力行使で弾圧、多数の犠牲者が出た。
だから昨年のデモも、ミャンマーの政権が変わらない限りいつ起きてもおかしくないものだった。
つまり、この先も。
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ミャンマーのデモは終わったのではなく武力で押さえ込まれ、観光客誘致のために住民は強制移住させ
られた。山岳地帯の少数民族は家を焼き払われ、川を渡り難民キャンプを目指す日々。

黄金に輝くパゴダ(仏塔)の影は想像を超えるほど大きく伸び、そして深く濃い。
撮影許可が下りない中、観光用PR番組の撮影と偽りミャンマーに潜入、この国の抱える問題点を体当たりで
取材し作品にしたスイスの女性監督、アイリーヌ・マーティー。彼女が本物の観光番組を制作するために
ミャンマーを訪れる日は来るのか?

国際世論の声も空しくますます内向的になるミャンマー軍政。
この国の軍は、戦前に日本軍の訓練を受けたビルマ独立義勇軍の流れをくんでいるというから
残念で仕方ない。軍事政権による武力行使、流血は憎悪の連鎖を断ち切れない。

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